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40. 別れの刻
しおりを挟むすべての問題が解決し、ヴァルケルには笑顔が溢れている。
さすがに女神は帰ってしまったものの城内も広場もお祭り騒ぎになり、至る所で酒やご馳走が振る舞われた。
ヴァルケルは食糧難も結構深刻な域に達していたから本来余裕はないはずだけれど、そこは『何でも作り出せる』エドゥアルド殿下の出番。
なんとも平和な神威の使い方だ。
私たちもおいしい食事をいただき、楽しい時間を過ごした。
「聖女様、聖女様」と民がご馳走を持って次から次へとやってくる。みなが楽しそうに歌い、踊り、楽器をかき鳴らす。
生まれ変わったヴァルケルの幸せな光景の数々を、私は生涯忘れないだろう。
そして今日、私たちはヴァルケルを発つ。
エドゥアルド殿下の戴冠式まで残れたら良かったけれど、予定よりかなり長く滞在してしまい、さすがに時間切れだ。
振り返れば、この地で過ごした日々は決して穏やかなものではなかった。
それでも愛する人との再会や新たな絆の芽生え、数々の試練を乗り越えた経験は、私にとってかけがえのないものだ。
そう考えると、婚約破棄されて逃げるようにここへ来たことも、私が成長し、より幸せになるためには必要なことだったのだろう。
もちろん、あの女のおかげとは微塵も思わないけれど。
見送りに来てくれたエドゥアルド殿下とルーカスは、今まで見たことのない穏やかな顔をしていた。
過去の呪縛から解放され、滅亡の危機も退けて、彼らは今を生きている。それが何よりも嬉しい。
ルーカスは私の手を取り、いつかと同じように額に押し当ててから顔を上げて微笑んだ。
「エレアノールちゃん。君との出会いに心からの感謝を」
「私もよルーカス。あなたと出会えて本当によかった。どうか、これからあなたにたくさんの幸せが訪れますように」
彼の手を握り直し、祈るようにそう言うと、ルーカスは眩しそうに目を細めた。
「神すらも降ろした聖女様が願ってくれたんだから、きっと俺は幸せになれるね」
「ふふ、間違いないわ。ルーカスは、何か叶えたい願いがある? 今ならこの聖女が特別に願ってさしあげましょう」
冗談めかしてそう言ったけれど、彼の幸せを願いたいのは本当だ。
もしかしたら、ずっと過去だけを見つめて復讐を願っていたルーカスが、最後に何か未来を見据えた願いを口にするところが見たかったのかもしれない。
ルーカスは真意を探るように私をじっと見つめてから、ニカリといつもの明るい笑顔を浮かべた。
「じゃあさ、ノックスがもし君より先に死んだら、俺が君の老後の面倒を見られるようにお願いしてよ」
「なんですって!?」
未来を見据えた回答ではあったけれど、私が想定していたのはもっと近い未来の話だし、回答が斜め上すぎる。
そもそもルーカスは私より六歳も年上で、私がノックスより長生きする保証もない。
そして何より、ルーカスが私の老後の面倒を見るのもおかしな話だ。
最後までいつもの軽口なのねと、呆れのような、愉快なような、複雑な気持ちでため息をつく。
「もう……あなたのほうが年上でしょう? 面倒を見るどころではないわよ」
「元気に長生きするんだよ。それで、ヨボヨボのエレアノールお婆ちゃんを看取ってから死ぬのが俺の願いだ」
なるほど、そのぐらい長生きしたいということか。
それならば納得だ。そしてとても前向きで素敵な願いだ。
なんだか嬉しくなって目を閉じ、手を組んで張り切って願いを口にする。
「いいわ。では、ヨボヨボのエレアノールお婆ちゃんを看取れるほど、ルーカスが長生きしますように!」
なんだかアストリウス神に願いが届いたような気がして、目を開けてルーカスに微笑みかける。
ルーカスは「今から数十年後が楽しみだな」と、心底嬉しそうに笑った。
ちなみにノックスは隣で聞いていて、じとりとした目をルーカスに向けながら「頼むから早く死んでくれと懇願してくるぐらい、めちゃくちゃ長生きしてやろ……」と呟いた。
