王妃の椅子~母国のために売られた公子

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25.離宮・王妃の回想(22)

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 ハムザは帰還してすぐに庭園へ来たようで、外套をたなびかせてやってきた。

「メイドが泣いている。何があった」
「カァッ!」

 ライラはそっぽを向く。
 この姿では話せる口がない。話せたとしても、メイドの過ちに激高したとは言いたくなかった。

「も、申し上げます。妃殿下の羽根が取れてしまわれたので、わたしはおかわいそうだと……」

 突然現れた第六王子へメイドが肩をすくませたり慌てて礼をしたりちょこまかと動く。ライラはその都度肩の上でよろめいてしまうが、メイドはそんなこと気にもしていない様子で弱々しく訴える。
 可憐で、心優しくて、まるで主人思いのようで。

「なるほど分かった」

 勘違いが二名に増えただけか、とライラはうんざりした。かわいらしいメイドに心打たれたハムザが慰めでもするのだろう。
 翼が健在であれば、さっさと飛び去っているものを。最早ため息を吐くのすら億劫だった。

「メイド、お前が悪い」

 すっとライラの身体が浮いたかと思うと、メイドの肩からハムザの胸へと移動させられた。

「直答を許してねぇのに勝手に喋るんじゃねぇ。メイドの分際で主人より高い目線から慰めんな。そういうのは心得違いって言うんだ。妃の誇りを傷つけるのは俺が許さん。俺が三を数える前に立ち去らなければ、その舌切り落とす。いーち!」
「ひっ……あの、でも、わたしはっ!」
「にぃー!」
「ひぃぃぃっーー」
「さぁあ……」
「きゃああーーっ!!」

 怯えたメイドはスカートのまくり上げて駆け出した。余程怖かったと見えて、みるみるうちに小さくなる。
 ライラはハムザを見上げ、一声鳴いた。
 誇りと矜持を守ってくれたことへの感謝を伝えたかった。

「なんだ、礼か? いいって。お前は俺の妃なんだからよ。とりあえず俺たちも戻るぞ。訊きたいことが山ほどある」

 それはライラも同じだ。
 ハムザ本人へ訊かなければ真実が掴めない。書類上とはいえ、男のライルを女のライラへ変えてまで結婚した理由が知りたかった。
 はあ、とハムザの吐く息が白い。

「山に入る手前で結構な雪が降ってさ。それでじゃあ次に予定してた分は春になったらでいいかってことにしたんだ。予定より計画も進んでいたしな。だからしばらくここで休暇だ」

 雪が降らなければまだ帰還は先だったという。ならば温かくなれば、すぐにでも戦場へ駆けるのだろう。
 抱かれている胸の温もりを感じる。頭を撫でる手も柔らかい。けれど風のように掴めない男だ。
 連れて行かれたのはハムザの部屋だ。執務室と浴室もあって、ライラの部屋とも内扉から往き来ができるようになっている。

「傷……痛くねぇのか? 飯はちゃんと食ってるか? 不自由はねぇのか?」

 矢継ぎ早の確認に、うんうんと首肯で答える。
 二人で使うには十分な大きさの円卓の上には籠に盛った焼きたてのパン、焼いた分厚い肉、茹でた芋、野菜のスープが並んでいる。簡素だが量があり、それをハムザは葡萄酒を飲みながら大きな口でもりもりと食べている。
 ライラには三色すみれと蜂蜜が並々と注がれた紅茶が用意された。紅茶というよりも、紅茶味の蜂蜜に近いが、これはこれで好ましい。

「移動中は焼きたてのパンなんか食べられないからな。やはり温かい飯はいい。食い物と寝る場所と衛生は大事だ。久々に俺もゆっくりするから、ライラものんびり養生したらいい」

 焦っても、取れた翼がくっつく訳でもなし。ライラは頷くしかなかった。

「ライラは……嫌じゃないか? その、俺が夫でさ。名前も勝手に変えちまったし、お前の意見なんてなんも訊いてない。嫌だって言われても取り消せないけどさ」

 ライラは首を振る。
 医師団から十分な治療を受けられたのは王子妃の地位ゆえだ。
 戦場へ行けなくなったことは、リガーレとディルアの不可侵は無効になる恐れもある。けれど王子妃の母国とならば、そうもならないはず。ひいては大切な弟シャラフも守られたことに繋がる。
 全てはハムザとの婚姻のおかげだ。

「本当か?」
「……カァ」
「そうか……。ならいい。ライラは俺に訊きたいことあるか?」

 ある。しかしそれを伝える口がない。
 すると軍議でそうしていたようにハムザが選択肢を出したので、ライラが選び、手がかりから推察をしたハムザがようやく気付いた。

「ああ、ライラを王子妃にした理由か?」
「カア!」

 それしかないだろう、とライラが食い気味に返事をする。

「当たり前のことをしただけだ。ニケは勝利の象徴じゃねぇか。そいつが蛮族に殺られるなんてあっちゃいけねぇんだ。王子妃にすれば十分な治療を受けて助かる可能性があった。だからそうした。他に特別な理由は……ねえよ」

 個人的な理由ではなく、軍のため。ひいては国のため。それは王子らしくもっともな理由だ。
 一個人よりも国を優先する考えは、公子としてライラも十分理解できた。
 ハムザは続けて王子妃としての責務を説明した。
 身体が完全に回復をしたら、王子妃教育を受ける必要があること。場合によっては公式行事への参加が必要になること。第六王子妃なのでそれほど好待遇にはならないが、果たすべき義務もさほどないこと。
 それから重要なのは、王族の妃とそれに準ずる者は皆、特別な茶器をもつ伝統があるという。ライラは早急に用意しなければならないので、ハムザが全て手配すると告げられた。
 淡々と伝える様子に、ライラは若干の違和感を覚えていた。
 蛮族との戦いではまだ草木が青々と生い茂り、山百合も豊富だった。けれどライラが治療をしている間に緑はすっかり冬支度をして春のために眠ってしまった。
 娼館の前でライラに見つかりばつが悪そうにしたハムザも、夢を語ったハムザも随分と昔のようだ。幼体だけが持つ輝くしなやかな鱗が剥がれ落ち、固く頑丈な鱗に覆われていく魚のように。
 時間はハムザを青年王族として成長させていく。
 ライラは羨望の混じるため息をそっと漏らした。
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