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1.王の執務室(1)
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大陸で一番の強国といえば、誰もがディルア王国と言うだろう。
ほんの数十年前まで世は群雄割拠の時代で、国境は常に変動していた。
その終息が訪れたきっかけは、戦を重ねて大国へとのし上がったディルア国王カビルの死去だ。
すぐに第六王子のハムザは新しい君主として即位した。世代交代の混乱に乗じてディルア王国へ攻め入ろうとする無謀な国はほぼなかった。また、ディルア王国内の貴族諸侯たちも新王へ忠誠を誓ったために内乱も起きなかった。
それというのも新王ハムザは数々の戦の中で名を轟かせ、戦闘狂とも揶揄された王子であったからだ。
最も恐れられた王子が大国を継いだのだ。どの国も大やけどを承知で手を伸ばすほど、兵力と策を持ち合わせてはいなかった。それどころかいつ寝首をかかれるかと震え上がったのだ。
だが以外にもハムザは新王になるやいなや、これ以上の戦は求めないと宣言を発表し、内政に注力したのだった。
それから国内は平和が続いている。王都は王の在位二十年の祝賀を前にして、賑わいをみせていた。町並みは国旗で飾られはじめ、商人は大きな荷物を持ってやって来る。大人は振る舞い酒の噂をし、子どもは音楽隊が練習している曲を耳にして、祭りのまであと何日だと指折り数えて待っている。
そんな期待に溢れた城下とは反対に、王宮で最も高貴な者がいる部屋の雰囲気は硬かった。
王の執務室。部屋の主であるハムザ・ファル・ジュライス・ディルアは珍しい客人を迎えていた。
十代の少年の頃から戦場を駆けたハムザは齢五十を迎えても尚、見るものを威圧するのに十分な迫力がある。
第六王子でありながら王座に就いたのは戦場での功績だ。それを支える並外れた体躯は圧倒的な王者の風格を醸し出す。
怠そうに開けられたシャツからは厚く隆起した浅黒い胸がのぞき、漆黒の瞳からは鋭い眼光が放たれる。存在だけで周囲の空気は明らかに重くなる。
けれど客人はハムザを気にもせず皿へ盛られた白い小花を摘まみ、躊躇なく口に運ぶ。
草花に詳しければぞっとする光景である。その花はかわいらしい見掛けに反して、強烈な神経毒を含む毒芹なのだ。
「おうおう。ひょいひょい食ってるが、そいつは美味いのか?」
ハムザがくせのある黒髪を後ろで束ね直しながら、向かいの長椅子に座る客人へ問う。
「なかなかいい。良かったら陛下も一口試してみるか?」
「馬鹿言うな、猛毒じゃねぇか」
「ああ、知っていたのか。それは残念」
ちっとも残念に思っていないだろう軽やかな声が返る。
真っ直ぐの短い白髪、陶磁器のように滑らかで透明感のある肌、雨上がりの赤スグリを思わせる潤んだ瞳は、ハムザと全く違う印象を与える。大輪の花のように魅惑的な若者は、どう見てもせいぜい二十歳前後。王へ対する口調ではないがそれが許される立場だ。
ライラ・ファーラ・リガーレ・ディルア。数多の愛妾を抱えるハムザ王唯一の、そして男の王妃。
大陸でライラは有名だ。男であることや、小さな公国の第一公子であったことよりも、自身が「ニケ」という存在に生まれていたことが希有なのだ。
ニケとは、何万、何十万に一人といわれる特別な存在である。食事は動物由来のものは一切受け付けられないし、外見の成長は青年期でほぼ止まるなどの特徴がある。中でも極めて人とかけ離れているのは、自在に鳥の姿に身体を変化させられること。それゆえに、翼をもつ勝利の女神の名がつけられている。特に白い鳥は珍重されていて、ライラは雪のようにまっ白な鳥になるのだ。けれどその姿は随分長いこと見られていない。
ハムザとライラは王と王妃なのだから二人は夫婦である。
だが吟遊詩人が語るような、胸を焦がす恋物語とは無縁な婚姻だ。他の王子たちと違って婚約期間も盛大な結婚式もなかった。今では広い王城の敷地内にある本宮と離宮で別生活を送っている。顔を合わせるのは公式行事くらい。それも年に数回という、王侯貴族でよくある典型的な冷めた夫婦。
だからライラがこうして執務室を訪ねるなど、珍しいどころか初めてのこと。珍客中の珍客だ。
「どんな毒も効かない体質ってのは、どえらいもんを見せつけてくれるよなぁ」
ライラが食べるさまをハムザが感心して眺めている。
「今更何を言う。わたしが毒草を食べているところなど、何度も見ているだろうに。口にできるものが草花と果物と蜂蜜しかないのだ。毒くらい分解できなくてはいよいよ食べる物が限られてしまうではないか」
そう言ってライラは蜂蜜をたっぷり入れた紅茶に口をつける。
茶葉が気に入ったのか、猫に似た形の目を細めた。よく見ると目尻にはニケの印である小さな小さな羽根が睫に紛れている。それがより一層睫を長く見せているのだ。
ライラはディルアにやって来てからずっと、母国の刺繍がどこかに入った貫頭衣を纏っている。そして昔のように若いまま、美しいまま。
だからライラと出会う者は酷く生々しい昔の幻を見ている気になってしまうらしい。
とことん人間離れをしているものだと、ハムザは無精ひげを撫でた。
「さぁて、そろそろ本題に入ろうぜ。わざわざ離宮を出て本宮までやってきたのは、俺と仲良く茶を飲みたいだけか?」
「ふ、まさか」
「……だよなぁ」
ハムザは紅茶を一気に飲み干すと金彩が施されたカップをやや乱暴に受け皿へ置く。開始を待っていたとばかりにライラは切り出した。
「もうすぐ陛下の在位二十周年だろう? だから祝いをわたしからも贈ろうと思ったのだ」
「お前が?」
「ああ」
「俺へ?」
「そうだ」
「はっ。こりゃあ天地がひっくり返るぜ。二十年も王様なんてやってるとこんなことも起きるのか、なあサディク?」
同意を求めるようにハムザが振り返る。背後で控えていた宰相のサディク・ラーイーは丸い片眼鏡の位置を直して「喜ばしいことでございます」と抑揚のない声で答えた。
「わたしの贈り物を陛下は気に入るだろう」
「おっ、いいじゃねぇか。一体何を用意してんだ?」
ふ、とライラは口の端を上げた。頬をほんのり紅潮させ、とろけるように、夢見るように、
「陛下、わたしを殺させてあげよう」
麗しい微笑みを浮かべたのだった。
ほんの数十年前まで世は群雄割拠の時代で、国境は常に変動していた。
その終息が訪れたきっかけは、戦を重ねて大国へとのし上がったディルア国王カビルの死去だ。
すぐに第六王子のハムザは新しい君主として即位した。世代交代の混乱に乗じてディルア王国へ攻め入ろうとする無謀な国はほぼなかった。また、ディルア王国内の貴族諸侯たちも新王へ忠誠を誓ったために内乱も起きなかった。
それというのも新王ハムザは数々の戦の中で名を轟かせ、戦闘狂とも揶揄された王子であったからだ。
最も恐れられた王子が大国を継いだのだ。どの国も大やけどを承知で手を伸ばすほど、兵力と策を持ち合わせてはいなかった。それどころかいつ寝首をかかれるかと震え上がったのだ。
だが以外にもハムザは新王になるやいなや、これ以上の戦は求めないと宣言を発表し、内政に注力したのだった。
それから国内は平和が続いている。王都は王の在位二十年の祝賀を前にして、賑わいをみせていた。町並みは国旗で飾られはじめ、商人は大きな荷物を持ってやって来る。大人は振る舞い酒の噂をし、子どもは音楽隊が練習している曲を耳にして、祭りのまであと何日だと指折り数えて待っている。
そんな期待に溢れた城下とは反対に、王宮で最も高貴な者がいる部屋の雰囲気は硬かった。
王の執務室。部屋の主であるハムザ・ファル・ジュライス・ディルアは珍しい客人を迎えていた。
十代の少年の頃から戦場を駆けたハムザは齢五十を迎えても尚、見るものを威圧するのに十分な迫力がある。
第六王子でありながら王座に就いたのは戦場での功績だ。それを支える並外れた体躯は圧倒的な王者の風格を醸し出す。
怠そうに開けられたシャツからは厚く隆起した浅黒い胸がのぞき、漆黒の瞳からは鋭い眼光が放たれる。存在だけで周囲の空気は明らかに重くなる。
けれど客人はハムザを気にもせず皿へ盛られた白い小花を摘まみ、躊躇なく口に運ぶ。
草花に詳しければぞっとする光景である。その花はかわいらしい見掛けに反して、強烈な神経毒を含む毒芹なのだ。
「おうおう。ひょいひょい食ってるが、そいつは美味いのか?」
ハムザがくせのある黒髪を後ろで束ね直しながら、向かいの長椅子に座る客人へ問う。
「なかなかいい。良かったら陛下も一口試してみるか?」
「馬鹿言うな、猛毒じゃねぇか」
「ああ、知っていたのか。それは残念」
ちっとも残念に思っていないだろう軽やかな声が返る。
真っ直ぐの短い白髪、陶磁器のように滑らかで透明感のある肌、雨上がりの赤スグリを思わせる潤んだ瞳は、ハムザと全く違う印象を与える。大輪の花のように魅惑的な若者は、どう見てもせいぜい二十歳前後。王へ対する口調ではないがそれが許される立場だ。
ライラ・ファーラ・リガーレ・ディルア。数多の愛妾を抱えるハムザ王唯一の、そして男の王妃。
大陸でライラは有名だ。男であることや、小さな公国の第一公子であったことよりも、自身が「ニケ」という存在に生まれていたことが希有なのだ。
ニケとは、何万、何十万に一人といわれる特別な存在である。食事は動物由来のものは一切受け付けられないし、外見の成長は青年期でほぼ止まるなどの特徴がある。中でも極めて人とかけ離れているのは、自在に鳥の姿に身体を変化させられること。それゆえに、翼をもつ勝利の女神の名がつけられている。特に白い鳥は珍重されていて、ライラは雪のようにまっ白な鳥になるのだ。けれどその姿は随分長いこと見られていない。
ハムザとライラは王と王妃なのだから二人は夫婦である。
だが吟遊詩人が語るような、胸を焦がす恋物語とは無縁な婚姻だ。他の王子たちと違って婚約期間も盛大な結婚式もなかった。今では広い王城の敷地内にある本宮と離宮で別生活を送っている。顔を合わせるのは公式行事くらい。それも年に数回という、王侯貴族でよくある典型的な冷めた夫婦。
だからライラがこうして執務室を訪ねるなど、珍しいどころか初めてのこと。珍客中の珍客だ。
「どんな毒も効かない体質ってのは、どえらいもんを見せつけてくれるよなぁ」
ライラが食べるさまをハムザが感心して眺めている。
「今更何を言う。わたしが毒草を食べているところなど、何度も見ているだろうに。口にできるものが草花と果物と蜂蜜しかないのだ。毒くらい分解できなくてはいよいよ食べる物が限られてしまうではないか」
そう言ってライラは蜂蜜をたっぷり入れた紅茶に口をつける。
茶葉が気に入ったのか、猫に似た形の目を細めた。よく見ると目尻にはニケの印である小さな小さな羽根が睫に紛れている。それがより一層睫を長く見せているのだ。
ライラはディルアにやって来てからずっと、母国の刺繍がどこかに入った貫頭衣を纏っている。そして昔のように若いまま、美しいまま。
だからライラと出会う者は酷く生々しい昔の幻を見ている気になってしまうらしい。
とことん人間離れをしているものだと、ハムザは無精ひげを撫でた。
「さぁて、そろそろ本題に入ろうぜ。わざわざ離宮を出て本宮までやってきたのは、俺と仲良く茶を飲みたいだけか?」
「ふ、まさか」
「……だよなぁ」
ハムザは紅茶を一気に飲み干すと金彩が施されたカップをやや乱暴に受け皿へ置く。開始を待っていたとばかりにライラは切り出した。
「もうすぐ陛下の在位二十周年だろう? だから祝いをわたしからも贈ろうと思ったのだ」
「お前が?」
「ああ」
「俺へ?」
「そうだ」
「はっ。こりゃあ天地がひっくり返るぜ。二十年も王様なんてやってるとこんなことも起きるのか、なあサディク?」
同意を求めるようにハムザが振り返る。背後で控えていた宰相のサディク・ラーイーは丸い片眼鏡の位置を直して「喜ばしいことでございます」と抑揚のない声で答えた。
「わたしの贈り物を陛下は気に入るだろう」
「おっ、いいじゃねぇか。一体何を用意してんだ?」
ふ、とライラは口の端を上げた。頬をほんのり紅潮させ、とろけるように、夢見るように、
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麗しい微笑みを浮かべたのだった。
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