猛毒の花と愛

栗菓子

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第1章 奈落

第3話 激情と憤怒

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女の悲痛な悲鳴が煩い。ああ、また逃亡奴隷や、反逆する者が処刑されたのか……。
のろのろと束の間眠っていた娼婦は、憂鬱な朝を過ごした。
このまま、また汚れた布団に倒れこむように寝たい。神様あたしを二度と目覚めさせないておくれ。
少し離れた斜め上にある古びた壊れかけの窓をみたくなかった。

忌々しい青い空がかすかに見える。そして鳥の鳴き声。あれは弔いの音だ。あたしは知っている。

多分、男だが女の遺体が、目立つ場所に鎖で吊るされ、黒い鳥や、多くの鳥がその朽ちた肉片や剥き出しの白い骨をついばんでいるだろう……。
見せしめだ。恐怖によって、あたしら娼婦たちを家畜のように震え上がらせ、抑えつけこもうとしている。醒めきった心がその時だけ僅かに激情を灯す。血が騒ぐ。

娼婦は疲れ切った体をのろのろと起こした。また、頑張らなければならない。でなければ、役立たずとして、奴隷へ落ちる。そうなれば、死への運命は秒読みだ。
お隣さん。ごめんね。まだ白い骨にはなりたくないよ。
娼婦はまだ死にたくなかった。衰えた皺やしみが目立つ顔を真っ白な化粧で誤魔化し、真っ赤な紅で偽りの生命力を与える。

娼婦は、自身の体験から知っていた。ここは救いはない。ほんの僅かの運のよい奴を除いては。
ああ、オモイやイツキは例外だね。
オモイはあっという間に殺されかかったのに、思わぬことで高次元の女神様と結びついて巫女に成っちまうんだからまったく運命は皮肉だね。誰にとってもね。
オモイに診てもらうとね。なんだかふあっと凍り付いた魂と体がね軽くなるんだよ。重い肉体と記憶の呪縛から解放されるのさ。

イツキね。イツキは変な奴だよ。容姿は特徴のない冴えない顔なのに、どこか格上の者達を惹きつける才能や魅力があるみたいだね。
なにかあるんじゃないのかね。あの子にも、巫女のような力がね。でもあべこべだね。とても獰猛な力と匂いも感じるんだよ。アハハ。あたしはねえ。死に対する嗅覚は敏感なのさ。
だから、20才以上まで生き延びられたんだけどね。

ああ、ああ、妬みは勿論あるね。でも今は、運命の皮肉さに翻弄されているよ。あたしは。

娼婦は知っていた。あたしと一緒に連れられた生贄。あたしのように性的な労働に勤しんでいるかな。いや、ほとんどの人が暴力にさらされてなすすべもなく殺されただろう。
ここでは、弱い者は最上級娼婦以外にしか保護されない。
後は己の運でしかない。娼婦は運が良かったのだ。凶暴な制御できぬ客に今まで出会わなかったのだから。
あたしのような女でも宥められる男たちで良かったよ。

あたしは運が良いんだ。唯、何故だろう。時折耐えがたい激情と憤怒があたしを苛む。
誰かを獣のように食らい噛みちぎりたくなる。
あたしは人間じゃない。売女だ。雌犬だ。虐げられた犬は人間を細切れにしたくなる。
ああお酒だね。お酒は良い。このどうしようもなく下らない世界を少しは楽しませる。
でも、同時に理性が欠けてしまうのはちょっと難点だ。

ふふ。でもあたしはお酒は止めないだろう。あたしの本能だ。
逃げて何が悪い。ここは娼婦の牢獄だ。精神的な逃避は悪くない。肉体的に実際に逃げたから
あいつらは今は生意気な鳥の食いものになっている。
ああ悲惨なものだ。どうしてだい。フン。地獄だからだ!何を今更!

お酒は、この世界での唯一の救いでもあるのさ。ああ薬もかね。

そうだねえ。最高級娼婦の真珠様だけはあたしは好きだよ。
真珠様は、お父様に愛されているからね。良かったよ。例え、この地獄に落とした張本人であろうともね、僅かな救いがあるといいんだよ。ああ狂っているかね。ハハハ。理性がなんだろう。それを言うなら、人間そのものが狂気の産物だよ。

真珠様はね。あたしらのような下級娼婦たちにまで、ご馳走を振舞って下さったんだよ。
なんでも20才の誕生日を迎えたからって。ああ、良かったねえ。
良く生き延びたねえ。だからなんだっていうんだよ。

あのご馳走は忘れられないよ。甘いジャムのついたパン、贅沢なソースに染み込んだ焼き魚や,汁が溢れる肉。野菜や貝の蒸し物。透明な濾した上品なスープ。バターと卵が大量に入ったパウンドケーキ。高級なワイン。反吐が出そうだ。

あるところにはあるんだねえ。今でもよだれが出そうだよ。
あれはあたしらにとって一夜の奇跡のような夢だったよ。

ああ、もちろん、晩餐が終わったあと、あたしらは奉仕したよ。
ふふ。その時は、最高級娼婦しか相手をしない勿体ぶった貴族とみられるお客様まで物好きにもあたしらに興味を示したのさ。全くこれも神様の悪戯かね。

あたしらは必死に奉仕したよ。だって運命を変える最初で最後のチャンスかもしれないからね。
ああ、残念ながらあたしは一夜妻だけで終わった。
でも、イツキね。イツキ・クランという下級男娼は、格上の人たちに大層お気に召されたよ。
どうしてかね。何が違うのかねエ。

あたしにはわからない。唯、生き長らえたこの命を不完全燃焼に燻らせるのさ。
フン!無為に生きた命が無為に永らえて生きるだけだ。お前は無価値な娼婦!神様から『無価値なる者』として誰にも愛されずに生きるよう刻印された羊さ。

ああ、いけない。あたしの中のもう一人のあたしが支離滅裂に、あたしを罵っている。
あたしはちびちびと酒を舐めるように飲む。
僅かな酸味と旨味が舌の上で泡のように溶ける。この瞬間があたしは好きだ。

凍り付いた血を火照らせ、魂さえも酔わせる神酒!あたしの命綱!
あたしはこどものようにはしゃいでしゃべりまくる。

ねえ、あんた。どうしてだい。あたしは無言でどことも知れぬ誰かに語る。
何故あいつらは死ななきゃならなかった。何故あたしはここにいる。これが運命か?
だとしたらなんでいかれた滑稽な人生であることか!
あたしはアハハといかれたように笑い、仕事に出向くのだ。
娼婦という役割を果たすためにあたしは丁寧に化粧をし、とびきりの服をぴったりと体に馴染ませて艶やかに、肉体美をさらけ出すのだ。
この濃厚な死の世界に抗うエロス、男根を奮い出す。あたしは性交は好きだ。その時だけ死神の影をあっちいっちまえとやっつけることができる。フフフン。
どうしてだよ。あたしは時折蘇る激情と憤怒とともに、荒々しい性交をする。
ああ、あんた。あたしを殺す気だね。いいだろう。あたしもあんたを屈服させるよ。
アンタの息を止める。
そうかとあたしはハッと正気に戻る。だからお偉方のお気に召さなかったのかもね。

あたしの衝動性、荒々しさに。ああ、ああ、うんざりだよ。こんな人生。ばからしい。

あたしの中の獰猛な野蛮な自然の獣がグルルルルと呻き声を上げている。

みんな消えればいいのにね。あたしを搾取する奴ら。あたしを切り売りする奴ら。みんなはじけて消えてしまえ。

バアン。脳髄が飛び出た奴らを妄想してあたしは禍々しく微笑む。

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