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2章
愚者の狂想曲 51 反撃の狼煙
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「…で、どんな案なの葵?私達の協力が必要なのは解ったけど」
ルチアの問に、俺は今考えている事を話し始める。
「うん、さっきも言ったけど、俺達の中に内通者が居るとして、監視されているとすると、俺達が普通にあいつらの事を調べようとしたら、ユーダさんやコティー達の命が危険な事と、俺達自身の身の危険もある可能性が高いのは皆感じてると思う」
俺の言葉を聞いて、静かに頷く一同。
「だから、次に行動に移す時は、必ずコティー達やユーダさんを助けれる方法が無いと駄目だ」
「それは解ってるわ葵。でも…具体的にどうするつもりなの?」
ルチアは腕組みをしながら、指をトントンとさせて俺を見ていた。
俺は静かに目を閉じ、そしてゆっくりとその瞳を開く。
「…やつらのアジトに潜入する。やつらのアジトに潜入して、直接コティー達やユーダさんを救出する」
俺の言葉を聞いたマルガにマルコは驚きの表情を浮かべ、ルチアは眉間に皺を寄せる。
「…確かにそれが出来れば1番よ。でも、やつらのアジトも解らないじゃない。1番可能性が高かったバスティーユ大監獄でさえ、隅々まで視察したけど何も情報は得られなかったのよ?」
「それにルチアさんが言った事に加え、私達はこれ以上人攫い達の動向を探る事は出来ませんわ。アジトの場所や情報が無い上に、ユーダさんやコティーさんの事もありますので、私達は行動が制限されています。その上、私達は内通者により監視されている可能性が高いのですよ葵さん?とてもじゃありませんが、今から人攫い達のアジトを探しだして、潜入出来るだけの方法が、私には思いつきませんが…」
ルチアとリーゼロッテは顔を見合わせながら困惑している。
俺はそのルチアとリーゼロッテの言葉を聞き、その表情を見て口元が上がるのを感じる。
「…確かに、一見するとリーゼロッテやルチアの言う通り、俺達は全くの手詰まりの状態だ。まさに罠に掛かって身動きの取れない獲物の様にね。でも、それは有る一定の条件下での話だよ」
「…それはどう言う事なのでしょうか葵さん?」
リーゼロッテが金色の透き通る様な瞳を静かに向ける。
「…まず、皆少し考えてみて欲しいんだけど、やつらは俺達の全てを監視する事は可能なのかな?」
俺の言葉を聞いたマルガにマルコは顔を見合わせる。
「それは無理だと思うのですよご主人様」
「オイラもマルガ姉ちゃんと同じだね」
顔を見合わせウンウンと頷き合っているマルガにマルコ。
「そう無理な事だ。俺達の全てを監視するなんて事出来やしない。例えば、今マティアスさんの風の魔法で音を遮っているこの部屋の中での話は、今この部屋の中に居る俺達にしか解らない事だ。俺達を監視するにも限界はあるって事の証明だ」
俺の言葉にコクコクと頷いているマルガにマルコ。
「リーゼロッテも別に正義の象徴であるハプスブルグ伯爵家全員が、内通者であると思っている訳じゃないだろ?」
「はい、勿論ですわ葵さん。私が皆さんをここに連れて来たのは先程言った通り、完全に信用の出来る人達だからですわ。別にアリスティド様やマクシミリアン様が内通者で有るとは思っていません。むしろアリスティド様やマクシミリアン様は、ルチアさんの事を大切に思っている方だと思いますわ。ですが、ハプスブルグ伯爵家が各方面に間者を放っているのと同様に、ハプスブルグ伯爵家の事を調べたい者達も沢山居るはず。その者達から逆に、ハプスブルグ伯爵家のお抱え騎士団であるヴィシェルベルジェール白雀騎士団に、間者を放たれている可能性が高いと思ったので、この様にさせて貰ったのです」
リーゼロッテの言葉に、そうねと小さく呟いているルチア。
「俺達の情報が知られていて1番都合の悪い事は、何かの行動を起こした時だ。人攫い達の事を調べていた時や、バスティーユ大監獄の突然の視察にしても、こちらの情報が漏れている事で、常に後手を取らされてしまっている。リーゼロッテも懸念しているように、ここにいる俺達だけなら情報が漏れる事は無いんだ。つまりここにいる俺達や、本当に信頼出来る一部の人達のみで行動できて、この部屋の様に監視不可能な状況を作れれば、俺達の情報が漏れる事は無いんだよ」
「…確かにそれはそうだけど…ソレをしながらヤツラのアジトを探しだして、アジトに潜入して彼女達を助け出す方法なんて私には解らないわ…どうするつもりなの葵?」
少し困惑しているルチアの問に、マルガやマルコもウンウンと頷いている。
「…それには先ほど言った『有る一定の条件下』を利用する」
「『有る一定の条件下』とはどんな事なのですかご主人様?」
マルガが可愛い首を傾げてウ~ンと唸っている。俺はマルガの頭を優しく撫でながら
「『有る一定の条件下』…つまり、俺達の隠し切れていない普段の日常や行動の事さ。人攫いの連中は、そう言った俺達の普段の日常や行動を監視しているのだと思う。どの様に監視しているのかは解らないけどね。やつらはソレを元に俺達の行動を把握してる。俺はソレを逆に利用する」
俺は皆に向き直り、静かに語る。
「…俺自身をやつらに攫わせる。そしてアジトに潜入してコティー達やユーダさんを救出する」
俺の言葉を聞いた一同は戸惑いの表情を浮かべる。
「そんな事出来るはず無いじゃない葵。ユーダさんやコティー達を攫って私達に足枷をつけたやつらにとって、貴方を攫う理由が無いわ。攫われる前に殺されるのがおちよ?」
「ルチアさんの言う通りですわ葵さん。人攫いの連中は葵さんだと解った瞬間に、攫うのでは無く抹殺を選ぶでしょう。それを可能にするには、葵さんだと相手に悟られない事が出来なければいけませんわ」
「エルフちゃんの言う通りね。人攫いの連中に貴方だと解らない様にする方法が無いわ。ましてや、貴方は特徴があるもの。黒髪に黒い瞳の取り合わせなんて、私は葵しか見た事が無いわ。それとも…付け毛や変装をしたり、イリュージョン系の魔法を使って、別人にでもなるつもりなの?でも、付け毛をして変装をしても、攫われて調べられたら解ってしまうわ。イリュージョン系の魔法を使って別人になったとしても、相手には感知能力の高い、高LVのサーヴェイランスが居るはずよ。メーティス先生の上位イリュージョン系の魔法であるミラージュコートですら見破る程の実力者がね。葵の事を知られない様にするなんて無理よ」
そう言いながら腕組みをするルチア。
戦闘職業サーヴェイランス…
スカウトの発展形の上級職業だ。
戦闘技能は高くないが、感知能力、つまり、周辺の警戒や魔力、そういったものを敏感に感じ取り、見抜く能力に特化した戦闘職業である。
この世界には色々な魔法が存在し、姿を別人に変えるイリュージョン系の魔法も多数存在する。
しかし、この戦闘職業のサーヴェイランスはそれを見抜く事が出来る。
大きな商談や契約事の場面では、高LVのサーヴェイランスの同行を求められたりする事が多い。
それは当然相手がイリュージョン系の魔法で不正を働かないかを調べる為である。
監視者の別名を持つサーヴェイランスは、魔法の存在するこの世界では非常に重宝されており、人気の高い職業の1つなのだ。
皆はルチアの話を聞いて、当然の様に頷き俺を見ていた。
しかし俺は皆のその雰囲気を感じ、再度口元が上がる。
「それについては俺に考えがあるんだ」
俺は皆にその対策を説明すると、マルガにマルコは顔を見合わせて驚いている。
ナディアに至っては、何を言っているのかさっぱり解らない様で、困惑した表情を浮かべていた。
「魔法も使わないで…そんな事が本当に出来るの葵!?」
ルチアは驚きの声を出しながら俺に語りかける。
静かに頷く俺を見ていたリーゼロッテは、透き通る様な金色の瞳をキラリと光らせ
「…なるほど、その手がありましたか。それならば如何に高LVのサーヴェイランスでも見抜く事は出来ませんわね」
フフと楽しそうに笑うリーゼロッテ。
「でもご主人様、ご主人様の事を相手に悟らせない方法は解りましたが、どの様に人攫い達に攫わせるつもりなのですか?郊外町でそうさせるにも…」
