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第3章:侵食と誘惑
第24話 猛、堕ちる
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六本木の会員制クラブ『バビロン』は、狂乱と暴力の坩堝と化していた。
幻覚に怯え、獣のように叫びながら林優香に襲いかかろうとした西園寺猛。
その暴走は、一瞬の閃光によって遮断された。
ヒュンッ!
風を切る音と共に、銀色の残像が猛の視界を横切った。
森舞永だ。
彼女はドレスの裾を翻し、猛の腕を掴むと、流れるような動作で関節を極め、床にねじ伏せた。
「ガアァァァッ!?」
猛が悲鳴を上げる。
だが、舞永の手は緩まない。さらに体重を乗せ、肩関節を限界まで締め上げる。
「あら、ごめんなさい。……暴れるから手が滑っちゃった」
舞永は涼しい顔で言い放ち、猛の背中にハイヒールの踵を食い込ませた。
絶対的な制圧。
猛は床に顔を押し付けられ、無様に手足をバタつかせることしかできない。
「離せ! 俺を誰だと思ってる! 西園寺猛だぞ!」
「知ってるわよ。……今、世界中で一番有名な『変態』さんでしょ?」
舞永が視線を向けた先には、スマートフォンを構えた木村心がいた。
彼女はニヤニヤしながら、猛の顔面をドアップで撮影している。
「はーい、皆さん見てますかー? これが帝都グループの御曹司、西園寺猛氏のリアルな姿でーす」
心の実況が、ネットの海へと拡散していく。
視聴者数は瞬く間に20万人を突破。
『薬やってんじゃね?』『最低だな』『優香ちゃん可哀想』『帝都終わったな』
コメント欄には、猛への罵倒と軽蔑の言葉が嵐のように流れている。
「やめろ……撮るな……!」
猛はカメラから顔を背けようとするが、舞永に踏みつけられて動けない。
デジタルタトゥー。
一度刻まれれば、死ぬまで消えない恥辱の刻印。
猛の社会的生命は、この数分間で完全に絶たれた。
「……終わりだ、西園寺」
井上健太郎が、ゆっくりと歩み寄った。
倒れた猛を見下ろすその瞳は、深海のように冷たく、静かだった。
「お前はもう、誰も傷つけられない。……ただの『元・御曹司』だ」
「い、井上……! 貴様、ハメやがったな!?」
「人聞きが悪いな。俺はただ、暴漢から女性を救っただけだ」
井上は優香に手を差し伸べた。
優香は震えながらその手を取り、立ち上がった。
ドレスは破れ、肩には痣ができている。だが、その瞳には「やり遂げた」という強い光が宿っていた。
その時、クラブの入り口から、冷徹な足音が響いた。
カツ、カツ、カツ。
警察官たちを引き連れて現れたのは、ピンストライプのスーツを完璧に着こなした長身の美女――清水南だった。
「……お楽しみのところ失礼します」
南は氷のような声で告げると、アタッシュケースから書類を取り出した。
「西園寺猛氏ですね。……貴方に対し、林優香さんへの暴行未遂、および強要の容疑で告訴状を提出いたします」
「な、なんだと弁護士!? 俺は何もしてない! こいつらが勝手に!」
「弁解は署で聞きましょう。……それと」
南はもう一枚の書類を突きつけた。
「以前、貴方が優香さんに書かせた『借用書』ですが、法的に無効であることを確認しました。逆に、これまで貴方が彼女から不当に搾取した金銭について、損害賠償請求を行います」
「ふ、ふざけるな! 俺の親父が黙ってると思うなよ!」
猛が父親の威光にすがろうと叫んだ。
西園寺厳。帝都グループを一代で築き上げたカリスマであり、猛が唯一恐れ、頼りにしている存在。
だが、南は冷酷に宣告した。
「お父様ですか? ……残念ながら、厳会長は現在、軽井沢で療養中。意識も混濁されており、事態を把握できる状態ではありません」
「な、なんだと……」
「現在の帝都グループの実権は、全てお母様である貴子氏が握られています。……そのお母様が、今、貴方の解任手続きを進めていらっしゃるとしたら?」
南の言葉が、猛の希望を粉々に打ち砕いた。
父という盾はもう機能しない。
そして母は、自分を見捨てる準備を進めている。
警察官たちが猛を取り囲み、手錠をかける。
ガチャリ。
冷たい金属音が、猛の人生の終焉を告げた。
