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第1話 第一章 居場所のない少女
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第一章
ある夏、家出した少女が一人、自宅から十キロ近く離れた公園で一夜を明かそうとしていた。
もう自分は子供ではないつもりだから、数日間程度は一人で過ごせると確信していた。財布の中はそれなりに、あくまでそれなりだが、充実している。
公園の隅の、丸太を組んだアスレチックジムの中で体を丸めて眠った少女が、ふと目を覚ましたのは、日付が変わった頃だった。
足音がする。
公園の脇にある桜の木に、人間が一人、歩み寄っていくのが見えた。女のようだった。
彼女の体には、そこかしこに、大小の緑色の光の粒がまとわり付いている。電球の類ではない。柔らかそうな質感のそれは、ゆっくりとうごめいていた。
少女はその現象について学校やニュースで聞きはしていたが、実際に見るのは初めてだった。
質量も触感もほぼ無い、不可思議な存在。
光は妙に毒々しく、決して幻想的ではない。
女は自分のスカートの細いベルトを抜き取ると、輪にしたそれを桜の枝に引っかけた。輪の端を自分の首に回し、虚空に座るように体をかがめる。
ベルトに女の体重がかかり、ぴんと張った。
光の粒が、女の体をゆっくりと這い回る。少女はそれを、まんじりともせずに見ていた。
やがて首を吊った女の体から力が抜け、だらりと空中に垂れ下がった。
その時になって、ようやく少女は、恐る恐る女に近づいた。
役目を終えたように、光の粒が女の体からはがれて地面にぽとぽとと落ちて行くのを、間近で見る。
ひとつひとつはビーズくらいの、夜にだけ現れる、不定形の緑色の発光体。寄り集まって、人間の拳大になっているものもある。最近、世界中でもこれが大きな話題になっている。
どこから来て、どこへ行くのだろう。
――気をつけなさい。触れてはいけない――
大人達はそう諭すだけで、それ以上のことを、誰も教えてはくれない。
そうして今日も、大勢の人が、死んで行く。
■
十五歳の誕生日を、私は誰にも祝ってはもらえなかった。
きっと、来週迎える、十六歳のそれも同じだろう。
クラスメイトには、そもそも私の誕生日を知っている人間はいない。私には父親はいないし、母親は私の誕生日など気にも留めたことがない。ただ、私も母親の誕生日など知らないので、お互い様ではあった。
古く汚い団地の、私の部屋の窓を開ける。
二階からの眺めの中には、灰色の空の下、うらぶれた街が広がっていた。
冬の朝の空気は、澄んでいるから、なおさら空しい。
私は空気を入れ替えると、すぐに窓を閉めて着替えた。青い色の制服。何かに身を包むことで、ようやく自分を手に入れたような気になる。
団地は、古くて、どこも臭い。それに加えて私の家の中も、独特の臭気がある。
きっと私も臭い。制服も臭い。
高校までは、家から三十分ほど歩けば着く。
母親が出かけているのを確かめてから――何をしに出ているのかは知らないけど、少なくとも仕事ではない――、私は時間ぎりぎりに家を出た。
途中で、歩道に、つぶれたカラスの死骸を見つけた。
周囲に人はいたけど、皆見て見ぬ振りをして通り過ぎて行く。
誰の気も引かない死骸に、奇妙な親近感が湧いた。まるで私のような死骸。
それでも私はただ死骸をまたいで、学校へと急いだ。
人の手で埋葬されるなんて、とんでもない。私なら、絶対に御免こうむる。
幅十メートルくらいの校門は、十年ほど前に設けられたという、ごつくていかつい鉄製のセキュリティ装置に両端を挟まれている。
