追放鑑定士はダンジョン市場で偽物グルメを暴く ――屋台ひとつで成り上がり、王都の“味”を取り戻す――

ken

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灰色の帷幕と、禁断の甘い罠

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 世界がまだ、夜の帳に包まれている時間。

 王都の地下に広がる迷宮市場は、昼間の喧騒が嘘のように静まり返り、冷たく湿った空気が支配する死の領域へと変貌していた。

 迷路のように入り組んだ路地裏。その闇を縫うようにして、三つの影が走る。



「……セオ、足音がうるさい」

「小さくするのは物理的に無理だよ、レイン君。僕のブーツは隠密仕様じゃないし、この鞄には精密機器が詰まってるんだ」



 囁くような小競り合い。

 先頭を行くレインは、背後の頼りない錬金術師に苦笑しつつ、さらに後方で音もなく追随する銀髪の騎士に視線を送った。



 シルヴィア・ランカスター。

 今の彼女は、白銀の鎧ではなく、夜闇に溶け込む濃紺の軽装に身を包んでいる。

 だが、その存在感は隠しきれていない。

 フードの隙間から覗く銀髪は、僅かな月明かりを吸って真珠のように艶めき、警戒心に研ぎ澄まされた蒼穹の瞳は、宝石のような硬質な輝きを放っている。

 壁に張り付き、周囲を警戒する所作一つ一つが、まるで舞踏のように洗練されており、見る者の目を奪う美しさがあった。



「……前方に気配。二人だ」



 シルヴィアが短く告げ、レインの肩を軽く叩く。

 その指先から伝わる体温と、ふわりと香る石鹸の香りに、レインの鼓動が少しだけ早くなる。戦場において不謹慎だとわかっていても、彼女の近くにいると心が落ち着くと同時に、妙な高揚感を覚えてしまうのだ。