「嫌だ! 俺は悪くない! 母さん! 助けてくれ母さん!」
猛は泣き叫びながら、連行されていった。
その姿は、かつて彼が「ゴミ」と呼んで見下していた者たちよりも、遥かに惨めで、滑稽だった。
騒ぎが収まり、静寂が戻ったクラブ。
井上は大きく息を吐いた。
「……終わったな」
「ええ。完璧なショーでしたわ」
南が眼鏡の位置を直しながら言った。
舞永はつまらなそうに肩を回し、心は「アーカイブ保存完了」とサムズアップした。
そして優香は、糸が切れたように井上の胸に倒れ込んだ。
「……ありがとうございました」
「よくやった。……ゆっくり休め」
第一の標的、排除完了。
だが、夜はまだ終わらない。
深夜2時。アマン東京。
優香を客室に寝かせ、南と舞永が帰った後。
スイートルームのリビングには、井上と心の二人だけが残っていた。
足元では、仔猫のハイが眠そうに目を擦っている。
「……ふあぁ。疲れたー」
心はソファに大の字になり、天井を見上げた。
17歳の少女には刺激が強すぎる夜だっただろう。
「よくやった。お前のおかげで、猛の失脚は決定的だ」
「でしょ? 褒めてよ」
「ああ。……だから、約束通り『デート』の時間だ」
井上はキッチンへと向かった。
心はガバッと起き上がった。
「デート? 今から?」
「そうだ。……腹、減ってるだろ?」
「めっちゃ減ってる! 何作ってくれるの? また洒落たフレンチ?」
「いや。……今夜はジャンクな気分だろう」
井上が取り出したのは、マカロニと、塊のチーズだった。
チェダー、グリュイエール、そしてパルミジャーノ・レッジャーノ。
3種のチーズを惜しげもなく削り出す。
『マック・アンド・チーズ』。
アメリカの家庭料理であり、ジャンクフードの王様だ。
だが、井上が作るのは、インスタントの粉チーズを使うような代物ではない。
まずはベシャメルソースを作る。
バターと小麦粉を炒め、牛乳を少しずつ加えて伸ばしていく。
そこに、削ったチーズを投入する。
溶けたチーズが黄金色のマグマのように混ざり合い、濃厚なチーズソースへと変貌する。
隠し味に、マスタードパウダーとナツメグ、そしてカイエンペッパーを少々。これで味が引き締まる。
茹で上がったマカロニをソースに投入し、全体に絡める。
耐熱皿に移し、上からさらに追いチーズと、バターで炒めたパン粉を散らす。
200度のオーブンへ。
焼いている間に、ドリンクの準備だ。
井上は鍋にスパイスを放り込んだ。
シナモンスティック、カルダモン、クローブ、バニラビーンズ、そして生の生姜とレモン。
黒糖と水を加え、煮詰めていく。
部屋中に、薬膳のような、しかし甘くスパイシーな香りが広がる。
煮詰まったシロップを濾し、炭酸水で割る。
氷をたっぷりと入れたグラスに注ぐと、シュワシュワと泡が弾けた。
『自家製クラフトコーラ』。
添加物なし、スパイスの力だけで作った、本物のコーラだ。
チーン。
オーブンが鳴った。
取り出した皿の中では、チーズがグツグツと沸騰し、表面のパン粉が香ばしい狐色に焦げている。
暴力的なまでのカロリーの香り。
「……完成だ」
井上は熱々の皿と、冷えたコーラをテーブルに運んだ。
心の目が輝く。
「うわっ、すっご! 何これ、絶対美味しいやつじゃん!」
「究極のマック・アンド・チーズだ。……熱いうちに食え」
井上は取り皿に盛り付け、心の前に置いた。
心はフォークで掬い上げる。
糸を引くチーズ。湯気と共に立ち昇る濃厚な香り。
フーフーと息を吹きかけ、口に運ぶ。
「……んんっ!」
心の動きが止まった。
そして、満面の笑みが弾けた。
「おいしーーっ!! チーズ濃っ! なにこれ、今まで食べてたのと全然違う!」
「だろうな。……これに、コーラだ」
心はグラスを掴み、ストローで吸い上げた。
強烈な炭酸と、複雑なスパイスの香りが鼻を抜ける。
市販のコーラのようなベタつく甘さはなく、キリッとした生姜の辛味が後味を引き締める。
「……っはぁ! 最高! 生きててよかったー!」
心は足をバタつかせて喜んだ。
その無邪気な姿は、天才ハッカーではなく、ただの美味しいもの好きな女子高生そのものだ。
井上も自分の分を皿に取り、口に運んだ。
濃厚なチーズのコクと、マカロニの弾力。
