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鹿男との邂逅
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「前みたいに啓太って呼んでや」
彼のお願いに、やっぱりな、と項垂れる。
地元が一緒という時点で、呼び方が下の名前プラス呼び捨てだったのだろう、ということは薄々勘付いていた。
けど、記憶がないのに彼を軽々しくタメ口で呼び捨てなんてできる気がしない。だから敢えて距離を取った話し方をしていたのに。
「タメ口と呼び方戻してくれんかったら、真緒が敬語とさん付けする度に地団駄踏むから」
そう言って彼はその場でしゃがみ込む。
一瞬何をするつもりなのか分からなかったが、どうやら地団駄のクラウチングらしいということに気づいて唖然とした。こんな往来で何をするつもりなんだ。
「わかり……わかった。わかったから立って」
もちろん彼の言動は関西人特有の冗談だとは思うが、金森啓太の人となりを知らないので、本気で有言実行されたら困る。
金森さん……ではなく啓太は私の返事に嬉しそうに笑うと、「じゃあ早速行こか」と立ち上がった。さっきのはやっぱり冗談だったらしい。
「私と啓太が行ったことある場所に行くの?」
「そうやで」
すたすたと歩いていく彼の隣に並ぶ。
真っ直ぐに前を見据える鹿の横顔を見ながら、私は少し物思いにふけった。
二人で奈良市にまで遊びに来るなんて、実はとても仲が良かったのだろうか。
小学生の時ならともかく、中学生に入ってから特別懇意にしていた異性はいなかったはずだけど。
そこら辺も記憶が曖昧になってしまっているのだろうか。
……いや、話の流れから完全に私に問題があると思い込んでしまっていたけど、この人が地元の人じゃないっていう可能性もまだゼロではない、はず。
「真緒」
名前を呼ばれてハッと我に返る。
「あ、ごめん。何?」
「俺の顔が鹿に見える原因で、何か思い当たることないか?」
「思い当たること……は、特にないかも」
人間の顔が鹿になれなんて願ったこともない。
何もわからない現状では、色々な可能性が考えられる。問題があるのは私じゃなくて金森啓太の方ということだってあるだろう。
「啓太は?私が啓太を忘れてる理由について何か心当たりあったりしない?」
そう思って問いかけてみたが、彼は前を見たまま「うーん、さっぱりやなー」と言う。
鹿の顔のせいで微妙な表情の変化が読み取れないけど、あっけらかんとした声色を聞くに、嘘はついていないように感じた。
「原因がわからんことには、とりあえず思い出巡りの対症療法でいくしかないなぁ」
「そうだね……」
「ほんまに心当たりないんか?UFOに連れてかれて改造されたとか、何か怪しい神社に願いごと言ったとか」
「漫画の読みすぎ。UFOなんて見たことないし、神社にも願いごとなんて——」
そこまで言って、ふと数刻前の自分の行動を思い出した。
潜る時に願いごとをすれば叶うと言われている柱の穴。そこを潜った時、私はどんな願い事をした?
「なんや、何か思い出したか?」
急にだんまりになった私を心配して、啓太が足を止める。
「……あ、うん。ちょっと」
そう言いながら、私は先ほどの自分の行動を詳細に振り返る。
あの時確か、茜のことを思い出して頭の中がぐちゃぐちゃになって、明確な願いごとはできなかった。
ただ一つ、それらしきことは考えたかもしれない。
——人間も鹿みたいに単純でわかりやすかったら、こんなに悩まずに済んだのにな。
確か、そんなことを思った。
「もしかして、あれ?」
「なんやねん。原因わかったんか?」
ひとりごちた私に、啓太が興味津々で聞いて来る。
「いや、明確な原因とは言えないんだけど……もしかしたらっていうのは今思い出した」
「おー、なんや?」
そうして私は啓太に柱の穴を潜った話をした。もちろん茜の詳細な話は伏せて。
「なるほどな。人間関係が面倒になったから、人間も鹿みたいに単純やったら良いなって思ったんか」
私の説明を要約した彼に頷く。
「でもそしたら、何で啓太の顔だけが鹿になってるのかわからない……」
過去に自分と関わりのあった人間が鹿の顔になってしまっているのだろうか。
けどその場合、私が啓太を忘れていることとは関係が薄くなる。啓太以外の地元の人たちはちゃんと思い出せるのだから。
私が啓太を忘れていることと、彼の顔が鹿に見えることはまた別件なのだろうか。
頭を抱える私に、「よし」と啓太は手を叩いた。
「そこら辺は後で考えるとして、柱の穴での願いごとが原因かもしれへんのやったら、とりあえずもっかい潜ってみようや。そんで、俺の顔戻してくださいって頼んでみんねん」
そう言って彼は東大寺の方面へと歩き出す。
「い、今から?」
「おう。そうや」
急ではあるが、妙案かもしれない。この事象が解消されればそれで万事解決なのだから。
そして東大寺までの長い道のりを再び辿り、私たちはようやく目的地に到着した。
先ほど受付をしてもらった場所へ向かうと——
「閉まってるやん」