そう言って言葉を濁すマルガ。
そう、通常なら郊外町で俺を攫わせる事は出来ないであろう。
その理由は、先程言った様に、高LVのサーヴェイランスが向こうにも居る事もそうだが、もう一つの理由は、恐らくやつらに手を貸しているであろう、郊外町ヴェッキオを実効支配しているバミューダ旅団の地回りの存在だ。
郊外町ヴェッキオに根を張るバミューダ旅団達は、ヴェッキオに深く根付いている。
それ故に、そこに住む者達の事をよく見ている。そこに住む者とそうでない者を見分けるのに長けているのだ。
なので本来優秀であるはずのハプスブルグ伯爵家の隠密部隊や、メーティスの魔法師団達の密偵達を見抜く事が出来るのだ。
その中に溶け込もうとすれば、本当にその中で生活をして生き抜いて体をなじませるしかないのである。
「そこは心配ないよ。先ほど言った通り『有る一定の条件下』を逆手に取る。今迄ヴィシェルベルジェール白雀騎士団やエンディミオン光暁魔導師団の密偵の人達は、無理に郊外町ヴェッキオに溶け込もうとしたから失敗したんだよ。俺は他所から来た冒険者としてヴェッキオに潜入するつもりだ」
その言葉を聞いたリーゼロッテはフフと笑う。
「…なるほどですわ葵さん。他所から来た冒険者であればヴェッキオに馴染んでいなくても不思議じゃない」
「リーゼロッテの言う通り。しかも、人攫い達はヴェッキオに来たばかりの人々を攫っている傾向がある。これも理由は解らないけど、この案には都合の良い事だ」
俺の言葉を聞いたマルガにマルコは、確かにと言いながら頷いていた。
「でも葵、その案は確かに有用だけど、潜入する貴方と私達がいつでも連絡の取れる様にしないと成り立たないわ。いくら貴方でも危険過ぎる。相手は六貴族のお抱え騎士団と近い実力を持つメネンデス伯爵家の騎士団、モリエンテス騎士団。とても貴方1人で相手に出来る相手じゃないわ。たとえ…限定的にソレを超える事が出来たとしてもね。しかし、ソレは出来ない事なのは解ってるわよね葵?」
釘を刺す様に言うルチアは俺を静かに見つめていた。
限定的に…
ルチアが言っているのは俺の能力の1つである種族能力解放の事を言っているのであろう。
ヴァンパイアの始祖の力を開放する種族能力解放…
しかし、俺はまだその力を完全に解放できていない。
たとえ種族能力を開放したとしても、今の俺では何千人と居るモリエンテス騎士団を壊滅させるなんて事は出来ないだろう。
それにやつらに俺の正体を知られれば、それこそ身の破滅に繋がり全てが終わる。
「うん、解ってるよルチア。だから皆に協力して貰いたいんだ。それによって限定的だけど俺達は連絡と取る事が出来る様になるんだよ」
「そんな方法が本当にあるの?相手に攫われる…つまり捕まるって事は、貴方の持っている物全てを奪われてしまう事。遠距離の連絡方として知られているマジックアイテムである結びの水晶も持って行けない。それどころかアイテムバッグですら持って行けないのよ?攫われた瞬間に、貴方の持っている物は全て奪われるんだから」
そう言って腕組みをするルチア。
「普通はそうだろうね。でも、俺のやろうとしている事は特に何も必要ないんだ」
「…どういう事なのでしょうかご主人様?」
そう言って不思議そうに俺を見つめるマルガ。
俺はマルガの頭を優しく撫でながら、マルガの白く細い首に掛かっている、一級奴隷を示す赤い色の豪華なチョーカーに手を持って行く。
マルガの首元には、母親の形見のルビーが光り輝いていた。
「リーゼロッテ、奴隷の主人は、どこからでも自分の所持している奴隷を殺したり、罰を与えたり出来るんだよね?」
「…はい葵さん。奴隷契約がなされた時点で、奴隷の主人には『奴隷からの守護』と『奴隷の殺害』の力が備わります。その力には魔力は一切必要ありません。誰でも使えます。『奴隷からの守護』は奴隷が主人に危害を加えられない効力、『奴隷の殺害』はどこからでも言霊を唱えれば任意の奴隷を殺したり、苦しめて罰を与えたり出来る呪い。なので奴隷にされた者は、たとえ地の果てに逃げようとも、主人が『奴隷の殺害』の言霊を唱えれば、殺されたり罰を与えられるので、逃げ出したりしませんからね。それがどうかしたのですか葵さん?」
リーゼロッテは少し首を傾げながら俺に言う。
その可愛さに少しドキッとなりながら、話を続ける。
「…モールス信号だよリーゼロッテ」
「もーるすしんごう?それはどんな食べ物なのですかご主人様?」
マルガとマルコは、また美味しいものなのかな?と、顔を見合わせて期待値を膨らませている。
残念ながら、モールス信号は食べれないからねマルガちゃん!
ルナも美味しそうな顔をしないように!
俺がそう心のなかでツッコミを入れていると、全てを見透かす金色の透き通る様な瞳を輝かせるリーゼロッテ。
「…なるほど、そう言う事でしたか。確かに限定的ですが、どこからでも連絡を取る事が可能ですね」
「どういう事なのエルフちゃん?」
聞きなれない言葉を聞いたルチアは、困惑の表情を浮かべる。
リーゼロッテは訳の解っていないルチア達に説明を始める。
モールス信号。
短点と長点の組み合わせだけで構成されている単純な符号を文字化したものだ。
音だけでなく光を代用したりして、通信、つまりコミュニケーションを取る手段の1つだ。
コイツの利点は、音が届く、光が届く等の条件さえ揃えば、他に何も設備が無くても離れた相手とコミュニケーションが取れる点であろう。
その説明を聞いたルチアは感嘆の表情を浮かべる。
「成る程ね。船乗りや騎士団が使う旗合図に似てるわね。私達が使っている旗合図は、主に行動を指示するものだけだけど、それを文字に対応させる…か」
「そうだね。俺はその世界のどこにでも届く『奴隷の殺害』の呪いの効果を、モールス信号に変換してマルガやリーゼロッテ達に情報を伝えようと思っているんだ。これなら俺は何も持っていかなくてもいいからね。俺はアイテムバッグは勿論の事、ネームプレートも置いていくつもりだから。攫われた後で俺の所持品が奪われ様とも、関係なく皆に情報を伝えられるからね」
俺はそう説明すると、マルガの可愛い頬に手を添える。
「…俺の命を…マルガ達に預けたい。お願い出来る?」
俺のその言葉を聞いたマルガは、自分の頬に添えられている俺の手をギュッと握り締める。
「任せて下さいご主人様!ご主人様のお命は…マルガがお守りします!!」
そう言ってライトグリーンの美しい瞳に、決意の光を満たせているマルガ。
「とりあえず一度試してみてはどうですか葵さん?殺害の効力ではなく罰の効力を少し発動して、感じを見てみては?」
リーゼロッテの言葉に頷く俺。
俺はネームプレートに書かれている言霊をゆっくりと唱え始める。
するとマルガの一級奴隷を示す、首に付けられている赤い紋章が光りだす。
その直後、マルガは両手を首に当てて苦しみだした。
「グ…グフウウウウ…」
呻き声を上げながら床に蹲るマルガを見て、一同の表情が一変する。
「葵!言霊の発動を中止して!」
「あ!うん!」
俺はすぐさま言葉の発動を中止する。
床に蹲っていたマルガは、肩で息をして可愛い瞳に涙を浮かべていた。
「ゴホゴホ…」
「大丈夫マルガ!?」
俺はマルガを抱き寄せると、苦しかったにも関わらずに瞳に涙を浮かべながらニコッと優しく微笑む。
「だ…大丈夫なのですご主人様!これ位へっちゃらなのですよ!」
そう言って握り拳を俺に見せて強がっているマルガ。
それを見たルチアは少し溜め息を吐く。
「…とにかく暫くは練習しないとダメね。合図を文字化する事も必要でしょう葵?」
「そうだね。ルチアとマティアスさんには、他の人達に内密に連絡や準備もして欲しい事もあるし…。とりあえず作戦決行まで4日としよう。その間に俺達もモールス信号をモノにする。じゃ~ルチアにして欲しい、これからの段取りを説明するよ」
俺はルチアに段取りを説明すると、小悪魔の様な微笑みを湛える。
「…ふうん。馬鹿な貴方にしては良く考えられているわね。…解ったわ、全て任せておいて」
「リーゼロッテには例のモノを揃えて調合して欲しい。たとえやつらに監視されていても、その物自体はおかしな物ではないから、悟られる事は無いと思うから」
俺の言葉に頷くリーゼロッテとルチアのその微笑みに、少しゾクッとしながら苦笑いをする。
