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第16話 第五章 後遺症
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電気が消えたままの教室の中で、斯波方先輩が椅子に逆向きに座り、背もたれに肘を乗せた。月が、その片頬を照らしている。外国の彫刻のようなフォルムだった。
「時森、お前大丈夫か」
「ヒビとか入ってるわけじゃないみたいです。良くなって来ました」
「膝だけじゃねえよ。部室棟で、蟲にくっつかれただろ。妙な気分にならなかったか? 変なもんが見えたとか」
私も椅子に座って、思い出す。変なもの。見た。おかしな映像。
「そう言えば、不思議な景色が見えました。知ってるような、そうでないような。一瞬で、パパパっとですけど」
ただその割には、妙に鮮やかにその映像を覚えている。恐ろしく現実感に富み、まるで自分がそこにいて体験したような生々しさがあった。思い出しただけで、何となく全身が粟立つ。
「もう何とも無いんだな?」
「はい」
先輩は安堵のため息をつく。
「お前は知らないみたいだけどな。それは、その夜煌蟲の記憶だ。正確に言うと、夜煌蟲に感染して死んだ奴の記憶だな。情報が、蟲の中に記録されて残り続けるらしいぜ。お前がもう少しあのままだったら、もっとえげつないもんを見たろうよ。もしかしたら、そいつらが死んだ瞬間もな。感染者を自殺に追い立てる方法のひとつらしい」
そんな話は、初めて聞いた。
「やっぱり中には、自殺の衝動に強力な精神力で耐えようとする奴がいるんだと。まあ、そのままでも結局は時間の問題らしいけどな。だが蟲は手っ取り早く死なせるために、これまでに蓄えた、自殺者の死に至るまでの記憶を総動員して追体験させる。そうするとじきに思っちまうんだろうな……もう楽になりたい、死にたいって。蟲は粒になっていくらでも分かれるし、他と合流もする。情報はどんどん広がって、世界中の蟲に共有されて行く。日本は島国だからまだましだが、ヨーロッパじゃ隣近所の外国人の死に様を見る奴も少なくないっていうからな」
「詳しい、んですね」
先輩はあきれ顔の半眼になり、
「こんなことも知らねえ奴の方が今時珍しいぞ。それぐらい、学校の端末でも調べられるしよ」
「必要最低限のことだけ、知っていればいいかと……触れば死ぬって」
「本当に最低限だなおい。蟲どもは他人と自分のトラウマも根こそぎ掘り起こして、そいつもごく短時間に繰り返し繰り返し頭ん中で再生されるんだとよ。俺達の脳味噌は、それを全部エラーせずに認識するってんだから、たまんねえな。て言うかこれは結構有名だぞ、蟲どもが人間に自殺させる仕組みの基本だからな」
「そう、なんですか」
私は、自分のトラウマらしき映像は見なかった。私にはこれと言って、特別死にたくなるほど辛い思い出も無いということだろうか。何だか、自分が馬鹿みたいに思えた。
「俺も前にデカ目の蟲に触っちまった時、身を持って知ったけどな、えぐいぜ。さっきのお前のは軽くて良かったよ」
私は自分の無知が、少し恥ずかしくなった。この世で、蟲への予防法も対処法も知る気が無いのは、生きる意欲に乏しい自分だけなのかもしれないと思った。
「生きてるの、あんまり面白くねえか」
見透かされたような言葉に、驚く。柚子生先輩にも同じようなことを言われた。教室ではあんなに存在感を消せる私が、この人達の目には際立って奇異に見えてしまうらしいのは、なぜなんだろう。
斯波方先輩は、窓の外の校庭を埋める蟲の大群に目をやり、
「ぞっとすることとか――あんな風にな――、嫌なことも山ほどあるけど、以外と良いもんだぜ、生きてんのも。俺は、少なくとも寿命までは死にたくねえ」
と低く呟いた。
寿命。
私が寿命まで生きて、それが何になるのだろう。
「夜煌蟲に対してな、ある程度耐性を持ってる人間てのもいるらしい。個人差があって、完全に蟲を無力化できた例はまだ無いらしいけどな。あんなでかい蟲に触ってその程度で済んでるなら、お前もそれなりの耐性があったんだろ。人によっちゃ、マッチ箱くらいの蟲に触れただけでアウトの奴もいるんだしよ。自分の体が割と死ににくくできてるってのは、……有難いことだぜ」
先輩はそこまで言って、うつむいた。
「時森、お前大丈夫か」
「ヒビとか入ってるわけじゃないみたいです。良くなって来ました」
「膝だけじゃねえよ。部室棟で、蟲にくっつかれただろ。妙な気分にならなかったか? 変なもんが見えたとか」
私も椅子に座って、思い出す。変なもの。見た。おかしな映像。
「そう言えば、不思議な景色が見えました。知ってるような、そうでないような。一瞬で、パパパっとですけど」
ただその割には、妙に鮮やかにその映像を覚えている。恐ろしく現実感に富み、まるで自分がそこにいて体験したような生々しさがあった。思い出しただけで、何となく全身が粟立つ。
「もう何とも無いんだな?」
「はい」
先輩は安堵のため息をつく。
「お前は知らないみたいだけどな。それは、その夜煌蟲の記憶だ。正確に言うと、夜煌蟲に感染して死んだ奴の記憶だな。情報が、蟲の中に記録されて残り続けるらしいぜ。お前がもう少しあのままだったら、もっとえげつないもんを見たろうよ。もしかしたら、そいつらが死んだ瞬間もな。感染者を自殺に追い立てる方法のひとつらしい」
そんな話は、初めて聞いた。
「やっぱり中には、自殺の衝動に強力な精神力で耐えようとする奴がいるんだと。まあ、そのままでも結局は時間の問題らしいけどな。だが蟲は手っ取り早く死なせるために、これまでに蓄えた、自殺者の死に至るまでの記憶を総動員して追体験させる。そうするとじきに思っちまうんだろうな……もう楽になりたい、死にたいって。蟲は粒になっていくらでも分かれるし、他と合流もする。情報はどんどん広がって、世界中の蟲に共有されて行く。日本は島国だからまだましだが、ヨーロッパじゃ隣近所の外国人の死に様を見る奴も少なくないっていうからな」
「詳しい、んですね」
先輩はあきれ顔の半眼になり、
「こんなことも知らねえ奴の方が今時珍しいぞ。それぐらい、学校の端末でも調べられるしよ」
「必要最低限のことだけ、知っていればいいかと……触れば死ぬって」
「本当に最低限だなおい。蟲どもは他人と自分のトラウマも根こそぎ掘り起こして、そいつもごく短時間に繰り返し繰り返し頭ん中で再生されるんだとよ。俺達の脳味噌は、それを全部エラーせずに認識するってんだから、たまんねえな。て言うかこれは結構有名だぞ、蟲どもが人間に自殺させる仕組みの基本だからな」
「そう、なんですか」
私は、自分のトラウマらしき映像は見なかった。私にはこれと言って、特別死にたくなるほど辛い思い出も無いということだろうか。何だか、自分が馬鹿みたいに思えた。
「俺も前にデカ目の蟲に触っちまった時、身を持って知ったけどな、えぐいぜ。さっきのお前のは軽くて良かったよ」
私は自分の無知が、少し恥ずかしくなった。この世で、蟲への予防法も対処法も知る気が無いのは、生きる意欲に乏しい自分だけなのかもしれないと思った。
「生きてるの、あんまり面白くねえか」
見透かされたような言葉に、驚く。柚子生先輩にも同じようなことを言われた。教室ではあんなに存在感を消せる私が、この人達の目には際立って奇異に見えてしまうらしいのは、なぜなんだろう。
斯波方先輩は、窓の外の校庭を埋める蟲の大群に目をやり、
「ぞっとすることとか――あんな風にな――、嫌なことも山ほどあるけど、以外と良いもんだぜ、生きてんのも。俺は、少なくとも寿命までは死にたくねえ」
と低く呟いた。
寿命。
私が寿命まで生きて、それが何になるのだろう。
「夜煌蟲に対してな、ある程度耐性を持ってる人間てのもいるらしい。個人差があって、完全に蟲を無力化できた例はまだ無いらしいけどな。あんなでかい蟲に触ってその程度で済んでるなら、お前もそれなりの耐性があったんだろ。人によっちゃ、マッチ箱くらいの蟲に触れただけでアウトの奴もいるんだしよ。自分の体が割と死ににくくできてるってのは、……有難いことだぜ」
先輩はそこまで言って、うつむいた。
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