【完結】蘭姫と薬花の国

神谷さや

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初陣

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 戦に向け、慌ただしく日は流れた。

 毒はあくまで相手を無力化させるための手段だ。後方から矢を射て、麻痺状態となった者にはとどめを刺さず、出来るだけ殺生を避ける。真に討つべき者はごくわずか。なるべくコルデホーザの民を生かしたいのだとカトレアは軍事会議で訴えた。当初は反対する者も多かったが、クライドが事前に毒の即効性や持続力をまとめ補足してくれたため、作戦は実行されることとなった。

 譲り受けた薬花は、クライドや王城に在籍する薬花師と協力して大量の毒液に加工した。カトレアもぐらぐらと煮立つ大釜をかき混ぜる仕事に自ら加わり、顔から足の先まで汗を滴らせながら、毒液を煮詰め濃度を上げていった。
 花とはほど遠い形状に成り果てた毒液を矢に何度も浸し、乾燥させることで毒矢に仕立てる。それを矢筒に詰め、出立する弓兵部隊の全員に持たせた。

 ヴェルダの軍勢は北軍と南軍に兵力を分散させ、その内南軍はラランジャの民から募った義勇軍が半数を占めた。

 レイは北軍の一員として、既に数日前国境へ向け出発した。王城に滞在する間、ヴェルダの王立騎士団に混じり猛特訓を受けていたのだ。長年鬱積したイーデンとの因縁に決着をつけるため、レイは連日くたくたになるまで訓練に励んでいた。ルークは遊撃隊として派遣されているとだけ知らされており、所在は不明だ。

 北の国境での開戦が迫っていると伝令があった頃、カトレアはヴェルダの王城で待機していた。カトレアも自ら戦場に出向くつもりだったが、アルベール王から止められやむなく留まることとなった。あてがわれた、やたら豪奢なドレスがもどかしい。

 基本は数名の衛兵に守られ、城内で伝令の報せを待つ。だが落ち着いてなどいられない。カトレアは主塔から出て、内壁越しに単眼鏡で遠くの様子を観察した。

 本格的に夏を迎え、天から高く降り注ぐ陽光がじりじりと白い肌を焼く。戦場の最前線ではうだるような熱風の中、身を削る攻防が繰り広げられているのだろう。

 北の国境で主力部隊が交戦するのに対し、南側からヴェルダ側の退路を断ち、最終的には南北からこの城を挟み撃ちにして落城させるのがコルデホーザ軍の狙いだ。彼らはカトレアをヴェルダ側に寝返った者として容赦なく扱うだろう。

 この大陸のおよそ二倍の領土を保有する北の大国グリーシアンからしてみれば、取るに足らない小国の集まりだ。大国の使者であるイーデンが実権を握り、豊かな資源を得た暁には、更なる発展を遂げるだろう。だが、そこに生きる民の平穏、ささやかな幸せまでをも尊重する意思はない。私腹を肥やし、一部の権力者だけが恩恵を受ける世界がまかり通るなど、断じて許せなかった。