そして俺はナディアの前に行き膝を折る。
「…きっとコティー達を助けるから…ちょっと我慢してねナディア」
「…うん…空…アリガト…」
そう言ってコクコクと頷くナディアは、はちきれんばかりの涙を瞳に貯めこんで居た。
「じゃ~話も決まったしアリスティド卿達の所に戻りましょう。彼らにもやって欲しい事がある事だしね」
ルチアの言葉に頷く俺達は、アリスティド達がいる執務室に戻って行くのであった。
ルチア達とハプスブルグ伯爵家の別邸で話をして既に4日。今日は例の作戦を決行する当日。
全ての信頼出来る人々も、それぞれに俺の指示通りに動いて準備してくれている事であろう。
俺達も何とか『奴隷の殺害』の呪いを用いたモールス信号もどきを無事習得するに至っていた。
これにより如何に距離が離れていようとも、マルガやリーゼロッテ達に情報を伝達する事が出来る。
まあ…俺からの一方的な情報の伝達ではあるが、それを補う段取りはきっちりと皆に説明済みだ。
攫われているコティー達やユーダさんの事を皆が心配もしている。
この作戦できっと救い出してみせる…
その様な事を思いながら、準備の出来た俺達が部屋の外に出ると、ナディアが部屋の前で立っていた。
「どうしたのナディア?」
俺がナディアの傍に近寄ると、物凄い勢いでナディアは俺の胸に飛び込んできた。
「グフ!」
余りの勢いに鳩尾をナディアの頭に強襲された俺は、むせ返りながらよろける。
「…空…コティー達をお願い…それから…空も…死なないで…無事に…無事に帰ってきて」
そう言ったナディアは、ギュウウと俺の胸にしがみつき、瞳に涙を浮かべる。
「…解ってるよナディア。きっとコティー達を救い出して戻ってくるから…俺の言った通りに出来るね?」
その言葉を聞いたナディアは、嬉しそうにコクコクと可愛い首を縦に振る。
そんなナディアの頭を優しく撫でると、ギュウと俺の胸に顔を埋め、可愛い頭をグリグリと擦りつけていた。
そんな俺とナディアを見て、顔を見合わせて微笑んでいるマルガにリーゼロッテ。
「…じゃ、行ってくるねナディア。マルガにリーゼロッテ。ステラ、ミーア、シノンにも言ってあるけど…後の事…頼むね」
「ハイ!任せてくださいですご主人様!」
「全て段取り良くこなしてみせますわ葵さん」
そう言うマルガにリーゼロッテは俺の腕にそっと顔を寄せる。
俺はマルガとリーゼロッテの柔らかい頬に軽く口づけをする。
「じゃ行こう!」
俺の言葉に頷くマルガにリーゼロッテ。
俺はナディアの手を引きながら1階の食堂に降りると、先に朝食を食べていたマリアネラが声をかけてきた。
「おはよう葵。今日から港町パージロレンツォのバルテルミー侯爵家に向かうんだよね。…何か対策をとれれば良いのだけどね」
「…ええ、そうですね。その対策を考える為に、一度この王都ラーゼンシュルトを離れるのです。…俺が戻る間、皆の事宜しくお願いしますねマリアネラさん」
「解ってるよ葵。葵が帰ってくるまでの間、私も皆の警護に当たるからさ。…ヤツラの件は任せるから、安心して港町パージロレンツォに行って来な」
そう言って微笑んでくれるマリアネラ。
隣でマリアネラの言葉に頷いているゴグレグは、膝の上ではしゃいでいるエマの頭を撫でていた。
「葵様、今日は朝食はどうされますか?」
「あ、今日は朝食はいらないよステラ。すぐに出発して港町パージロレンツォに向かう高速魔法船の中で食べる予定だから。…ステラ、後の事頼むね」
俺の言葉を聞いたステラはハイと小さく返事をする。その後ろでミーアとシノンもコクッと頷いていた。
「じゃ、皆行ってくるよ」
俺は皆にそう告げると、唯一人宿舎の玄関に向かって歩き出した。
そして宿舎の外に出た所で、一人の美女が俺に声をかけてきた。
「あら意外と早いのね葵ちゃん。愛しい奴隷ちゃん達としばしのお別れに時間が掛かると思ったのだけど?」
そう言って少し楽しそうな表情を浮かべているメーティス。
「…大丈夫です!」
「…本当に?」
「…多分…」
俺のか弱い返事を聞いて、フフフと悪戯っぽく笑うメーティス。
「とりあえず船着場に向かいましょう。途中の停泊地であるディックルの町までは、私も護衛として同行してあげれるから。後は私の魔法師団の小隊が、港町パージロレンツォのバルテルミー侯爵家まで護衛するから。さあ、馬車に乗りましょう」
そう言って俺の手を引くメーティス。
俺はメーティスに手を引かれながら、用意してくれた馬車に乗り込む。
俺とメーティスが乗り込んだ馬車は、魔法師団に四方を護衛されながら船着場に向かって進み出す。
メーティスと他愛のない会話をしながら馬車に乗っていると、船着場に到着した。
俺とメーティスは馬車から降り外に出ると、メーティスが俺にフード付きのマントを掛けてくれる。
そのフード付きマントは、頭をすっぽりと覆い、口元を隠せるタイプのマントであった。
「そのマントは防寒具として使う物だけど、この件に丁度良い品物でしょう?」
「…そうですね」
メーティスの含み笑いを見て、フフと微笑む俺。
「さあそれじゃ高速魔法船に乗り込みましょうか」
メーティスの言葉に頷き、俺達一行は高速魔法船に乗り込む。
そして、甲板に降り立った所で、出航の法螺貝が辺りに鳴り響き、徐々に速度を上げて桟橋を離れていく高速魔法船。
俺は甲板から離れていく王都を横目にしながら、用意してくれている部屋に向かう事にした。
俺達が部屋の前まで来ると、メーティスがお供の魔法師団に声を掛ける。
「貴方達は部屋の外で警護していて頂戴。他の者達も、高速魔法船の船内をくまなく警護する様に伝えておいて。…不審な者や敵が居たなら…容赦する必要はないわ」
メーティスの指示に、胸に手をかざし返事をする魔法師団の男。
俺とメーティスはそれに頷くと、部屋の中に入っていく。
「…メーティスさんお願いします」
「解ってるわ葵ちゃん」
そう言って妖艶な微笑みを湛えるメーティスは右手を上げる。
するとその掌から、黄緑色の光が溢れ、部屋全体を包み込んだ。
「これで大丈夫よ葵ちゃん。この部屋の中の声は外には聞こえないわ」
「ありがとうございますメーティスさん」
俺がメーティスに礼を言うとフフと微笑むメーティス。
「これで自由に話せるのね。全く…色々と苦労したわ」
俺はその少し憂鬱そうな声のする方に視線を向けると、屈託の無い微笑みを向けてくれる美女が居た。
「…リューディアさん突然無理を言ってすいませんでしたね」
「本当ね。エマから手紙を貰って内容を見て、ギルゴマ師匠と大急ぎで手配したんだから」
そう言って苦笑いをするリューディア。
この高速魔法船は、リスボン商会の王都ラーゼンシュルト支店が所有する船なのだ。
俺は誰にも内緒と言う約束で、エマにヴァロフの手紙を持っていくついでに、ギルゴマとリューディアに手紙を書いて渡して貰っていたのだ。
俺からの手紙をギルゴマに渡したエマは、「きちんと渡したよ葵お兄ちゃん!エマ誰にも言ってないし偉いでしょ!」と、ちっちゃな両手を腰に当てて、マルガの様にエッヘンしていたのには笑ったけど。
「…まあ、この魔法船で取引予定だったのを取りやめた損害は、ルチア王女様が全額負担してくれるってお墨付きだったから、すぐに手配出来たのだけどね」
「色々無理を言ってすいませんでしたねリューディアさん」
苦笑いしている俺を見て、楽しそうにワシャワシャと俺の頭を撫でる。
「…弟弟子の頼みだもの、聞かない訳にはいかないでしょう?…葵からの手紙に書いてあった通り、全て段取りを整えてあるわ。…もう出てきても良いわよ」
リューディアは部屋の片隅に向き直りながらそう言うと、部屋の隅に置かれていた木箱がゴソゴソと動き出し、その蓋が内側から開かれる。
「プハ~~~!!流石に長時間この箱の中に居るのは疲れますね」
ゲンナリとした声を出す少年。
その少年を見て楽しそうに笑うメーティス。
「確かに疲れそうねカミーユ」
「ええ!だって、リスボン商会からずっとこの箱の中に居ましたからね」
そう言って苦笑いをするカミーユ。
「これで、ここでの役者は全て揃ったわね。葵ちゃんとカミーユは此処で容姿を変えて入れ替わり、カミーユはこのまま葵として港町パージロレンツォのバルテルミー侯爵家の屋敷に、葵ちゃんはこの箱に入って、途中の停泊地であるディックルの町で、リスボン商会が所有する別の商船で王都に戻る。これで良いのよね?」
