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41. 父と子
しおりを挟む石畳を走る馬車の窓越しに、近づいてくる白亜の城を見上げる。
(王城を見ると、ついに帰ってきたという気になるわね!)
ノックスにとっては十八年ぶりの故郷だけれど、彼は壁をじっと睨んでそれどころではない様子だ。
そして、きっとこの先ではハインリヒ陛下が同じように緊張しながら待っていることだろう。
しばらく走っていると、ふと窓の外に視線を移したノックスが、吃驚した様子で私を振り返った。
「なんだあれ……王が外で立って待ってるぞ! たしかに、世界を救った聖女に敬意を払うのは当然ではあるが……驚きだな……」
窓の外を見ると、中央棟の前に大勢の家臣を引き連れたハインリヒ陛下の姿が見える。
私はこの光景を予想していたけれど、たしかに異例の対応だろう。なんせハインリヒ陛下は、この世の誰にも頭を下げる必要のない存在だ。外で待つなど通常では考えられない。けれど――
(ノックス……陛下はあなたの無事を、一秒でも早く確かめたかったのよ)
ノックスが言っていたように、陛下は『聖女を出迎える』という建前でここまで出てきたのだろう。けれど、本心はそうではないはずだ。
私たちが馬車から降りると、ハインリヒ陛下の背後にいる人々は一斉に頭を下げた。
陛下は一歩前に出て真っ直ぐに私を見つめたけれど、意識は明らかにノックスへと向けられている。
十八年間探し続けた妻の忘れ形見。最愛の息子との再会なのだから、すでに解決した世界の危機よりもはるかに重要なのは当然だ。
陛下もまた一人の人間であり、息子を愛する父親なのだから。
「聖女エレアノールよ、よく戻った。世界の危機を救ってくれたこと、心より感謝する。そして、我が息子を連れ帰ってくれたことも……」
陛下は言葉を詰まらせ、震える息をそっと吐いた。近くでノックスを見て、本物だと確信した陛下の目はもう真っ赤だ。
この状態で話を続けることは難しいだろうと、遮るかたちになるのは承知で口を開く。
「陛下、もったいないお言葉です。私はただ神のご意思に従い力を尽くしたまで……すべては神のお導きでございます。第一王子殿下を無事にお連れできましたのも、ヴァルケルの新王陛下をはじめ、多くの人々が殿下を守り、慈しんでくださったからこそ。私などは、ほんの一端を担わせていただいただけに過ぎません」
しおらしいことを言ってはみたものの、側頭部に刺さる視線が痛い。
私が女神に向かって「責任は自分で取ってちょうだい!!」と怒鳴ったところを見ていたノックスには、私の台詞がさぞ白々しく聞こえるだろう。
しかし、ここで「神を怒鳴りつけて呼び出したら殊の外うまくいって……」とか「媚薬を盛られて悶えてたら殿下が現れて……」などと言うわけにもいかないではないか。だから仕方ないのだ。
私が頭の中で言い訳しているのを知る由もない陛下は、感心した様子でしきりに頷いた。
「そうか……アストリウス神まで呼び出しておきながら、聖女は謙虚であるな。では、王子の件はヴァルケルの新王によくよく礼を伝えるとしよう」
あ、やはりアストリウス神も降りていたのね……ま、まあ過ぎたことよね。
そんなことより、さすがハインリヒ陛下だ。
遠回しな言葉からも『ノックスを攫ったのがヴァルケルだとしても、新王の功績を考慮して欲しい』という私の願いに気づいてくださったらしい。
王が決定すべきことへの口出し自体が本来は不敬なおこないだけれど、陛下はそれを許し、言外に私の願いを聞き届け苛烈な罰は下さない、という意思を示してくださったのだ。
もし、ヴァルケルに苛烈な報復をしてしまったらノックスと陛下の溝は致命的なものになってしまっただろうし、陛下が寛大かつ思慮深い方で本当によかった。
自身の選択が最善だったと知らぬまま、陛下はおずおずとノックスの前に歩み寄った。
「そなたは間違いなく、私の息子だ。そなたを守れず、済まなかった。名をつける前に攫われてしまったが、そなたの名は……」
陛下は『セルヴィオ』と言いたかったのかもしれない。けれど、その前にノックスはすかさず口を開いた。
その先は言わせないとでもいうように。
「俺のことはノックスと呼んでくれ。親父……俺を保護してくれたヴァルケルのエドゥアルド王からもらった名だ」
「…………そうか、わかった。ノックス、無事で何よりだ。ひとまず休むがよい……のちほど話をしよう」
陛下は悲し気に顔を伏せたけれど、険しい顔で目を逸らしたノックスも、私には悲しそうに見えた。
「ノックス……」
「わかってる……わかっては、いるんだ……」
目の前にいる陛下が私を殺したわけではないとわかっていても、心が追いつかないのだろう。
何もしていない人に理不尽な怒りをぶつけてはいけないという気持ちと、許せない気持ちと、許したい気持ちと、彼の中には今、さまざまな感情が渦巻いている。
彼と陛下、双方が幸せになれるような結論を出せたらいい。
けれど、私が口を挟むべきことではないだろう。
見守ることしかできないのは歯痒いけれど、もしあなたが出した結論によって苦しむことがあったなら、そのときは必ずそばにいるから。
(だから今は、あなた自身の心と向き合って……)
そう思いながら、私はノックスの背中をそっと見送った。
ノックスがハインリヒ陛下に呼び出されたのは、その日の夕方のことだった。
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