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めでたしめでたしの物語
しおりを挟むエリザベスは別の牢獄を訪れていた。そこにいる女性は、見たときよりも随分やつれていた。
「アンナ」
呼ばれた女性は、びくりと肩を震わせた。恐怖に引きつらせた顔を見下ろしながら、エリザベスは扇子を広げた。
「貴女の処分が決まりました」
「あ、ああ…エリザベス王妃さま…!」
アンナはひざまずき、許しを請う。
「どうか命だけは…!私は知らなかったのです!あの者が偽物だったなどと!私は騙されたのです」
「私は忘れていませんよ。貴女が何と私に言ったか」
「あ、あの時は、仕方なかったのです!貴女様を懲らしめるのが、私の役目でございました」
「であれば、私の役目も理解してくれますね?私はこの国の王妃です。王妃としての役目を果たさねばなりません」
「エリザベス王妃さま…!私には娘がいます、まだ三つになったばかりでございます!どうか、母娘が離れ離れになるのだけは、どうか」
この期に及んで娘を持ち出すとは。エリザベスはこの女が娘を政治の道具として扱ってきたことを嫌というほど知っていた。
「で、あれば」エリザベスは扇子を広げる。「尚更、引き離さねばなりませんね」
「王妃さま…!」
「モラン侯爵夫人アンナ、貴女は私の処刑に加担しました。偽者の口車に乗ったとはいえ、その罪は重い。よって即刻、国外追放とする」
処罰を聞いたアンナは悲鳴を上げる。エリザベスは顔を背けた。
「なお、モラン侯爵家は貴女と離縁するそうです。追って書状が届くでしょう」
「王妃さま!王妃さまお願いです!どうかお慈悲を…!」
「安心して。娘さんは私も気にかけておきますから」
「王妃さま…!」
すがりつこうとするアンナから離れる。用は済んだ。さっさと牢から出た。後ろからアンナの叫びが聞こえる。エリザベスは無視した。
いくら自分に危害を加えた人物とはいえ、処分を告げるのは気が重い。こんな暗い気分のままでアーサーに会いたくない。エリザベスは女官を伴って庭に出た。
花園へ行ってみる。薔薇は冬が一番綺麗に咲く。害虫の被害が無いからだ。花本来の美しさを目にしていると、自然と心が和らいでいく。
「あれ?王妃さま…!?」
声がして顔を向けると、それはアーサーの従者だった。新しい従者は、ロベルト王から派遣された生粋のグレア人だったが、どういうわけか騒動が収まりを見せても本国に帰る様子はなく、こうしてアーサーの従者を続けている。
「ええと、トーマスさん?でしたね。こんな所で、どうなさったの?」
「ああ…ええ…まぁ…その」
歯切れ悪い調子に、エリザベスは首をかしげる。すると何やらガサゴソと生垣から抜け出してくる人物がいた。
「トーマス!見つけたぞ!冬なのにこんなでっかい……」
枝やら葉やらをくっつけで出てきたのはアーサーだった。誇らしげに何かを掲げている。エリザベスは初め縄かと思った。だがそれが一人でに揺れ始めたので、ぎょっとして控えていた女官にすがりついた。
「ア、アーサー!貴方なんてもの持ってるの…!?」
向こうもまさかエリザベスがいるとは思っていなかったようで、慌てて手にしていたものを後ろ手に隠した。
「なんでこんな所にいるんだ!寒いだろ!部屋に引っ込んでろ!」
「寒くても庭くらいは歩きます!それより、それを早く捨ててくださいな!」
アーサーが手にしているもの。それは蛇だった。一国の王が喜々として蛇なんかを捕まえているなんて。政務の合間を縫ってなんてことで遊んでいるんだか。エリザベスは蛇の驚きと同じくらいに呆れもやって来た。
「捨てるって言ったって、そこら辺に捨てるわけにいかないだろう。君やセシルが噛まれたら危ないだろ」
「変な物拾ってこないでくださいよ」
「立派な害虫駆除だ。俺は働いている」
「庭師の仕事です!もう!薔薇を見てたのに。台無しです!」
「ちょっと待ってろ。これを始末したら直ぐに行くから」
「蛇を持った手でこないでください。あっち行って!」
エリザベスは小走りで花園を抜け出した。アーサーの呼び止める声に構ってなどいられなかった。
静かに扉が開く音がして、エリザベスは立ち上がって振り返った。
アーサーが気まずそうにこちらを伺ってくる。
「…蛇は始末した」
遠慮がちに言う彼に、エリザベスは静かに首を横に振った。アーサーは手を上げた。