何十年だか続いている不況のせいで、私達の街も、以前に比べるとずいぶん治安が悪くなっているらしい。政府の管理が強化されて、街中のそこかしこに、カメラだの何とか測定機だのといった安全対策上の設備が設置されていた。
校門の左右で銀色にぎらぎらと光る装置は、ただの鉄の柵に過ぎない門扉と不釣り合いだったけど、頼もしくないことはなかった。学校は周囲を三メートル近い高さの塀で覆われているけど、その上部は更に鉄条網が張られている。通常の鉄条網よりもたくさん棘がついて攻撃的な形をしているそれが、侵入者対策に役に立っているのかどうか実際のところは分からないけど、少なくとも、遅刻して校門を突破し損ねた生徒を阻むのには充分ではあった。
この高校は設立当時の土地事情のため、丘の上の林を切り開いて建てられていたので、昼間でも周囲が木立に囲まれて薄暗い。民家も近所には無く、丘を下ったところにぽつぽつとあるだけなので、不審者対策は職員室でもよく話題に出たらしい。それにしても、刑務所のような物々しさは、好きにはなれない。
学校の敷地は校門の所で一段高くなっていて、焦って走ったりしているとよくつまずいて転ぶ。その校門を慎重に踏み越えたところで、
「あ、エリヤちゃんだ。おーい、時森エリヤちゃん」
と声をかけられた。振り向くと、三年生の藍崎柚子生先輩が、やや膝を隠すくらいの丈のスカートを揺らして走り寄って来た。
「エリヤちゃんて本当、遅刻ぎりぎりに来るのねー。今日は、放課後に部室に来る?」
私は二学期から、高校の第四文芸部に所属している。第四というだけあって、部員は少ないし、活動にも熱心ではないところが長所の部だった。
一学期を終えた時点で私は、いかに家で母親と過ごす時間を削減するかが、私の精神衛生の保護において大切であるかを思い知った。顔を合わせれば不愉快で、会話をすればもっと不愉快になる。特別本が好きではなかったけど、夜まで時間をつぶす言い訳が欲しくて、入部した。
部員は私を含めて七人しかいない。都合のいい居場所ができた、と思っただけに、こうして積極的に関わって来る先輩は少しうっとうしい。それでもなるべく愛想のいい顔で、
「ええ」
と藍崎先輩を見上げた。彼女は、十センチ以上私よりも背が高い。さらさらの明るい髪、つるりとした白磁のような肌、色素が薄いけど意志の強そうな目。私と同じ人類だとは、思えなかった。
「良かった、今日は人手が欲しかったから。……って、そんなに憮然としないでよ、機嫌悪かった?」
と先輩が苦笑いする。どうやら私は、表情筋の操作能力に難があるようだった。
「ああいけない、遅刻しちゃう。あたしの教室三階だから大変だよ。じゃ、後でね」
気分を害した風も無く、藍崎先輩は昇降口へ駈け込んで行く。追い越しざまに、同級生でも部活仲間でもない知り合いらしい数人に、挨拶を交わしながら。
ああいう風になってみたい、とは思う。
ああいう風にだけはなりたくない、とも思う。
私はそれ以降誰にも、声をかけもかけられもせずに、二階にある1-A教室に入った。
高校の授業は、中学と比べて、粛々と静かに行われた。
この高校では、入学時に生徒全員に携帯端末が学校側から配られている。個人の携帯電話の類の学校持ち込みを禁じても徹底は難しく、授業中の風紀改善のために最近の高校では割合導入されることの多いルールだった。私用に使ってもよく、通信費は一定まで無料で、ただし授業中などは強制的に電源がオフになる。個人の携帯端末は学校へ持ち込むのは構わないけれど、放課後までは電源を切っておかなければならず、違反すれば一日没収となる。
お陰で、授業中に不意の着信音や振動音が教室内に響くことはほとんどなかった。 そうと直接説明されたことはないけど、恐らく学校の裏サイトやネットでのいじめの統制にも有効だろうと思われた。もちろん、いたちごっこなのだろうけど。
