王妃の椅子~母国のために売られた公子

11ミリ

文字の大きさ
2 / 36

1.王の執務室(1)

しおりを挟む
 大陸で一番の強国といえば、誰もがディルア王国と言うだろう。

 ほんの数十年前まで世は群雄割拠の時代で、国境は常に変動していた。
 その終息が訪れたきっかけは、戦を重ねて大国へとのし上がったディルア国王カビルの死去だ。
 すぐに第六王子のハムザは新しい君主として即位した。世代交代の混乱に乗じてディルア王国へ攻め入ろうとする無謀な国はほぼなかった。また、ディルア王国内の貴族諸侯たちも新王へ忠誠を誓ったために内乱も起きなかった。
 それというのも新王ハムザは数々の戦の中で名を轟かせ、戦闘狂とも揶揄された王子であったからだ。
 最も恐れられた王子が大国を継いだのだ。どの国も大やけどを承知で手を伸ばすほど、兵力と策を持ち合わせてはいなかった。それどころかいつ寝首をかかれるかと震え上がったのだ。
 だが以外にもハムザは新王になるやいなや、これ以上の戦は求めないと宣言を発表し、内政に注力したのだった。

 それから国内は平和が続いている。王都は王の在位二十年の祝賀を前にして、賑わいをみせていた。町並みは国旗で飾られはじめ、商人は大きな荷物を持ってやって来る。大人は振る舞い酒の噂をし、子どもは音楽隊が練習している曲を耳にして、祭りのまであと何日だと指折り数えて待っている。
 そんな期待に溢れた城下とは反対に、王宮で最も高貴な者がいる部屋の雰囲気は硬かった。
 王の執務室。部屋の主であるハムザ・ファル・ジュライス・ディルアは珍しい客人を迎えていた。
 十代の少年の頃から戦場を駆けたハムザは齢五十を迎えても尚、見るものを威圧するのに十分な迫力がある。
 第六王子でありながら王座に就いたのは戦場での功績だ。それを支える並外れた体躯は圧倒的な王者の風格を醸し出す。
 怠そうに開けられたシャツからは厚く隆起した浅黒い胸がのぞき、漆黒の瞳からは鋭い眼光が放たれる。存在だけで周囲の空気は明らかに重くなる。
 けれど客人はハムザを気にもせず皿へ盛られた白い小花を摘まみ、躊躇なく口に運ぶ。
 草花に詳しければぞっとする光景である。その花はかわいらしい見掛けに反して、強烈な神経毒を含む毒芹なのだ。

「おうおう。ひょいひょい食ってるが、そいつは美味いのか?」

 ハムザがくせのある黒髪を後ろで束ね直しながら、向かいの長椅子に座る客人へ問う。

「なかなかいい。良かったら陛下も一口試してみるか?」
「馬鹿言うな、猛毒じゃねぇか」
「ああ、知っていたのか。それは残念」

 ちっとも残念に思っていないだろう軽やかな声が返る。
 真っ直ぐの短い白髪、陶磁器のように滑らかで透明感のある肌、雨上がりの赤スグリを思わせる潤んだ瞳は、ハムザと全く違う印象を与える。大輪の花のように魅惑的な若者は、どう見てもせいぜい二十歳前後。王へ対する口調ではないがそれが許される立場だ。
 ライラ・ファーラ・リガーレ・ディルア。数多の愛妾を抱えるハムザ王唯一の、そして男の王妃。
 大陸でライラは有名だ。男であることや、小さな公国の第一公子であったことよりも、自身が「ニケ」という存在に生まれていたことが希有なのだ。
 ニケとは、何万、何十万に一人といわれる特別な存在である。食事は動物由来のものは一切受け付けられないし、外見の成長は青年期でほぼ止まるなどの特徴がある。中でも極めて人とかけ離れているのは、自在に鳥の姿に身体を変化させられること。それゆえに、翼をもつ勝利の女神ニケの名がつけられている。特に白い鳥は珍重されていて、ライラは雪のようにまっ白な鳥になるのだ。けれどその姿は随分長いこと見られていない。
 ハムザとライラは王と王妃なのだから二人は夫婦である。
 だが吟遊詩人が語るような、胸を焦がす恋物語とは無縁な婚姻だ。他の王子たちと違って婚約期間も盛大な結婚式もなかった。今では広い王城の敷地内にある本宮と離宮で別生活を送っている。顔を合わせるのは公式行事くらい。それも年に数回という、王侯貴族でよくある典型的な冷めた夫婦。
 だからライラがこうして執務室を訪ねるなど、珍しいどころか初めてのこと。珍客中の珍客だ。

