離婚した彼女は死ぬことにした

はるかわ 美穂

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「アスター様が降誕祭で見せた神聖力で、怪我が治った人が大勢いるらしいぜ。角の家に住んでるブルーノなんか、何年も前に犬にかまれた古傷まで治ったって」

友人の言葉に、少年は「……そうなんだ」と相槌を打つ。

「反応薄いな。すごいと思わないのか?」

「お、思うよ。僕もアスター様の神聖力見てみたかった」

「だよな。あーあ、俺も仕事さえなけりゃパレード見に行けたのにな」

友人の嘆きに、少年は「……僕も」と呟く。

貧民街に住む者たちは皆、その日を生きることに必死だ。

だから、パレードのあの日、たまたまアスターの力が及ぶ範囲にいたなどの幸運がない限り、彼らはその事象を間に当たりにすることはできなかった。

「そうだ。お前のところの父さん……最近どうだ?」

友人が話を切り替え、気づかわし気に見てくる。

少年はそれに僅かな居心地の悪さを感じながら、「最近は、大丈夫」と応える。

「……そっか。商人から紹介されたっていう仕事はもうやってないのか?」

「うん。きっかけはわからないけど、この前その仕事も辞めて、だんだん元のお父さんに戻ってきてる」

「それなら良かった。もしかしたら、アスター様の力が効いたのかもしれないな」

「……そうだね」

少年は作り笑いを浮かべた。

仕事へと向かう友人を見送った後、少年は踵を返す。

二人はまだ年齢が二桁になったばかり。それでも、貧しい家庭を救うためには働くしかない。

少年もいつもなら仕事場に出勤する時間だったが、今日は別にやることがあった。

貧民街のさらに奥、寂れた場所に位置するとある建物。

その扉を潜ると、廃れた外見とは違い、中は掃除が行き届いた神聖な教会がある。

ステンドグラスによって彩られた光が差し込む向こうで、祭壇の前に立つ一人の青年。

白地に金の刺繍が施された、清潔感のある服に身を包んだ彼は、少年を見ると微笑んだ。

「今日も来てくださったのですね」

「はい。お父さんを元に戻す薬が欲しくて。ここで祈りを捧げれば、またもらえますか」

「もちろんです。以前お渡しした薬が効いているようですね」

少年は力強く頷く。

父はとある商人に紹介された仕事に行ってからというもの、そこで終業後にもらう飴玉に執着するようになった。

父の変貌ぶりを見るに、おそらくその飴玉に何か良からぬ成分が入っていることは想像できたが、少年が何度止めても父はその飴玉をもらうために仕事へ向かうことをやめなかった。

働き手がそうなることを見越していたかのように、大幅に給料をカットされたが、父は盲目的に仕事を続けた。

少年が途方に暮れた時、手を差し伸べてくれたのが目の前にいる青年だ。

彼は一人で泣いていた少年の話を聞くと、まるで自分事のように心を痛めてくれた。

「……お父様を助ける術があるかもしれません」

彼はそう言って、自身がしがないの神官の身であったことを打ち明けた。

神殿は事情があり追い出されたが、慈善活動として今も貧民街の端に位置する教会でひっそりと祈りを捧げ続けているらしい。

「神聖力が効くかはわかりませんが、試してみる価値はあります。ですが……私だけの力ではお父様を治すには至らない可能性が高いです。神官とはいっても位の低い身分でしたから」

そうして青年から告げられたのは、彼が忠誠を誓う神「イル=ゲン」に、少年も祈りを捧げてくれれば、力が強まるかもしれないとのこと。

少年は迷わずその話に乗った。

そして教会で二人で祈りを捧げた後、青年は神聖力で生み出したという霊薬を裏から持ってきた。

それを父に飲ませれば、錯乱状態だった父の容態はたちまち回復し、二度目に服用した時には「仕事をやめる」と決意してくれた。

卑劣な雇用主であったが、仕事は意外にもあっさり辞めることができたようだった。

しかし、父も未だにあの飴玉が欲しくなることが時々あり、少年はこうして教会へ赴いている。

「たぶん、あと少ししたら薬もいらなくなると思います」

「そうですか。それは良かったです。もし他に同じように困った人がいたら、ぜひここを紹介してあげてください。何かしらお役に立てるかもしれませんし、私はできる限り困っている方の助けになりたいので」

殊勝な心掛けの青年に、少年は感動した。

(僕も、こんな大人になりたいな……)

少年はそんなことを思いながら彼を見上げる。

銀縁の眼鏡と若草色の髪が、ステンドグラスの鮮やかな光に照らされ輝いていた。


***


「ようこそお越しくださいました。アスター様」

流れるような美しい所作に目が釘付けになる。

(やっぱり、フィオナ様のカーテシーは本当に美しいわ)

「こちらこそ、お招きくださってありがとうございます。マルヴァ伯爵令嬢」

かつて自身を指導してくれた彼女に恥じないよう、エレノアは最大限の誠意を尽くしてお辞儀する。

フィオナは桃色の瞳を優し気に細めた後、「ご案内致します」と言って歩き出した。

エレノアは今日、フィオナが招待してくれたお茶会へ来ている。

恐らく今回は皇帝派の令嬢が集められているだろうから、今後のためにも交流を深めておいて損はない。

(ミラリィーに居た時では知ることができなかった細かい情報も聞けるかもしれないわ)

今日の会場となっている立派な温室が目の前に見えた時、突然フィオナが足を止めた。

「伯爵令嬢?」

エレノアの問いに、フィオナは少し気まずそうに振り向く。

「……アスター様、申し訳ありません。社交辞令で送った招待状にいつもは返事がないのですが、今回は珍しく招待に応じられた令嬢が一名いらっしゃいまして……」

彼女の視線を追うと、ガラスの向こうですでに集まっている令嬢が何名か見える。

そこから覗く燃えるような赤い髪に、エレノアはすぐに合点がいった。

(……アマンダが来てるのね)
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