■完結■ 竜騎士と花生み〜逃亡奴隷はご主人様に恋をする〜

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16.市場での危険人物

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 休憩後の練習も無事に終わり、ラルフは従者と共に緑四号へ乗って帰って行った。
 広い屋敷に住んでいるそうだが、竜が飛んでいく方角は王都の中心地。大商人か、はたまた大貴族の子弟かと思えた。

 そして今宵もマルはロナウドの部屋でチーズを食べさせてもらっている。飽きさせないように種類が変えてあって、今口の中に入っているチーズもこれまた好物のリストに加わった。滑らかな口当たりで干し葡萄が混じるチーズだ。

「ラルフとは気が合うようだな」

 ロナウドはワインを傾ける。つまみは野菜の酢漬けと生ハムだ。

「はい、友達になりました。でも、俺がチーズをご主人様に食べさせて貰っている話をしたら驚かれたみたいだったので……」
「話したのか?」
「はい。だから思ったんです。俺も同じ事をするのはどうかなって。失礼じゃなければなんですけど?」

 銀色の細いピックの刺さっている酢漬けがロナウドに向けられる。マルの手によって。
 どこか嫌悪する様子があれば、引っ込めるつもりだった。けれどロナウドは数回瞬きをしてからおもむろに、酢漬けを口にしたのだ。

「……うまいな」
「ですよね! 料理長の作る酢漬けはどれも美味しいです! それは昨日市場で買った野菜なんですよ」
「そういう意味では……いや、そうだな。どれもうまい」
「はい!」

 カシスへやる花のためとはいえ、勤務後にこうして時間をとってしまうことを申し訳ないと思う。身体のことを思えば、休んでもらうのが一番だ。
 けれど、もっとこの時間が長ければいいのにとも思ってしまうのだ。

 マルは寝る前に、ベッドの中で今日という日を振り返るのが習慣だ。
 朝からの出来事は、去ってみれば季節外れ嵐のようだった。大騒ぎでやってきたラルフを思い出すと、楽しかった時間がよみがえる。この部屋で二人で王様になって、友好を築く約束をした。名前以外知らないが、利発そうで元気いっぱいの少年に、また会いたいと思った。
 自分から言うことはないが、竜騎隊の隊長として忙しくしているロナウドが休日を丸一日割いた理由も頷ける。ラルフは人を引きつける魅力をもっている。ロナウドにとっても、『特別な子ども』なのだ。
 ふ、とわずかに息苦しさを感じた。胸が掴まれたように、重くて痛い。
 ロナウドを意識したせいなのか。だとするのなら、自分の病はますます重症化しているのか。
 不安はあるけれど、死にはしないとラルフの言葉を信じたい。
 ここは安息の地だ。人生の幸運をかき集めて巡り会えたと言っても過言ではない。それなのにさっさと天に召されるのはさすがに嫌だ。

「ご主人様……。ろなうど……さま」

 呟きは暗闇に溶けた。
 目をつむると、ロナウドの唇がまぶたに浮かぶ。形の良い整った唇は、マルが差し出したチーズを食べた。
 なぜ、あんなことができたのか。怒ったり呆れられたりはされなかったが、自分の主人へとんでもないことをしてはいまいか。

「はわぁ……あ……」

 恥ずかしい。熱い羞恥心が顔に火を灯す。そして胸の中にいるリスが軽やかに跳ねだす。とくん、とく、とととと……。リスが跳ねる、跳ねる、跳ねる。これはいつもより多くて、息をするのが辛い。

「っ……ん……」

 そういえば、胸の中でリスが跳ねる病名を訊くのを忘れていた。次ラルフに会えたときには、必ず訊こう。
 マルは胸に手を当てて、眠りに就いた。リスが少しでも落ち着くように。



 翌朝、マルは自分の枕を見て目を見張った。あの玉虫色に光る蕾が落ちていたのだ。前回と同じように黄緑で、開く気配がない。
 ポケットに入れたそれは、厩舎でどんぐりに嗅ぎつけられて、食べられてしまった。ロバは嗅覚が優れているのだ。
 ところが竜はもっと鋭い。空のポケットに残る香りを散々嗅いで、匂いはすれども何も入ってない不満を、火に込めて噴射した。無論、マルはホセのおかげで無傷であったが。
 どうやらあの光る蕾は、特別仕様らしかった。

「次はカシスにあげるから、怒るなって」

 なだめても不服そうに尻尾を床へ打ち付けていた。
 それでも手綱を引けばちゃんと従って歩くし、ロナウドの前まで連れて行けば、いつも通り大人しく座る。人をちゃんとみているのだ。
 カシスにまたがったロナウドは飛び立つ前、見送る四人へ防犯の注意喚起を促した。

「近頃、王都へ地方の犯罪者が紛れて侵入しているらしい」

 何でも、犯罪者集団を治安部が捕獲に当たったが、何名かに逃げられたと言う。
 地方。犯罪者集団。マルは足首を誰かに掴まれたように動けなくなった。そぅ、と目線を下げて確認をする。当然ながら誰もいない。
「マル、今日は早い時間に出掛けるわよ」

 マチルダに声をかけられて、足首の呪縛は解けた。
 掴まれていたのは足首ではなくて、心だ。どこかでまたごろつきたちに見つかって、あの狭い部屋に一人押し込められてしまうのではと。逃げたら殺すと脅されていた恐怖は、拭えない染みとなって残っている。
 考えるのはやめよう。
 その犯罪者が自分を捕らえていたごろつきとは限らない。
 マルはマチルダと共に、市場へ向かう。
 王都での市場は日によって違う。今日は生地や服の市場が立つ日。マルの冬物と、刺繍糸を買うのだ。

「マチルダさん、次は何を探しているの?」

 質が良くて暖かそうな古着は手に入れた。刺繍糸は、鮮やかな色で揃えられた。

「あのね、たまぁに来ているお婆さんがいるのよ。そのお婆さんの作る貝のボタンがいいのよ。割れやすい素材なんだけどね、ちっとも割れないの。ロナウド様のボタンは全部それを使ってるのよ、でもいつも見付けにくいところにお店開いちゃうの。あらやだ、あそこにいたわ。でも帰ろうとしてる、まだ早い時間なのに!」

 マチルダはマルに荷物を預け、小走りでお婆さんの元へ行ってしまう。
 人の邪魔にならないよう、通りの端へ移動する。そこからマチルダも確認できる。人の流れも、他の店の様子も見える。
 その中に、体格のいい男がいた。茶色の髪を無造作に伸ばし、まだ王都では時期の早い毛皮を着ている。一見して、北の地方からやってきたと分かる男だ。マルのいる方角からは、かろうじて横顔が少し見えるだけ。
 マルはとっさに通りへ背を向けた。膝が、手が、震える。再び掴まれた足首は、動かせない。

 だって、なんで、どうして、よりによって。
 いくつもの考えが同時に頭の中を駆け巡る。倒れてしまいそうになる身体を、なんとか踏ん張って耐え忍ぶ。
 どうしよう。あいつだ。
 あいつが王都にいる。

 マルに入れ墨を彫り続けた男が。
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