パン粉のサクサク感がアクセントになり、いくらでも食べられる。
ジャンクだが、洗練された味。
背徳的だが、どこか懐かしい味。
「ねえ、井上さん」
心がチーズを口の周りに付けたまま、井上を見つめた。
「ありがとう。……私、こんな美味しいご飯食べたの、久しぶりかも」
「……そうか」
「うん。いつもコンビニ弁当か、カップ麺だったからさ」
心の瞳が、少しだけ陰った。
彼女の生い立ち。親の顔も知らず、施設を抜け出し、裏社会で生き抜いてきた孤独な少女。
かつての井上と同じ、「持たざる者」だった過去。
「これからは、俺が作る」
井上は短く言った。
「仕事の報酬だ。……好きな時に、好きなものを食わせてやる」
「……え、マジ?」
「ああ。俺の料理人は優秀だからな」
井上は自嘲気味に笑った。
かつて屈辱の中で磨いた技術が、今は誰かを笑顔にしている。
それも悪くない。
「やった! じゃあ明日はハンバーグね! 明後日はオムライス!」
「注文が多いな。……まあ、善処する」
心は嬉しそうにコーラを飲み干し、氷をカランと鳴らした。
「ねえ、井上さん。……私、アンタのこと気に入ったよ」
「光栄だな」
「だからさ。……最後まで付き合ってあげる。アンタが地獄に行くなら、私もその道案内くらいはしてあげるよ」
心はニカっと笑った。
それは、契約以上の、確かな絆を感じさせる笑顔だった。
足元では、匂いに釣られて起きたハイが、おこぼれを求めて「ミャー」と鳴いている。
井上は少し冷ましたマカロニを小さく切って与えた。
窓の外には、東京の夜景。
その光の一部である猛は消え、西園寺家の闇は暴かれた。
だが、まだ本丸が残っている。
女帝・貴子。そして、傀儡となろうとしている麗華。
「……食ったら寝ろ。明日は忙しくなるぞ」
「はーい。……おやすみ、ボス」
心はソファに丸くなり、ハイを抱きしめた。
すぐに寝息が聞こえてくる。
井上はその寝顔を見つめ、残ったコーラを飲み干した。
甘く、スパイシーな余韻。
それは、復讐という名の劇薬に似ていた。
孤独な夜は、もう終わりだ。
これからは、この生意気な相棒と、小さな家族と共に歩んでいく。
地獄の底まで。
幻覚に怯え、獣のように叫びながら林優香に襲いかかろうとした西園寺猛。
その暴走は、一瞬の閃光によって遮断された。
ヒュンッ!
風を切る音と共に、銀色の残像が猛の視界を横切った。
森舞永だ。
彼女はドレスの裾を翻し、猛の腕を掴むと、流れるような動作で関節を極め、床にねじ伏せた。
「ガアァァァッ!?」
猛が悲鳴を上げる。
だが、舞永の手は緩まない。さらに体重を乗せ、肩関節を限界まで締め上げる。
「あら、ごめんなさい。……暴れるから手が滑っちゃった」
舞永は涼しい顔で言い放ち、猛の背中にハイヒールの踵を食い込ませた。
絶対的な制圧。
猛は床に顔を押し付けられ、無様に手足をバタつかせることしかできない。
「離せ! 俺を誰だと思ってる! 西園寺猛だぞ!」
「知ってるわよ。……今、世界中で一番有名な『変態』さんでしょ?」
舞永が視線を向けた先には、スマートフォンを構えた木村心がいた。
彼女はニヤニヤしながら、猛の顔面をドアップで撮影している。
「はーい、皆さん見てますかー? これが帝都グループの御曹司、西園寺猛氏のリアルな姿でーす」
心の実況が、ネットの海へと拡散していく。
視聴者数は瞬く間に20万人を突破。
『薬やってんじゃね?』『最低だな』『優香ちゃん可哀想』『帝都終わったな』
コメント欄には、猛への罵倒と軽蔑の言葉が嵐のように流れている。
「やめろ……撮るな……!」
猛はカメラから顔を背けようとするが、舞永に踏みつけられて動けない。
デジタルタトゥー。
一度刻まれれば、死ぬまで消えない恥辱の刻印。
猛の社会的生命は、この数分間で完全に絶たれた。
「……終わりだ、西園寺」
井上健太郎が、ゆっくりと歩み寄った。
倒れた猛を見下ろすその瞳は、深海のように冷たく、静かだった。
「お前はもう、誰も傷つけられない。……ただの『元・御曹司』だ」
「い、井上……! 貴様、ハメやがったな!?」
「人聞きが悪いな。俺はただ、暴漢から女性を救っただけだ」
井上は優香に手を差し伸べた。
優香は震えながらその手を取り、立ち上がった。