「どんな毒も効かない体質ってのは、どえらいもんを見せつけてくれるよなぁ」

 ライラが食べるさまをハムザが感心して眺めている。

「今更何を言う。わたしが毒草を食べているところなど、何度も見ているだろうに。口にできるものが草花と果物と蜂蜜しかないのだ。毒くらい分解できなくてはいよいよ食べる物が限られてしまうではないか」

 そう言ってライラは蜂蜜をたっぷり入れた紅茶に口をつける。
 茶葉が気に入ったのか、猫に似た形の目を細めた。よく見ると目尻にはニケの印である小さな小さな羽根が睫に紛れている。それがより一層睫を長く見せているのだ。
 ライラはディルアにやって来てからずっと、母国の刺繍がどこかに入った貫頭衣を纏っている。そして昔のように若いまま、美しいまま。
 だからライラと出会う者は酷く生々しい昔の幻を見ている気になってしまうらしい。
 とことん人間離れをしているものだと、ハムザは無精ひげを撫でた。

「さぁて、そろそろ本題に入ろうぜ。わざわざ離宮を出て本宮までやってきたのは、俺と仲良く茶を飲みたいだけか?」
「ふ、まさか」
「……だよなぁ」

 ハムザは紅茶を一気に飲み干すと金彩が施されたカップをやや乱暴に受け皿へ置く。開始を待っていたとばかりにライラは切り出した。

「もうすぐ陛下の在位二十周年だろう? だから祝いをわたしからも贈ろうと思ったのだ」
「お前が?」
「ああ」
「俺へ?」
「そうだ」
「はっ。こりゃあ天地がひっくり返るぜ。二十年も王様なんてやってるとこんなことも起きるのか、なあサディク?」

 同意を求めるようにハムザが振り返る。背後で控えていた宰相のサディク・ラーイーは丸い片眼鏡の位置を直して「喜ばしいことでございます」と抑揚のない声で答えた。

「わたしの贈り物を陛下は気に入るだろう」
「おっ、いいじゃねぇか。一体何を用意してんだ?」

 ふ、とライラは口の端を上げた。頬をほんのり紅潮させ、とろけるように、夢見るように、

「陛下、わたしを殺させてあげよう」

 麗しい微笑みを浮かべたのだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

魔王を倒した勇者の凱旋に、親友の俺だけが行かなかった理由

スノウマン(ユッキー)
BL
スラム育ちの少年二人は、15歳になり神の祝福でスキルを得た事で道をたがえる。彼らはやがて青年となり、片方は魔王討伐に旅立つ勇者として華々しい活躍をし、もう片方はただ彼の帰還を待つ相変わらずスラム暮らしの存在となる。 これは何も持たない青年がただ勇者の帰りを待つ日常を描いた作品です。 無自覚両片想いの勇者×親友。 読了後、もう一度だけ読み直して頂けると何か見える世界が変わるかもしれません。

薄紅の檻、月下の契り

雪兎
BL
あらすじ 大正十年、華やかな文明開化の影で、いまだ旧き因習が色濃く残る帝都。 没落しかけた名家に生まれた“Ω(オメガ)”の青年・白鷺伊織は、家を救うため政略的な「番(つがい)」として差し出される運命にあった。 しかし縁談の相手は、冷酷無慈悲と噂される若き実業家であり“α(アルファ)”の当主・九条鷹司。 鉄道・銀行事業で財を成した九条家は、華族でもありながら成り上がりと蔑まれる存在。 一方の伊織は、旧華族の矜持を胸に秘めながらも、Ωであるがゆえに家族から疎まれてきた。 冷ややかな契約婚として始まった同居生活。 だが、伊織は次第に知ることになる。 鷹司がΩを所有物としてではなく、一人の人間として尊重しようとしていることを。 発情期を巡る制度、番契約を強制する家制度、そして帝都に広がる新思想。 伝統と自由のはざまで揺れながら、二人は「選ばされた番」から「自ら選ぶ伴侶」へと変わっていく——。 月明かりの下、交わされるのは支配ではなく、誓い。 大正浪漫薫る帝都で紡がれる、運命を超える愛の物語。

あなたの片想いを聞いてしまった夜

柴田はつみ
恋愛
「『好きな人がいる』——その一言で、私の世界は音を失った。」 公爵令嬢リリアーヌの初恋は、隣家の若き公爵アレクシスだった。 政務や領地行事で顔を合わせるたび、言葉少なな彼の沈黙さえ、彼女には優しさに聞こえた。——毎日会える。それだけで十分幸せだと信じていた。 しかしある日、回廊の陰で聞いてしまう。 「好きな人がいる。……片想いなんだ」 名前は出ない。だから、リリアーヌの胸は残酷に結論を作る。自分ではないのだ、と。

