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第17話 第五章 異形
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何と答えて良いのか分からずに言葉に詰まっていると、ふと、教室のドアの擦りガラスに、ちらりと瞬くものが見えた。
緑色だ。
「また来やがった。くそ、入って来るなよ」
そう言いながら斯波方先輩は椅子から立ち上がり、私に教室の隅に行くように手で示す。
ガラスに映る緑の光は段々濃く、大きくなって行った。そして、最も大きくなった状態で、ドアの前でピタリと止まった。
暗闇の中でも、先輩の緊張が伝わる。
ドアが開く。
女子生徒のシルエットが、そこにいた。黒抜きの人影の目元や耳から、鮮やかな緑の光がこぼれ落ちている。
彼女が、教室の中に入って来る。
「ああ畜生、しかも女子かよ。仕方ねえ、窓を開けろ時森。すげえ嫌だがまた窓から――……」
そう言って斯波方先輩が彼女に詰め寄った時、銀色の軌跡が、先輩と女子生徒の間に閃いた。
「ぐあっ!」
悲鳴を上げたのは、斯波方先輩だった。たたらを踏んで後ずさると、先輩は床に倒れた。
私は言われた通りに窓を一枚開けたままの格好で、硬直した。何が起こったのか、分からなかった。
立ち尽くす私に、女子生徒はゆっくりと近づいて来る。
その手に握っているのは、果物ナイフのような、小さめの包丁だった。この階の奥の、家庭科室から持ち出したのか。
窓から差し込む月明かりの射線に彼女が入り、初めて、顔が見えた。
私は思わず、悲鳴を上げた。
その顔面は、異様だった。
眼球が眼窩からせり出して、半分ほど露出している。半開きの口からは、夜煌蟲の粒と共に、よだれが垂れていた。
そして何より、神経なのか血管なのか、女子生徒の顔中縦横無尽に、皮膚の内側から盛り上がった赤いみみず腫れのような筋が、無数に浮かんでいる。
夜煌蟲の感染者であることは、確かだった。けれど、こんな状態は初めて見る。
ぎょろりとした目玉が、私に焦点を合わせた。
なぜだ。なぜ彼女は、自殺しない。それどころか、他人を――……斯波方先輩を。
女子生徒が包丁を、硬直した私の目の前で振りかぶる。
「おらあッ!」
野太い気合いの一声と共に、その女子生徒が真横に吹っ飛び、窓にぶつかって倒れた。彼女を思い切り横から蹴り飛ばした斯波方先輩が、顔を手で覆いながら、
「畜生、女子蹴っちまった! 時森、離れろッ!」
と言って自分も後ずさる。私も窓から離れて、廊下側へ逃げた。
一度床に倒れ伏した女子生徒が、ゆっくりと起き上がる。
斯波方先輩が顔に当てた手のひらの端から、ポタポタと血が落ちた。
「殿音の時とは違う……。自分が死ぬためじゃなくて、明らかに人を襲いやがった」
再び立ち上がった彼女は、機械のようなぎこちない動きで私達の方を向いた。倒れても手放さずにいた包丁を右手に持ち、峰を下にして切っ先をこちらに向けている。
「どうなってやがる。何でこいつ、包丁持ってんのに……自分で死なねえ。それに、あの顔……」
女子生徒が、はみ出した目をむいて、私に向かって踏み込んで来た。逃げなくては。なのに、足が動かない。
「くそ、何度も女を!」
斯波方先輩が私と女子生徒の間に立った。女子生徒は、先輩の胸へ包丁を突き出す。先輩はそれを横にかわして、彼女の腿を正面から蹴って動きを止めた。彼女が力無く、また包丁を突いて来た。
先輩は包丁ごと彼女の手を払うと、腰を落とし、みぞおちの辺りをまっすぐに拳で突いた。体をくの字に曲げて、女子生徒はまた窓際へ転がって行く。
包丁が彼女の手から落ち、私の傍の床に落ちて音を立てた。
「時森、拾え。お前が持ってろ。あいつに渡すなよ」
言われるままに、包丁を手に取った。刃が先輩の血で赤く濡れているのを見て、足が震えた。
女子生徒が、よろよろと立ちあがる。
彼女の背後には、さっき私が開けた窓があった。蹴られた足がきかないせいでバランスを崩した女子生徒は、そこへもんどり打つようにして、後頭部から校舎の外へ落下して行った。
衝突音。
斯波方先輩が窓から身を乗り出して下を見て、それからこっちを向いて首を振った。頭から落ちたので、首でも折って即死したのだろう。
先輩は顔だけでなく、スクールシャツの胸の辺りも切られたようで、赤色がにじんでいる。
「せ、……」
「深かねえよ。心配すんな、いてえけど。今の奴から落ちた蟲の粒に触んなよ」
そう言って、先輩はどかりと手近な椅子に座った。
