黄金の融資実行(ファイナンス) ―2043年から戻った元銀行マン、15歳の経済覇道―

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第13話 廃墟の予兆、あるいは揺籃の守護者

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 修学旅行3日目。京都の旅館での「狂騒の夜」は、2日目の疲労によって比較的静かに幕を閉じた。
 朝、俺は、冷徹な貌で、バスの窓の外を流れる大和路の風景を見つめていた。

 3日目の奈良、そして最終日の伊勢志摩は、2日目のような班別自由行動ではない。クラス単位の大型バスによる、文字通りの「団体行動」へと戻っていた。

「よっしゃー! 奈良だ! 大仏だ! シカだー!」

 門廻邦彦が、バスの座席で身を乗り出している。4月の朝日を浴びたような、屈託のない笑顔。その隣では、北子直樹が落ち着いた手付きで、ガイドブックの奈良公園のページを捲っていた。

 バス内は、中学3年生特有の制御不能なエネルギーに満ちていた。
 カラオケマイクが回され、小室ファミリーやL'Arc-en-Ciel、Every Little Thingといった1998年のヒット曲が、不器用な歌声と共にスピーカーから流れる。後部座席では、お菓子を賭けた大富豪が白熱し、「革命だ!」「うわ、俺のポテチがあああ!」という叫び声が響く。結局、伊勢に到着する頃には、全員の持参したお菓子が文字通り底をついていた。

 俺は、その喧騒を「未熟な生命の躍動」として静観しつつ、手元のノートに観光地の収益構造を書き留めていた。

 東大寺の南大門をくぐり、巨大な金剛力士像を見上げる。

「……圧倒的な木造建築の暴力だな。だが、邦彦。この規模を維持するための修繕積立金が、今の拝観料体系でどれほど不足しているか、想像したことはあるか?」

「……任三郎。お前、大仏を前にして、まず維持費の話をするのかよ」

 邦彦が呆れたように笑う。その横では、東鶴襟華が愛らしい笑顔で、鹿にせんべいを与えていた。

「いいじゃない。任三郎くんは、この景色の『続き』を心配しているのよ。……でもね、門廻くん。自由行動が2日目だけで、あとはずっとバス移動っていうのは、『歴史への没入感』という意味では正直弱いと思わない?」

 襟華の指摘は鋭かった。
 歴史に興味が薄い生徒にとって、寺社や史跡が続くほど、それは単なる「古い建物のスタンプラリー」と化し、退屈な苦行へと変わりやすい。これは日本の教育旅行、ひいては観光業が抱える、将来へ向けた大きな課題だと俺は確信していた。

 奈良公園の鹿を「理想的なプラットフォームビジネス」と定義した俺の視界に、マナーの悪い別の学校の団体客が入り込んだ。
 鹿を追い回し、ゴミを放置し、騒ぎ立てる。

 観光マナーの悪化。それは結局、「個人の道徳心」というよりは、知識も経験も追いつかないまま、大勢が一度に動く「集団の匿名性」に起きやすい。
 教育という名目で大勢を一度に流し込むビジネスモデルは、結果として現地の反感を買う。

 俺は、2043年の記憶から、かつての「日本人の振る舞い」を整理した。
 バブル期の日本人旅行客も例外ではなく、今なら信じられないような振る舞いが目立った時期があった。
 海外の高級ホテルで騒ぎ、国内でも立小便や備品の持ち帰りといった話が珍しくなかったのは、当時の公衆トイレ環境の悪さや、浮かれた空気も影響していただろう。1990年代後半になり、ようやく国民全体の民度が追いつき、少しずつ落ち着いてきた感はあるが、それでもこの「団体という暴力」は、観光地の質を確実に毀損させていく。

 最終日の伊勢志摩。
 バスの車窓からは、かつてのリゾート開発の跡が点在していた。
 バブル期、温泉地やリゾート地では、ホテル・保養所・遊園地・テーマパークの建設が狂ったように進められた。宴会場や100畳の大部屋も含め、供給が天文学的に膨らんだのだ。
 景気の勢い。そして、社員旅行や修学旅行といった「団体旅行」が当たり前であるという前提で投資が加速した。

 だが、崩壊後はどうだ。
 団体客は激減し、娯楽は多様化。海外旅行人気も相まって、国内旅行の需要は弱り、回収できない巨大な施設が「負の遺産」として各地に重く残り続けている。……これが、1998年の日本という「不良債権」の正体だ。