「ええ、それで良いですね」
メーティスの言葉に頷く俺。
そう、俺はエマに渡した手紙にで、ギルゴマとリューディアにして欲しい事を書いていた。
ギルゴマとリューディアは手際よくすぐに段取りを取ってくれたのだ。
俺は此処でカミーユと入れ替わり、王都に戻って郊外町ヴェッキオに向かわねばならないからだ。
俺と入れ替わる人物はルチアが推薦してくれた。
バルテルミー侯爵家と同じ派閥で、親交も深く、信頼出来るフェヴァン伯爵家のカミーユは、俺より歳下だけど、身長は同じくらい有り、体つきもよく似ている。
今回の案にはもってこいの人物だった。
「とりあえずは途中の停泊地であるディックルの町に就く前に、俺の容姿を変えたいと思います。リューディアさん例の物は…」
「ああ、リーゼロッテからきちんと届けられてるよ」
そう言って箱を取り出すリューディア。
俺はその箱の中に入っている物を取り出す。それを興味深げに見つめる一同。
「この瓶に詰まった液体で…魔法も使わずに…自由に髪の毛の色と眉の色を変化させられるの葵ちゃん?」
「ええ、リーゼロッテが俺の指示通りに調合してくれた…このブリーチもどきならね」
そう言って瓶を手に取る俺。
そう、俺はリーゼロッテに髪の毛と眉を脱色する為に、ブリーチもどきを作らせていたのだ。
当然、地球で売っている様な、化学薬品を使った本物のブリーチではない。
この世界で1番強いと言われているお酒、洋服を洗う時に使っている天然の洗剤、わら半紙を作る時に使っている草木灰の上澄み液を濃縮した物…
特に、漂白効果の高い物を、リーゼロッテの調合スキルを使って作って貰ったものだ。
当然どれが俺の髪の毛を1番脱色するか解らなかったので、複数用意した。
「ではメーティスさん、俺の説明通りにしてくれますか?」
そう言ってメーティスに説明を始める。
メーティスは複数の便に入っている液体を俺の髪の毛と眉につけては、火と風の混合魔法で、俺に火傷を負わせない位で髪の毛と眉にあてだす。魔法を使った高温のドライヤーだ。
俺は次々と瓶に入った液体を髪の毛につけては、メーティスの魔法で髪の毛を温める。
それをかなりの時間繰り返えす。
当然、頭皮や髪の毛、体の事を全く考えていない物ばかりなので、俺の頭皮や皮膚は、激しい痛みを感じる。
それに我慢しながら、6刻(6時間)位、それを繰り返した所で、俺の黒かった日本人特有の黒髪は、薄汚れた、昔のヤンキー?の人達の様な、かなり汚いマッキンキンの金髪に染まっていた。
「…本当にこんな方法で…髪の毛の色が変わるのね。あんなに黒かった葵の髪の毛が、今では見るも無残な…金髪に…」
そう言って、プププと笑いを堪えているメーティス。
「…楽しそうですねメーティスさん」
「そうね、こんな長い時間付き合わされたのだもの。それくらいは…ね?」
そう言って笑うメーティスに呆れている俺。
「しかし、見事に色が変わったね葵。じゃ~葵に言われて用意をした物を装備してみてよ」
そう言って俺に木箱を差し出すリューディア。
俺は木箱に入っている物を、次々と装備していく。
穴の開きかけた服に、古びて汚れた革の鎧のセット。
腰には使い込まれて刃こぼれのしている短剣をつけ、ボロボロの眼帯をつける。
そこには、薄汚れた格好をした、汚い金髪のぱっとしない日本人?の冒険者が居たが居た。
「…もう誰って感じだよ葵。その格好で真横を通られたって、葵だと気が付かないよ…」
「…そうですね…もう…郊外町に沢山居る冒険者にしか見えません…」
そう言って感心したかの様な、呆れたかの様な声を出すリューディアとカミーユ。
その横で椅子に座り、口元を抑えて足をジタバタとさせながら、必死に笑い声を堪えて笑っているメーティス。
「…メーティスさんすごく楽しそうですね…」
「…そうね、もう誰?どこの人?って感じが…」
そう言って声を出して笑うメーティス。
暫くして生まれ変わった?俺に慣れてきたのか、皆が落ち着きを取り戻す。
「カミーユは墨で髪の毛に色を付けて、メーティスさんが用意してくれた、フード付きマントを被ってくれ。そのマントは目元しか見えない。目元付近に墨で染めた黒い髪の毛を少し出しておけば、俺と見分けはつかないよ。瞳の色を悟られないように、常に髪の毛で瞳を隠すように俯いていればね」
俺の言葉に頷くカミーユはリューディアに髪の毛に墨をつけて黒くしてもらっていた。
「…まあ面白いやり方だけど、確かにやつらの気をそらす事が出来るわね葵ちゃん」
「ええ、やつらは俺の特徴として1番目印にしているのが、黒髪に黒い瞳ですからね」
そう言って苦笑いする俺。
俺は特に目立たない容姿をしているのを知っている。
ヒュアキントスの様に絶世の美男子でもなければ、マティアスの様に身長が高いわけでもない。
唯一のこの世界の俺の目立つポイントは、黒髪に黒い瞳のみ。
それを変えれるのであれば、少し服装を変えるだけで、特徴を掴まれにくい。
「確かに、魔法を使ったイリュージョン系の魔法なら、私のミラージュコート同様に、高LVのサーヴェイランスに見破られるけど、この方法なら…」
「ええ、その通りです。やつらはこんな方法で見た目を変えれる術を知りません。なので、容姿が変わっていたら、まず魔法を疑うのです。ですが如何に高LVのサーヴェイランスでも、俺の容姿が変わったのを、見破る事は出来ません」
「そして、見破れなかったサーヴェイランスは、葵だと認識出来ない…か」
そう言ってフフと笑うリューディア。
「まあ、余程な事がない限り俺だと解らないのは、皆が感じて貰ってますからね。後は俺の演技力がどこまでの物かですね」
そう言って苦笑いをする俺を見て、笑っている一同。
「ところで、この案は、宿舎の人全て知っているのかい葵?」
「…いえ、宿舎で知っているのは…俺の奴隷達とマルコのみですね。他の人には…違う事を説明しています」
「…成る程ね、敵を欺くには…まず味方からって所かい?」
「後で謝ろうとも思っていますけどね」
そう言って儚く微笑む俺の頭を優しく撫でるリューディア。
「じゃそろそろ途中の停泊地であるディックルの町に就くわ。皆準備しましょうか」
リューディアの声に頷く俺達。
こうして俺達の行動は密かに始まりを告げるのであった。
此処は豪華な屋敷の一室。
その柔らかのソファーに座る美青年に、優しく語りかける燃えるような髪の毛をした青年。
「どうやら葵は王都を離れ、港町パージロレンツォのバルテルミー侯爵家の館に向かったらしいよヒュアキントス」
その言葉を聞いたヒュアキントスは、眉をピクッと動かす。
「…今この時に…港町パージロレンツォのバルテルミー侯爵家の館…ね」
そう言って何かを考えているヒュアキントス。
「ついでに報告すると、他の宿舎の者達は、いつも通りの日常を送っているそうだ。異常はないと報告を受けているよ」
アポローンの言葉を聞いて、フムと頷くヒュアキントス。
「港町パージロレンツォのバルテルミー侯爵家の館にも監視をつけてくれ。何か有れば、連絡用の水晶ですぐに報告するように伝えてくれるかい?」
ヒュアキントスの言葉に頷くアポローンは、浮かない顔をしているヒュアキントスの事が気になった。
「どうしたんだいヒュアキントス?君らしくもない」
「…いや、少し気になってね」
「それはあの葵の事かい?」
アポローンのその言葉に、フッと笑うヒュアキントス。
「…ルチア王女や、ハプスブルグ家の動向はどうなってる?」
「ルチア王女はあの性格なので、行動は読めませんが、ハプスブルグ伯爵家の方はお抱え騎士団であるヴィシェルベルジェール白雀騎士団と、メーティス卿のエンディミオン光暁魔導師団とで合同の演習を行うそうだ。演習については暫く行う予定らしいけど、この前みたいな、突然の視察みたいな事はなさそうだよ」
その言葉を聞いたヒュアキントスは顎に手を当てて何かを考えていた。
「…アポローン、少し用事を頼まれてくれるかい?」
そう言って復数の手紙を書くヒュアキントス。
「これをそれぞれに渡してきてくれアポローン」
その手紙を受取るアポローンは、部屋から出て行く。
