誰がために生きるか?『貧すれば鈍する』状況になった結果、俺は最悪の決断をする

パイ生地製作委員会

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もう少しだけ、このままで

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       ▽
 メイウェイとビンチリンさんが二人してベランダに出てしまったので、自分の洗い物が終わり手持無沙汰になった俺はリビングに戻ると、意外とお喋りなユエビンさんと彼ら姉弟のお母さんに捕まって、色々な話題を振られた。普段はメイウェイ以外の人間と全く面識がなく、仕事がない日などは誰とも会話せずに過ごしていた俺は、常人の世間話のやり取りでさえ喋り疲れてヘトヘトになった。
    そろそろ声が枯れそうになったところで、外から帰還したメイウェイに名前を呼ばれ、リビングから助け出された。

「あ、…の。」

    呼ばれて廊下をトコトコと付いて来たはいいものの、ここはメイウェイの寝室の扉の前だ。俺が数年ぶりに酒を飲んで記憶を飛ばし、翌朝なぜか雇い主と一緒のベッドで目が覚めたという大失態を犯した、あの例の部屋。

「な、何か御用でしょうか、メイウェイさん…。」
「入って。」
「っ…!はっ、ぃ…。」

 笑顔が冷たく感じるのは気のせいだろうか。ドア前でモタつく俺の手を引いて、メイウェイが後ろ手にドアと、鍵を閉める。なぜ鍵まで閉める必要が…?

「リャオリイさん、どうしてビンチリンと二人きりでいたんですか?キッチンで。」

 いちおう口角を上げて柔和な顔になってはいるものの、メイウェイの声は普段の柔らかさを失い、少し硬い響きになっていた。俺は少しだけ目の前の男のことが怖くなりながら、それにしてもなぜそんな質問をされるのかと、頭をひねって理解しようとした。
 しかしヒントが無さ過ぎて、答えなど出ようはずもない。

「や、なんでって…ビンチリンさんが一緒に働かないかって、それで、あの…」

 俺の言葉が途切れると、メイウェイは深呼吸をしてから言葉を続けた。

「リャオさんは、僕の、家政夫でしょ?」
「ぅ。」

 ガシッと大きな手で両肩を掴まれ、背の高い彼は目線を俺の高さに揃えるためにかがむ。いつもは優しい灰緑の瞳が燃えている。かがんだ彼の影が俺の顔にかかり、光が射さずに真っ黒に影になった瞳、影が深すぎてむしろ光の加減によっては青みがあるように見えるその瞳に真っすぐ見据えられる。

「他の人と仲良くするのはいいけど、絶対に仲良くなり過ぎないで。そうだ、僕以外の人に雇われるくらいなら、ここでのシフトを増やしましょう。いつでも相談して下さい。ここはあなたの職場ですし、僕はあなたの雇い主です。いくらでも調整できますから…」

 メイウェイの表情には、なんとも言えない複雑な感情が宿っていた。それは嫉妬と不満、そして何かわからない強い気持ちが入り混じったものだった。俺は初めてメイウェイがこんな風になる姿を見て、驚きとともに、俺たちの間の何かが変わりつつあることを感じた。

「ご、ごめんなさい、俺、掛け持ちしたせいでこっちの仕事を上の空でするつもりなんかなくて、あの、これからも気を引き締めてこの仕事に励みます。おろそかにならないよう、ここの仕事だけに集中します。すいません!」

 メイウェイの必死そうな言葉に、俺は素直に頭を下げて謝罪するしかなかった。
 俺の発した言葉に、彼は少しだけほっとしたような表情を見せた。
 良かった、もういつものメイウェイが戻って来た気がする。

「リャオリイさん…」
「え?」
「ごめんなさい。責めるつもりはなかったんです。ここでの仕事に不満があるなら改善するので言って欲しかっただけで…。だから、もっとリラックスして下さい。」

 メイウェイの言葉に俺は緊張しつつ、少し照れくさい気持ちで頷いた。だけど彼の不満はまだ完全には晴れやらないようで、俺はそのことに気づいていた。

 しばらくの間、静寂が広がった。メイウェイが気を取り直してから、再び口を開いた。

「それにしても姉さんめ、リャオさんにちょっかいを出すようなことがあったら、絶対に許さない。ヘンなことされたり変な話を持ち掛けられたりしたら、必ず僕に報告して下さい。ユエビンだって、リャオさんを馴れ馴れしく触りやがって…。」

 その言葉に、僕は思わず彼を見つめ直した。メイウェイの瞳には、普段とは違うギラギラとした強い意思が宿っていた。それに、よく分からないが、何やら火力が強いことを言っているような…。

「それは…、ありがとう…ございます…? あ!でも、これからメイウェイさんが何かを気に入らない事態になることにはならないから、あの、安心して下さい。ね!」

 『だってメイウェイとの関係も、目標金額に到達するまでの関係なのだから』、とはわざわざ口には出さない。
 俺は努めて笑顔を浮かべながら言うと、メイウェイも微笑み返してくれた。
 その瞬間、心臓が熱くなる。

「そろそろリビングに戻りましょうか。」

 メイウェイがそう言って俺の腰に手を当て引っ張るので、主人が部屋を出るのに続いた。換気の為に寝室の窓が開けられていたため、ドアを閉める直前に外の夜風が廊下まで入り込み少し冷たく感じられたが、逆にそれが火照った頬には心地よい。
 そして、未だ解(ホド)けきっていない感情の糸のような植物が、繋がれた手と手を通してお互いの間にゆっくりと絡み始めているような気がした。

 でも、このままじゃいけない。俺の存在はきっとこの先メイウェイの負担になるだろう。もう誰にも失望されたくない。怖い。心の中でハサミを取り出し、早くこの植物のツタが成長する前に切り落とさなければと思う。

 だけど、絡められた指があまりにも優しくて、この廊下がずっと続けばいいのにとも願ってしまう。
 我ながら臆病な奴。卑怯で、狡猾な、ズルい奴。

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