「了解。……ここからは慎重に行こう」



 レインたちは呼吸を整え、目的地の『灰色倉庫』が見渡せる廃墟の陰へと滑り込んだ。



 市場の最外縁、第三区画。

 正規の商人は近づかない、無法者たちの吹き溜まり。

 その一角に、威圧的にそびえ立つ巨大な石造りの倉庫があった。外壁は煤とカビで薄汚れ、鉄の扉は錆びついているが、その堅牢さは要塞のようだ。



「……当たりだ。動きがある」



 レインが目を細めた。

 倉庫の重厚な鉄扉の前に、数人の男たちが立っている。

 魔導ランプの明かりを極限まで絞り、周囲を警戒しながら、荷物の受け渡しを行っているようだ。



 一人は、全身を黒いローブで覆った人物。

 フードを目深に被り、顔は見えない。だが、その背格好と、漂ってくる独特の薬品臭は、以前遭遇した錬金術師ザガンの手下か、あるいは本人に近い立場の人間だろう。

 そして、その対面に立つ男。

 レインの視線は、その男の胸元に釘付けになった。



「……間違いない。あれは」



 男が身につけている上質な外套。その隙間から、銀色の輝きが一瞬だけ覗いた。

 天秤と瞳を模した意匠。

 『王都鑑定ギルド』の正規職員であることを示すバッジだ。



「なんてことだ……。本当に、ギルドが関与していたとは」



 隣でシルヴィアが、悔しげに唇を噛む。

 騎士として、王国の法と秩序を守る彼女にとって、法の番人たる鑑定士の裏切りは、何よりも許しがたい冒涜に映るのだろう。



 倉庫の前では、黒ローブがギルドの男に羊皮紙の束――おそらくは裏帳簿か、実験データだろう――を手渡し、代わりに男から革袋を受け取っていた。

 革袋の重み。チャリ、という硬貨の擦れる音が、微かに風に乗って聞こえてくる。



「汚い金だ。……人の命を売って得た報酬か」



 レインは拳を握りしめ、『異端の鑑定眼』を発動させた。

 視界が色彩を変え、情報の奔流となって脳内に流れ込む。

 黒ローブの男が持つ羊皮紙からは、強い『魔力反応』と『毒性情報の残滓』。

 そして倉庫の扉の隙間からは、ドス黒いヘドロのような靄が漏れ出している。



「……中には『毒』が山積みだ。それも、以前見た霊蜜の比じゃない」

「突入するか?」



 シルヴィアが愛剣の柄に手をかける。

 だが、レインは首を振った。



「いや、まだだ。今飛び出しても、トカゲの尻尾切りで終わる。あのギルドの男の顔は覚えた。奴を泳がせつつ、倉庫の中にある『動かぬ証拠』を押さえるんだ」



 やがて、取引を終えた二人は、互いに短く頷き合うと、左右に分かれて闇へと消えていった。

 倉庫の前には、見張りの姿はない。

 この時間帯、そしてこの場所なら、誰も近づかないという慢心があるのだろう。



「……今だ。行くぞ」



 三人は音もなく廃墟を飛び出し、倉庫の鉄扉へと肉薄した。

 近くで見ると、その扉はさらに巨大で、頑丈そうに見えた。鍵穴は複雑な魔導錠で封印されており、物理的なピッキングでは開きそうにない。



「セオ、頼めるか?」

「任せてよ。この時のために、徹夜で調合してきたんだから」



 セオは白衣のポケットから、青白い液体が入った小瓶を取り出した。

 ニヤリと笑うその顔は、マッドサイエンティストそのものだ。



「名付けて『静寂の溶解液』。金属の分子結合を一時的に緩め、音もなく構造を崩壊させる。……まあ、ちょっと臭いけどね」



 セオが小瓶の液体を、鍵穴と蝶番の部分に数滴垂らす。

 ジュワ……という音はしなかった。

 代わりに、鉄が泥のように融解し、ドロリと垂れ落ちていく。

 ものの数秒で、堅牢なロック機構は無力化された。



「……開くよ」



 レインが静かに扉を押す。

 軋み音ひとつ立てず、重い鉄扉が内側へと開いた。

 そこから溢れ出したのは、吐き気を催すほどの濃厚な甘い香りと、薬品の刺激臭だった。



「うっ……これは……」



 シルヴィアが鼻を覆い、顔をしかめる。

 倉庫の内部は広大だった。

 天井近くにある採光窓からの僅かな月明かりだけが、その異様な光景を照らし出している。

 整然と積み上げられた無数の木箱。

 そして、奥には巨大な蒸留器や、怪しげなガラス器具が並ぶ実験スペース。



 ここはただの倉庫ではない。

 巨大な魔薬製造工場だ。



「……ひどいな。想像以上だ」



 レインは足を踏み入れ、手近な木箱に手をかけた。

 蓋をこじ開けると、中には乾燥した植物がぎっしりと詰まっていた。

 紫色の葉に、赤い斑点。



「『痺れ草』の変種か。それに、こっちは『幻覚茸』の粉末……」

「見てくれ、レイン君。この箱の刻印」



 セオが別の箱を指差す。

 そこには、咆哮する狼の紋章――『ヴォルク商会』の印が焼き付けられていた。

 そして、その横には小さな文字で『王都鑑定ギルド検閲済』のスタンプ。

 これ以上ない、癒着の証拠だ。



「……写真、いや、映像に残せ。セオ」

「了解。バッチリ記録してるよ」



 セオは『映像記録水晶』を掲げ、倉庫内の惨状を次々と記録していく。

 レインはさらに奥へと進んだ。

 鼻をつく甘い匂いの発生源。

 そこには、金色に輝く液体が入った大樽が並んでいた。



