整形灰かぶり王子の二度目の遺言 〜義実家に殺されたので、10年前に戻って顔を変え、別人として御社を買収することにしました〜

ken

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第3章:侵食と誘惑

第25話 演出された悲劇

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 アマン東京のスイートルームに、リズミカルな打撃音が響いていた。
 ポク、ポク、ポク。
 木魚を叩くような、しかしもっと湿り気を帯びた重い音だ。

 キッチンに立つ井上健太郎の手には、木製のすりこぎのような棒が握られていた。
 目の前にあるのは、素焼きの壺のような深い鉢。
 中には、鮮烈な香りを放つ食材たちが押し込められている。

 『ソムタム・タイ』。

 タイ東北部イサーン地方発祥の、青パパイヤのサラダだ。

 「サラダ」という響きからは想像もつかないほど、暴力的で刺激的な料理である。

 井上はクロックの中に、ニンニクと、生の唐辛子を放り込んだ。
 通常なら1、2本で十分な激辛唐辛子を、惜しげもなく5本。
 サークで叩き潰すと、目に染みるようなカプサイシンの刺激臭が立ち昇る。
 そこに、パームシュガー、ナンプラー、そしてライムの絞り汁を加える。
 甘味、塩味、酸味。
 タイ料理の真髄である「三味一体」のベースを作る。

 主役の投入だ。
 千切りにした青パパイヤ。
 日本では入手困難な生の青パパイヤを、井上はタイ専門の輸入業者から直接買い付けた。
 さらに、インゲン、ミニトマト、干しエビ、ローストピーナッツを加える。

 ここからが本番だ。
 井上はサークを振り下ろし、食材を叩く。
 混ぜるのではない。叩くことで繊維を壊し、味を染み込ませるのだ。
 ポクッ、ポクッ、ポクッ。
 叩いては返し、返しては叩く。
 パパイヤがしんなりと輝き、全ての調味料を吸い込んでいく。

「……完成だ」

 井上は皿に盛り付けた。
 見た目は涼しげなサラダだが、その実態は味覚の爆弾だ。
 そして、これに合わせるのはビールではない。

 ミキサーに、クラッシュアイス、ホワイトラム、ココナッツミルク、そして完熟パイナップルを入れる。
 スイッチオン。
 ガーッという音と共に、雪のように白く、滑らかなフローズンカクテルが出来上がる。
 グラスに注ぎ、パイナップルの葉とチェリーを飾る。

 『ピニャ・コラーダ』。

 カリブ海生まれの、トロピカルカクテルの女王。
 濃厚なココナッツの甘さと、ラムの芳醇な香り。

 激辛のソムタムと、激甘のピニャ・コラーダ。
 正気とは思えない組み合わせだ。

「……いただきます」

 井上はダイニングテーブルに着いた。
 向かいには、これからの「主役」である林優香が座っている。
 彼女は真っ白なワンピースを着て、化粧っ気のない顔で緊張していた。
 その顔色は蒼白で、目の下には隈がある。

 ……もちろん、全てはメイクによる「演出」だが。

「食べろ。……これから戦場に出るんだ。エネルギーが必要だ」

 井上はソムタムを口に運んだ。
 シャキシャキとした青パパイヤの食感。
 その直後、プリッキーヌの突き刺すような辛さが舌を襲う。
 ライムの酸味が唾液腺を刺激し、ナンプラーの濃厚な旨味が後を追う。
 痛いほどに辛く、酸っぱく、そしてどうしようもなく美味い。

 そこに、ピニャ・コラーダを流し込む。
 冷たく甘いココナッツミルクが、火傷しそうな舌を優しく包み込む。
 辛さによる痛みが、甘さによる快楽へと変換される瞬間。
 その落差が、脳内麻薬をドバドバと分泌させる。

「……っ! 辛い! でも……止まらない」

 優香も涙目になりながら、フォークを動かした。
 刺激的な味が、彼女の中の恐怖や迷いを焼き払っていくようだ。

「人生と同じだ」

 井上はグラスを揺らした。

「刺激的な真実は、人を傷つける。だから、甘い嘘でコーティングして飲み込ませるんだ。……大衆は、そういう物語を求めている」

 優香はハッとして顔を上げた。
 これから彼女が行う記者会見。
 それはまさに、残酷な真実を、大衆が好む「悲劇のヒロイン」という甘いオブラートで包んで提供するショーなのだ。

 その時、ドアが開いた。
 入ってきたのは、戦闘服に身を包んだ斎藤冴子と清水南、そして白衣姿の山崎桃子だった。

「準備はいい? シンデレラ」

 冴子がニヤリと笑った。
 彼女の手には、分厚い台本が握られている。

「時間よ。……最高の悲劇を見せてちょうだい」

 都内の貸し会議室。
 そこは、数百人の報道陣とカメラの砲列で埋め尽くされていた。
 昨夜のライブ配信で拡散された「西園寺猛の乱行」。
 その被害者女性が会見を開くという情報は、瞬く間にメディアを駆け巡った。
 帝都グループの株価はすでに暴落を始めている。
 皆、血の匂いを嗅ぎつけた鮫のように、次なる衝撃を待ち構えていた。