ドレスは破れ、肩には痣ができている。だが、その瞳には「やり遂げた」という強い光が宿っていた。
その時、クラブの入り口から、冷徹な足音が響いた。
カツ、カツ、カツ。
警察官たちを引き連れて現れたのは、ピンストライプのスーツを完璧に着こなした長身の美女――清水南だった。
「……お楽しみのところ失礼します」
南は氷のような声で告げると、アタッシュケースから書類を取り出した。
「西園寺猛氏ですね。……貴方に対し、林優香さんへの暴行未遂、および強要の容疑で告訴状を提出いたします」
「な、なんだと弁護士!? 俺は何もしてない! こいつらが勝手に!」
「弁解は署で聞きましょう。……それと」
南はもう一枚の書類を突きつけた。
「以前、貴方が優香さんに書かせた『借用書』ですが、法的に無効であることを確認しました。逆に、これまで貴方が彼女から不当に搾取した金銭について、損害賠償請求を行います」
「ふ、ふざけるな! 俺の親父が黙ってると思うなよ!」
猛が父親の威光にすがろうと叫んだ。
西園寺厳。帝都グループを一代で築き上げたカリスマであり、猛が唯一恐れ、頼りにしている存在。
だが、南は冷酷に宣告した。
「お父様ですか? ……残念ながら、厳会長は現在、軽井沢で療養中。意識も混濁されており、事態を把握できる状態ではありません」
「な、なんだと……」
「現在の帝都グループの実権は、全てお母様である貴子氏が握られています。……そのお母様が、今、貴方の解任手続きを進めていらっしゃるとしたら?」
南の言葉が、猛の希望を粉々に打ち砕いた。
父という盾はもう機能しない。
そして母は、自分を見捨てる準備を進めている。
警察官たちが猛を取り囲み、手錠をかける。
ガチャリ。
冷たい金属音が、猛の人生の終焉を告げた。
「嫌だ! 俺は悪くない! 母さん! 助けてくれ母さん!」
猛は泣き叫びながら、連行されていった。
その姿は、かつて彼が「ゴミ」と呼んで見下していた者たちよりも、遥かに惨めで、滑稽だった。
騒ぎが収まり、静寂が戻ったクラブ。
井上は大きく息を吐いた。
「……終わったな」
「ええ。完璧なショーでしたわ」
南が眼鏡の位置を直しながら言った。
舞永はつまらなそうに肩を回し、心は「アーカイブ保存完了」とサムズアップした。
そして優香は、糸が切れたように井上の胸に倒れ込んだ。
「……ありがとうございました」
「よくやった。……ゆっくり休め」
第一の標的、排除完了。
だが、夜はまだ終わらない。
深夜2時。アマン東京。
優香を客室に寝かせ、南と舞永が帰った後。
スイートルームのリビングには、井上と心の二人だけが残っていた。
足元では、仔猫のハイが眠そうに目を擦っている。
「……ふあぁ。疲れたー」
心はソファに大の字になり、天井を見上げた。
17歳の少女には刺激が強すぎる夜だっただろう。
「よくやった。お前のおかげで、猛の失脚は決定的だ」
「でしょ? 褒めてよ」
「ああ。……だから、約束通り『デート』の時間だ」
井上はキッチンへと向かった。
心はガバッと起き上がった。
「デート? 今から?」
「そうだ。……腹、減ってるだろ?」
「めっちゃ減ってる! 何作ってくれるの? また洒落たフレンチ?」
「いや。……今夜はジャンクな気分だろう」
井上が取り出したのは、マカロニと、塊のチーズだった。
チェダー、グリュイエール、そしてパルミジャーノ・レッジャーノ。
3種のチーズを惜しげもなく削り出す。
『マック・アンド・チーズ』。
アメリカの家庭料理であり、ジャンクフードの王様だ。
だが、井上が作るのは、インスタントの粉チーズを使うような代物ではない。
まずはベシャメルソースを作る。
バターと小麦粉を炒め、牛乳を少しずつ加えて伸ばしていく。
そこに、削ったチーズを投入する。
溶けたチーズが黄金色のマグマのように混ざり合い、濃厚なチーズソースへと変貌する。
隠し味に、マスタードパウダーとナツメグ、そしてカイエンペッパーを少々。これで味が引き締まる。
茹で上がったマカロニをソースに投入し、全体に絡める。
耐熱皿に移し、上からさらに追いチーズと、バターで炒めたパン粉を散らす。
200度のオーブンへ。
焼いている間に、ドリンクの準備だ。
井上は鍋にスパイスを放り込んだ。
