60 / 64
僕は、お稲荷様①
しおりを挟む
魔女と山姥を神社に納めたコンコとリュウは、港に泊まる百千の船を横目に歩き、横浜駅を通り過ぎ、海上線路の側道を進み、青木橋から高台に上がった。
向かっているのは、高島邸だ。
「ごめんね、僕からあやかし退治に誘ったのに」
「今まで懸命に努めておったのだ、気持ちが落ち着くまで休むとよい」
コンコは、300年も続けてきたあやかし退治を辞めると言い出した。魔女と山姥の一件が、心に深手を負わせてしまったのだ。
余程の被害を及ぼさなければ、たとえあやかしでも生けとし生きるもの、封印しないのがコンコの方針だ。
人間に警鐘を鳴らすもの、天狗や座敷わらし、天神様のように神になるものもいる。
そうと知っているから、何でも封じればいいと思っていないのだ。
しかし、それが許される時代ではなくなった。
あやかしは、不気味というだけで悪く見られ、あやかしというだけで封印する。
そういう時代になってしまった。
休め、と言ったが本当に辞めてしまうかも知れない。リュウには、そう思えてならなかった。
「リュウは、これからどうするの?」
「そうだな……そろそろ、俺も陽の当たるところに出るとするかな」
あやかし退治を休むことがコンコの重荷にならないよう、リュウはあっけらかんと言い放った。
コンコは哀しい目をしたまま、ほんの少しだけ笑ってみせた。
僕が身を引いて、リュウが表舞台に戻るなら、それでいい。
そういう微笑みだった。
もし、リュウが陽の当たる場所に出たら、僕はどうなるだろう。
リュウと出逢っていなければ、祠と運命をともにして、この世界から消えていた。
そうだ、それが本来ある道だ。元の鞘に戻る、ただそれだけのこと。
……でも、リュウと離れるのは嫌だ!!
募る想いに背中を押され、リュウの顔を見上げると、高島邸に着いていた。玄関で履物を脱ごうとすると草履が一足、行儀よく並んでいるのに気付かされた。
こんな夜更けの先客に驚いていると、高島自ら出迎えてきた。困りごとから救われたような顔である。
横浜や財界のよもやま、更には巨万の富をもたらした易断を頼りにされて、隠棲してもまだまだ忙しいのだ。
「いやいや、すまないね」
「高島さん、お客さんいるんじゃないの?」
「君たちが来たのを察してくれてね、適当に帰るから見送りはいいと言ってくれたんだよ。さあ、上がっておくれ」
コンコとリュウに、心底安心して顔を緩ませる高島が気掛かりで仕方ない。一体、どんな客なのだろうか。
居間に落ち着くなり、コンコの沈んだ顔を高島が心配そうに覗き込んだ。
こんな顔を見るのは、電信の件以来だ。台場で勝に会ったことが尾を引いているのか。
しかし、リュウに変わったところはない。
いや、それは嘘だ。
何某かの覚悟を決めた態度である。
つまりコンコに何かがあった。
そう解した高島は話しやすいようにと、いつものように声を掛けた。
「それで、今日はどんなあやかしの話だい?」
パッと顔を上げたコンコは「魔女!」と言って口をつぐんで、消え入りそうな声で「あと山姥」とつぶやくと、唇を結んでうつむいた。
あやかし退治で悲しいことがあったのだろう、コンコから聞いては可哀想だ。そう思った高島の期待に、リュウが袂からチョコレートを出して、応えようとした。
「山手公園での怪異で──」
そのとき、襖がわずかに開かれた。先客が帰りの挨拶に来たようだ。
「突然上がって長居までして失礼した。これにてお暇するよ」
席を立った高島が襖を大きく開くと、コンコとリュウは金縛りに遭ったように、ピクリとも動けなくなってしまった。
「いいえ、こちらこそ中座して申し訳なかった。せめて見送りだけでも」
先客がチラリとこちらに目を向けた。ふたりを冷笑するような視線に、思考が停止させられる。
「いいや、お構いなく。今は、そちらのおふたりの方が大事な客人でしょう」
先客は、ぬらりひょんだった。
高島邸に上がるという思わぬ事態に、コンコもリュウも焦りを見せたが、身体も口も言うことを聞いてくれない。
出来ることといえば、立ち去るぬらりひょんに会釈をするだけだ。
玄関扉が閉まる音を合図にして、ふたりの呪縛は解き放たれた。穏やかさに支配された心が張り詰め、張り詰めて動けなかった身体が緩んだ。
やれやれ、やっと帰ってくれた。そういう顔をする高島に、コンコとリュウが詰め寄った。
「高島さん! 奴に何をされたの!?」
焦燥を隠さぬコンコの言葉に、高島はキョトンとするばかりだ。
「何って……手放した瓦斯局から来たとかで」
ガス会社は2年前の明治8年から、公営の横浜瓦斯局になっている。
すぐさま客間に行くと、うなるほどの金が積み上げられていた。
「ああ、結局置いていってしまったか……」
「このお金は、何?」
「謝礼を渡したいと言ってきてね、それを断っていたんだ。あちらも引かないものだから、ずっと押し問答をしていたんだよ」
これだけの大金を持ってきた相手から目を離すなど、とてもじゃないが考えられない行動だ。
高島も、ぬらりひょんにすっかり心を呑まれてしまったのだ。
「これは、受け取っていい金なのか……?」
リュウのひと言に、高島も呪縛から放たれた。事態を把握して顔面蒼白になったその瞬間、玄関から凄まじい怒号が轟き、使用人が血相を変えて飛んできた。
「旦那様! 瓦斯局から受け取った金子について聞きたいと、新聞記者が押し寄せております!」
向かっているのは、高島邸だ。
「ごめんね、僕からあやかし退治に誘ったのに」
「今まで懸命に努めておったのだ、気持ちが落ち着くまで休むとよい」
コンコは、300年も続けてきたあやかし退治を辞めると言い出した。魔女と山姥の一件が、心に深手を負わせてしまったのだ。
余程の被害を及ぼさなければ、たとえあやかしでも生けとし生きるもの、封印しないのがコンコの方針だ。
人間に警鐘を鳴らすもの、天狗や座敷わらし、天神様のように神になるものもいる。
そうと知っているから、何でも封じればいいと思っていないのだ。
しかし、それが許される時代ではなくなった。
あやかしは、不気味というだけで悪く見られ、あやかしというだけで封印する。
そういう時代になってしまった。
休め、と言ったが本当に辞めてしまうかも知れない。リュウには、そう思えてならなかった。
「リュウは、これからどうするの?」
「そうだな……そろそろ、俺も陽の当たるところに出るとするかな」
あやかし退治を休むことがコンコの重荷にならないよう、リュウはあっけらかんと言い放った。
コンコは哀しい目をしたまま、ほんの少しだけ笑ってみせた。
僕が身を引いて、リュウが表舞台に戻るなら、それでいい。
そういう微笑みだった。
もし、リュウが陽の当たる場所に出たら、僕はどうなるだろう。
リュウと出逢っていなければ、祠と運命をともにして、この世界から消えていた。
そうだ、それが本来ある道だ。元の鞘に戻る、ただそれだけのこと。
……でも、リュウと離れるのは嫌だ!!
