王子の溺愛癖を、私はまだ知らない。

Wataru

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仕事の話

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呼び出されたのは、昼下がりだった。

 エリナは籠を抱え、王宮の上階へ向かっていた。
 中に入っているのは、頼まれていた薬草一式。
 香りが混じらないよう、ひとつひとつ包み直してある。

 ――仕事の話。
 そう言われただけだ。

 それなのに。
 胸の奥が、落ち着かない。

 執務室の前で足を止めると、従者が静かに扉を開けた。

「お入りください」

 一歩、足を踏み入れる。

 整えられた机。
 差し込む光。
 そして、その奥に立つ第一王子バルディン。

 昨日と同じ、穏やかな表情。
 まるで、何もなかったかのような顔。

「来てくれたんだな」

 柔らかな声だった。

「はい。薬草をお届けに」

 エリナは籠を差し出す。
 王子はそれを受け取らず、視線だけで中を確認した。

「随分と丁寧だな」

「扱い方で効きが変わりますので」

 それだけの会話。
 それだけのはずなのに。

 王子の視線が、
 ふと、エリナの手元から顔へと戻る。

 何かを測るような、静かな目。

「……君は、こういうことに慣れている」

 断定ではない。
 問いでもない。

 ただの事実を口にしているようで、
 だからこそ、胸がざわつく。

「薬草を扱う者は、皆そうです」

 エリナは、慎重に答えた。

 王子は小さく頷き、机の端に籠を置いた。

「随分と揃えてくれたな」

「香りが混ざらないようにしてあります」

 それだけのやり取りのはずだった。

 けれど。

 エリナは、王子の手元に視線を落とし、
 ふと、言葉を漏らしていた。

「……お怪我は、大丈夫ですか?」

 一瞬、室内の空気が止まる。

 王子は、すぐには答えなかった。
 代わりに、ゆっくりとエリナを見る。

「どうして、そう思った?」

 静かな問い。

「薬草が必要だと聞いたので……」

 自分でも、余計だったかもしれないと思いながら、
 それでも、引き下がれなかった。

 王子の口元が、わずかに緩む。

「……君が、見てくれるのか?」

 探るような声。

 エリナの胸が、小さく跳ねる。

「私に……できることでしたら」

 王子は一拍置き、視線を外した。

「大したことじゃない」

 あっさりと、距離を引く。

「君が気にするほどのものでもない」

 そう言ってから、
 王子は籠に手を伸ばし、薬草をひとつ取り上げた。

「だが、これがあると助かる」

 仕事の話に戻る。
 まるで、今のやり取りが存在しなかったかのように。

 エリナは、小さく息を吐いた。

「分かりました。調合の指示書も、後ほどお渡しします」

「頼む」

 短い返事。

 それだけなのに、
 胸の奥に、奇妙な余韻が残る。

 必要とされた。
 けれど、踏み込ませてもらえなかった。

 王子は、再び穏やかな表情に戻り、
 机に向かう。

「今日はこれでいい」

 ――今日は。

 その言葉が、また耳に残った。

「下がっていい」

「……失礼いたします」

 エリナは一礼し、執務室を後にする。

 扉が閉まる直前、
 背中に視線を感じた気がしたが、
 振り返る勇気はなかった。



 静かになった室内で、
 バルディンは薬草を指先で転がした。

(……やはり、だ)

 怪我の話を出しても、
 慌てて否定もしない。

 探るように間を置いて、
 それでも――

 “見てくれるか”と聞けば、
 迷いなく、一歩踏み出してくる。

(素直だな)

 だからこそ、扱いやすい。

 そして――
 だからこそ、逃がさない。

 バルディンは、籠の蓋を閉めた。

(次は、頼む番だ)

 仕事という名目で。
 気遣いという形で。

 少しずつ、距離を詰めていけばいい。

 檻の中だと気づく頃には、
 もう、外は見えなくなっている。
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