「斯波方先輩。私、ひとつはっきりさせておきたいことがあるんです」
「お?」
私は先輩の目の前にあった椅子に座り、正面から目を合わせた。
緑色だ。
「また来やがった。くそ、入って来るなよ」
そう言いながら斯波方先輩は椅子から立ち上がり、私に教室の隅に行くように手で示す。
ガラスに映る緑の光は段々濃く、大きくなって行った。そして、最も大きくなった状態で、ドアの前でピタリと止まった。
暗闇の中でも、先輩の緊張が伝わる。
ドアが開く。
女子生徒のシルエットが、そこにいた。黒抜きの人影の目元や耳から、鮮やかな緑の光がこぼれ落ちている。
彼女が、教室の中に入って来る。
「ああ畜生、しかも女子かよ。仕方ねえ、窓を開けろ時森。すげえ嫌だがまた窓から――……」
そう言って斯波方先輩が彼女に詰め寄った時、銀色の軌跡が、先輩と女子生徒の間に閃いた。
「ぐあっ!」
悲鳴を上げたのは、斯波方先輩だった。たたらを踏んで後ずさると、先輩は床に倒れた。
私は言われた通りに窓を一枚開けたままの格好で、硬直した。何が起こったのか、分からなかった。
立ち尽くす私に、女子生徒はゆっくりと近づいて来る。
その手に握っているのは、果物ナイフのような、小さめの包丁だった。この階の奥の、家庭科室から持ち出したのか。
窓から差し込む月明かりの射線に彼女が入り、初めて、顔が見えた。
私は思わず、悲鳴を上げた。
その顔面は、異様だった。
眼球が眼窩からせり出して、半分ほど露出している。半開きの口からは、夜煌蟲の粒と共に、よだれが垂れていた。
そして何より、神経なのか血管なのか、女子生徒の顔中縦横無尽に、皮膚の内側から盛り上がった赤いみみず腫れのような筋が、無数に浮かんでいる。
夜煌蟲の感染者であることは、確かだった。けれど、こんな状態は初めて見る。
ぎょろりとした目玉が、私に焦点を合わせた。
なぜだ。なぜ彼女は、自殺しない。それどころか、他人を――……斯波方先輩を。
女子生徒が包丁を、硬直した私の目の前で振りかぶる。
「おらあッ!」
野太い気合いの一声と共に、その女子生徒が真横に吹っ飛び、窓にぶつかって倒れた。彼女を思い切り横から蹴り飛ばした斯波方先輩が、顔を手で覆いながら、
「畜生、女子蹴っちまった! 時森、離れろッ!」
と言って自分も後ずさる。私も窓から離れて、廊下側へ逃げた。
一度床に倒れ伏した女子生徒が、ゆっくりと起き上がる。
斯波方先輩が顔に当てた手のひらの端から、ポタポタと血が落ちた。
「殿音の時とは違う……。自分が死ぬためじゃなくて、明らかに人を襲いやがった」
再び立ち上がった彼女は、機械のようなぎこちない動きで私達の方を向いた。倒れても手放さずにいた包丁を右手に持ち、峰を下にして切っ先をこちらに向けている。
「どうなってやがる。何でこいつ、包丁持ってんのに……自分で死なねえ。それに、あの顔……」
女子生徒が、はみ出した目をむいて、私に向かって踏み込んで来た。逃げなくては。なのに、足が動かない。
「くそ、何度も女を!」
斯波方先輩が私と女子生徒の間に立った。女子生徒は、先輩の胸へ包丁を突き出す。先輩はそれを横にかわして、彼女の腿を正面から蹴って動きを止めた。彼女が力無く、また包丁を突いて来た。
先輩は包丁ごと彼女の手を払うと、腰を落とし、みぞおちの辺りをまっすぐに拳で突いた。体をくの字に曲げて、女子生徒はまた窓際へ転がって行く。
包丁が彼女の手から落ち、私の傍の床に落ちて音を立てた。
「時森、拾え。お前が持ってろ。あいつに渡すなよ」
言われるままに、包丁を手に取った。刃が先輩の血で赤く濡れているのを見て、足が震えた。
女子生徒が、よろよろと立ちあがる。
彼女の背後には、さっき私が開けた窓があった。蹴られた足がきかないせいでバランスを崩した女子生徒は、そこへもんどり打つようにして、後頭部から校舎の外へ落下して行った。
衝突音。
斯波方先輩が窓から身を乗り出して下を見て、それからこっちを向いて首を振った。頭から落ちたので、首でも折って即死したのだろう。
先輩は顔だけでなく、スクールシャツの胸の辺りも切られたようで、赤色がにじんでいる。
「せ、……」
「深かねえよ。心配すんな、いてえけど。今の奴から落ちた蟲の粒に触んなよ」
そう言って、先輩はどかりと手近な椅子に座った。
「斯波方先輩。私、ひとつはっきりさせておきたいことがあるんです」
「お?」
私は先輩の目の前にあった椅子に座り、正面から目を合わせた。
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