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第五章
水の気配 水の匂い ― 5
しおりを挟む風のない夜で良かったと思う。
わずかな空気の流れを風魔法で作って、地面すれすれに送りながら、林から湧き出る魔霧を所定場所へと送り出した。
夜番の護衛騎士たちが天幕待機の騎士を呼び、鋭い警戒を呼び掛けながら聖女の天幕を囲って辺りを睨む。
僕らは護馬をそろりと進め、月明かりを背に林を出た。すぐに騎士たちの警戒と殺気が飛んで来るが、それを無視して聖女の天幕へ近づいた。
「止まれ!貴様らは何者か!?」
奇妙な霧の発生に魔獣でも現れるかと構えてみれば、現れたのは不気味な馬に跨った純白のローブ姿の人間だ。魔獣以上の危機感が襲って来ただろう。人型の魔物も存在する。死体が起き上がるアンデッド、そのアンデッドを作るレイスやリッチ、ゴーレムなど、《死する蘇り》と呼ばれる者達だ。元は人であるだけに、魔獣と違って知能があるだけ厄介だ。
「用があるのは、そちらの方だろう」
「我らは、聖女の望みによりシステラ神からの命を賜り参上した」
声を張り、天幕内で息を殺して潜んでいるだろう聖女に届くよう告げた。と、天幕内から女たちの悲鳴と押しとどめる声が響き、ばさりと空いた幕から聖女が飛び出して来た。
慌てて出て来たのだろう着の身着のままにローブを羽織り、這いつくばるかの勢いで僕らの前に跪いた。騎士たちの諫める声が被さって来る。
「せっ聖女さま!」
「ブリジットお嬢様!!」
「控えなさい!!この方々は神の御子様です!」
厳しい視線と叱咤で下の者たちを押さえると、すぐに僕らを見上げた。彼女の背後で武器を構えていた者達は、彼女の一喝に慌てて跪いた。それでも、こちらに向ける視線は油断はない。
「わたくしの些末な望みをお聞き届けくださり、ありがとうございます。わたくしは、システラ様より聖女の称号を賜りましたブリジット=ベラレンツでございます」
「ああ、聞いている。我らを探して何を望む?」
挨拶はいいから、さっさと話せ!とばかりにジンさんが冷めた口調で先を促した。
すると聖女は、生命の泉が突如枯れたことから始まり、システラ神の託宣があり、その内容に納得がいかずに僕らにどうにかできないか希望を託したいと訴えた。
「聖女ブリジット、貴女は何が不満か?」
「泉の水は、女子供たちにはまだまだ必要でございます」
「死せる子はまだいるのか?息も絶え絶えの女たちは?」
「……そっ、そこまでは…しかし、病にも産みの苦しみの軽減にも…必要で」
僕は思わず失笑を漏らした。
「泉が必要なのは、貴女方でしょう?システラ神は、すでに泉もシステラ教も役目は終えたと告げたはず。それを存続したいと望むは不遜。システラ神への冒涜。理解してますか?聖女ブリジット」
僕の指摘に、聖女の頬に朱が散った。薄暗がりであっても、僕らの目には彼女の羞恥が分かった。
「確かに貴女は聖女だ。がしかし、システラ神の指の先でしかない。指先が主の言いつけを無視し、さも主の名代の様な振る舞いをするのは、いかがなことかと思うよ」
「そんな大それたことなど、わたくしは考えてもおりません!」
「いない?なら、なぜに親を使ってまで泉の復活を願う?我らを探してまで願うなら、もっと有意義なことを望め。子供の我が侭を聞いてやるほど、我らは暇ではない」
ジンさんの痛烈な嫌味がさく裂すると、回りの者たちがいきなり殺気立った。
自分たちの護る聖女様が侮辱されたと、思わず憤ったんだろうけど、それはこっちも同じだ。聖女の立場でありながら、主であるシステラ神の言を無視して、父親にまで泉をなんとかしてくれと頼みに来行く厚かましさに、僕らを含めてファーレン教会の聖職者たちは腹を立てていた。
「わたくしは……しかし…」
「貴様ら!聖女様を愚弄して只ですむと思うな!このっ―――――ぐあっ!!」
怒りの沸点が低い頭の悪そうな騎士が一人、立ち上がるなり怒鳴り散らした。しかし、すぐに護魔から雷光が飛んで、天幕の辺りまでぶっ飛ばされた。呻きと天幕内の女たちの悲鳴が上がった。それだけで他の連中の中にあった、僕らへの疑念が消し飛んだようだ。
頭が冷えていれば、雷魔法を使う上位魔獣くらい存在することに気づくはず。それを召喚して使役しているくらいは疑えるのに。
「……従者ですらこの体たらく。驕った己を振り返って見よ。そして、システラ神が己に何を望んで聖女としたか考えよ」
「貴女の心が、システラ神の望みに添えた時に、またお会いしましょう」
細い少女の肩は震え、汚れにも構わず地についた両手が土を握りしめていた。
僕らは彼女の失意と汚辱に打ちひしがれた姿に構わず林の中へと馬頭を返し、霧の中へと姿を隠した。振り返る気が起きないのは、彼女があまりにも幼過ぎたからだ。
一行がショックから立ち直る前に護馬に戻ってもらい、魔霧を回収するとさっさと別邸へと戻った。
終ったと一段落着いた安堵に息をつくと、衣装の重みがどっと全身にのしかかった。
「お疲れ様でございました。湯殿のご用意はすでに整っております」
執事の労いに、思わず破顔した。
彼女の一言で、僕らは動くつもりだった。
ただ一言「残された女たちの行く末を」と。
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