エドゥアルド殿下はそんなノックスとルーカスのやり取りを嬉しそうに眺めている。
「ノックス、イシルディアに行っても君は私の大切な家族だ。気が向いたらいつでも帰ってきてくれ。エレアノール嬢との結婚式、楽しみにしているよ」
「……親父っ」
ノックスは言葉を詰まらせ、潤んだ目を隠すようにエドゥアルド殿下に抱きついた。
エドゥアルド殿下はその背を優しく叩き、子をあやすような穏やかな笑顔を浮かべている。
彼らは血が繋がらずとも、間違いなく親子なのだ。
しばらく二人にしておいてあげようと、隣に居るルーカスに声をかける。
「ルーカスも、私たちの結婚式には来てくれるわよね? なんて、まだ婚約もしていないのに気が早いかしら」
当然行くよ、と言ってくれるだろうと思いつつ誘いをかけると、ルーカスは苦笑いして肩をすくめた。
「……残念だけど、義兄さんと俺が一緒に国を空けるのは難しいかもね。まだまだ不安定だから。でも、遠くから君の幸せを願ってる」
意外な返答に驚きつつも、たしかに国を空けるのは不安に感じるのかもしれないと思い直す。
十八年間耐え抜いた末に手に入れた平和なのだから、慎重にもなるだろう。寂しいけれど、その気持ちは尊重したい。
「まあ……そうなの。残念だけれど仕方ないわね。また必ず会いましょうね」
「うん、必ず。あのさ、最後に一度だけ、抱き締めてもいい?」
「えっ? それは……」
以前、ルーカスを抱き締めたことがあるけれど、それは彼が非常に危うい精神状態だったうえに、私のことを姉と勘違いしていたからだ。
しかし今はそういった様子も見られないし、何よりノックスと思いを交わしたのに他の殿方と抱き合うのは、親しい友人だとしても憚られる。
とはいえ断るのも気まずく、うろうろ視線を彷徨わせているとノックスと目が合った。
すかさず止めにくるかと思ったけれど、ノックスは願いを聞いてやれというように小さく頷き、ふいと視線を逸らす。
意外な反応に目を瞬いていると、ルーカスは切なそうな声でなおも懇願した。
「お願い……姉さん」
私が抱き締めたときのことを、彼はしっかり覚えていたらしい。
これは、そのときと同じ気持ちで抱き締めてくれればいいという意味だろう。
なぜだか彼の願いに切実な思いが込められているような気がして、私は思い切って手を広げた。
「わかったわ。ルーカスは甘えん坊さんね」
「ありがとう……俺は、君を…………」
最後のほうはよく聞き取れなかったけれど、彼の声音があまりに切なげで、どきりと心臓が跳ねる。
聞き返せる雰囲気でもなく、ただ彼を抱き締めて、その背を撫で続けた。
震える体で縋りついてくる様子が行くなと言っているようで、私もなんだか切ない気持ちになってしまう。
ノックスに声をかけられるまで、私たちはずっとそうして別れを惜しんでいた。
「さあ、エレアノール。出発の時間だ。そろそろ馬車に乗ろうか」
「ええ、わかったわ」
ノックスとルーカスは何やら目で語り合っている様子だったけれど、やがてルーカスが感謝を伝えるように目を伏せた。
慌しく動き回っていた人たちが定位置につき、私たちが馬車に乗り込めばいよいよ出発だ。
名残惜しさを胸に抱きながら、私はそっと微笑んで最後の挨拶をした。
「みなさま、お世話になりました。どうか、お元気で」
城の人たちが「聖女様、ありがとうございました!」「また来てください!」と口々に声をかけてくれる。
手を振りながらノックスの手を借りて馬車に乗り込むと、ノックスも私の隣に座った。
ゆっくり動き始める馬車の中から、たくさんの明るい笑顔に手を振り返す。
ルーカスだけは俯いていたけれど、最後には思い切ったように顔を上げ、いつものお日様のような笑顔でひらりと一度手を振った。
こうして私たちはエドゥアルド殿下とルーカス、そして大勢の民に見送られながら、ヴァルケルを後にしたのだった。
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