ショックを受けた様子で啓太は鹿の大きな口をぽかんと開ける。
かくいう私も、ここまで歩いてきたことが徒労に終わって愕然としていた。受付に掲げられている案内板が目に入る。
「拝観時間、17時30分まで……」
スマホで確認すると現在時刻は17時45分。カフェを出た時点ですでにギリギリだった。
「これは、今日は無理やな」
切り替えが早いらしい啓太は、すぐに踵を返して歩き始めてしまった。
私は少し後ろ髪が引かれる思いだったが、さっきスマホを見た時に母から帰宅時間を伺うメッセージが入っていたので、啓太が言うようにここらが潮時だろう。
先へと進んでいく彼の背中を小走りで追いかける。
「私、あと五日くらいはこっちにいるんだけど、その間で思い出の場所案内してくれる日ってないかな?」
やっぱり人の顔が鹿に見えたままなのは落ち着かない。
普段の私ならもう少し遠慮しそうなところだけど、彼特有の雰囲気か、はたまた失われた記憶にある友情故か、啓太には自然にそう聞けた。
彼は少し間を置いた後、「月曜やったらちょうど仕事休みやから空いてるで」と言った。その時の表情はやっぱり鹿のままなのでどういう感情かは読み取れなかった。
けど、予定を言ってくれたということは迷惑がってない、と思いたい。
「わかった。明後日のお昼ね。じゃあ13時にJR奈良駅に集合でもいい?」
「ええよ」
二つ返事で受け入れてくれた彼にホッとしながら、私たちは帰路を辿った。
電車に乗ってから降りた最寄り駅も、駅を出た後の方向も一緒なのを見て、本当に私と彼は地元が同じなんだな、と思った。
家に着くまでの間、私たちは色んなことを話した。
彼と私の近況、それから小学校の時に起きたちょっとした事件や、よく遊んでいた地元にある公園のことまで。
金森啓太幻覚説をまだ完全に否定できる段階ではないけど、啓太が知っている地元の情報などを鑑みると、やっぱり私が記憶を失っている説が濃厚な気がした。
「記憶……思い出したいな」
途中の分かれ道で啓太と別れた後、私はぽつりと呟いた。
人間の顔が鹿に見えるなんて意味不明だけど、自分が知らぬ間に記憶喪失になっているというのも奇怪な話だ。
不安と疑問が尽きないが、それも明後日には解決するかもしれない。
今日は驚きの連続でさすがに疲れたので、家に帰ったらゆっくりお風呂につかりたいと思った。
彼のお願いに、やっぱりな、と項垂れる。
地元が一緒という時点で、呼び方が下の名前プラス呼び捨てだったのだろう、ということは薄々勘付いていた。
けど、記憶がないのに彼を軽々しくタメ口で呼び捨てなんてできる気がしない。だから敢えて距離を取った話し方をしていたのに。
「タメ口と呼び方戻してくれんかったら、真緒が敬語とさん付けする度に地団駄踏むから」
そう言って彼はその場でしゃがみ込む。
一瞬何をするつもりなのか分からなかったが、どうやら地団駄のクラウチングらしいということに気づいて唖然とした。こんな往来で何をするつもりなんだ。
「わかり……わかった。わかったから立って」
もちろん彼の言動は関西人特有の冗談だとは思うが、金森啓太の人となりを知らないので、本気で有言実行されたら困る。
金森さん……ではなく啓太は私の返事に嬉しそうに笑うと、「じゃあ早速行こか」と立ち上がった。さっきのはやっぱり冗談だったらしい。
「私と啓太が行ったことある場所に行くの?」
「そうやで」
すたすたと歩いていく彼の隣に並ぶ。
真っ直ぐに前を見据える鹿の横顔を見ながら、私は少し物思いにふけった。
二人で奈良市にまで遊びに来るなんて、実はとても仲が良かったのだろうか。
小学生の時ならともかく、中学生に入ってから特別懇意にしていた異性はいなかったはずだけど。
そこら辺も記憶が曖昧になってしまっているのだろうか。
……いや、話の流れから完全に私に問題があると思い込んでしまっていたけど、この人が地元の人じゃないっていう可能性もまだゼロではない、はず。
「真緒」
名前を呼ばれてハッと我に返る。
「あ、ごめん。何?」
「俺の顔が鹿に見える原因で、何か思い当たることないか?」
「思い当たること……は、特にないかも」
人間の顔が鹿になれなんて願ったこともない。
何もわからない現状では、色々な可能性が考えられる。問題があるのは私じゃなくて金森啓太の方ということだってあるだろう。
「啓太は?私が啓太を忘れてる理由について何か心当たりあったりしない?」
そう思って問いかけてみたが、彼は前を見たまま「うーん、さっぱりやなー」と言う。
鹿の顔のせいで微妙な表情の変化が読み取れないけど、あっけらかんとした声色を聞くに、嘘はついていないように感じた。
「原因がわからんことには、とりあえず思い出巡りの対症療法でいくしかないなぁ」
「そうだね……」
「ほんまに心当たりないんか?UFOに連れてかれて改造されたとか、何か怪しい神社に願いごと言ったとか」
「漫画の読みすぎ。UFOなんて見たことないし、神社にも願いごとなんて——」
そこまで言って、ふと数刻前の自分の行動を思い出した。
潜る時に願いごとをすれば叶うと言われている柱の穴。そこを潜った時、私はどんな願い事をした?
