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第四章
アール・ケルドの虚帝 ― 7
しおりを挟む月も星もない闇夜の大森林の中でも、なぜか魔霧は仄白く発光して満ちていた。それを蹴散らして着いた先は、異様な雰囲気と気配に満ちた遺跡の奥だった。
霧馬の腹に託された《器》は遺跡に接近した頃から急激な明滅を始め、室への入口に至っては目も開けていられないほどの光輝に包まれていた。それはまさに、切望の末に届いた場所への帰還からくる歓喜の声の様で、霧馬から下馬して開封の手続きをしている最中に、《器》は霧馬の腹から飛び出し来た。
「ぐぅっ…!」
開いた入口へと足を向けかけた途端、《器》は僕らを無視して通路へと飛び込んで行った。不意打ちの接触に、息が停まるほどの激痛が胸を貫き、僕は膝から崩れ落ちかけた。
なんだろう。
《器》が僕の顔の側をすり抜けて行った時、光の不意打ちに気を取られて上体が揺らぎ、頬にかする程度の接触をした。その刹那、冥府王の刻印が激痛を呼んだ。
肌を裂き、肉を斬り断ち、心臓を鷲掴みにされ引きずり出される様な幻惑を見た。
「アズ!!」
「がぁっ…ああぅ…!!」
膝をついた辺りでジンさんに受け止められたらしいが、僕は胸を掻きむしりながら激痛の渦の中へ沈み、早々に意識を失った。
****
目が覚めた時、一瞬そこが何処か分からなかった。
暖かなぬくもりに包まれていたことに気づいたが、それ以外を特定できなかった。
ジンさんの腕の中にしっかりと抱かれて横たわっている状況に、いつの間に眠ったのかと頭を巡らせたが、すぐに自分が激痛に襲われて気を失ったのだと思い出した。慌てて身を起こし、目を瞑って横になっているジンさんの頬に手を添える。血の通った暖かさと、ゆっくり上下する胸の動きを見て、虚脱するほどの安堵を覚えて吐息をもらした。
ようやく周囲を見回す余裕ができ、視線を上げた。確か室への入口に立っていたはずだったが、周りは森の中でも室の中でもなかった。尻をついた場所は石敷ではなく、暖かく柔らかい感触はあるが毛皮や毛布の手触りではなく――――ああ、これは霧馬の背に似た感触とぬくもりだった。なのに、目を凝らしても地が見えない。どこもかしこもぼんやりと白い霧に包まれた、どことも知れない場所だった。
一つ深呼吸し、【探索】を展開する。
―――冥府の王の居所―――
いつもの地図は出てこない代わりに、文字だけが記された。
頭のどこかで、やはりと思う。
この空間の気配は、あの水珠の中に似ていた。何の危険も不安もなく、ただ心安らかに暖かく優しい。ただし、全能の神・リベルタスの与えてくれた涼やかな晴れた気分の寝床とが違い、真夜中のしっとりとした静けさの中の、ほっとする毛布の中の暖かさだった。
ふと気配を感じて、視線を彷徨わせた。
小さな光の塊りがどこからともなく現れ、徐々に大きくなっていく。僕はそれに目を留めたまま、ジンさんの肩を揺さぶった。
「ジンさんっ、起きて!」
何度か強く揺すると、呻き声を漏らしつつ目を覚ました。
「ん…あぁ、アズ!」
僕が何事もなく起きているのに気づいたのか、焦りの見える表情で起き上がり、しかしすぐに側でに尋常じゃない気配を感じて視線を投げた。
「なん…だ?あれ…」
光はすでに球から何かへと変形を始めていた。
覚えのある形に確信を持ってそれだと言えるが、目が離せなかった。
「僕が倒れてから、何かあった?」
少しづつ変わって行くソレを2人共凝視しながら、僕はジンさんに尋ねた。
「ああ…お前を抱き上げて室へ入った途端、俺も気を失った」
「じゃ、ここがどこか分かんないか……」
「だな。室から行けるどこかなんだろうが…あぁ?冥府の王の居所?」
ジンさんも僕と同じく【探索】を使ったらしく、話しの途中で結果を漏らした。
「僕も同じ結果だった。…とすると、あれは天秤かな?」
今や光の塊りは左右対称に整った天秤と変わり、宙に静止していた。
と、その天秤を挟んで、2頭の霧馬の首だけがすっと現れた。
『咎人の魂は 冥府に落ちた 汝らには 礼を言う』
『冥府の王は 汝らに 望みのモノを 与えた 受け取れ』
脳裏に響く声は、穏やかで明瞭だった。
それだけに、言った覚えのない望みに首を傾げた。
「望みって…まだ何も言ってないけど…」
「いや、俺が思ってた望みは叶ってる」
「えぇ!?なに?」
僕の問いに答えないまま、ジンさんが掌を上に向けた。そこに時折見せる灯りの球ができ、手を振って宙に浮かせた。普段は攻撃魔法のその灯りは、僕とジンさんの頭上で少しだけ明るさを増した。
「あ!…ジンさん?」
灯りの下に浮き上がったジンさんの容貌は、さっきまでみていた20代に入ったばかりの若々しい彼じゃなく、僕と初めて出会った時の彼だった。
「―――おかえり」
思わず口から洩れた言葉に、ジンさんの少しだけ男臭さの戻った顔に笑みが浮かんだ。
「お前もだぞ。ただいま、アズ」
くすぐったそうに笑うジンさんが、その節の目立つ大きな手で僕の頬を包んで撫でた。その乾いた掌に猫の様に頬を擦りつけ、彼の胸に抱き着いて一頻り泣いた。
そして、僕の望みも叶っていた。
”勇者”のジョブは消え、そこには”聖剣士”が。
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