 無数のフラッシュが焚かれる中、林優香が現れた。
 車椅子に乗っている。
 右足にはギプス。首にはコルセット。
 真っ白な服に包まれたその姿は、痛々しく、そして守ってあげたくなるほど可憐だった。

 もちろん、怪我はフェイクだ。
 桃子が作った石膏のギプスと、プロのメイクによる青痣。
 だが、その「絵」のインパクトは絶大だった。

「……本日は、お集まりいただき、ありがとうございます」

 優香がマイクに向かって、消え入りそうな声で言った。
 震える手。伏し目がちな視線。
 会場の空気が、一瞬で「同情」一色に染まる。
 冴子の演出通りだ。

「私は……西園寺猛さんに、以前から交際を強要されていました」

 優香は語り始めた。
 借金をカタに脅されていたこと。
 昨夜、パーティーに呼び出され、薬物を飲まされそうになったこと。
 そして、拒絶したら暴行を受けたこと。

 事実に、少しだけ嘘を混ぜる。
 自分から近づいたことは伏せ、「一方的な被害者」としての側面を強調する。
 
「怖くて……逃げ出したかったけど、家族に危害を加えると言われて……」

 優香の目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
 演技ではない。
 かつて味わった本当の恐怖と絶望が、涙となって溢れ出したのだ。
 その真実の涙が、カメラの向こうにいる何百万人の視聴者の心を鷲掴みにする。

「証拠はあるのか!」

 帝都グループ側から送り込まれたと思われる記者が、野次を飛ばした。
 空気が凍りつく。
 優香が怯えて身を縮める。

 その時だった。
 優香の隣に座っていた清水南が、マイクを引き寄せた。

「証拠なら、ここにあります」

 南はアタッシュケースを開き、一枚の書類を掲げた。

「これは本日付けの医師の診断書です。……全治3ヶ月の打撲、および頸椎捻挫。さらに、血液からは睡眠導入剤の成分が検出されました」

 会場がざわめく。
 それは山崎桃子が作成した、完璧な偽造診断書だ。
 だが、元監察医の彼女が書いたそれは、どんな専門家が見ても本物にしか見えない。

「さらに」

 南はもう一枚の書類を取り出した。
 それは、エコー写真のコピーだった。

「彼女は現在、妊娠2ヶ月です。……度重なるストレスと昨夜の暴行により、切迫流産の危険性があります」

 ドッッ!!
 会場が爆発したような騒ぎになる。
 妊娠。
 もちろん、これも桃子が用意した偽造写真だ。
 だが、このカードは強力すぎる。

 「妊婦への暴行」。

 それは、猛を単なる暴行犯から、人道に外れた「悪魔」へと格下げする決定打だった。

「な、なんだって!?」
「鬼畜かよ!」
「帝都グループの説明責任を問うべきだ!」

 怒号が飛び交う。
 カメラのフラッシュが、雷光のように明滅し続ける。
 南は冷徹な表情を崩さず、カメラを見据えた。

「我々は本日、西園寺猛氏に対し、傷害、強要、および胎児への加害行為に対する損害賠償請求と、刑事告訴を行いました。……示談には一切応じません。徹底的に戦います」

 宣戦布告。
 南の言葉は、法廷での勝利宣言のように響き渡った。

 優香は、ハンカチで顔を覆い、泣き崩れた。
 その陰で、彼女は微かに口元を緩めた。
 
 見たか、猛。
 これが私の演技よ。
 アンタが踏みにじった「女優の卵」の、デビュー戦よ。

 アマン東京のスイートルーム。
 井上健太郎は、大型モニターに映し出される会見の中継を見ていた。
 隣では、舞永がポップコーンを食べている。
 心はネットの反応をモニタリングし、満足げに鼻歌を歌っている。

『帝都グループ株、ストップ安!』
『#西園寺猛を許すな がトレンド入り』
『不買運動開始のお知らせ』

 世界が燃えている。
 井上が点けたマッチの火を、冴子と優香がガソリンに変え、南が爆風で広げた。

「……完璧なショーだ」

 井上はグラスに残ったピニャ・コラーダを飲み干した。
 甘い。
 脳が溶けるほど甘い、復讐の味。

 画面の中で、優香が深々と頭を下げている。
 その姿は、あまりにも弱々しく、美しかった。
 大衆は彼女を愛し、猛を憎むだろう。
 感情という怪物は、一度暴れ出せば誰にも止められない。

「これで、猛は終わった。……次は母親の番だ」

 井上は仔猫のハイを抱き上げた。
 ハイは「ミャウ」と鳴き、井上の指を舐めた。

 猛という防波堤を失った女帝。
 彼女が溺れる泥沼は、もうすぐそこまで迫っていた。
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