「…葵…お前…何を企んでいる?」
そう言って窓の外を激しく睨むヒュアキントスは、拳に少し力を入れるのであった。
ルチアの問に、俺は今考えている事を話し始める。
「うん、さっきも言ったけど、俺達の中に内通者が居るとして、監視されているとすると、俺達が普通にあいつらの事を調べようとしたら、ユーダさんやコティー達の命が危険な事と、俺達自身の身の危険もある可能性が高いのは皆感じてると思う」
俺の言葉を聞いて、静かに頷く一同。
「だから、次に行動に移す時は、必ずコティー達やユーダさんを助けれる方法が無いと駄目だ」
「それは解ってるわ葵。でも…具体的にどうするつもりなの?」
ルチアは腕組みをしながら、指をトントンとさせて俺を見ていた。
俺は静かに目を閉じ、そしてゆっくりとその瞳を開く。
「…やつらのアジトに潜入する。やつらのアジトに潜入して、直接コティー達やユーダさんを救出する」
俺の言葉を聞いたマルガにマルコは驚きの表情を浮かべ、ルチアは眉間に皺を寄せる。
「…確かにそれが出来れば1番よ。でも、やつらのアジトも解らないじゃない。1番可能性が高かったバスティーユ大監獄でさえ、隅々まで視察したけど何も情報は得られなかったのよ?」
「それにルチアさんが言った事に加え、私達はこれ以上人攫い達の動向を探る事は出来ませんわ。アジトの場所や情報が無い上に、ユーダさんやコティーさんの事もありますので、私達は行動が制限されています。その上、私達は内通者により監視されている可能性が高いのですよ葵さん?とてもじゃありませんが、今から人攫い達のアジトを探しだして、潜入出来るだけの方法が、私には思いつきませんが…」
ルチアとリーゼロッテは顔を見合わせながら困惑している。
俺はそのルチアとリーゼロッテの言葉を聞き、その表情を見て口元が上がるのを感じる。
「…確かに、一見するとリーゼロッテやルチアの言う通り、俺達は全くの手詰まりの状態だ。まさに罠に掛かって身動きの取れない獲物の様にね。でも、それは有る一定の条件下での話だよ」
「…それはどう言う事なのでしょうか葵さん?」
リーゼロッテが金色の透き通る様な瞳を静かに向ける。
「…まず、皆少し考えてみて欲しいんだけど、やつらは俺達の全てを監視する事は可能なのかな?」
俺の言葉を聞いたマルガにマルコは顔を見合わせる。
「それは無理だと思うのですよご主人様」
「オイラもマルガ姉ちゃんと同じだね」
顔を見合わせウンウンと頷き合っているマルガにマルコ。
「そう無理な事だ。俺達の全てを監視するなんて事出来やしない。例えば、今マティアスさんの風の魔法で音を遮っているこの部屋の中での話は、今この部屋の中に居る俺達にしか解らない事だ。俺達を監視するにも限界はあるって事の証明だ」
俺の言葉にコクコクと頷いているマルガにマルコ。
「リーゼロッテも別に正義の象徴であるハプスブルグ伯爵家全員が、内通者であると思っている訳じゃないだろ?」
「はい、勿論ですわ葵さん。私が皆さんをここに連れて来たのは先程言った通り、完全に信用の出来る人達だからですわ。別にアリスティド様やマクシミリアン様が内通者で有るとは思っていません。むしろアリスティド様やマクシミリアン様は、ルチアさんの事を大切に思っている方だと思いますわ。ですが、ハプスブルグ伯爵家が各方面に間者を放っているのと同様に、ハプスブルグ伯爵家の事を調べたい者達も沢山居るはず。その者達から逆に、ハプスブルグ伯爵家のお抱え騎士団であるヴィシェルベルジェール白雀騎士団に、間者を放たれている可能性が高いと思ったので、この様にさせて貰ったのです」
リーゼロッテの言葉に、そうねと小さく呟いているルチア。
「俺達の情報が知られていて1番都合の悪い事は、何かの行動を起こした時だ。人攫い達の事を調べていた時や、バスティーユ大監獄の突然の視察にしても、こちらの情報が漏れている事で、常に後手を取らされてしまっている。リーゼロッテも懸念しているように、ここにいる俺達だけなら情報が漏れる事は無いんだ。つまりここにいる俺達や、本当に信頼出来る一部の人達のみで行動できて、この部屋の様に監視不可能な状況を作れれば、俺達の情報が漏れる事は無いんだよ」
「…確かにそれはそうだけど…ソレをしながらヤツラのアジトを探しだして、アジトに潜入して彼女達を助け出す方法なんて私には解らないわ…どうするつもりなの葵?」
少し困惑しているルチアの問に、マルガやマルコもウンウンと頷いている。
「…それには先ほど言った『有る一定の条件下』を利用する」
「『有る一定の条件下』とはどんな事なのですかご主人様?」
マルガが可愛い首を傾げてウ~ンと唸っている。俺はマルガの頭を優しく撫でながら
「『有る一定の条件下』…つまり、俺達の隠し切れていない普段の日常や行動の事さ。人攫いの連中は、そう言った俺達の普段の日常や行動を監視しているのだと思う。どの様に監視しているのかは解らないけどね。やつらはソレを元に俺達の行動を把握してる。俺はソレを逆に利用する」
俺は皆に向き直り、静かに語る。
「…俺自身をやつらに攫わせる。そしてアジトに潜入してコティー達やユーダさんを救出する」
俺の言葉を聞いた一同は戸惑いの表情を浮かべる。
「そんな事出来るはず無いじゃない葵。ユーダさんやコティー達を攫って私達に足枷をつけたやつらにとって、貴方を攫う理由が無いわ。攫われる前に殺されるのがおちよ?」
「ルチアさんの言う通りですわ葵さん。人攫いの連中は葵さんだと解った瞬間に、攫うのでは無く抹殺を選ぶでしょう。それを可能にするには、葵さんだと相手に悟られない事が出来なければいけませんわ」
「エルフちゃんの言う通りね。人攫いの連中に貴方だと解らない様にする方法が無いわ。ましてや、貴方は特徴があるもの。黒髪に黒い瞳の取り合わせなんて、私は葵しか見た事が無いわ。それとも…付け毛や変装をしたり、イリュージョン系の魔法を使って、別人にでもなるつもりなの?でも、付け毛をして変装をしても、攫われて調べられたら解ってしまうわ。イリュージョン系の魔法を使って別人になったとしても、相手には感知能力の高い、高LVのサーヴェイランスが居るはずよ。メーティス先生の上位イリュージョン系の魔法であるミラージュコートですら見破る程の実力者がね。葵の事を知られない様にするなんて無理よ」
そう言いながら腕組みをするルチア。
戦闘職業サーヴェイランス…
スカウトの発展形の上級職業だ。
戦闘技能は高くないが、感知能力、つまり、周辺の警戒や魔力、そういったものを敏感に感じ取り、見抜く能力に特化した戦闘職業である。
この世界には色々な魔法が存在し、姿を別人に変えるイリュージョン系の魔法も多数存在する。
しかし、この戦闘職業のサーヴェイランスはそれを見抜く事が出来る。
大きな商談や契約事の場面では、高LVのサーヴェイランスの同行を求められたりする事が多い。
それは当然相手がイリュージョン系の魔法で不正を働かないかを調べる為である。
監視者の別名を持つサーヴェイランスは、魔法の存在するこの世界では非常に重宝されており、人気の高い職業の1つなのだ。
皆はルチアの話を聞いて、当然の様に頷き俺を見ていた。
しかし俺は皆のその雰囲気を感じ、再度口元が上がる。
「それについては俺に考えがあるんだ」
俺は皆にその対策を説明すると、マルガにマルコは顔を見合わせて驚いている。
ナディアに至っては、何を言っているのかさっぱり解らない様で、困惑した表情を浮かべていた。
「魔法も使わないで…そんな事が本当に出来るの葵!?」
ルチアは驚きの声を出しながら俺に語りかける。
静かに頷く俺を見ていたリーゼロッテは、透き通る様な金色の瞳をキラリと光らせ
「…なるほど、その手がありましたか。それならば如何に高LVのサーヴェイランスでも見抜く事は出来ませんわね」
フフと楽しそうに笑うリーゼロッテ。
「でもご主人様、ご主人様の事を相手に悟らせない方法は解りましたが、どの様に人攫い達に攫わせるつもりなのですか?郊外町でそうさせるにも…」
そう言って言葉を濁すマルガ。
そう、通常なら郊外町で俺を攫わせる事は出来ないであろう。
その理由は、先程言った様に、高LVのサーヴェイランスが向こうにも居る事もそうだが、もう一つの理由は、恐らくやつらに手を貸しているであろう、郊外町ヴェッキオを実効支配しているバミューダ旅団の地回りの存在だ。
郊外町ヴェッキオに根を張るバミューダ旅団達は、ヴェッキオに深く根付いている。
それ故に、そこに住む者達の事をよく見ている。そこに住む者とそうでない者を見分けるのに長けているのだ。
なので本来優秀であるはずのハプスブルグ伯爵家の隠密部隊や、メーティスの魔法師団達の密偵達を見抜く事が出来るのだ。
その中に溶け込もうとすれば、本当にその中で生活をして生き抜いて体をなじませるしかないのである。
「そこは心配ないよ。先ほど言った通り『有る一定の条件下』を逆手に取る。今迄ヴィシェルベルジェール白雀騎士団やエンディミオン光暁魔導師団の密偵の人達は、無理に郊外町ヴェッキオに溶け込もうとしたから失敗したんだよ。俺は他所から来た冒険者としてヴェッキオに潜入するつもりだ」
その言葉を聞いたリーゼロッテはフフと笑う。
「…なるほどですわ葵さん。他所から来た冒険者であればヴェッキオに馴染んでいなくても不思議じゃない」
「リーゼロッテの言う通り。しかも、人攫い達はヴェッキオに来たばかりの人々を攫っている傾向がある。これも理由は解らないけど、この案には都合の良い事だ」
俺の言葉を聞いたマルガにマルコは、確かにと言いながら頷いていた。
「でも葵、その案は確かに有用だけど、潜入する貴方と私達がいつでも連絡の取れる様にしないと成り立たないわ。いくら貴方でも危険過ぎる。相手は六貴族のお抱え騎士団と近い実力を持つメネンデス伯爵家の騎士団、モリエンテス騎士団。とても貴方1人で相手に出来る相手じゃないわ。たとえ…限定的にソレを超える事が出来たとしてもね。しかし、ソレは出来ない事なのは解ってるわよね葵?」
釘を刺す様に言うルチアは俺を静かに見つめていた。
限定的に…
ルチアが言っているのは俺の能力の1つである種族能力解放の事を言っているのであろう。
ヴァンパイアの始祖の力を開放する種族能力解放…
しかし、俺はまだその力を完全に解放できていない。
たとえ種族能力を開放したとしても、今の俺では何千人と居るモリエンテス騎士団を壊滅させるなんて事は出来ないだろう。
それにやつらに俺の正体を知られれば、それこそ身の破滅に繋がり全てが終わる。
「うん、解ってるよルチア。だから皆に協力して貰いたいんだ。それによって限定的だけど俺達は連絡と取る事が出来る様になるんだよ」
「そんな方法が本当にあるの?相手に攫われる…つまり捕まるって事は、貴方の持っている物全てを奪われてしまう事。遠距離の連絡方として知られているマジックアイテムである結びの水晶も持って行けない。それどころかアイテムバッグですら持って行けないのよ?攫われた瞬間に、貴方の持っている物は全て奪われるんだから」
そう言って腕組みをするルチア。
「普通はそうだろうね。でも、俺のやろうとしている事は特に何も必要ないんだ」
「…どういう事なのでしょうかご主人様?」
そう言って不思議そうに俺を見つめるマルガ。
俺はマルガの頭を優しく撫でながら、マルガの白く細い首に掛かっている、一級奴隷を示す赤い色の豪華なチョーカーに手を持って行く。
マルガの首元には、母親の形見のルビーが光り輝いていた。
「リーゼロッテ、奴隷の主人は、どこからでも自分の所持している奴隷を殺したり、罰を与えたり出来るんだよね?」
「…はい葵さん。奴隷契約がなされた時点で、奴隷の主人には『奴隷からの守護』と『奴隷の殺害』の力が備わります。その力には魔力は一切必要ありません。誰でも使えます。『奴隷からの守護』は奴隷が主人に危害を加えられない効力、『奴隷の殺害』はどこからでも言霊を唱えれば任意の奴隷を殺したり、苦しめて罰を与えたり出来る呪い。なので奴隷にされた者は、たとえ地の果てに逃げようとも、主人が『奴隷の殺害』の言霊を唱えれば、殺されたり罰を与えられるので、逃げ出したりしませんからね。それがどうかしたのですか葵さん?」
リーゼロッテは少し首を傾げながら俺に言う。
その可愛さに少しドキッとなりながら、話を続ける。
「…モールス信号だよリーゼロッテ」
「もーるすしんごう?それはどんな食べ物なのですかご主人様?」
マルガとマルコは、また美味しいものなのかな?と、顔を見合わせて期待値を膨らませている。
残念ながら、モールス信号は食べれないからねマルガちゃん!
ルナも美味しそうな顔をしないように!
俺がそう心のなかでツッコミを入れていると、全てを見透かす金色の透き通る様な瞳を輝かせるリーゼロッテ。
「…なるほど、そう言う事でしたか。確かに限定的ですが、どこからでも連絡を取る事が可能ですね」
「どういう事なのエルフちゃん?」
聞きなれない言葉を聞いたルチアは、困惑の表情を浮かべる。
リーゼロッテは訳の解っていないルチア達に説明を始める。
モールス信号。
短点と長点の組み合わせだけで構成されている単純な符号を文字化したものだ。
音だけでなく光を代用したりして、通信、つまりコミュニケーションを取る手段の1つだ。
コイツの利点は、音が届く、光が届く等の条件さえ揃えば、他に何も設備が無くても離れた相手とコミュニケーションが取れる点であろう。
その説明を聞いたルチアは感嘆の表情を浮かべる。
「成る程ね。船乗りや騎士団が使う旗合図に似てるわね。私達が使っている旗合図は、主に行動を指示するものだけだけど、それを文字に対応させる…か」
「そうだね。俺はその世界のどこにでも届く『奴隷の殺害』の呪いの効果を、モールス信号に変換してマルガやリーゼロッテ達に情報を伝えようと思っているんだ。これなら俺は何も持っていかなくてもいいからね。俺はアイテムバッグは勿論の事、ネームプレートも置いていくつもりだから。攫われた後で俺の所持品が奪われ様とも、関係なく皆に情報を伝えられるからね」
俺はそう説明すると、マルガの可愛い頬に手を添える。
「…俺の命を…マルガ達に預けたい。お願い出来る?」
俺のその言葉を聞いたマルガは、自分の頬に添えられている俺の手をギュッと握り締める。
「任せて下さいご主人様!ご主人様のお命は…マルガがお守りします!!」
そう言ってライトグリーンの美しい瞳に、決意の光を満たせているマルガ。
「とりあえず一度試してみてはどうですか葵さん?殺害の効力ではなく罰の効力を少し発動して、感じを見てみては?」
リーゼロッテの言葉に頷く俺。
俺はネームプレートに書かれている言霊をゆっくりと唱え始める。
するとマルガの一級奴隷を示す、首に付けられている赤い紋章が光りだす。
その直後、マルガは両手を首に当てて苦しみだした。
「グ…グフウウウウ…」
呻き声を上げながら床に蹲るマルガを見て、一同の表情が一変する。
「葵!言霊の発動を中止して!」
「あ!うん!」
俺はすぐさま言葉の発動を中止する。
床に蹲っていたマルガは、肩で息をして可愛い瞳に涙を浮かべていた。
「ゴホゴホ…」
「大丈夫マルガ!?」
俺はマルガを抱き寄せると、苦しかったにも関わらずに瞳に涙を浮かべながらニコッと優しく微笑む。
「だ…大丈夫なのですご主人様!これ位へっちゃらなのですよ!」
そう言って握り拳を俺に見せて強がっているマルガ。
それを見たルチアは少し溜め息を吐く。
「…とにかく暫くは練習しないとダメね。合図を文字化する事も必要でしょう葵?」
「そうだね。ルチアとマティアスさんには、他の人達に内密に連絡や準備もして欲しい事もあるし…。とりあえず作戦決行まで4日としよう。その間に俺達もモールス信号をモノにする。じゃ~ルチアにして欲しい、これからの段取りを説明するよ」
俺はルチアに段取りを説明すると、小悪魔の様な微笑みを湛える。
「…ふうん。馬鹿な貴方にしては良く考えられているわね。…解ったわ、全て任せておいて」
「リーゼロッテには例のモノを揃えて調合して欲しい。たとえやつらに監視されていても、その物自体はおかしな物ではないから、悟られる事は無いと思うから」
俺の言葉に頷くリーゼロッテとルチアのその微笑みに、少しゾクッとしながら苦笑いをする。
そして俺はナディアの前に行き膝を折る。
「…きっとコティー達を助けるから…ちょっと我慢してねナディア」
「…うん…空…アリガト…」
