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冬の炎
過去の真実
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秋臣は、自らにつながりのある、あの炎の世界について、ほとんど何も知らないといってよかった。
それは、遺伝であった千里眼の場合のように、先達者がいなかったということもあるし、発現した時が時であったから、とにかく忌み嫌っていたということもある。
そして、炎の世界について知っている、教えてくれる人などいないと勝手に思い込んでいた。
しかし、秋臣の周りに同じ世界の〝能力者〟がいなくても、どこか遠い地域に、過去に、仲間がいたのだ。
久世家は――祖母は、彼らについて、その世界について、力の及ぶ範囲でかなり調べていた。
炎の世界――祖母の調査書でそう呼ばれていた――は、秋臣の思っていた通り、炎で満ちた灼熱の世界だった。しかし、これは予想していなかったことに、その世界にも、その場所で生きるものがいたのだ。
それは生物とは言い難いかもしれない。肉体を持つ生物というよりも、精神体と呼んだほうが正確だ。
それらは、炎から生まれ、炎の中に存在し、ただその火を持続させる意思を持って、存在していた。
そして、それらは時々、その炎の範囲を広げようとする。世界をまたぐという、大胆な手法で。
つまり、八年前の火事――それ以前の付近の不審火も含めて、それらは、別の世界のものが現実に干渉することで起きた現象だったのだ。
炎の中の精神体に、善悪もない。ただ生存競争、本能として、そう行動しただけだ。たまたま、現実に干渉しやすい場所、時期が重なったから。
秋臣がその火事を見て能力が発現したのは、そもそもその火事の原因が、炎の能力の世界だったからだ。秋臣の身体に潜んでいた因子が、その火事で誘発されてしまったのだ。千里眼の能力も持っていたことが不運であったのかもしれない。千里眼で火事が起きているのを知ったりしなければ、その現場に行かなかったろうし、火事を目撃しなかったら、炎の能力も発現しないままだったかもしれない。
八年前の火事と秋臣の能力は偶然に重なってしまったもので、しかしやはり、必然でもあったのかもしれなかった。
どちらにせよ、八年前に起きたことの真相は、そういうことだった。
それを知った秋臣は、驚きと、安堵と、納得の気持ちと――様々な思いが駆け巡り、結局どう反応していいかわからなかったし、拍子抜けした感もあった。
それでも、律に、あの八年前の少年に、きちんと説明できる材料が揃えられたのは事実だった。
秋臣は七瀬と協力して、気絶した律を神社まで連れ帰った。
何度か律の寝顔――というか気絶した顔だが――を見ているが、それは本当に幼く、無垢で、痛々しくもある。
八年前に見なくてもいいものを見、それを心に仕舞ったまま、口にできなかった少年だ。
突然に幽霊なんてものを視、事情が分からないまま追いかけられ、それでも立ち向かおうとした少年だ。
よくよく見てみると、確かに、八年前のあの子どもを彷彿とさせる面影があるような気がする。しかし、秋臣の記憶は遠くに仕舞われており、「気がする」というだけだ。
過去はその字の通り、もう過ぎ去ってしまった。
だから、これからは、新しく記憶を創造するのだ。
秋臣は律が目覚めるまで彼の枕元にいて、目覚めた律に何というかずっと考えていた。しかし、いざ彼が目覚めてみると、「お前は気絶してばかりだな」という軽口しか思いつかなかった。
律は当然のことながら、秋臣の顔を見るとあからさまな嫌悪の情を表して、かばっと起き上がり、秋臣から最も離れた部屋の隅に引き下がった。
「……おいおい」
一週間ほど前、神社で会った時と同じだな、と秋臣は内心で苦笑する。それでなんだか落ち着いて話すことができた。
「互いに言いたいこともあるだろうが、一回、俺の話を聞く気はないか」
頼む、と秋臣は頭を下げた。
その行動が功を奏したのか否か、律は近づかないものの、部屋から出ていくことはしなかった。
それを了承の意と解し、秋臣は勝手に語り始めた。
「――お前が気付いたとおり、俺とお前は八年前の柳町の公園で出会っている。俺もその友達がいたことを覚えてはいたが、名前は忘れていた。そして八年前、お前が見た光景は本当だ」
律が身体を強張らせる。秋臣は律が行動を起こそうとするのを手で制して、言った。
「だが、少し解釈が異なる。俺もずっと分かっていなかったが、ここに調査書がある」
秋臣は、畳の上に置いていた紙束を律のほうに差し出した。
「久世家の人間が調べたことだから信用ならないと思うなら、七瀬にも聞いてくれ」
