47 / 62
君にしか頼めない
しおりを挟む
執務室に呼ばれたのは、昼を少し過ぎた頃だった。
エリナは、薬草の籠を抱えたまま扉の前に立つ。
深呼吸をひとつして、ノックをした。
「――入れ」
低く、落ち着いた声。
扉を開けると、王子は机から少し離れた位置に立っていた。
書類は片づけられ、室内には、どこか生活の匂いが残っている。
「薬草の件、ありがとう」
「いえ……こちらこそ」
形式的な会話。
それだけのはずだった。
王子は一度視線を外し、窓の方へ向く。
ほんの数拍の沈黙。
「……実はな」
振り返らずに、そう切り出した。
「最近、どうも食事が喉を通らない」
エリナは、思わず顔を上げる。
「お身体の具合が?」
「大したことじゃない。医師にも診せた」
「だが……薬より、食事の方が効く気がしてな」
その言葉に、胸が小さく跳ねた。
「もしよろしければ……薬膳をお作りしますか?」
自分から出た言葉に、エリナ自身が驚く。
けれど、後悔はなかった。
王子は、その反応を待っていたかのように、
ゆっくりと視線を戻す。
「……頼めるか?」
低い声。
試すようでもあり、確かめるようでもある。
「はい。私にできることであれば」
一瞬、空気が変わった。
王子は、ほんのわずかに口元を緩める。
「助かる」
そして、続けて。
「君にしか、頼めない」
ほんの一瞬、言葉が途切れた。
沈黙が落ちる。
エリナは、その沈黙に意味を探してしまう。
(……どうして、私に)
妃候補は他にもいる。
薬草に詳しい者だって、城にはいるはずだ。
それなのに。
王子は、視線を逸らさずに続けた。
「無理なら断ってもいい」
そう言いながら、
断られるとは思っていない声音だった。
エリナの胸が、わずかに高鳴る。
(……必要と、されている)
その感覚が、思っていた以上に甘くて、
怖いほど、嬉しかった。
「……私でよければ」
気づけば、もう答えていた。
「……光栄です」
声が、少しだけ上ずった。
王子は、それに気づいた様子もなく、
淡々と条件を告げる。
「毎日でなくていい。無理はするな」
「場所は……ここだ。誰にも邪魔されない」
――誰にも。
その言葉が、なぜか引っかかった。
「分かりました」
そう答えながら、
エリナは胸の奥に、小さな不安を覚える。
(……本当に、仕事の話だけ?)
けれど。
問いかける勇気は、なかった。
王子は、それ以上踏み込まない。
優しくもなく、冷たくもない距離。
だからこそ、
断る理由が見つからない。
「では、明日からで」
「……ああ」
視線が、ふっと重なる。
一瞬だけ。
ほんの一瞬。
それだけで、
また一歩、近づいてしまった気がした。
執務室を出たあと。
エリナは、自分の胸に手を当てる。
(……君にしか、頼めない)
その言葉が、何度も頭の中で繰り返された。
嬉しい。
確かに、嬉しい。
――でも。
それが、
どこまで許される距離なのか。
エリナには、まだ分からなかった。
エリナは、薬草の籠を抱えたまま扉の前に立つ。
深呼吸をひとつして、ノックをした。
「――入れ」
低く、落ち着いた声。
扉を開けると、王子は机から少し離れた位置に立っていた。
書類は片づけられ、室内には、どこか生活の匂いが残っている。
「薬草の件、ありがとう」
「いえ……こちらこそ」
形式的な会話。
それだけのはずだった。
王子は一度視線を外し、窓の方へ向く。
ほんの数拍の沈黙。
「……実はな」
振り返らずに、そう切り出した。
「最近、どうも食事が喉を通らない」
エリナは、思わず顔を上げる。
「お身体の具合が?」
「大したことじゃない。医師にも診せた」
「だが……薬より、食事の方が効く気がしてな」
その言葉に、胸が小さく跳ねた。
「もしよろしければ……薬膳をお作りしますか?」
自分から出た言葉に、エリナ自身が驚く。
けれど、後悔はなかった。
王子は、その反応を待っていたかのように、
ゆっくりと視線を戻す。
「……頼めるか?」
低い声。
試すようでもあり、確かめるようでもある。
「はい。私にできることであれば」
一瞬、空気が変わった。
王子は、ほんのわずかに口元を緩める。
「助かる」
そして、続けて。
「君にしか、頼めない」
ほんの一瞬、言葉が途切れた。
沈黙が落ちる。
エリナは、その沈黙に意味を探してしまう。
(……どうして、私に)
妃候補は他にもいる。
薬草に詳しい者だって、城にはいるはずだ。
それなのに。
王子は、視線を逸らさずに続けた。
「無理なら断ってもいい」
そう言いながら、
断られるとは思っていない声音だった。
エリナの胸が、わずかに高鳴る。
(……必要と、されている)
その感覚が、思っていた以上に甘くて、
怖いほど、嬉しかった。
「……私でよければ」
気づけば、もう答えていた。
「……光栄です」
声が、少しだけ上ずった。
王子は、それに気づいた様子もなく、
淡々と条件を告げる。
「毎日でなくていい。無理はするな」
「場所は……ここだ。誰にも邪魔されない」
――誰にも。
その言葉が、なぜか引っかかった。
「分かりました」
そう答えながら、
エリナは胸の奥に、小さな不安を覚える。
(……本当に、仕事の話だけ?)
けれど。
問いかける勇気は、なかった。
王子は、それ以上踏み込まない。
優しくもなく、冷たくもない距離。
だからこそ、
断る理由が見つからない。
「では、明日からで」
「……ああ」
視線が、ふっと重なる。
一瞬だけ。
ほんの一瞬。
それだけで、
また一歩、近づいてしまった気がした。
執務室を出たあと。
エリナは、自分の胸に手を当てる。
(……君にしか、頼めない)
その言葉が、何度も頭の中で繰り返された。
嬉しい。
確かに、嬉しい。
――でも。
それが、
どこまで許される距離なのか。
エリナには、まだ分からなかった。
10
あなたにおすすめの小説
あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます
おぜいくと
恋愛
「あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます。さようなら」
そう書き残してエアリーはいなくなった……
緑豊かな高原地帯にあるデニスミール王国の王子ロイスは、来月にエアリーと結婚式を挙げる予定だった。エアリーは隣国アーランドの王女で、元々は政略結婚が目的で引き合わされたのだが、誰にでも平等に接するエアリーの姿勢や穢れを知らない澄んだ目に俺は惹かれた。俺はエアリーに素直な気持ちを伝え、王家に代々伝わる指輪を渡した。エアリーはとても喜んでくれた。俺は早めにエアリーを呼び寄せた。デニスミールでの暮らしに慣れてほしかったからだ。初めは人見知りを発揮していたエアリーだったが、次第に打ち解けていった。
そう思っていたのに。
エアリーは突然姿を消した。俺が渡した指輪を置いて……
※ストーリーは、ロイスとエアリーそれぞれの視点で交互に進みます。
王太子は妃に二度逃げられる
たまこ
恋愛
デリンラード国の王太子アーネストは、幼い頃から非常に優秀で偉大な国王になることを期待されていた。
初恋を拗らせ、七年も相手に執着していたアーネストが漸く初恋に蹴りを付けたところで……。
恋愛方面にはポンコツな王太子とそんな彼をずっと支えていた公爵令嬢がすれ違っていくお話。
※『拗らせ王子と意地悪な婚約者』『先に求めたのは、』に出てくるアーネストのお話ですが、こちらだけでも楽しめるようになっております。
[完]僕の前から、君が消えた
小葉石
恋愛