そう言ってコクコクと頷くナディアは、はちきれんばかりの涙を瞳に貯めこんで居た。
「じゃ~話も決まったしアリスティド卿達の所に戻りましょう。彼らにもやって欲しい事がある事だしね」
ルチアの言葉に頷く俺達は、アリスティド達がいる執務室に戻って行くのであった。
ルチア達とハプスブルグ伯爵家の別邸で話をして既に4日。今日は例の作戦を決行する当日。
全ての信頼出来る人々も、それぞれに俺の指示通りに動いて準備してくれている事であろう。
俺達も何とか『奴隷の殺害』の呪いを用いたモールス信号もどきを無事習得するに至っていた。
これにより如何に距離が離れていようとも、マルガやリーゼロッテ達に情報を伝達する事が出来る。
まあ…俺からの一方的な情報の伝達ではあるが、それを補う段取りはきっちりと皆に説明済みだ。
攫われているコティー達やユーダさんの事を皆が心配もしている。
この作戦できっと救い出してみせる…
その様な事を思いながら、準備の出来た俺達が部屋の外に出ると、ナディアが部屋の前で立っていた。
「どうしたのナディア?」
俺がナディアの傍に近寄ると、物凄い勢いでナディアは俺の胸に飛び込んできた。
「グフ!」
余りの勢いに鳩尾をナディアの頭に強襲された俺は、むせ返りながらよろける。
「…空…コティー達をお願い…それから…空も…死なないで…無事に…無事に帰ってきて」
そう言ったナディアは、ギュウウと俺の胸にしがみつき、瞳に涙を浮かべる。
「…解ってるよナディア。きっとコティー達を救い出して戻ってくるから…俺の言った通りに出来るね?」
その言葉を聞いたナディアは、嬉しそうにコクコクと可愛い首を縦に振る。
そんなナディアの頭を優しく撫でると、ギュウと俺の胸に顔を埋め、可愛い頭をグリグリと擦りつけていた。
そんな俺とナディアを見て、顔を見合わせて微笑んでいるマルガにリーゼロッテ。
「…じゃ、行ってくるねナディア。マルガにリーゼロッテ。ステラ、ミーア、シノンにも言ってあるけど…後の事…頼むね」
「ハイ!任せてくださいですご主人様!」
「全て段取り良くこなしてみせますわ葵さん」
そう言うマルガにリーゼロッテは俺の腕にそっと顔を寄せる。
俺はマルガとリーゼロッテの柔らかい頬に軽く口づけをする。
「じゃ行こう!」
俺の言葉に頷くマルガにリーゼロッテ。
俺はナディアの手を引きながら1階の食堂に降りると、先に朝食を食べていたマリアネラが声をかけてきた。
「おはよう葵。今日から港町パージロレンツォのバルテルミー侯爵家に向かうんだよね。…何か対策をとれれば良いのだけどね」
「…ええ、そうですね。その対策を考える為に、一度この王都ラーゼンシュルトを離れるのです。…俺が戻る間、皆の事宜しくお願いしますねマリアネラさん」
「解ってるよ葵。葵が帰ってくるまでの間、私も皆の警護に当たるからさ。…ヤツラの件は任せるから、安心して港町パージロレンツォに行って来な」
そう言って微笑んでくれるマリアネラ。
隣でマリアネラの言葉に頷いているゴグレグは、膝の上ではしゃいでいるエマの頭を撫でていた。
「葵様、今日は朝食はどうされますか?」
「あ、今日は朝食はいらないよステラ。すぐに出発して港町パージロレンツォに向かう高速魔法船の中で食べる予定だから。…ステラ、後の事頼むね」
俺の言葉を聞いたステラはハイと小さく返事をする。その後ろでミーアとシノンもコクッと頷いていた。
「じゃ、皆行ってくるよ」
俺は皆にそう告げると、唯一人宿舎の玄関に向かって歩き出した。
そして宿舎の外に出た所で、一人の美女が俺に声をかけてきた。
「あら意外と早いのね葵ちゃん。愛しい奴隷ちゃん達としばしのお別れに時間が掛かると思ったのだけど?」
そう言って少し楽しそうな表情を浮かべているメーティス。
「…大丈夫です!」
「…本当に?」
「…多分…」
俺のか弱い返事を聞いて、フフフと悪戯っぽく笑うメーティス。
「とりあえず船着場に向かいましょう。途中の停泊地であるディックルの町までは、私も護衛として同行してあげれるから。後は私の魔法師団の小隊が、港町パージロレンツォのバルテルミー侯爵家まで護衛するから。さあ、馬車に乗りましょう」
そう言って俺の手を引くメーティス。
俺はメーティスに手を引かれながら、用意してくれた馬車に乗り込む。
俺とメーティスが乗り込んだ馬車は、魔法師団に四方を護衛されながら船着場に向かって進み出す。
メーティスと他愛のない会話をしながら馬車に乗っていると、船着場に到着した。
俺とメーティスは馬車から降り外に出ると、メーティスが俺にフード付きのマントを掛けてくれる。
そのフード付きマントは、頭をすっぽりと覆い、口元を隠せるタイプのマントであった。
「そのマントは防寒具として使う物だけど、この件に丁度良い品物でしょう?」
「…そうですね」
メーティスの含み笑いを見て、フフと微笑む俺。
「さあそれじゃ高速魔法船に乗り込みましょうか」
メーティスの言葉に頷き、俺達一行は高速魔法船に乗り込む。
そして、甲板に降り立った所で、出航の法螺貝が辺りに鳴り響き、徐々に速度を上げて桟橋を離れていく高速魔法船。
俺は甲板から離れていく王都を横目にしながら、用意してくれている部屋に向かう事にした。
俺達が部屋の前まで来ると、メーティスがお供の魔法師団に声を掛ける。
「貴方達は部屋の外で警護していて頂戴。他の者達も、高速魔法船の船内をくまなく警護する様に伝えておいて。…不審な者や敵が居たなら…容赦する必要はないわ」
メーティスの指示に、胸に手をかざし返事をする魔法師団の男。
俺とメーティスはそれに頷くと、部屋の中に入っていく。
「…メーティスさんお願いします」
「解ってるわ葵ちゃん」
そう言って妖艶な微笑みを湛えるメーティスは右手を上げる。
するとその掌から、黄緑色の光が溢れ、部屋全体を包み込んだ。
「これで大丈夫よ葵ちゃん。この部屋の中の声は外には聞こえないわ」
「ありがとうございますメーティスさん」
俺がメーティスに礼を言うとフフと微笑むメーティス。
「これで自由に話せるのね。全く…色々と苦労したわ」
俺はその少し憂鬱そうな声のする方に視線を向けると、屈託の無い微笑みを向けてくれる美女が居た。
「…リューディアさん突然無理を言ってすいませんでしたね」
「本当ね。エマから手紙を貰って内容を見て、ギルゴマ師匠と大急ぎで手配したんだから」
そう言って苦笑いをするリューディア。
この高速魔法船は、リスボン商会の王都ラーゼンシュルト支店が所有する船なのだ。
俺は誰にも内緒と言う約束で、エマにヴァロフの手紙を持っていくついでに、ギルゴマとリューディアに手紙を書いて渡して貰っていたのだ。
俺からの手紙をギルゴマに渡したエマは、「きちんと渡したよ葵お兄ちゃん!エマ誰にも言ってないし偉いでしょ!」と、ちっちゃな両手を腰に当てて、マルガの様にエッヘンしていたのには笑ったけど。
「…まあ、この魔法船で取引予定だったのを取りやめた損害は、ルチア王女様が全額負担してくれるってお墨付きだったから、すぐに手配出来たのだけどね」
「色々無理を言ってすいませんでしたねリューディアさん」
苦笑いしている俺を見て、楽しそうにワシャワシャと俺の頭を撫でる。
「…弟弟子の頼みだもの、聞かない訳にはいかないでしょう?…葵からの手紙に書いてあった通り、全て段取りを整えてあるわ。…もう出てきても良いわよ」
リューディアは部屋の片隅に向き直りながらそう言うと、部屋の隅に置かれていた木箱がゴソゴソと動き出し、その蓋が内側から開かれる。
「プハ~~~!!流石に長時間この箱の中に居るのは疲れますね」
ゲンナリとした声を出す少年。
その少年を見て楽しそうに笑うメーティス。
「確かに疲れそうねカミーユ」
「ええ!だって、リスボン商会からずっとこの箱の中に居ましたからね」
そう言って苦笑いをするカミーユ。
「これで、ここでの役者は全て揃ったわね。葵ちゃんとカミーユは此処で容姿を変えて入れ替わり、カミーユはこのまま葵として港町パージロレンツォのバルテルミー侯爵家の屋敷に、葵ちゃんはこの箱に入って、途中の停泊地であるディックルの町で、リスボン商会が所有する別の商船で王都に戻る。これで良いのよね?」
「ええ、それで良いですね」
メーティスの言葉に頷く俺。