昔「結婚しよう」と言ってくれた幼馴染は今日、僕以外の人と結婚する

子犬一 はぁて
BL
幼馴染の君は、7歳のとき 「大人になったら結婚してね」と僕に言って笑った。 そして──今日、君は僕じゃない別の人と結婚する。 背の低い、寝る時は親指しゃぶりが癖だった君は、いつの間にか皆に好かれて、彼女もできた。 結婚式で花束を渡す時に胸が痛いんだ。 「こいつ、幼馴染なんだ。センスいいだろ?」 誇らしげに笑う君と、その隣で微笑む綺麗な奥さん。 叶わない恋だってわかってる。 それでも、氷砂糖みたいに君との甘い思い出を、僕だけの宝箱にしまって生きていく。 君の幸せを願うことだけが、僕にできる最後の恋だから。 そう思って、失恋の悲しみを猫カフェで埋めていたある日のこと。 僕は“彼“に出逢った。 その人は僕に愛を教えてくれる人でした。 失恋の先にある未来では、僕は幸せになっているのかな。

私が行方不明の皇女です~生死を彷徨って帰国したら信じていた初恋の従者は婚約していました~

marumi
恋愛
「あら アルヴェイン公爵がドゥーカス令嬢をエスコートされていますわ」 「ご婚約されたと噂を聞きましたが、まさか本当だとは!」 私は五年前までこの国の皇女エリシアだった。 暗殺事件に巻き込まれ、幼なじみで初恋の相手だった従者――アルヴェイン公子と共に命からがら隣国、エルダールへ亡命した。 彼の「必ず迎えに来る」その言葉を信じて、隣国の地で彼を待ち続けた……。 それなのに……。 やっとの思いで帰国した帝国の華やかなパーティー会場で、一際目立っているのは、彼と、社交界の華と言われる令嬢だった――。 ※校正にAIを使用していますが、自身で考案したオリジナル小説です。 ※イメージが伝わればと思い、表紙画像をAI生成してみました。

お腹いっぱい、召し上がれ

砂ねずみ
BL
 料理研究家でαの藤白蒼は幼なじみで10個下のΩ晃と番になった。そんな二人の間に産まれた照は元気いっぱいな男の子。泣いたり、笑ったり、家族の温かみを感じながら藤白家の日常が穏やかに進んでいく。    そんな愛する妻と愛する息子、大切な家族のお腹いっぱい喜ぶ顔が見たいから。蒼は今日も明日もその先も、キッチンに立って腕を振るう。  さあ、お腹いっぱい、召し上がれ。

六年目の恋、もう一度手をつなぐ

高穂もか
BL
幼なじみで恋人のつむぎと渉は互いにオメガ・アルファの親公認のカップルだ。 順調な交際も六年目――最近の渉はデートもしないし、手もつながなくなった。 「もう、おればっかりが好きなんやろか?」 馴ればっかりの関係に、寂しさを覚えるつむぎ。 そのうえ、渉は二人の通う高校にやってきた美貌の転校生・沙也にかまってばかりで。他のオメガには、優しく甘く接する恋人にもやもやしてしまう。 嫉妬をしても、「友達なんやから面倒なこというなって」と笑われ、遂にはお泊りまでしたと聞き…… 「そっちがその気なら、もういい!」 堪忍袋の緒が切れたつむぎは、別れを切り出す。すると、渉は意外な反応を……? 倦怠期を乗り越えて、もう一度恋をする。幼なじみオメガバースBLです♡

幼馴染がいじめるのは俺だ!

むすめっすめ
BL
幼馴染が俺の事いじめてたのは、好きな子いじめちゃうやつだと思ってたのに... 「好きな奴に言われたんだ...幼馴染いじめるのとかガキみてーだって...」 「はっ...ぁ??」 好きな奴って俺じゃないの___!? ただのいじめっ子×勘違いいじめられっ子 ーーーーーー 主人公 いじめられっ子 小鳥遊洸人 タカナシ ヒロト 小学生の頃から幼馴染の神宮寺 千透星にいじめられている。 姉の助言(?)から千透星が自分のこといじめるのは小学生特有の“好きな子いじめちゃうヤツ“だと思い込むようになり、そんな千透星を、可愛いじゃん...?と思っていた。 高校で初めて千透星に好きな人が出来たことを知ったことから、 脳破壊。 千透星への恋心を自覚する。 幼馴染 いじめっ子 神宮寺 千透星 ジングウジ チトセ 小学生の頃から幼馴染の小鳥遊 洸人をいじめている。 美形であり、陰キャの洸人とは違い周りに人が集まりやすい。(洸人は千透星がわざと自分の周りに集まらないように牽制していると勘違いしている) 転校生の須藤千尋が初恋である

処理中です...