39 / 50
39. 君は最高の聖女
しおりを挟む「姉様……エレアノール姉様……」
「マルセル! あなたも操演が解けたのね。本当に良かった。……あなたがずっと苦しんでいるのに全然気づけなくて、ごめんなさい」
「いいんだ。俺の方こそ、姉様に酷いことたくさん言って、酷い噂もたくさん流して……ごめんなさい」
ここしばらく取りつく島もない様子だったマルセルが、以前と同じように話してくれるのがたまらなく嬉しい。
しかし、マルセルの顔色は優れない。半年以上、他人に体を乗っ取られていたのだから当然だ。
「それはマルセルのせいじゃないわ。操られていたんだもの」
「じゃ、じゃあさ! 帰ったらすぐに婚約破棄は取り消し……」
「ちょっと、乱暴にしないで! マルセル、あんたは私の婚約者なんだから早く助けなさいよ! 王命に逆らうつもり!?」
「ひっ! うわぁあぁあ!」
「マルセル!?」
マルセルがノックスをチラチラ見ながら急き込んで何かを言いかけていたけれど、シャンベル男爵令嬢の叫び声に掻き消される。
その声を聞いたマルセルはガタガタと震え出し、叫びながら蹲った。
(もう彼女の存在自体がトラウマになっているんだわ……)
操られただけでも相当なストレスだろうけれど、この怯えようはそれだけではなさそうだ。
マルセルにどんなことをやらせていたのか……彼女の性格を考えるとロクでもないことをやらせていたのではないだろうか。
胸の奥にどろどろと黒い感情が渦巻く。彼女には嫉妬や憎しみという醜い感情を、この短期間にたくさん教えてもらった。
人の心を意図して傷つけたいと思う日が来るとは。けれどそれでいい。この女は絶対に許さない。
「マルセルの婚約者であることは、捕縛しない理由にはならないわ。もちろん死刑にならない理由にも、ね」
「はっ、おあいにくさま! 私はそこまでバカじゃないわ。万が一に備えて王侯貴族は死刑にならないように法律を変えさせるぐらいはしておいたわよ! 当然ね!」
「まあ……そんな頭があったなんて、驚きだわ」
「なんですって!?」
いや、本当に驚いた。
堂々とブローチをつけていたから何も考えていないと思っていたけれど、万が一に備えて法律まで変えさせていたなんて。備えるという発想すらないと思っていたのは、さすがに馬鹿にしすぎだったらしい。
しかも、覆されないよう陛下に勅令をこっそり出させたのだとしたら、なかなかうまい手だ。
ただ、残念ながらその法で彼女が守られることはないだろうけれど。
ノックスも私と同じ考えらしく、シャンベル男爵令嬢の言葉を鼻で笑った。
「お前は間違いなくバカだよ。自由になったシャンベル男爵が、身に覚えのない娼婦の子を除籍しないわけはない。お前は今、間違いなく平民だ」
「は……そ、そんなわけない。男爵ごときが私の親となる栄誉を得たのに……」
その自己評価の高さはどこからくるのかしら。
シャンベル男爵は愛妻家で有名だったし、嫡女のことも溺愛していた。けれど、彼女を引き取ることに反対されて激昂し、二人を追い出してしまったと聞いた。
当然それら一連の行動は操られてのことなのだから、操演が解けたなら即座に身に覚えのない庶子を除籍し、妻の実家へ許しを乞いに行っただろう。
そもそも、身分にかかわらず死刑を廃止しておけばいいものを、なぜわざわざ王侯貴族に限ったのか。ずいぶんと選民意識が強そうで呆れてしまう。
とはいえ、男爵令嬢だろうと平民だろうと、それはもはや些細な差だけれど。彼女の行く先は決まっているのだから。
「かりにあなたが男爵令嬢のままで、王侯貴族の死刑が廃止されていたとしても、王族を操っておいて死を免れるというのはあり得ないことよ」
「は、なんでよ……法律ってそういうもんじゃないでしょ……」
なるほど、たしかに法律というのは遵守されるべきものだろう。だが、王は法に縛られない。王の命令や判断そのものが法律と見做されるからだ。
そして、王族が課す罰というのは容赦がない。第二、第三のシャンベル男爵令嬢が現れないよう、彼女は徹底的な報復を受けるだろう。
王族には絶対に手を出してはいけないということを常に示してこそ王家の、ひいては国の平和が保たれるのだから。
「王族を害すってのはそういうもんだ。まあでもお前は間違いなく平民だから余計な心配はするな。ちゃんと法のとおりに罰してもらえるさ」
「ふざけないで! 結局、死刑ってことじゃないの!!」
平民が王族を害した際に課される刑は、ただの死刑ではない。けれど、今は知らないほうが幸せだろう。
ノックスは駆けつけてきたヴァルケルの騎士に「てことで一般牢でいいからな」と言うと、もう二度と彼女を視界に入れなかった。
彼女が泣き喚いても、悲痛な声でノックスの名前を呼んでも決して。
「あーあ。しょうもない法律作りやがって……貴族がやりたい放題になるじゃねえか。その後始末、もしかして俺がやるのか?」
「その勅命、私も知りませんでしたから、シレッと撤回すれば大丈夫だとは思いますがね……」
ノックスとお父様はうんざりした顔をしている。国に戻ってからの後始末を考えて、今から嫌になっているのだろう。
けれど、世界の危機は去った。
今ごろハインリヒ陛下も正気に戻っているだろうし、もう何に悩まされる心配もない。
泣き崩れて近衛騎士たちに運ばれていったマルセルのことは気がかりだけれど、少なくともこれ以上の被害者は出ないだろう。
ほっと息を吐くと同時に、エドゥアルド殿下とルーカスが声をかけてきた。
「エレアノール嬢……此度のこと、心から感謝する」
「俺も感謝してる。本当にありがとう! エレアノールちゃんはやっぱり救世の聖女だったんだね」
「二人のお役に立てたのなら嬉しいわ」
エドゥアルド殿下とルーカスは晴れ晴れとした顔をしている。
よかった。二人はきっとこれから幸せになれる。
「でも、あのときエレアノールちゃんすごく怒ってたから、正直もうダメかって思っちゃった」
「うふふ。どのみち裂け目を塞ぐだけでは根本的な解決にはならないと思っていたの。けれど、あまりに腹が立ったから考えるのを諦めて、フィディア神に丸投げしてしまったわ。結局、ヴァルケルを救ったのはヴァルケルの守護神と民自身だったわね」
「あ、あれ? 女神を降ろしたのは、民との仲直りを狙ってのことではなかったの?」
「いいえ、フィディア神がどうにかするだろうとしか思っていなかったわ!」
とはいえ、結果だけみれば守護神と民が力を合わせて危機を脱したという今回の経験は、きっとこの先ヴァルケルを良い方向へ導いてくれるだろう。
正直イライラしていて衝動的な行動をしてしまった感は否めないけれど、終わり良ければ、というやつだ。
それに、他の国も神が降臨しただけで信仰心を高める効果はあっただろうから、神にとっては良いことだったに違いない。そして、神の力が上がれば災害はより起こりにくく、神威は授かりやすくなるのだから、民にとっても良いことだ。
先ほどは用事もないのに降ろして申し訳ないと思ったけれど、よくよく考えればこれはみなにとって良い願いだったのではないだろうか。
うんうん、と満足な気持ちで頷く。
ルーカスはそんな私を目を丸くして見つめ、やがて「君って最強だね」と気が抜けたように笑った。
3
あなたにおすすめの小説
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
『冷徹社長の秘書をしていたら、いつの間にか専属の妻に選ばれました』
鍛高譚
恋愛
秘書課に異動してきた相沢結衣は、
仕事一筋で冷徹と噂される社長・西園寺蓮の専属秘書を務めることになる。
厳しい指示、膨大な業務、容赦のない会議――
最初はただ必死に食らいつくだけの日々だった。
だが、誰よりも真剣に仕事と向き合う蓮の姿に触れるうち、
結衣は秘書としての誇りを胸に、確かな成長を遂げていく。
そして、蓮もまた陰で彼女を支える姿勢と誠実な仕事ぶりに心を動かされ、
次第に結衣は“ただの秘書”ではなく、唯一無二の存在になっていく。
同期の嫉妬による妨害、ライバル会社の不正、社内の疑惑。
数々の試練が二人を襲うが――
蓮は揺るがない意志で結衣を守り抜き、
結衣もまた社長としてではなく、一人の男性として蓮を信じ続けた。
そしてある夜、蓮がようやく口にした言葉は、
秘書と社長の関係を静かに越えていく。
「これからの人生も、そばで支えてほしい。」
それは、彼が初めて見せた弱さであり、
結衣だけに向けた真剣な想いだった。
秘書として。
一人の女性として。
結衣は蓮の差し伸べた未来を、涙と共に受け取る――。
仕事も恋も全力で駆け抜ける、
“冷徹社長×秘書”のじれ甘オフィスラブストーリー、ここに完結。
地味な私を捨てた元婚約者にざまぁ返し!私の才能に惚れたハイスペ社長にスカウトされ溺愛されてます
久遠翠
恋愛
「君は、可愛げがない。いつも数字しか見ていないじゃないか」
大手商社に勤める地味なOL・相沢美月は、エリートの婚約者・高遠彰から突然婚約破棄を告げられる。
彼の心変わりと社内での孤立に傷つき、退職を選んだ美月。
しかし、彼らは知らなかった。彼女には、IT業界で“K”という名で知られる伝説的なデータアナリストという、もう一つの顔があったことを。
失意の中、足を運んだ交流会で美月が出会ったのは、急成長中のIT企業「ホライゾン・テクノロジーズ」の若き社長・一条蓮。
彼女が何気なく口にした市場分析の鋭さに衝撃を受けた蓮は、すぐさま彼女を破格の条件でスカウトする。
「君のその目で、俺と未来を見てほしい」──。
蓮の情熱に心を動かされ、新たな一歩を踏み出した美月は、その才能を遺憾なく発揮していく。
地味なOLから、誰もが注目するキャリアウーマンへ。
そして、仕事のパートナーである蓮の、真っ直ぐで誠実な愛情に、凍てついていた心は次第に溶かされていく。
これは、才能というガラスの靴を見出された、一人の女性のシンデレラストーリー。
数字の奥に隠された真実を見抜く彼女が、本当の愛と幸せを掴むまでの、最高にドラマチックな逆転ラブストーリー。
『有能すぎる王太子秘書官、馬鹿がいいと言われ婚約破棄されましたが、国を賢者にして去ります』
しおしお
恋愛
王太子の秘書官として、陰で国政を支えてきたアヴェンタドール。
どれほど杜撰な政策案でも整え、形にし、成果へ導いてきたのは彼女だった。
しかし王太子エリシオンは、その功績に気づくことなく、
「女は馬鹿なくらいがいい」
という傲慢な理由で婚約破棄を言い渡す。
出しゃばりすぎる女は、妃に相応しくない――
そう断じられ、王宮から追い出された彼女を待っていたのは、
さらに危険な第二王子の婚約話と、国家を揺るがす陰謀だった。
王太子は無能さを露呈し、
第二王子は野心のために手段を選ばない。
そして隣国と帝国の影が、静かに国を包囲していく。
ならば――
関わらないために、関わるしかない。
アヴェンタドールは王国を救うため、
政治の最前線に立つことを選ぶ。
だがそれは、権力を欲したからではない。
国を“賢く”して、
自分がいなくても回るようにするため。
有能すぎたがゆえに切り捨てられた一人の女性が、
ざまぁの先で選んだのは、復讐でも栄光でもない、
静かな勝利だった。
---
次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢
さら
恋愛
名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。
しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。
王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。
戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。
一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。
皇太子夫妻の歪んだ結婚
夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。
その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。
本編完結してます。
番外編を更新中です。
【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます
腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった!
私が死ぬまでには完結させます。
追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。
追記2:ひとまず完結しました!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる