【完結】蘭姫と薬花の国

神谷さや

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二人目の騎士

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「全く、元老院も突拍子もないことを考えるわね。レイだけでは役不足だと言っているようなものだわ!」

 黒のレースをふんだんにあしらった紅紫色のドレスの裾を揺らしながら、カトレアは朝食の後レイを伴い謁見の間に向かった。レイは宴や儀の時に着用する、白地に金の細やかな刺繍を施した礼服を纏っている。

 元老院の取り決めは、相次ぐ暗殺未遂事件を憂慮し、カトレア直属の騎士をレイ以外にもう一人国内より広く募るというものだった。
 レイから知らせを受けた当初、カトレアは気乗りしなかった。身の回りの警備を固める目的であるのは重々承知していたが、昔からの馴染みであるレイの他に、どこの馬の骨とも知らぬ輩を自分のそばに置くことになるのだ。

 聞けば、身分は兵役に属したことのある者であれば不問だという。腕の立つ者ならばたとえ農民の生まれでも、職人階級の末弟でも構わないということだ。カトレアは凶刃を向けてきた暴漢を相手取ってから、卑しい身分の輩にひどく嫌悪感を覚えるようになっていた。

 あれこれ難癖をつけていたカトレアに対し、元老院はそれならばとカトレア自ら志願者たちと対面し見初めてはどうかと提案したのだ。

 御触れを出してから一月、寒空の季節も数えるほどになった。謁見の間に集った志願者たちは今か今かと、蘭姫との拝謁を心待ちにしているだろう。

「ねえ、あなたは今回の件に意見しなかったの?」

 謁見の間の手前の廊下に差しかかり、カトレアは足を止めた。レイは心なしか、いつもより表情が固い。

「……ご存じでしょうが、会議での私の発言権は微々たるものです。今回のことは、元老院長のイーデン様自らご提案されたこと。私が反論する余地はありません」
「そう。……愚問だったわね」

 カトレアの瞳が陰ったためか、レイは取り繕うように笑みを浮かべた。

「私のことは心配に及びません。今日ここに集った者たちは、皆貴女を守るために集められたのです。同じ貴女の騎士となっても、私とは分野も、立場も違う」

 長年カトレアの騎士を務めている自負がレイの語気を強めていた。カトレアもそうね、と紅をさした唇に弧を描いた。

 謁見の間の手前に控えていた衛兵が、敬礼と共に扉を開け放つ。
 左右に兵士たちが整列し、扉から玉座に続く真紅の絨毯には、カトレアが通る道を空け志願者がずらりと跪いていた。数はざっと見たところでも五十人はいる。

 彼らが、全て自分の騎士に成り得る男たちなのか。カトレアはぞくりとして、レイを従えて一歩ずつ玉座へと進んでいった。

 志願者たちは皆なめし革や帷子の鎧を身に着けてはいるが、帯剣はしていない。王宮に通される際に預かられたのだろう。今この時にも、暗殺を企てている者が紛れている可能性はあるのだ。
 二つ並んだ玉座のそばには、元老院長のイーデンと、貴族院の三人の公爵が揃っていた。

 イーデン=エイリーは、元々北の大国グリーシアンの王侯貴族である。同郷で先代の元老院長でありカトレアの祖父だったオズウェルに師事し、母セルレアの妹の娘婿となった男だ。
 カトレアにとっては義理の叔父だが、歳の割に老いを感じさせず、金茶の長い髪も違和感のない中性的な顔つきをしている。黄金色をした切れ長の瞳は鷹のように輝いていた。

「王女殿下、本日は父君の玉座にお掛け下さい。本日は貴女をあるじとして、忠誠を誓う者を選ぶ日ですからね」
「……ええ」

 緩やかな笑みでイーデンに促され、カトレアはゆっくりと、亡き父の玉座に腰を下ろした。父が崩御してからも、カトレアは自分の玉座を離れることは一度もなかった。父の玉座に座るのは、戴冠の儀を終えてからだとばかり思っていたのだ。

 レイがイーデンの隣に収まると、若き元老院長は志願者たちをゆるりと見回した。

「これより、コルデホーザ王国第一王女カトレアにより、直属の騎士の選出を行う。王女ただ一人に忠義を尽くす騎士は誉れ高き役目故、諸君の人柄が問われる。見事見初められた者には手厚い待遇を約束しよう。選出に対する権限の一切は王女殿下に委ねる。我らからは以上とする」

 視線を送られ、カトレアは息を吸い込んだ。

「その者たち、顔を上げよ」

 王女の号令が響き渡る。ひしめき合う志願者たちは、ある者は恐る恐る、またある者は蘭姫と謳われるカトレアを待ちわびていたように、各々顔を見せた。
 おお……と、抑えようとも抑えきれぬどよめきが上がり、カトレアはそれに応えるように優雅に微笑んだ。快感めいたものが背筋を伝う。

 事前にある程度選別を行ったのだろう。体格に優れた者、戦場をかいくぐり抜けた傷跡、血を目にしてきた鋭い眼光が複数見受けられる。中には貴族の出の者か、身なりは良いが果たして実戦には向くのだろうかと疑問に思う者もいる。レイの存在があるため、単にカトレアが容姿で判断すると思っているのだろうか。

 注がれる視線のいくつかは、見惚れるどころか、別の思惑を持っているように見える。立場を利用して邪な行動に出ようとしているのかもしれない。

 なめられたものだ。カトレアが内心ため息をつくと、ふとある人物に目が留まった。

 常闇を映した黒髪に、野生の動物のごとく底の見えない黒い瞳。金銀の髪と色彩豊かな瞳は貴族の血の現れだが、反対に茶や黒のみの風貌は下々の民の証である。
 身に纏う防具は、森の奥に紛れそうな深緑の外套と革の胸当てのみ。他の者と比べて貧相なほどだが、遠目に見ても引き締まった体躯をしている。

 彼はこの場に集った誰よりも、カトレアに対し無感情だった。カトレアを何者とも思っておらず、それどころか値踏みするような眼差しを向けてくる。

(何なの、あの男……)

 カトレアの視界は次第に、黒目黒髪の男にのみ狭まっていった。
 初めて目にしたはずなのに、どこか懐かしさを覚える不思議な面立ちに、カトレアはいつしか胸騒ぎを覚えていた。

 あの男を、もっと知りたい。自分のそばに置いてみたい。
 カトレアは立ち上がり、迷うことなく男の目の前まで歩んでいった。

「その者、立って名を名乗りなさい」

 注目が一点に集中する。男が立ち上がると、カトレアの頭一つ分背丈があった。レイよりも背幅があり、自然と見上げる形になる。
 男はカトレアを頭のてっぺんからつま先まで観察すると、ようやく表情らしきものを見せた。

「ふうん。蘭姫と言われている割には、口ほどにもないな。自分の名の花言葉を知っているか」
「貴様、カトレア様にそのような口の利き方を……!」

 レイが憤るが、イーデンに制止されたのかそれ以上は続かなかった。カトレアは意地の悪い笑みを覗かせる男を睨みつけた。

「『優雅な女性』、『成熟した魅力』。それに相違があるとでも?」
「自分で疑ったこともないのか? 俺には、ただの気取った小娘にしか見えないがな」

 公衆の面前で侮辱され、カトレアは男の日に焼けた頬を盛大に引っぱたいた。
 コルデホーザに生まれた娘たちは皆、草木花の名前を与えられる。ましてや、亡き両親から授かった名をからかわれたのだ。燃えるような手のひらの痛みなど、取るに足らない。

「貴様! それが一国の王女に対する言葉か! 口を慎め!」

 背後に控えていた公爵たちから非難を浴びても尚、男は悪びれた様子もなく、叩かれた頬をひと撫でしてようやく答えた。

「名を名乗れと言ったな。俺はジャック。国境付近の小さな農村生まれで、十五の時から傭兵をやっている。これで良いか? お姫様」

 他の志願者は二人のやりとりに呆気にとられ、最早顔を上げた時の高揚感を失いつつある。大方、蘭姫という麗しい呼び名に幻想を抱いていたのだろう。
 カトレアはジャックと名乗った男をねめつけたまま、息を荒くして宣言した。

「問いに対する不足はないわ。でも、おまえを服従させないと、わたしの気はもう収まらない……。
 ジャック。おまえを、私のもう一人の騎士に任命する」

 公爵たちは次々に反論したが、イーデンは彼らをなだめ、こちらに歩み寄ってきた。

「良いではないですか。王女の騎士たるもの、主に従順すぎてはその命も守れぬやも知れません。異論はないな? レイ」

 振り返ると、レイは不服そうな顔をしていたが、無言で首を縦に振った。ジャックは満足げに微笑む。

「決まりだな。必要な物は全て剣と共に預けてある。すぐにでも手厚い待遇とやらの説明を受けたいのだが」
「流石、話が早い。早速場所を変えて説明するとしよう。レイ、お前は王女殿下を部屋へお連れせよ。ひどく気が高ぶっておられるようなのでね」

 イーデンは他の志願者に労いの言葉をかけ、引き取るよう命じた。志願者たちは「なんであんな男が」などと舌打ちしながらも、おとなしく謁見の間を後にしていった。

「カトレア様……」

 レイはカトレアを気遣いつつも、ジャックに対し依然として厳しい視線を向けている。カトレアは肩で息をしながら、イーデンに連れられ去っていくジャックを目で追っていた。

(最初から、あの男はわたしを試していたの?)

 淀みのないあの瞳だけを思い返すと、カトレアの胸は怒りとは異なるざわめきを覚えるのだった。
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