七瀬に確認したところ、蛇神もそのことを認識していたという。近くで起こったことで他の世界の干渉には、多少の興味を覚えていたらしい。幸運だった。蛇神なら、律の前に姿を現して、説明してくれるだろう。
律は迷っていたようだったが、結局、秋臣の手から調査書を受け取った。黙ってその文字列に目を通す律の表情には、懐疑心が見て取れた。
だが、全てを読み終えた時、律は大きく溜息をついて調査書を放り出し、意外なことを言った。
「全部、人の手の及ばない怪奇現象、というわけですね。わかりましたよ」
あっさりとしたその言葉に、秋臣は目を見開く。
「信じてくれるのか」
「これ、嘘なんですか」
律は問い返し、複雑な笑みともとれる表情を浮かべた。
「おれは突然、幽霊が視えるようになりました。そして、世界が一つだけではないことを聞き知りました。おれみたいな人が他にもいることを知りました。普通も常識も崩れたんですから、怪奇現象で起こる火事があっても、もう驚きも疑いもしませんよ」
つまり目隠しが取れたというわけですね、と律は他人事のように言った。
「おれの父は、久世家に何か秘密――後ろ暗いことがあると思っていました。おれも、父がそう考えるならそうなのだろうと、久世家に良い印象を持っていませんでした。でも、秘密は確かにありましたが、それは父が思っていた、法に触れるようなことではなく、まったく別の、千里眼という非常識なものだったんですね。おれとあなたの出会いも、まるで仕組まれたようなことなのに、ただの偶然、火事だって責める対象がないも同然だ……」
律は両手で顔を覆った。
「おれは……何を信じればいいんですか……」
この数週間で、浅沼律という人間が信じていた常識は、ことごとく覆されたのだろう。自分の軸というものが由来で当然だ。
秋臣は立ち上がりかけて、そのまま動けなかった。
手を伸ばすことは、人間の行動としては簡単な動作である。しかし、今の秋臣には、その動作がとても難しく、慣れた自分の手が重く、にっちもさっちもいかなかった。
今、律に近づいて背中に手を添えたとして、それは、彼の心を救う手助けとなるのだろうか?
分からなかった。
だから秋臣は、ティッシュの箱とハンカチをそっと律の傍に置き、障子戸から出ていった。
縁側には柱の陰に七瀬が立っていて、心配そうに秋臣の顔を見る。先ほどの律との会話を聞いていたのだろう。
これでよかったんだよ、という風に七瀬は頷く。
秋臣はしかし、静かに横に首を振り、彼の肩を叩いて脇を通り過ぎた。
誰も彼も、ひとりになる時間が必要だった。
それは、遺伝であった千里眼の場合のように、先達者がいなかったということもあるし、発現した時が時であったから、とにかく忌み嫌っていたということもある。
そして、炎の世界について知っている、教えてくれる人などいないと勝手に思い込んでいた。
しかし、秋臣の周りに同じ世界の〝能力者〟がいなくても、どこか遠い地域に、過去に、仲間がいたのだ。
久世家は――祖母は、彼らについて、その世界について、力の及ぶ範囲でかなり調べていた。
炎の世界――祖母の調査書でそう呼ばれていた――は、秋臣の思っていた通り、炎で満ちた灼熱の世界だった。しかし、これは予想していなかったことに、その世界にも、その場所で生きるものがいたのだ。
それは生物とは言い難いかもしれない。肉体を持つ生物というよりも、精神体と呼んだほうが正確だ。
それらは、炎から生まれ、炎の中に存在し、ただその火を持続させる意思を持って、存在していた。
そして、それらは時々、その炎の範囲を広げようとする。世界をまたぐという、大胆な手法で。
つまり、八年前の火事――それ以前の付近の不審火も含めて、それらは、別の世界のものが現実に干渉することで起きた現象だったのだ。
炎の中の精神体に、善悪もない。ただ生存競争、本能として、そう行動しただけだ。たまたま、現実に干渉しやすい場所、時期が重なったから。
秋臣がその火事を見て能力が発現したのは、そもそもその火事の原因が、炎の能力の世界だったからだ。秋臣の身体に潜んでいた因子が、その火事で誘発されてしまったのだ。千里眼の能力も持っていたことが不運であったのかもしれない。千里眼で火事が起きているのを知ったりしなければ、その現場に行かなかったろうし、火事を目撃しなかったら、炎の能力も発現しないままだったかもしれない。
八年前の火事と秋臣の能力は偶然に重なってしまったもので、しかしやはり、必然でもあったのかもしれなかった。
どちらにせよ、八年前に起きたことの真相は、そういうことだった。
それを知った秋臣は、驚きと、安堵と、納得の気持ちと――様々な思いが駆け巡り、結局どう反応していいかわからなかったし、拍子抜けした感もあった。
それでも、律に、あの八年前の少年に、きちんと説明できる材料が揃えられたのは事実だった。