「なんや、何か思い出したか?」
急にだんまりになった私を心配して、啓太が足を止める。
「……あ、うん。ちょっと」
そう言いながら、私は先ほどの自分の行動を詳細に振り返る。
あの時確か、茜のことを思い出して頭の中がぐちゃぐちゃになって、明確な願いごとはできなかった。
ただ一つ、それらしきことは考えたかもしれない。
——人間も鹿みたいに単純でわかりやすかったら、こんなに悩まずに済んだのにな。
確か、そんなことを思った。
「もしかして、あれ?」
「なんやねん。原因わかったんか?」
ひとりごちた私に、啓太が興味津々で聞いて来る。
「いや、明確な原因とは言えないんだけど……もしかしたらっていうのは今思い出した」
「おー、なんや?」
そうして私は啓太に柱の穴を潜った話をした。もちろん茜の詳細な話は伏せて。
「なるほどな。人間関係が面倒になったから、人間も鹿みたいに単純やったら良いなって思ったんか」
私の説明を要約した彼に頷く。
「でもそしたら、何で啓太の顔だけが鹿になってるのかわからない……」
過去に自分と関わりのあった人間が鹿の顔になってしまっているのだろうか。
けどその場合、私が啓太を忘れていることとは関係が薄くなる。啓太以外の地元の人たちはちゃんと思い出せるのだから。
私が啓太を忘れていることと、彼の顔が鹿に見えることはまた別件なのだろうか。
頭を抱える私に、「よし」と啓太は手を叩いた。
「そこら辺は後で考えるとして、柱の穴での願いごとが原因かもしれへんのやったら、とりあえずもっかい潜ってみようや。そんで、俺の顔戻してくださいって頼んでみんねん」
そう言って彼は東大寺の方面へと歩き出す。
「い、今から?」
「おう。そうや」
急ではあるが、妙案かもしれない。この事象が解消されればそれで万事解決なのだから。
そして東大寺までの長い道のりを再び辿り、私たちはようやく目的地に到着した。
先ほど受付をしてもらった場所へ向かうと——
「閉まってるやん」
ショックを受けた様子で啓太は鹿の大きな口をぽかんと開ける。
かくいう私も、ここまで歩いてきたことが徒労に終わって愕然としていた。受付に掲げられている案内板が目に入る。
「拝観時間、17時30分まで……」
スマホで確認すると現在時刻は17時45分。カフェを出た時点ですでにギリギリだった。
「これは、今日は無理やな」
切り替えが早いらしい啓太は、すぐに踵を返して歩き始めてしまった。
私は少し後ろ髪が引かれる思いだったが、さっきスマホを見た時に母から帰宅時間を伺うメッセージが入っていたので、啓太が言うようにここらが潮時だろう。
先へと進んでいく彼の背中を小走りで追いかける。
「私、あと五日くらいはこっちにいるんだけど、その間で思い出の場所案内してくれる日ってないかな?」
やっぱり人の顔が鹿に見えたままなのは落ち着かない。
普段の私ならもう少し遠慮しそうなところだけど、彼特有の雰囲気か、はたまた失われた記憶にある友情故か、啓太には自然にそう聞けた。
彼は少し間を置いた後、「月曜やったらちょうど仕事休みやから空いてるで」と言った。その時の表情はやっぱり鹿のままなのでどういう感情かは読み取れなかった。
けど、予定を言ってくれたということは迷惑がってない、と思いたい。
「わかった。明後日のお昼ね。じゃあ13時にJR奈良駅に集合でもいい?」
「ええよ」
二つ返事で受け入れてくれた彼にホッとしながら、私たちは帰路を辿った。
電車に乗ってから降りた最寄り駅も、駅を出た後の方向も一緒なのを見て、本当に私と彼は地元が同じなんだな、と思った。
家に着くまでの間、私たちは色んなことを話した。
彼と私の近況、それから小学校の時に起きたちょっとした事件や、よく遊んでいた地元にある公園のことまで。
金森啓太幻覚説をまだ完全に否定できる段階ではないけど、啓太が知っている地元の情報などを鑑みると、やっぱり私が記憶を失っている説が濃厚な気がした。
「記憶……思い出したいな」
途中の分かれ道で啓太と別れた後、私はぽつりと呟いた。
人間の顔が鹿に見えるなんて意味不明だけど、自分が知らぬ間に記憶喪失になっているというのも奇怪な話だ。
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