シナモンスティック、カルダモン、クローブ、バニラビーンズ、そして生の生姜とレモン。
黒糖と水を加え、煮詰めていく。
部屋中に、薬膳のような、しかし甘くスパイシーな香りが広がる。
煮詰まったシロップを濾し、炭酸水で割る。
氷をたっぷりと入れたグラスに注ぐと、シュワシュワと泡が弾けた。
『自家製クラフトコーラ』。
添加物なし、スパイスの力だけで作った、本物のコーラだ。
チーン。
オーブンが鳴った。
取り出した皿の中では、チーズがグツグツと沸騰し、表面のパン粉が香ばしい狐色に焦げている。
暴力的なまでのカロリーの香り。
「……完成だ」
井上は熱々の皿と、冷えたコーラをテーブルに運んだ。
心の目が輝く。
「うわっ、すっご! 何これ、絶対美味しいやつじゃん!」
「究極のマック・アンド・チーズだ。……熱いうちに食え」
井上は取り皿に盛り付け、心の前に置いた。
心はフォークで掬い上げる。
糸を引くチーズ。湯気と共に立ち昇る濃厚な香り。
フーフーと息を吹きかけ、口に運ぶ。
「……んんっ!」
心の動きが止まった。
そして、満面の笑みが弾けた。
「おいしーーっ!! チーズ濃っ! なにこれ、今まで食べてたのと全然違う!」
「だろうな。……これに、コーラだ」
心はグラスを掴み、ストローで吸い上げた。
強烈な炭酸と、複雑なスパイスの香りが鼻を抜ける。
市販のコーラのようなベタつく甘さはなく、キリッとした生姜の辛味が後味を引き締める。
「……っはぁ! 最高! 生きててよかったー!」
心は足をバタつかせて喜んだ。
その無邪気な姿は、天才ハッカーではなく、ただの美味しいもの好きな女子高生そのものだ。
井上も自分の分を皿に取り、口に運んだ。
濃厚なチーズのコクと、マカロニの弾力。
パン粉のサクサク感がアクセントになり、いくらでも食べられる。
ジャンクだが、洗練された味。
背徳的だが、どこか懐かしい味。
「ねえ、井上さん」
心がチーズを口の周りに付けたまま、井上を見つめた。
「ありがとう。……私、こんな美味しいご飯食べたの、久しぶりかも」
「……そうか」
「うん。いつもコンビニ弁当か、カップ麺だったからさ」
心の瞳が、少しだけ陰った。
彼女の生い立ち。親の顔も知らず、施設を抜け出し、裏社会で生き抜いてきた孤独な少女。
かつての井上と同じ、「持たざる者」だった過去。
「これからは、俺が作る」
井上は短く言った。
「仕事の報酬だ。……好きな時に、好きなものを食わせてやる」
「……え、マジ?」
「ああ。俺の料理人は優秀だからな」
井上は自嘲気味に笑った。
かつて屈辱の中で磨いた技術が、今は誰かを笑顔にしている。
それも悪くない。
「やった! じゃあ明日はハンバーグね! 明後日はオムライス!」
「注文が多いな。……まあ、善処する」
心は嬉しそうにコーラを飲み干し、氷をカランと鳴らした。
「ねえ、井上さん。……私、アンタのこと気に入ったよ」
「光栄だな」
「だからさ。……最後まで付き合ってあげる。アンタが地獄に行くなら、私もその道案内くらいはしてあげるよ」
心はニカっと笑った。
それは、契約以上の、確かな絆を感じさせる笑顔だった。
足元では、匂いに釣られて起きたハイが、おこぼれを求めて「ミャー」と鳴いている。
井上は少し冷ましたマカロニを小さく切って与えた。
窓の外には、東京の夜景。
その光の一部である猛は消え、西園寺家の闇は暴かれた。
だが、まだ本丸が残っている。
女帝・貴子。そして、傀儡となろうとしている麗華。
「……食ったら寝ろ。明日は忙しくなるぞ」
「はーい。……おやすみ、ボス」
心はソファに丸くなり、ハイを抱きしめた。
すぐに寝息が聞こえてくる。
井上はその寝顔を見つめ、残ったコーラを飲み干した。
甘く、スパイシーな余韻。
それは、復讐という名の劇薬に似ていた。
孤独な夜は、もう終わりだ。
これからは、この生意気な相棒と、小さな家族と共に歩んでいく。
地獄の底まで。
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※表紙のキャラはエリスのイメージ画です。
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