(今さら俺が、既存のホテル経営に加わっても間に合わないだろう。せいぜい、将来的に底値で買えるくらいの資金を作れたら御の字だ。……価値を再定義し、スモールラグジュアリーへと転換する。それが唯一の生存戦略だ)

 4日間の全行程を終え、俺たちは再び新大阪駅から新幹線に乗り込んだ。
 帰りの車内は、行きとは対照的な静寂に包まれていた。
 300系新幹線の低い走行音。
 生徒たちのほとんどは、遊び疲れて泥のように眠っている。

 俺の隣では、襟華が俺の肩に頭を預けて眠っていた。
 柔らかく波打つ髪から、石鹸と京都の風の香りが微かに漂う。
 通路を挟んで隣の席では、上波茜が高潔な寝顔を晒し、日名川彩が上品で透明感のある寝息を立てている。

 俺はこの「美の頂点」たちに囲まれた贅沢な空間で、一人、手帳に数字を書き込んでいた。
 新幹線の車窓を流れる、夕暮れの富士山。
 1998年。
 まだ希望があった。
 まだ、やり直せると誰もが信じていた。
 だが、俺は知っている。ここから先の日本が、いかに急速にその熱量を失い、2043年の「死の国」へと転落していくかを。

(……少子化を防げるかどうか。それはこの国の『生命維持装置』そのものだ。だが、私の計算によれば、今の社会構造のままでは、どんなに金を積み上げても結果は変わらない)

 不安はある。
 60歳の知性を持ってしても、人口動態という巨大な津波を押し戻すのは、徒手空拳で壁を突くようなものだ。
 だが、やるしかない。
 この修学旅行で見た、彼女たちの瑞々しい寝顔。邦彦の眩しいほどの情熱。
 これらを「無価値な過去」にさせないために、俺は金融という名の神の力を使い、社会のOSを書き換える。

 午後7時過ぎ。八王子駅での解散式を終え、俺は重いリュックを背負って帰宅した。

「ただいま」

 玄関を開けると、そこには俺の帰りを待ち侘びていた母がいた。
 タイトなデニムパンツに、胸元の開いたサマーセーター。30代後半という年齢を超越した、圧倒的なまでの美人。八王子の住宅街において、母の存在はもはや一種の「バグ」に近いほど華やかだった。

「おかえりなさい、任三郎! 寂しかったわよ、もう」

 母が、15歳の息子の体をぎゅっと抱きしめる。
 柔軟剤の香りと、大人の女性特有の豊潤な体温。

「……母さん。……苦しいよ」

「あら、ごめんなさい。でも、元気そうで安心したわ。……ねぇ、京都はどうだった? お土産、ちゃんと買えた?」

 母が、潤んだ瞳で俺の顔を覗き込む。母のその瑞々しい美しさを守ること。それが、俺の覇道における最初の、そして最も重要なミッションの一つだ。

「……ああ。日名川さんに教わった、本物の八ツ橋を買ってきたよ。……それと、一つ分かったことがある」

「何? 難しい話?」

「……いや。この国は、まだ救える。……私がいる限りは、な」

 俺は、冷徹で底知れぬ野心を湛えた笑みを母に向けた。
 母は、息子のその「大人の色香」を孕んだ表情に、一瞬だけ少女のような戸惑いを見せた。

 自室に戻り、俺は Gateway 2000 の電源を入れた。
 ピー……ガガガ……という、ダイヤルアップの接続音が静まり返った部屋に響く。

 修学旅行という「巡礼」は終わった。
 だが、資本という名の「戦争」は、ここから加速する。

 俺は、東鶴襟華から借りたしおりの間に挟まっていた、IT株の最新推移をプリントアウトした紙を手に取った。
 ソフトバンク、ヤフー、そしてアメリカのネット関連株。
 マーケットは、俺の予測通りに「狂気」を孕んで膨張し始めている。

「……さて。修学旅行の余韻に浸るのは、利益を確定させてからにしようか」

 任三郎は、冷徹な笑みを浮かべ、56kbpsの細い糸の向こう側にある、黄金の大陸を見据えた。
 1998年、初夏。
 葛石任三郎の覇道は、古都の記憶を糧に、既存の金融システムを根底から揺さぶる「破壊的創造」のフェーズへと、その歩みを速めていく。
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