『あなたの残りの時間、全てください』
余命宣告を受けた僕に殊勝にもそんな事を言っていた彼女が突然消えた…それは事故で一瞬で終わってしまったと後から聞いた。
残りの人生彼女とはどう向き合おうかと、悩みに悩んでいた僕にとっては彼女が消えた事実さえ上手く処理出来ないでいる。
そんな彼女が、僕を迎えにくるなんて……
*ホラーではありません。現代が舞台ですが、ファンタジー色強めだと思います。
【完結済】春を迎えに~番という絆に導かれて~
廻野 久彩
恋愛
辺境の村から王都の星環教会へやってきた研修生アナベル・ウィンダーミア。
門で出会った王族直属騎士団副団長ルシアン・ヴァルセインと握手を交わした瞬間、二人の手首に金色の光が浮かび上がる。
それは"番"——神が定めた魂の半身の証。
物語の中でしか聞いたことのない奇跡的な出会いに胸を躍らせるアナベルだったが、ルシアンの口から告げられたのは冷酷な現実だった。
「俺には……すでに婚約者がいる」
その婚約者こそ、名門ルヴェリエ家の令嬢セレナ。国境の緊張が高まる中、彼女との政略結婚は王国の命運を左右する重要な政治的意味を持っていた。
番の衝動に身を焼かれながらも、決して越えてはならない一線を守ろうとするルシアン。
想い人を諦めきれずにいながら、彼の立場を理解しようと努めるアナベル。
そして、すべてを知りながらも優雅に微笑み続けるセレナ。
三人の心は複雑に絡み合い、それぞれが異なる痛みを抱えながら日々を過ごしていく。
政略と恋情、義務と本心、誠実さと衝動——
揺れ動く想いの果てに、それぞれが下す選択とは。
番という絆に翻弄されながらも、最後に自分自身の意志で道を選び取る三人の物語。
愛とは選ぶこと。
幸せとは、選んだ道を自分の足で歩くこと。
番の絆を軸に描かれる、大人のファンタジーロマンス。
全20話完結。
**【キーワード】**
番・運命の相手・政略結婚・三角関係・騎士・王都・ファンタジー・恋愛・完結済み・ハッピーエンド
【完結済】ラーレの初恋
こゆき
恋愛
元気なアラサーだった私は、大好きな中世ヨーロッパ風乙女ゲームの世界に転生していた!
死因のせいで顔に大きな火傷跡のような痣があるけど、推しが愛してくれるから問題なし!
けれど、待ちに待った誕生日のその日、なんだかみんなの様子がおかしくて──?
転生した少女、ラーレの初恋をめぐるストーリー。
他サイトにも掲載しております。
凍雪の約束
苺迷音
恋愛
政略として嫁ぐことが決まっている令嬢・キャローナと、従者として主を守り抜くことが全てだった青年・クリフォード。
降りしきる雪の中、彼女が差し出した右手。彼はその手を取り、守り続けてきた忠誠と義務の境界を自ら踏み越える。
そして、雪は命の音を奪っていった。
※ご覧いただけましたらとても嬉しいです。よろしくお願いいたします。
お飾りな妻は何を思う
湖月もか
恋愛
リーリアには二歳歳上の婚約者がいる。
彼は突然父が連れてきた少年で、幼い頃から美しい人だったが歳を重ねるにつれてより美しさが際立つ顔つきに。
次第に婚約者へ惹かれていくリーリア。しかし彼にとっては世間体のための結婚だった。
そんなお飾り妻リーリアとその夫の話。
橘若頭と怖がり姫
真木
恋愛
八歳の希乃は、母を救うために極道・橘家の門を叩き、「大人になったら自分のすべてを差し出す」と約束する。
その言葉を受け取った橘家の若頭・司は、希乃を保護し、慈しみ、外界から遠ざけて育ててきた。
高校生になった希乃は、虚弱体質で寝込んでばかり。思いつめて、今まで養ってもらったお金を返そうと夜の街に向かうが、そこに司が現れて……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる