勇者召喚に巻き込まれた家族のサバイバル

ken

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「なんとかしておけ」

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 召喚担当者と思しき男に詰め寄ったまま、私は一歩も退かなかった。
 胸の奥に渦巻くのは、怒りと、焦りと、そして――見知らぬ土地で家族を守らねばならないという、喉の奥を締めつけるような恐怖だ。

「説明してください」

 同じ言葉を、私はもう一度だけ繰り返した。声は低く、けれど明確に。
 月子の視線は鋭い。母の背中は硬い。父はコハクを抱いたまま、まるで砦みたいに動かない。

 召喚担当者の男は、逃げ場を探すように目を泳がせた。額に滲んだ汗が、照明の光を鈍く反射する。
 私が一息も入れず睨み続けると――男は、喉をひゅっと鳴らした。

「ひっ……」

 情けない悲鳴だった。
 けれど、その反応が逆に嫌だった。こちらが暴れたわけでもない。殴ったわけでもない。
 ただ、正当な説明と責任を求めただけで、この怯え方。つまりこの男は、私たちを“対等な存在”として扱う気が最初からない。

 その瞬間だった。

 広間の空気が、目に見えない糸で引き絞られたように変わった。
 ざわめきが、一段落ちる。誰かが息を呑む。鎧が擦れる音すら、遠くなる。

 人垣が、左右に割れた。

 そこに現れたのは――金髪碧眼の若い女性だった。
 歳は……十代後半から二十歳そこそこだろうか。白い肌は陶器みたいに滑らかで、まつ毛は長く、鼻筋はすっと通っている。衣装は、華美というより“高価”だ。宝石が控えめに縫い込まれた外套、柔らかい布地のドレス、そして歩くたびに音もなく揺れる薄いベール。

 王女様みたい――いや、王女様“そのもの”と言われても疑わない。
 周囲の人間が、無意識に頭を下げている。騎士もローブも、背筋が伸びる。
 この場の“温度”が、彼女を中心に変わる。

 ……なのに。

 私は、最初にそう思ってしまった。

(あ、なんか……やな感じ)

 美しい。整っている。存在感がある。
 それでも、肌がざらつくような違和感がある。
 彼女の視線が、光ではなく刃でできているように見えたからだ。

 直が、待ってましたと言わんばかりに手を上げた。

「おーい! こっちこっち! ねえ、俺! 勇者! 勇者なんだけど!」

 声が響いた瞬間、私は奥歯を噛みしめた。
 状況も、空気も、相手の立場も何も分かっていないくせに、あの男はいつもこうだ。
 自分が中心で、周囲が自分のために動いて当然。困れば騒げばいい。押し通せばいい。

 召喚担当者の男は、私たちに向けていた焦りの顔を、瞬時に“奉仕の顔”に変えた。
 そして、そそくさと若い女性のもとへ駆け寄る。さっきの「ひっ」はどこへ消えたのか。
 腰を折り、頭を下げ、早口で何かを説明し始めた。

 私は聞き取ろうとした。だが、言葉は日本語に“聞こえている”はずなのに、肝心な部分が霧に包まれる。
 術式なのか、意図的な遮断なのか。わざとこちらに届かないようにしているのかもしれない。

 月子が、私の袖を軽く引く。
 ――聞くな。いまは見ろ。
 そう言っている。

 若い女性は、直の方をちらりと見た。
 次に、直の派手な母親、その弟と妹、そして足元の柴犬――こまち。
 直の家族は、嬉々として“王女様”に近づこうとする。直の母親は腕を組んで顎を上げ、まるで自分が選ばれて当然だと言わんばかりだ。

「私の車がないのはどういうことなのよ! 早く戻しなさい! それに、この衣装、誰が用意したの? 趣味が悪いわ!」

 平然と文句を叩きつける。
 周囲の騎士が一瞬だけ眉をひそめたが、若い女性は、表情一つ変えなかった。

 そして――私たちの方へ視線が滑った。

 その目が、私の皮膚を撫でる。
 いや、撫でるんじゃない。掃く。
 床の埃を見るみたいに、あるいは、捨てる前のゴミ袋を見るみたいに。

 胸の奥が、かっと熱くなった。

 私たちは、何もしていない。
 巻き込まれただけだ。
 なのに、どうしてそんな目で見られなきゃならない。

 母が一歩前に出ようとした。
 私は反射的に母の肩に手を置き、止めた。ここで言い返しても、こちらが不利になるだけだ。
 拳を出しかけた直後だ。冷静さを失えば、相手の思う壺になる。

 若い女性は、私たちから視線を外すと、背後に控えていた壮年の女性に、軽く顎を向けた。

 壮年の女性は、年の頃は四十代後半から五十代。
 髪は濃い栗色で、きっちりとまとめられている。装いは派手ではないが、生地は上等だ。
 何より、姿勢が良い。背筋が真っ直ぐで、歩幅が小さく、音がない。
 ただの侍女ではない。教育係か、側近か、あるいは……“処理担当”。

 若い女性は、ため息にも似た気配で、短く言った。

「……面倒はそちらで」

 言葉自体は丁寧に聞こえる。
 けれど、温度がない。
 “こっちは用が済んだ。あとは片づけろ”という命令そのものだ。

 壮年の女性は、微笑んだ。だが、それは目が笑っていない微笑みだった。

「かしこまりました」

 若い女性は、それ以上こちらを見なかった。
 直の方へ向き直り、ほんの少しだけ口元を上げる。直はそれを“歓迎の笑み”だと勘違いしたらしく、得意げに胸を張った。

「ほらな! やっぱ俺、選ばれてるわ!」

 直の母親が鼻で笑う。弟と妹は、周囲の視線を自分への羨望だと思い込んでいるのか、髪を触ってポーズまで取っている。
 こまちは尻尾を振り、状況も分からず嬉しそうに鳴いた。

 若い女性――王女様らしき存在は、直一家を引き連れるようにして、広間の奥へ去っていった。
 騎士が先導し、ローブの者が道を作る。まるで“用意された舞台”に主役を運ぶ行列だ。

 ――イラッ。

 胸の奥で何かがはっきりと音を立てた。
 あの目。あの扱い。あの「面倒はそちらで」。
 直一家だけが“客”で、私たちは“処理対象”。そう言われたのと同じだ。

 月子が小さく舌打ちした。母の指先が震える。父はコハクの頭を撫で、落ち着かせるように息を吐いた。
 コハクは、低く唸り続けている。怯えだけじゃない。怒りが混ざっている唸りだ。

 そして、残された私たちの前へ――壮年の女性が、音もなく一歩進み出た。

 その後ろで、召喚担当者が露骨に肩の力を抜く。
 まるで、厄介事を押し付けることに成功した人間の顔だ。

 壮年の女性は、私たち四人と一匹を見下ろし――いや、見下ろしはしなかった。
 視線は同じ高さに降りている。礼儀としては“まとも”に見える。

 だが、目は冷たい。

「……葛石家の皆さま。まずは落ち着いてくださいませ」

 言葉が丁寧だからこそ、余計にぞっとした。
 この人は、怒鳴らない。殴らない。
 丁寧なまま、こちらを“望む形”に押し込める。

 私は一歩前に出た。
 月子も並ぶ。母が背に立つ。父はコハクを抱えたまま動かない。

「落ち着くには、説明が必要です」

 私の声は、震えなかった。
 怒りに任せて喉を荒らすと、相手の土俵に乗る。
 私は医師だ。呼吸を整え、言葉を選び、必要な情報を引き出す。

「あなたは、何者ですか。さっきの方は――誰ですか。直たちはどこへ連れていかれた。私たちは、これからどうされる」

 壮年の女性は、微笑みを崩さないまま、ほんの少し首を傾げた。

「順に、ご説明いたします。ただ――」

 その“ただ”が、嫌な予感の形をしていた。
 私の背中で、母の気配が強張る。月子の目がさらに鋭くなる。父の腕の中でコハクが息を詰めた。
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