秋臣は七瀬と協力して、気絶した律を神社まで連れ帰った。
何度か律の寝顔――というか気絶した顔だが――を見ているが、それは本当に幼く、無垢で、痛々しくもある。
八年前に見なくてもいいものを見、それを心に仕舞ったまま、口にできなかった少年だ。
突然に幽霊なんてものを視、事情が分からないまま追いかけられ、それでも立ち向かおうとした少年だ。
よくよく見てみると、確かに、八年前のあの子どもを彷彿とさせる面影があるような気がする。しかし、秋臣の記憶は遠くに仕舞われており、「気がする」というだけだ。
過去はその字の通り、もう過ぎ去ってしまった。
だから、これからは、新しく記憶を創造するのだ。
秋臣は律が目覚めるまで彼の枕元にいて、目覚めた律に何というかずっと考えていた。しかし、いざ彼が目覚めてみると、「お前は気絶してばかりだな」という軽口しか思いつかなかった。
律は当然のことながら、秋臣の顔を見るとあからさまな嫌悪の情を表して、かばっと起き上がり、秋臣から最も離れた部屋の隅に引き下がった。
「……おいおい」
一週間ほど前、神社で会った時と同じだな、と秋臣は内心で苦笑する。それでなんだか落ち着いて話すことができた。
「互いに言いたいこともあるだろうが、一回、俺の話を聞く気はないか」
頼む、と秋臣は頭を下げた。
その行動が功を奏したのか否か、律は近づかないものの、部屋から出ていくことはしなかった。
それを了承の意と解し、秋臣は勝手に語り始めた。
「――お前が気付いたとおり、俺とお前は八年前の柳町の公園で出会っている。俺もその友達がいたことを覚えてはいたが、名前は忘れていた。そして八年前、お前が見た光景は本当だ」
律が身体を強張らせる。秋臣は律が行動を起こそうとするのを手で制して、言った。
「だが、少し解釈が異なる。俺もずっと分かっていなかったが、ここに調査書がある」
秋臣は、畳の上に置いていた紙束を律のほうに差し出した。
「久世家の人間が調べたことだから信用ならないと思うなら、七瀬にも聞いてくれ」
七瀬に確認したところ、蛇神もそのことを認識していたという。近くで起こったことで他の世界の干渉には、多少の興味を覚えていたらしい。幸運だった。蛇神なら、律の前に姿を現して、説明してくれるだろう。
律は迷っていたようだったが、結局、秋臣の手から調査書を受け取った。黙ってその文字列に目を通す律の表情には、懐疑心が見て取れた。
だが、全てを読み終えた時、律は大きく溜息をついて調査書を放り出し、意外なことを言った。
「全部、人の手の及ばない怪奇現象、というわけですね。わかりましたよ」
あっさりとしたその言葉に、秋臣は目を見開く。
「信じてくれるのか」
「これ、嘘なんですか」
律は問い返し、複雑な笑みともとれる表情を浮かべた。
「おれは突然、幽霊が視えるようになりました。そして、世界が一つだけではないことを聞き知りました。おれみたいな人が他にもいることを知りました。普通も常識も崩れたんですから、怪奇現象で起こる火事があっても、もう驚きも疑いもしませんよ」
つまり目隠しが取れたというわけですね、と律は他人事のように言った。
「おれの父は、久世家に何か秘密――後ろ暗いことがあると思っていました。おれも、父がそう考えるならそうなのだろうと、久世家に良い印象を持っていませんでした。でも、秘密は確かにありましたが、それは父が思っていた、法に触れるようなことではなく、まったく別の、千里眼という非常識なものだったんですね。おれとあなたの出会いも、まるで仕組まれたようなことなのに、ただの偶然、火事だって責める対象がないも同然だ……」
律は両手で顔を覆った。
「おれは……何を信じればいいんですか……」
この数週間で、浅沼律という人間が信じていた常識は、ことごとく覆されたのだろう。自分の軸というものが由来で当然だ。
秋臣は立ち上がりかけて、そのまま動けなかった。
手を伸ばすことは、人間の行動としては簡単な動作である。しかし、今の秋臣には、その動作がとても難しく、慣れた自分の手が重く、にっちもさっちもいかなかった。
今、律に近づいて背中に手を添えたとして、それは、彼の心を救う手助けとなるのだろうか?
分からなかった。
だから秋臣は、ティッシュの箱とハンカチをそっと律の傍に置き、障子戸から出ていった。
縁側には柱の陰に七瀬が立っていて、心配そうに秋臣の顔を見る。先ほどの律との会話を聞いていたのだろう。
これでよかったんだよ、という風に七瀬は頷く。
秋臣はしかし、静かに横に首を振り、彼の肩を叩いて脇を通り過ぎた。
誰も彼も、ひとりになる時間が必要だった。
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