 レインはその中身を『鑑定』するまでもなく、直感で理解した。

 これがあの偽霊蜜の原液だ。

 だが、レインの注意を引いたのは、その樽の横に無造作に置かれていた、灰色の粉が入った袋だった。



「……ッ!」



 レインは息を呑み、その袋に駆け寄った。

 指先で粉を少量すくい取り、匂いを嗅ぐ。

 乾いた、喉に張り付くような灰の臭い。

 そして、『鑑定眼』が表示する成分情報。



 ――『氷結石の微粉末』。

 ――『燃焼遅延触媒』。



 間違いない。

 先日、レインの屋台を襲撃した実行犯たちが持っていた『死に火の粉』と同じものだ。



「……やっぱり、繋がっていたか」



 レインの声が低く、怒りに震えた。

 この粉は、ただの妨害工作用の道具ではない。料理人から火を奪う、卑劣な悪意の結晶だ。

 それが、この毒の製造工場に当たり前のように置かれている。

 つまり、奴らは「毒を売る」ことと「邪魔な料理人を潰す」ことを、同じ業務の一環として行っているのだ。



「レイン、大丈夫か?」



 背後から、シルヴィアの心配そうな声が掛かる。

 レインは粉を握りしめたまま、振り返った。

 暗がりの中でも、シルヴィアの瞳は真っ直ぐにレインを見つめていた。その凛とした美しさが、怒りで黒く染まりかけたレインの心を、現実に引き戻してくれる。



「……ああ。大丈夫だ。むしろ、確信が持ててスッキリしたよ」



 レインは粉を払い、シルヴィアに向かって皮肉げに笑ってみせた。



「奴らはただの金亡者じゃない。自分たちの利益のためなら、他人の誇りも、命も、平気で踏みにじるクズどもだ。……遠慮なく潰せる」

「そうだな。……私も、騎士の名にかけて、このような悪行を見過ごすわけにはいかない」



 シルヴィアが剣の鯉口を切る。

 その横顔は、戦女神のように勇ましく、そして悲しいほどに美しかった。

 レインは不覚にも見惚れそうになるのを堪え、意識を倉庫の探索に戻す。



「おい、二人とも。ちょっとこっちに来てくれないか?」



 倉庫の最奥、実験スペースの方からセオの声がした。

 緊迫した声色ではない。だが、どこか困惑したような、奇妙な響きを含んでいた。



「何か見つけたのか?」

「うん。……というか、見つけちゃったというか」



 レインとシルヴィアが駆け寄ると、セオは一枚の書きかけの書類を手に持っていた。

 机の上には、飲みかけのコーヒーと、乱雑に散らばったメモ書き。

 つい先ほどまで、誰かがここで作業をしていた痕跡だ。



「これを見てよ。……『新商品』の成分表みたいなんだけど」



 セオが指差した箇所。

 そこには、複雑な化学式と共に、一つの成分名が大きく記されていた。



 ――『竜の涙抽出液』。



「……『竜の涙』?」



 シルヴィアが怪訝な顔をする。

 だが、レインの顔色は一変した。

 『竜の涙』。それは伝説級の希少素材であり、万病を治す霊薬としても知られている。

 だが、同時にある特性を持っていた。

 精製方法を誤れば、それはドラゴンの強靭な肉体すら内側から溶かす、最強最悪の『溶解毒』へと変貌するのだ。



「奴ら、本気か……? こんなものを市場に流したら、健康被害どころじゃない。食べた人間は骨まで溶けて死ぬぞ」

「しかも、この配合比率……。意図的に『毒』として安定させようとしてる節がある」



 セオが震える声で言う。

 単なるコストダウンのための偽造ではない。

 これは、明確な殺意を持った兵器開発に近い。



「……誰だ。こんな狂ったレシピを考えたのは」



 レインが書類の下部、署名欄に目を走らせた時。



 カツン。



 静寂な倉庫内に、硬質な靴音が響いた。

 入り口ではない。

 倉庫のさらに奥、闇に沈んでいた扉の向こう側からだ。



「――おやおや。夜行性のネズミが迷い込んだかと思えば……随分と可愛らしいお客様だこと」



 ねっとりとした、甘い声。

 レインたちの背筋に、冷たいものが走る。

 闇の奥から現れたのは、白衣を纏った長身の男。

 だが、その顔には表情がない。いや、顔の半分が、奇妙な銀色の仮面で覆われていた。



「……誰だ」



 シルヴィアが瞬時に間合いを取り、剣を抜く。

 仮面の男は、動じることなく、手にした杖で床をコツンと叩いた。



「私はこの工場の工場長。……そして、君たちが探している『供給元』の、ほんの末端に過ぎない者ですよ」



 男の背後から、ゾロゾロと黒い影が現れる。

 ヴォルク商会の私兵たちではない。

 全身を魔導装甲で覆い、手には禍々しい魔導銃を構えた、異形の兵士たち。

 

「ようこそ、私の実験室へ。……君たちの身体で、この『新商品』の効能を試させてもらえるのかな?」



 レインは『鑑定眼』を男に向けた。

 だが、弾かれた。

 男の仮面が、強力な『鑑定阻害』の魔力を放っているのだ。



(鑑定が通じない……!?)



 レインの額に冷や汗が流れる。

 証拠は掴んだ。だが、ここから生きて帰らなければ、全ては無駄になる。

 夜明け前の倉庫で、最悪の遭遇戦が幕を開けようとしていた。
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