【完結】蘭姫と薬花の国

神谷さや

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外界

幕間2

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 王宮に戻ったジャックは、朝食前にイーデンの執務室に呼びつけられていた。

 大きく取られた窓は菫色の幕で隙間なく閉ざされ、部屋の左右には書棚が並ぶ。収まる書物は棚の半分ほどで、残りは装飾過多な壺やら絵皿などが等間隔で飾られていた。

 よく磨かれた書机はランプと豪奢な室内灯の光を受け、つやつやと輝いている。朝の陽光を遮断する華美に彩られた部屋は、主の威厳を異様に振りまいているように映った。

 書机に備えられた布張りの重厚な長椅子にゆったりと構えるイーデンは、正面に立つジャックを満足げに見上げた。その傍らには、沈痛な面持ちのレイが控えている。

「首尾良く事を運んだようだな。ご苦労だった」

 ジャックは既に、王宮を訪れた日の軽装に戻っていた。一方で、レイは折り目正しく制服を着用している。一礼すると、イーデンは扉の向こうを見やり肩をすくめた。廊下の慌ただしさに対してだろう。

 朝方カトレアの遺書を見つけたのは、王女の身繕いを仰せつかっている侍女だった。彼女は蒼白な顔で隣室に飛び込み、ジャックとレイに遺書を突きつけた。レイは充血した目を見開き、すぐさまイーデンの元に知らせに走った。

 直ちに緊急会議が開かれ、即刻王立騎士団が捜索隊を結成し、カトレアの捜索に向かうこととなった。今はその準備と、カトレアが行方をくらませたことにより、王宮内は騒然としている。

 遺書の内容も議論されたというが、カトレアの無責任さを嘆くのがおおよその反応で、下仕えの者の中からは狂言なのでは、と訝る声も上がっていた。

 実際、カトレアが音を上げ、王宮に戻って来る可能性もなくはない。カトレアはジャックを名指しで訴えるだろうが、イーデンが口封じにかかるだろう。

 道端に投げ捨てられた蘭姫は、今頃どうしているだろうか。
 月のように青ざめたカトレアの白い肌、ふっくらした唇の感触を反芻すると、何故か胸の奥がざわついた。女の味など、初めて知った訳でもないというのに。

「さて、お前の主との約束は、王女の暗殺に成功したら我々はラランジャの奪還を諦める、ということだったな。証拠を出せ」

 カトレアの遺髪をうやうやしく差し出すと、レイが息を止めた。イーデンは髪束をつまむと、値踏みするように観察し、ぞんざいに書机の上に放った。

「間違いないようだな。どうだ? 一国の王女を手にかけた気分は」

 イーデンは両手を組み、興味津々といった様子で尋ねる。

 血はつながらないとはいえ、仮にもカトレアの叔父だというのに、微塵もその命を惜しむ気配がない。ジャックも人のことは言えないが、この男にとってカトレアは排除すべき対象でしかなかったのかと寒々しい気持ちになった。

 感情は表には出さず、ジャックは平静を装い答える。

「女を手にかけるのは、気分が悪い。だが、妙な高揚感はありましたね。男を知らない柔肌に、刃を突き立てると」
「もういい」

 遮ったのはレイだった。彼はイーデンに向き直ると、震える声で申し出た。

「この者を監督不行き届きのため、契約解消とします。宜しいでしょうか」
「良いだろう。言うまでもなく、給金は支払わない。直ちに報告のため帰還せよ」

 ジャックは再び一礼し、改まった挨拶もせず部屋を後にした。廊下に出ると、間を置かずにレイが追ってくる。

 いきなり胸倉を掴まれ、次の瞬間には拳が頬をかすめた。避けるのは造作もなかったが、続けて繰り出された衝撃はあえて食らった。そばを通りかかった侍女たちが悲鳴を上げ、遠巻きにジャックとレイを凝視する。

 よろめき、血の滲んだ口元を拭うと、ジャックは怒りに取り憑かれたレイと向き合った。

「お前に、俺を殴る権利があるのか? 夜も眠れず、じっと寝台の中で身を固くしていたお前が」
「黙れ。下賤の身が」

 全身からほとばしる怒気は、ジャックに向けてか、はたまた自分に対してなのか。温厚なレイの豹変ぶりを目の当たりにし、侍女たちは顔面を蒼白にして逃げていった。
 レイは赤く腫れた拳を握りしめたまま、低く告げる。

「……荷物をまとめろ。ここでは、ろくな話も出来ない」

 自室に戻ると、隣のカトレアの私室は王宮勤めの憲兵が封鎖していた。昨夜見張りをしていた兵士には労いの言葉をかけ、兵舎へ帰らせたのだが、彼の証言次第ではジャックに嫌疑がかかるだろう。それでもイーデンはあくまでカトレアの自害を貫くため、罪に問われる可能性は低い。

 荷造りにはさほど時間はかからない。レイは扉の前に立ちふさがり、ジャックが荷物をまとめるのをじっと監視している。手を止め、レイを見やる。

「お前、知ってるだろ。あいつが生きていると」

 レイは形の良い眉をひそめたまま、答える。

「そうでなければ、今頃貴様の首はない」
「だろうな。だが、何故そう分かる?」

 レイは組んでいた腕を解き、遠い目をした。

「……まだ戦が起こる前のことだ。私は、かつてお前の主がコルデホーザを訪問した際、お声をかけていただいたことがある。あの方は、コルデホーザの薬花栽培にも援助を惜しまず、自国の種苗を研究のために輸出するよう、政策を立てておられた。そのお方が、亡きセルレア様の娘であるカトレア様を暗殺しようなど、本来全くの筋違いなのだ」

 口にしていた通り、レイはイーデンに服従しながらも、自分の意思は明確に持っているようだ。しかしレイはその人物を買いかぶっている。

「まあ、そう考えるのも無理はない。イーデンは、この十数年領土を奪われたままのラランジャを取り戻したいが、それ以上に正当な王位継承者が邪魔だった。ラランジャの件を放棄してでも、王女を排除したかった。俺の主も、戦を再開するより、イーデンが出した提案に乗った方が賢明と判断した。だが、それはあいつが本当に何の価値もない傲慢ちきなお姫様の場合だ」

 真意は理解し難いだろう。レイは怪訝な面持ちで首を傾げる。

「それを見極めるために遣わされたのが、俺だ。俺の判断としては、あいつは未知数だ。ただ王宮内で思想を唱えているだけで、到底一国を統べる器ではない。器が育つ見込みがなければ、こちら側が苦労して生かす必要もない。主はそうお考えのようだ」

 レイは言葉に詰まり、ただジャックを見つめている。手早く荷造りを済ませると、ジャックも立ち上がった。

「どうする? イーデンはあいつの崩御を決定づけると、いよいよ再戦に乗り出すぞ。奴の動向を傍らで見届けるのか。それとも私設の捜索隊でも結成して、愛しの蘭姫を捜しに行くか?」

 唇を噛み、レイはジャックをねめつける。
 心は狂おしいほどにカトレアを追い求めているだろう。だが今のレイに、カトレアをあるべき場所で咲かせる力はない。息を潜め、イーデンがどのように駒を動かすのかをつぶさに観察するのが最善なのだ。それは当の本人が最も理解しているだろう。

「……厩舎に、貴様が乗ってきた馬がいる。それを連れて王宮を立ち去れ」
「ご親切にどうも。せいぜい上手くやれよ」

 片手を挙げ、レイの横を通り過ぎると、背中に忠告を受けた。

「貴様も、カトレア様の生存がイーデン様に知られたら、命はないと思え。それに、カトレア様が貴様のような男にたぶらかされたと思うだけで、今すぐにでも誤って剣を振るいそうになる」

 ジャックは振り返り、見る者を凍りつかせるような眼差しを受け止めた。

「俺のような男に心を動かす女の方が、愚かだ」

 背を向け、華々しい王宮を足早に去る。ジャックの脳裏に、温室で花を愛でるカトレアの横顔が浮かんだ。

 ――誰もが、花のようにひたむきに生きることが出来たなら。

 そんな夢物語を描いて、生きていける世界などない。とんだ戯言だと内心嘲笑しながらも、外の世界に放り出された彼女が次に発する言葉を、ふと聞いてみたくなった。
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