ネットなど使わなくても、やはりいじめは存在した。この頃流行していたのは『ステルス』といういじめ方で、いじめの主犯がターゲットに対して、いかにいじめられていることを本人に悟らせずにいじめるか、というものだった。
やられている方が、自分がいじめられていると確信したら失敗らしい。これくらいはいじめられているうちに入らない、とターゲットが自分に言い聞かせている様子がたまらなく面白いのだと聞いた。
幸い、いじめ甲斐も無いのか、この高校で私が標的になることはなかった。
私は、外国人の特徴のある風貌でありながら、休み時間はもちろん、授業中にさえクラスの中で自分の存在感を消し去る能力を身に着けていた。
こんな私は、学校という巣を出て、果たしてまともに生きていけるのだろうか。自分が結婚したり就職したりなんてことは、想像もできない。社会で人様に迷惑をかける前に、なるべく早めに、全く苦しくない自殺方法を見つけておくべきかもしれない、とよく考える。
二週間くらい前、ちょうど十一月に入った頃、そんな私のクラスメイトが一人、学校の屋上から飛び降り自殺をした。
数少ない目撃者の一人が、私だった。
何となく家に帰りたくなくて、学校から出てもぶらぶらと辺りを歩き、夜の十時を回った頃。私は、学校に自分の携帯端末を忘れたことにきづいた。別に一晩くらいなくてもどうということはないのだけど、手元に無いと何となく落ち着かない。
すっかり暗くなった道を小走りで学校まで戻ると、案の定校門はがっちりと閉まっていた。セキュリティ装置は門を強固に固定していて、校門を乗り越えたりすればセンサーが察知して警報が響く。
これは諦めるしかないかな……と思った時、ふと本校舎の屋上に、緑色の光がちらつくのが見えた。
夜煌蟲、だ。
ミカンくらいの光の玉をいくつも体にまとわりつかせて、一人の人間が屋上の端に立っている。うちの学校の、男子生徒のようだった。遠目にも、制服を着ているのが見える。
粒状のものならともかく、あんなに大きい夜煌蟲を、しかも複数見たのは初めてだった。私がこれまでに見た最も大きいサイズでも桜貝くらいのもので、それが数個あれば子供の『致死量』には充分だと聞いていた。
私が声を上げる間もなく、男子生徒は飛び降りた。付着していた緑の光はいくつもの真一文字の軌跡を描いて真下に伸び、人間が地面と激突した衝撃で、辺りに飛び散った。
幸い、学校の用務員さんがすぐに電話していたらしく、間もなく救急車が到着した。夜煌蟲はその間にのそのそと這いずって逃げ、今では跡形もない。
いつの頃からか人間の前に表れた、不思議な発光体。つかむことはできるけど、質量も触感もほとんど持たない。夜にだけ活動し、人間に取り憑くと、強烈な自殺衝動を噴き出させる。夜煌蟲については自治体も注意を呼びかけているけど、その対策は今のところ、近寄らないということだけだった。くっつかれたくらいなら引き剥がせるけど、最悪体内に侵入されると、まず取り去れない。
今夜はもう、学校に近寄らない方がいい。私は端末を諦めて、家に帰った。私の性格上、知らない男子が死んだところで特別悲しくもなかったけど、それなりに気分はふさいだ。
ドアの前に着いてから一応体を確かめると、どこでついたものか、すねの処に小指の先ほどの大きさの夜煌蟲が這っていた。気分が沈んでいたからきづかなかったのか、これのせいで余計に気分が沈んだのか。どちらにしてもこれくらいなら大したことはないので、つまんで取り、排水溝に投げ捨てる。どうせ、踏みつけたって殺せはしない。
家に入ると、母親は私の顔を見てため息をつき、その吐息の終わる辺りで舌打ちした。
産まれてから今までに、私が一番多く聞いた音は、母親の舌打ちではないかと思う。その次が母親のため息。
いつまで経っても、その不快さに慣れない。
いつまで慣れないんだろう。どちらかが、死ぬまでだろうか。
そんな日が、早く来るといい。きっとどちらも、一人ぼっちで死ぬ。
ある夏、家出した少女が一人、自宅から十キロ近く離れた公園で一夜を明かそうとしていた。
もう自分は子供ではないつもりだから、数日間程度は一人で過ごせると確信していた。財布の中はそれなりに、あくまでそれなりだが、充実している。
公園の隅の、丸太を組んだアスレチックジムの中で体を丸めて眠った少女が、ふと目を覚ましたのは、日付が変わった頃だった。
足音がする。
公園の脇にある桜の木に、人間が一人、歩み寄っていくのが見えた。女のようだった。
彼女の体には、そこかしこに、大小の緑色の光の粒がまとわり付いている。電球の類ではない。柔らかそうな質感のそれは、ゆっくりとうごめいていた。
少女はその現象について学校やニュースで聞きはしていたが、実際に見るのは初めてだった。
質量も触感もほぼ無い、不可思議な存在。
光は妙に毒々しく、決して幻想的ではない。
女は自分のスカートの細いベルトを抜き取ると、輪にしたそれを桜の枝に引っかけた。輪の端を自分の首に回し、虚空に座るように体をかがめる。
ベルトに女の体重がかかり、ぴんと張った。
光の粒が、女の体をゆっくりと這い回る。少女はそれを、まんじりともせずに見ていた。
やがて首を吊った女の体から力が抜け、だらりと空中に垂れ下がった。
その時になって、ようやく少女は、恐る恐る女に近づいた。
役目を終えたように、光の粒が女の体からはがれて地面にぽとぽとと落ちて行くのを、間近で見る。
ひとつひとつはビーズくらいの、夜にだけ現れる、不定形の緑色の発光体。寄り集まって、人間の拳大になっているものもある。最近、世界中でもこれが大きな話題になっている。
どこから来て、どこへ行くのだろう。
――気をつけなさい。触れてはいけない――
大人達はそう諭すだけで、それ以上のことを、誰も教えてはくれない。
そうして今日も、大勢の人が、死んで行く。
■
十五歳の誕生日を、私は誰にも祝ってはもらえなかった。
きっと、来週迎える、十六歳のそれも同じだろう。
クラスメイトには、そもそも私の誕生日を知っている人間はいない。私には父親はいないし、母親は私の誕生日など気にも留めたことがない。ただ、私も母親の誕生日など知らないので、お互い様ではあった。
古く汚い団地の、私の部屋の窓を開ける。
二階からの眺めの中には、灰色の空の下、うらぶれた街が広がっていた。
冬の朝の空気は、澄んでいるから、なおさら空しい。
私は空気を入れ替えると、すぐに窓を閉めて着替えた。青い色の制服。何かに身を包むことで、ようやく自分を手に入れたような気になる。
団地は、古くて、どこも臭い。それに加えて私の家の中も、独特の臭気がある。
きっと私も臭い。制服も臭い。
高校までは、家から三十分ほど歩けば着く。
母親が出かけているのを確かめてから――何をしに出ているのかは知らないけど、少なくとも仕事ではない――、私は時間ぎりぎりに家を出た。
途中で、歩道に、つぶれたカラスの死骸を見つけた。
周囲に人はいたけど、皆見て見ぬ振りをして通り過ぎて行く。
誰の気も引かない死骸に、奇妙な親近感が湧いた。まるで私のような死骸。
それでも私はただ死骸をまたいで、学校へと急いだ。
人の手で埋葬されるなんて、とんでもない。私なら、絶対に御免こうむる。
幅十メートルくらいの校門は、十年ほど前に設けられたという、ごつくていかつい鉄製のセキュリティ装置に両端を挟まれている。
何十年だか続いている不況のせいで、私達の街も、以前に比べるとずいぶん治安が悪くなっているらしい。政府の管理が強化されて、街中のそこかしこに、カメラだの何とか測定機だのといった安全対策上の設備が設置されていた。
校門の左右で銀色にぎらぎらと光る装置は、ただの鉄の柵に過ぎない門扉と不釣り合いだったけど、頼もしくないことはなかった。学校は周囲を三メートル近い高さの塀で覆われているけど、その上部は更に鉄条網が張られている。通常の鉄条網よりもたくさん棘がついて攻撃的な形をしているそれが、侵入者対策に役に立っているのかどうか実際のところは分からないけど、少なくとも、遅刻して校門を突破し損ねた生徒を阻むのには充分ではあった。
この高校は設立当時の土地事情のため、丘の上の林を切り開いて建てられていたので、昼間でも周囲が木立に囲まれて薄暗い。民家も近所には無く、丘を下ったところにぽつぽつとあるだけなので、不審者対策は職員室でもよく話題に出たらしい。それにしても、刑務所のような物々しさは、好きにはなれない。
学校の敷地は校門の所で一段高くなっていて、焦って走ったりしているとよくつまずいて転ぶ。その校門を慎重に踏み越えたところで、
「あ、エリヤちゃんだ。おーい、時森エリヤちゃん」
と声をかけられた。振り向くと、三年生の藍崎柚子生先輩が、やや膝を隠すくらいの丈のスカートを揺らして走り寄って来た。
「エリヤちゃんて本当、遅刻ぎりぎりに来るのねー。今日は、放課後に部室に来る?」
私は二学期から、高校の第四文芸部に所属している。第四というだけあって、部員は少ないし、活動にも熱心ではないところが長所の部だった。
一学期を終えた時点で私は、いかに家で母親と過ごす時間を削減するかが、私の精神衛生の保護において大切であるかを思い知った。顔を合わせれば不愉快で、会話をすればもっと不愉快になる。特別本が好きではなかったけど、夜まで時間をつぶす言い訳が欲しくて、入部した。
部員は私を含めて七人しかいない。都合のいい居場所ができた、と思っただけに、こうして積極的に関わって来る先輩は少しうっとうしい。それでもなるべく愛想のいい顔で、
「ええ」
と藍崎先輩を見上げた。彼女は、十センチ以上私よりも背が高い。さらさらの明るい髪、つるりとした白磁のような肌、色素が薄いけど意志の強そうな目。私と同じ人類だとは、思えなかった。
「良かった、今日は人手が欲しかったから。……って、そんなに憮然としないでよ、機嫌悪かった?」
と先輩が苦笑いする。どうやら私は、表情筋の操作能力に難があるようだった。
「ああいけない、遅刻しちゃう。あたしの教室三階だから大変だよ。じゃ、後でね」
気分を害した風も無く、藍崎先輩は昇降口へ駈け込んで行く。追い越しざまに、同級生でも部活仲間でもない知り合いらしい数人に、挨拶を交わしながら。
ああいう風になってみたい、とは思う。
ああいう風にだけはなりたくない、とも思う。
私はそれ以降誰にも、声をかけもかけられもせずに、二階にある1-A教室に入った。
高校の授業は、中学と比べて、粛々と静かに行われた。
この高校では、入学時に生徒全員に携帯端末が学校側から配られている。個人の携帯電話の類の学校持ち込みを禁じても徹底は難しく、授業中の風紀改善のために最近の高校では割合導入されることの多いルールだった。私用に使ってもよく、通信費は一定まで無料で、ただし授業中などは強制的に電源がオフになる。個人の携帯端末は学校へ持ち込むのは構わないけれど、放課後までは電源を切っておかなければならず、違反すれば一日没収となる。
お陰で、授業中に不意の着信音や振動音が教室内に響くことはほとんどなかった。 そうと直接説明されたことはないけど、恐らく学校の裏サイトやネットでのいじめの統制にも有効だろうと思われた。もちろん、いたちごっこなのだろうけど。