 広大な森林地帯に隔たれ、国境付近の様子はほとんど伺えない。伝令が来るのを歯噛みしながら待たねばならない状況が苛立たしかった。

「カトレア王女よ。そう気を揉んでも仕方あるまい」

 背後から声をかけられ、衛兵が一斉に敬礼する。重厚感と美麗さを伴った白銀の鎧を纏うアルベール王が隣に並ぶ。カトレアも単眼鏡から目を外し一礼した。

「陛下……ジャック、いえルークはどこへ向かったのですか」
「案ずることはない。あやつは、そう簡単にはしくじるまい」

 カトレアは揃いのロケットを胸に抱き、きつく握りしめた。意を決し、アルベール王に向き直る。

「陛下。この戦でわたしの策が功を奏したら、彼を」

 言いかけたのと同時に、伝令役の若い兵士がなだれ込んできた。アルベール王のもとに跪くと、せわしない呼吸をしながら告げた。

「伝令です! 南方から進軍していた三公爵の軍勢が国境を突破、今日落日前には王城に到着とのこと!」

 蒼白になるカトレアとは対照的に、アルベール王は冷静に対応する。

「南軍と、ラランジャの義勇軍は」
「追撃しておりますが、食い止めるまでには……!」

 カトレアが仰ぎ見ると、老賢王はしたり顔で笑った。

「三公爵か。元は英雄ウィルに仕えた者の末裔、果たしてそなたの姿を見て何を思うだろうな」

 こぼれた言葉から、すぐに合点がいった。カトレアは南の方角へ再び単眼鏡を向けた。アルベール王がカトレアを王城に留めたのは、この時のためだったのだ。

「これを、一時そなたに託そう」

 アルベール王が懐から差し出したのは、古ぼけたルークのロケットだった。カトレアは大きくうなずき、衛兵を数名率いて駆け出した。

 王城一帯が斜陽に包まれた頃、三公爵の軍勢が一斉に到着した。

「ヴェルダ国王アルベール、及び王城の全ての者に告ぐ! 直ちに降伏せよ! さすれば無駄な殺生は避けよう!」

 カトレアは正門の扉の前で聞き慣れた声を確認し、衛兵に扉を開くよう命じた。武器を持たずに己の身一つで踏み出したカトレアは、引き留める声に振り向かず外の衛兵に跳ね橋を下ろすよう告げる。

 菫色のドレスを纏ったカトレアの姿を見つけた三公爵は、戦場に突如花が現れたようにしきりに瞬きをした。後方に控えるコルデホーザの兵士たちにもどよめきが広がる。カトレアは悠然と跳ね橋の上に立った。

「久し振りね。すぐさまわたしを仕留めようとしないあたり、まだ忠義心は残っているのかしら」

 甲冑に身を包んだ公爵たちは一様に、馬上で固まっている。彼らもまた、君主として未熟なカトレアを内心見限っていただろう。それでも冷徹になれない彼らの心を、もう一度取り戻したい。

 カトレアはアルベール王から託されたロケットをかざし、腹の底から訴えた。

「あなたたちならば、このロケットの由来を知っているでしょう。わたしとレイの他に、もう一人このロケットを与えられた人間が生きていた。その人がわたしを救い、ここまで導いてくれた。彼の人生を私利私欲のために狂わせたのはその叔父、騎士団長ローランド」

 公爵たちは揃って目を剥き、顔を見合わせた。困惑がさざ波のように広がっていく。

「何と……! では、コールソン家の長子は今いずこに?」
「彼は……ルークは、まだ本当の自分をアルベール王に囚われたまま、祖国と戦っているわ。ジャックという男として」
「なんと……あの『常盤の騎士』が……!」

 ますます驚愕する公爵たちに向かい、カトレアはさらに嘆願した。

「あなたたちをイーデンの軍門に下らせたのはわたしの不甲斐なさ。だけどあの男が牛耳ったコルデホーザには、小さな花すら慮る心すら残らない! わたしは、コルデホーザをそんな国にしたくはない!」

 喉を掻っ切るような叫びを受け、公爵たちはまるで別人と対面しているかのようにカトレアを見つめる。

「そうとも、儂らとて大国に蹂躙されるのはこの上ない屈辱」

 背後を見やると、アルベール王が衛兵にかしずかれて現れた。息を呑むコルデホーザ南軍に対し、東国の君主は声を張った。

「事の始まりは、狂王マーカスの悲哀に満ちた悪政にあった。しかし、無知だった嫡女は父がもたらした負の遺産を一手に受け止め、外敵から故郷を守るため戦っておる。さて、貴公らは誰が最も祖国に美しい花を蘇らせると考える」

 厳格で深い温情がカトレアの背に染み込み、後押しする。本来、父というのはこのような存在だったのかもしれない。

 公爵たちは顔を見合わせ、馬を下りた。跳ね橋の手前まで来ると、一斉にひれ伏す。

「王女殿下。かつてウィル様に仕えた我らの不義、どうか、お許し下され……!」

 カトレアも慌てて屈み込み、彼らを気遣おうと手を伸ばす。公爵たちはそれを押し留め、思いの丈を吐露した。

「我らは、元老院及びイーデンの独裁的な政に疑問を抱いてはおりました。しかし先代が崩御し、遺されたカトレア様の立場すら危うい現状では我らも下手に出るしかなく……」

 カトレアは自分の至らなさを噛みしめながらも、地面に頭をつけたままの公爵たちに声をかけ、立ち上がらせた。

「もういいの。それでも今のわたしを信じてくれて、ありがとう」

 集った軍勢を見渡す。彼らが何を聞き、胸の内に秘めているのかは分からない。ただ、カトレアは彼らの望むコルデホーザへと導く責務がある。その重みを喜んで抱え、一心に応えたいと、ひたむきに思う。

 そっとルークのロケットを胸元に重ねると、カトレアはアルベール王にロケットを返した。東国の君主がうなずきかけ、同じ故郷に根ざす者たちへ号令をかける。

「全軍、北西へ総力を上げよ!」
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