そう、俺はエマに渡した手紙にで、ギルゴマとリューディアにして欲しい事を書いていた。
ギルゴマとリューディアは手際よくすぐに段取りを取ってくれたのだ。
俺は此処でカミーユと入れ替わり、王都に戻って郊外町ヴェッキオに向かわねばならないからだ。
俺と入れ替わる人物はルチアが推薦してくれた。
バルテルミー侯爵家と同じ派閥で、親交も深く、信頼出来るフェヴァン伯爵家のカミーユは、俺より歳下だけど、身長は同じくらい有り、体つきもよく似ている。
今回の案にはもってこいの人物だった。
「とりあえずは途中の停泊地であるディックルの町に就く前に、俺の容姿を変えたいと思います。リューディアさん例の物は…」
「ああ、リーゼロッテからきちんと届けられてるよ」
そう言って箱を取り出すリューディア。
俺はその箱の中に入っている物を取り出す。それを興味深げに見つめる一同。
「この瓶に詰まった液体で…魔法も使わずに…自由に髪の毛の色と眉の色を変化させられるの葵ちゃん?」
「ええ、リーゼロッテが俺の指示通りに調合してくれた…このブリーチもどきならね」
そう言って瓶を手に取る俺。
そう、俺はリーゼロッテに髪の毛と眉を脱色する為に、ブリーチもどきを作らせていたのだ。
当然、地球で売っている様な、化学薬品を使った本物のブリーチではない。
この世界で1番強いと言われているお酒、洋服を洗う時に使っている天然の洗剤、わら半紙を作る時に使っている草木灰の上澄み液を濃縮した物…
特に、漂白効果の高い物を、リーゼロッテの調合スキルを使って作って貰ったものだ。
当然どれが俺の髪の毛を1番脱色するか解らなかったので、複数用意した。
「ではメーティスさん、俺の説明通りにしてくれますか?」
そう言ってメーティスに説明を始める。
メーティスは複数の便に入っている液体を俺の髪の毛と眉につけては、火と風の混合魔法で、俺に火傷を負わせない位で髪の毛と眉にあてだす。魔法を使った高温のドライヤーだ。
俺は次々と瓶に入った液体を髪の毛につけては、メーティスの魔法で髪の毛を温める。
それをかなりの時間繰り返えす。
当然、頭皮や髪の毛、体の事を全く考えていない物ばかりなので、俺の頭皮や皮膚は、激しい痛みを感じる。
それに我慢しながら、6刻(6時間)位、それを繰り返した所で、俺の黒かった日本人特有の黒髪は、薄汚れた、昔のヤンキー?の人達の様な、かなり汚いマッキンキンの金髪に染まっていた。
「…本当にこんな方法で…髪の毛の色が変わるのね。あんなに黒かった葵の髪の毛が、今では見るも無残な…金髪に…」
そう言って、プププと笑いを堪えているメーティス。
「…楽しそうですねメーティスさん」
「そうね、こんな長い時間付き合わされたのだもの。それくらいは…ね?」
そう言って笑うメーティスに呆れている俺。
「しかし、見事に色が変わったね葵。じゃ~葵に言われて用意をした物を装備してみてよ」
そう言って俺に木箱を差し出すリューディア。
俺は木箱に入っている物を、次々と装備していく。
穴の開きかけた服に、古びて汚れた革の鎧のセット。
腰には使い込まれて刃こぼれのしている短剣をつけ、ボロボロの眼帯をつける。
そこには、薄汚れた格好をした、汚い金髪のぱっとしない日本人?の冒険者が居たが居た。
「…もう誰って感じだよ葵。その格好で真横を通られたって、葵だと気が付かないよ…」
「…そうですね…もう…郊外町に沢山居る冒険者にしか見えません…」
そう言って感心したかの様な、呆れたかの様な声を出すリューディアとカミーユ。
その横で椅子に座り、口元を抑えて足をジタバタとさせながら、必死に笑い声を堪えて笑っているメーティス。
「…メーティスさんすごく楽しそうですね…」
「…そうね、もう誰?どこの人?って感じが…」
そう言って声を出して笑うメーティス。
暫くして生まれ変わった?俺に慣れてきたのか、皆が落ち着きを取り戻す。
「カミーユは墨で髪の毛に色を付けて、メーティスさんが用意してくれた、フード付きマントを被ってくれ。そのマントは目元しか見えない。目元付近に墨で染めた黒い髪の毛を少し出しておけば、俺と見分けはつかないよ。瞳の色を悟られないように、常に髪の毛で瞳を隠すように俯いていればね」
俺の言葉に頷くカミーユはリューディアに髪の毛に墨をつけて黒くしてもらっていた。
「…まあ面白いやり方だけど、確かにやつらの気をそらす事が出来るわね葵ちゃん」
「ええ、やつらは俺の特徴として1番目印にしているのが、黒髪に黒い瞳ですからね」
そう言って苦笑いする俺。
俺は特に目立たない容姿をしているのを知っている。
ヒュアキントスの様に絶世の美男子でもなければ、マティアスの様に身長が高いわけでもない。
唯一のこの世界の俺の目立つポイントは、黒髪に黒い瞳のみ。
それを変えれるのであれば、少し服装を変えるだけで、特徴を掴まれにくい。
「確かに、魔法を使ったイリュージョン系の魔法なら、私のミラージュコート同様に、高LVのサーヴェイランスに見破られるけど、この方法なら…」
「ええ、その通りです。やつらはこんな方法で見た目を変えれる術を知りません。なので、容姿が変わっていたら、まず魔法を疑うのです。ですが如何に高LVのサーヴェイランスでも、俺の容姿が変わったのを、見破る事は出来ません」
「そして、見破れなかったサーヴェイランスは、葵だと認識出来ない…か」
そう言ってフフと笑うリューディア。
「まあ、余程な事がない限り俺だと解らないのは、皆が感じて貰ってますからね。後は俺の演技力がどこまでの物かですね」
そう言って苦笑いをする俺を見て、笑っている一同。
「ところで、この案は、宿舎の人全て知っているのかい葵?」
「…いえ、宿舎で知っているのは…俺の奴隷達とマルコのみですね。他の人には…違う事を説明しています」
「…成る程ね、敵を欺くには…まず味方からって所かい?」
「後で謝ろうとも思っていますけどね」
そう言って儚く微笑む俺の頭を優しく撫でるリューディア。
「じゃそろそろ途中の停泊地であるディックルの町に就くわ。皆準備しましょうか」
リューディアの声に頷く俺達。
こうして俺達の行動は密かに始まりを告げるのであった。
此処は豪華な屋敷の一室。
その柔らかのソファーに座る美青年に、優しく語りかける燃えるような髪の毛をした青年。
「どうやら葵は王都を離れ、港町パージロレンツォのバルテルミー侯爵家の館に向かったらしいよヒュアキントス」
その言葉を聞いたヒュアキントスは、眉をピクッと動かす。
「…今この時に…港町パージロレンツォのバルテルミー侯爵家の館…ね」
そう言って何かを考えているヒュアキントス。
「ついでに報告すると、他の宿舎の者達は、いつも通りの日常を送っているそうだ。異常はないと報告を受けているよ」
アポローンの言葉を聞いて、フムと頷くヒュアキントス。
「港町パージロレンツォのバルテルミー侯爵家の館にも監視をつけてくれ。何か有れば、連絡用の水晶ですぐに報告するように伝えてくれるかい?」
ヒュアキントスの言葉に頷くアポローンは、浮かない顔をしているヒュアキントスの事が気になった。
「どうしたんだいヒュアキントス?君らしくもない」
「…いや、少し気になってね」
「それはあの葵の事かい?」
アポローンのその言葉に、フッと笑うヒュアキントス。
「…ルチア王女や、ハプスブルグ家の動向はどうなってる?」
「ルチア王女はあの性格なので、行動は読めませんが、ハプスブルグ伯爵家の方はお抱え騎士団であるヴィシェルベルジェール白雀騎士団と、メーティス卿のエンディミオン光暁魔導師団とで合同の演習を行うそうだ。演習については暫く行う予定らしいけど、この前みたいな、突然の視察みたいな事はなさそうだよ」
その言葉を聞いたヒュアキントスは顎に手を当てて何かを考えていた。
「…アポローン、少し用事を頼まれてくれるかい?」
そう言って復数の手紙を書くヒュアキントス。
「これをそれぞれに渡してきてくれアポローン」
その手紙を受取るアポローンは、部屋から出て行く。
「…葵…お前…何を企んでいる?」
そう言って窓の外を激しく睨むヒュアキントスは、拳に少し力を入れるのであった。
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