ネットなど使わなくても、やはりいじめは存在した。この頃流行していたのは『ステルス』といういじめ方で、いじめの主犯がターゲットに対して、いかにいじめられていることを本人に悟らせずにいじめるか、というものだった。
やられている方が、自分がいじめられていると確信したら失敗らしい。これくらいはいじめられているうちに入らない、とターゲットが自分に言い聞かせている様子がたまらなく面白いのだと聞いた。
幸い、いじめ甲斐も無いのか、この高校で私が標的になることはなかった。
私は、外国人の特徴のある風貌でありながら、休み時間はもちろん、授業中にさえクラスの中で自分の存在感を消し去る能力を身に着けていた。
こんな私は、学校という巣を出て、果たしてまともに生きていけるのだろうか。自分が結婚したり就職したりなんてことは、想像もできない。社会で人様に迷惑をかける前に、なるべく早めに、全く苦しくない自殺方法を見つけておくべきかもしれない、とよく考える。
二週間くらい前、ちょうど十一月に入った頃、そんな私のクラスメイトが一人、学校の屋上から飛び降り自殺をした。
数少ない目撃者の一人が、私だった。
何となく家に帰りたくなくて、学校から出てもぶらぶらと辺りを歩き、夜の十時を回った頃。私は、学校に自分の携帯端末を忘れたことにきづいた。別に一晩くらいなくてもどうということはないのだけど、手元に無いと何となく落ち着かない。
すっかり暗くなった道を小走りで学校まで戻ると、案の定校門はがっちりと閉まっていた。セキュリティ装置は門を強固に固定していて、校門を乗り越えたりすればセンサーが察知して警報が響く。
これは諦めるしかないかな……と思った時、ふと本校舎の屋上に、緑色の光がちらつくのが見えた。
夜煌蟲、だ。
ミカンくらいの光の玉をいくつも体にまとわりつかせて、一人の人間が屋上の端に立っている。うちの学校の、男子生徒のようだった。遠目にも、制服を着ているのが見える。
粒状のものならともかく、あんなに大きい夜煌蟲を、しかも複数見たのは初めてだった。私がこれまでに見た最も大きいサイズでも桜貝くらいのもので、それが数個あれば子供の『致死量』には充分だと聞いていた。
私が声を上げる間もなく、男子生徒は飛び降りた。付着していた緑の光はいくつもの真一文字の軌跡を描いて真下に伸び、人間が地面と激突した衝撃で、辺りに飛び散った。
幸い、学校の用務員さんがすぐに電話していたらしく、間もなく救急車が到着した。夜煌蟲はその間にのそのそと這いずって逃げ、今では跡形もない。
いつの頃からか人間の前に表れた、不思議な発光体。つかむことはできるけど、質量も触感もほとんど持たない。夜にだけ活動し、人間に取り憑くと、強烈な自殺衝動を噴き出させる。夜煌蟲については自治体も注意を呼びかけているけど、その対策は今のところ、近寄らないということだけだった。くっつかれたくらいなら引き剥がせるけど、最悪体内に侵入されると、まず取り去れない。
今夜はもう、学校に近寄らない方がいい。私は端末を諦めて、家に帰った。私の性格上、知らない男子が死んだところで特別悲しくもなかったけど、それなりに気分はふさいだ。
ドアの前に着いてから一応体を確かめると、どこでついたものか、すねの処に小指の先ほどの大きさの夜煌蟲が這っていた。気分が沈んでいたからきづかなかったのか、これのせいで余計に気分が沈んだのか。どちらにしてもこれくらいなら大したことはないので、つまんで取り、排水溝に投げ捨てる。どうせ、踏みつけたって殺せはしない。
家に入ると、母親は私の顔を見てため息をつき、その吐息の終わる辺りで舌打ちした。
産まれてから今までに、私が一番多く聞いた音は、母親の舌打ちではないかと思う。その次が母親のため息。
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