「手も洗った」
「何回?」
「ん?」
「何回洗いました?」
「…一回」
「あと三回、肘までしっかり洗ってください」
無言で反転して部屋を出ていこうとするアーサーに、エリザベスはため息をついて引き止める。
「待って。片手では難しいでしょう。私が洗ってあげます」
「…助かる」
「これっきりにしてくださいね。蛇取りなどしていると知られたら、セシルが真似しかねませんから」
「セシルは真似するよりは怖がるだろうがな」
「あら?あの子がお父さんの真似して私に毛虫見せてきたの知らないんですか?」
「そんなことしてないぞ俺」
「嘘。私に毛虫見せてきたの、もう忘れたんですか」
してない、とまた言われる。都合のいいことだけ覚えているらしい。エリザベスは早く手を洗って欲しかったからこれ以上の問答は止めた。
その日は朝からずっとエントランスで待っていた。
それらしき馬車がやって来て、エリザベスは手を振った。馬車が止まりきる前に扉が開く。転がるように飛び出してきたセシルに、エリザベスは注意するよりも先に強く抱きしめた。
「セシル!」
「かあさま!」
力一杯抱きしめる。セシルもこの数ヶ月の間に、随分成長していた。大きくなった手を握りしめる。
「かあさま…髪、短い」
「あ、そうなの。軽くてね、とっても楽なの」
「父さまも、腕、短くなっちゃった。伸びてくる?」
「お父さまはね…ちょっと無理なの。一本だけだといろいろ不便でしょ?私たちで支えてあげましょうね」
うん、と頷く。セシルの頭を撫でる。にっこり笑ってくれて、エリザベスも同じ顔をした。
セシルはずっとエリザベスと手を繋いでいた。驚いたのは、とてもセシルがお喋りになっていたことだ。聞けばお世話になっていたザーラの娘と友達になったという。娘のほうが少し年上だが、似たような年頃の子とは遊ぶ機会がなかったら、セシルにとって良い経験となったようだ。
一緒にアーサーの執務室へ。セシルの姿を見た途端、アーサーは膝を折って抱きしめた。
「セシル、元気だったか」
「元気!」
「みたいだな。ほら、掴まれ」
アーサーが腕を出す。よく掴まって、くるくる回るのがセシルは大好きなのだが、首を横に振ってエリザベスに抱きついた。
「どうしたセシル」
「ううん…」
「好きだろ?」
「ううん、嫌いになった」
エリザベスの足にギュッと抱きつく。エリザベスは、先のやり取りを思い出して、セシルの頭を撫でた。
「いいのよセシル我慢しないで」
「でも…」
「お父さまは貴方を構いたいようですから、甘やかしてあげて」
背中を叩いてアーサーに向き直らせる。アーサーはもう一度腕を出した。おずおずとセシルは腕に掴まる。セシルの体が浮いてくるくる回りだす。やがて笑い出したセシルとアーサーを見て、エリザベスは込み上げてくるものを感じた。
セシルはお土産を持ってきてくれた。それを見て、エリザベスだけでなく、アーサーまで驚く。
「ど、どうしましょうアーサー。こんなもの、も、貰ってしまっていいのかしら…」
「…まぁ、俺たちだけ目を通して黙ってれば問題ないだろう。セシルには、重々承知しておかないとな」
それは『セシルの冒険』の最新作だった。製本されてすらいない、紙の束だった。直筆の原稿に、エリザベスは持つ手が震えた。
長椅子に三人で座る。セシルを真ん中に、最新作の紙の束を持たせて、アーサーがダッカン語を訳しながら読み上げていく。
物語には主人公セシルの父が登場する。セシルの良き指導者として、助言をし、時には叱責し、暖かく見守る。剣の達人で、セシルを庇って腕を失いながらも、人の道を説き続ける。そんな話だった。
セシルの母親も登場する。セシルを案じながらも、冒険に送り出す優しい母親だった。
モデルが誰なのかは明らかだ。読み進めていくアーサーも、時々言葉につまらせている。息子の願い事を叶えてくださった作者様にはもう頭が上がらない。恥ずかしいやら嬉しいやらで、落ち着かない。
『セシルの冒険』の良いところは、絶対にハッピーエンドで終わるところだ。今回も例に漏れず、物語はめでたしめでたしで終わる。
私たちの物語も、めでたしめでたしで終わりを迎える。それはもう覆らない。物語はめでたしめでたしと決まっているのだから。
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