募る想いに背中を押され、リュウの顔を見上げると、高島邸に着いていた。玄関で履物を脱ごうとすると草履が一足、行儀よく並んでいるのに気付かされた。
こんな夜更けの先客に驚いていると、高島自ら出迎えてきた。困りごとから救われたような顔である。
横浜や財界のよもやま、更には巨万の富をもたらした易断を頼りにされて、隠棲してもまだまだ忙しいのだ。
「いやいや、すまないね」
「高島さん、お客さんいるんじゃないの?」
「君たちが来たのを察してくれてね、適当に帰るから見送りはいいと言ってくれたんだよ。さあ、上がっておくれ」
コンコとリュウに、心底安心して顔を緩ませる高島が気掛かりで仕方ない。一体、どんな客なのだろうか。
居間に落ち着くなり、コンコの沈んだ顔を高島が心配そうに覗き込んだ。
こんな顔を見るのは、電信の件以来だ。台場で勝に会ったことが尾を引いているのか。
しかし、リュウに変わったところはない。
いや、それは嘘だ。
何某かの覚悟を決めた態度である。
つまりコンコに何かがあった。
そう解した高島は話しやすいようにと、いつものように声を掛けた。
「それで、今日はどんなあやかしの話だい?」
パッと顔を上げたコンコは「魔女!」と言って口をつぐんで、消え入りそうな声で「あと山姥」とつぶやくと、唇を結んでうつむいた。
あやかし退治で悲しいことがあったのだろう、コンコから聞いては可哀想だ。そう思った高島の期待に、リュウが袂からチョコレートを出して、応えようとした。
「山手公園での怪異で──」
そのとき、襖がわずかに開かれた。先客が帰りの挨拶に来たようだ。
「突然上がって長居までして失礼した。これにてお暇するよ」
席を立った高島が襖を大きく開くと、コンコとリュウは金縛りに遭ったように、ピクリとも動けなくなってしまった。
「いいえ、こちらこそ中座して申し訳なかった。せめて見送りだけでも」
先客がチラリとこちらに目を向けた。ふたりを冷笑するような視線に、思考が停止させられる。
「いいや、お構いなく。今は、そちらのおふたりの方が大事な客人でしょう」
先客は、ぬらりひょんだった。
高島邸に上がるという思わぬ事態に、コンコもリュウも焦りを見せたが、身体も口も言うことを聞いてくれない。
出来ることといえば、立ち去るぬらりひょんに会釈をするだけだ。
玄関扉が閉まる音を合図にして、ふたりの呪縛は解き放たれた。穏やかさに支配された心が張り詰め、張り詰めて動けなかった身体が緩んだ。
やれやれ、やっと帰ってくれた。そういう顔をする高島に、コンコとリュウが詰め寄った。
「高島さん! 奴に何をされたの!?」
焦燥を隠さぬコンコの言葉に、高島はキョトンとするばかりだ。
「何って……手放した瓦斯局から来たとかで」
ガス会社は2年前の明治8年から、公営の横浜瓦斯局になっている。
すぐさま客間に行くと、うなるほどの金が積み上げられていた。
「ああ、結局置いていってしまったか……」
「このお金は、何?」
「謝礼を渡したいと言ってきてね、それを断っていたんだ。あちらも引かないものだから、ずっと押し問答をしていたんだよ」
これだけの大金を持ってきた相手から目を離すなど、とてもじゃないが考えられない行動だ。
高島も、ぬらりひょんにすっかり心を呑まれてしまったのだ。
「これは、受け取っていい金なのか……?」
リュウのひと言に、高島も呪縛から放たれた。事態を把握して顔面蒼白になったその瞬間、玄関から凄まじい怒号が轟き、使用人が血相を変えて飛んできた。
「旦那様! 瓦斯局から受け取った金子について聞きたいと、新聞記者が押し寄せております!」
0
あなたにおすすめの小説
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-
ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。
1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。
わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。
だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。
これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。
希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。
※アルファポリス限定投稿
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。
記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。
これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語
※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる