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第20話 第六章 遺言
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斯波方先輩が、椅子を蹴倒しながら立ち上がる。
「時森、足どうだ」
「歩くのは平気です。小走りくらいなら」
痛みはあるけど、さっきよりは大分ましになって来た。
「すまねえ、頑張ってくれ。包丁も持ってろよ、スカートにでも差しとけ。職員室に行くぞ」
廊下には、蟲も感染者もいなかった。
さっき上った階段を、今度は下る。
階段を下りると、昇降口がある。ガラス戸の向こう側には、相変わらず緑の光がひしめいていて、ぞっとした。
昇降口の先の角を右へ曲がれば、職員室はそのすぐ先にある。先を行く斯波方先輩が、角を曲がった。
後を追った私は、けれど、角の曲がりばなで斯波方先輩の背中にぶつかった。
「あたっ!」
何で立ち止まってるんですか、と言おうとして、その言葉が止まる。
廊下のそこここに、夜煌蟲の塊が、いくつも這い回っていた。
そして、――……職員室のドアのすぐ前に、倒れている人影があった。
女子生徒だ。うつ伏せで顔を横に向けているので、少し斜めから見れば誰なのかは分かる。でも、見るまでもない。
背中に散らばった、明るい色の髪。華奢なのに女らしい、特徴的な体つき。間違いなかった。
その首元の床に、赤黒い水たまりができている。
思わず駆け寄ろうとした私を、斯波方先輩が肩を強くつかんで止めた。
当たり前だった。柚子生先輩の体は、繭が幼虫をくるむように、夜煌蟲の塊で覆われていた。鈍く毒々しい光は揺らめきながら、動かなくなった柚子生先輩を嬲るように蠕動している。
斯波方先輩が無言で、自分の携帯端末を私に渡した。着信音が鳴らないタイプのアプリなので気づかなかったけど、さっきの短い伝言の後、更に二つのメッセージが柚子生先輩から着いていた。つまり、私達が教室を出て、階段を下りてここへ来るまでの間に送られている。ほんの、数十秒前だ。柚子生先輩の体を見ると、左手は空だったけど、右手には学校支給の端末を持っていた。
つい、今の今まで、生きていたのだ。あの体は、きっとまだ温かい。
もう少しだけ耐えてくれたら、私達が間に合ったのに。
柚子生先輩が部室棟で私のスカートを払ってくれた時の、布の裏地が足に擦れる感触がよみがえる。部内に二人だけの女同士だというのに、まともに接触したのは、あれが初めてだった気がする。
今日初めて、少しだけ、分かり合えた気がしたのに。あんな感覚は、初めてだったのに。
色々あった、とも柚子生先輩は言っていた。何があったのか、もう聞けない。
唐突な喪失感に、感情の制御が追い付かない。少し心を許しただけの相手が死ぬというのが、こんなにも辛いなんて。
こんな思いをしたくないから、私は一人で生きて来たのに。
それでも、横たわった体に釘付けになった目を何とか動かして、斯波方先輩の端末の画面の文字をなぞる。柚子生先輩の、遺言を。
『しんくろうくんしんだ』
『にげて』
「時森、足どうだ」
「歩くのは平気です。小走りくらいなら」
痛みはあるけど、さっきよりは大分ましになって来た。
「すまねえ、頑張ってくれ。包丁も持ってろよ、スカートにでも差しとけ。職員室に行くぞ」
廊下には、蟲も感染者もいなかった。
さっき上った階段を、今度は下る。
階段を下りると、昇降口がある。ガラス戸の向こう側には、相変わらず緑の光がひしめいていて、ぞっとした。
昇降口の先の角を右へ曲がれば、職員室はそのすぐ先にある。先を行く斯波方先輩が、角を曲がった。
後を追った私は、けれど、角の曲がりばなで斯波方先輩の背中にぶつかった。
「あたっ!」
何で立ち止まってるんですか、と言おうとして、その言葉が止まる。
廊下のそこここに、夜煌蟲の塊が、いくつも這い回っていた。
そして、――……職員室のドアのすぐ前に、倒れている人影があった。
女子生徒だ。うつ伏せで顔を横に向けているので、少し斜めから見れば誰なのかは分かる。でも、見るまでもない。
背中に散らばった、明るい色の髪。華奢なのに女らしい、特徴的な体つき。間違いなかった。
その首元の床に、赤黒い水たまりができている。
思わず駆け寄ろうとした私を、斯波方先輩が肩を強くつかんで止めた。
当たり前だった。柚子生先輩の体は、繭が幼虫をくるむように、夜煌蟲の塊で覆われていた。鈍く毒々しい光は揺らめきながら、動かなくなった柚子生先輩を嬲るように蠕動している。
斯波方先輩が無言で、自分の携帯端末を私に渡した。着信音が鳴らないタイプのアプリなので気づかなかったけど、さっきの短い伝言の後、更に二つのメッセージが柚子生先輩から着いていた。つまり、私達が教室を出て、階段を下りてここへ来るまでの間に送られている。ほんの、数十秒前だ。柚子生先輩の体を見ると、左手は空だったけど、右手には学校支給の端末を持っていた。
つい、今の今まで、生きていたのだ。あの体は、きっとまだ温かい。
もう少しだけ耐えてくれたら、私達が間に合ったのに。
柚子生先輩が部室棟で私のスカートを払ってくれた時の、布の裏地が足に擦れる感触がよみがえる。部内に二人だけの女同士だというのに、まともに接触したのは、あれが初めてだった気がする。
今日初めて、少しだけ、分かり合えた気がしたのに。あんな感覚は、初めてだったのに。
色々あった、とも柚子生先輩は言っていた。何があったのか、もう聞けない。
唐突な喪失感に、感情の制御が追い付かない。少し心を許しただけの相手が死ぬというのが、こんなにも辛いなんて。
こんな思いをしたくないから、私は一人で生きて来たのに。
それでも、横たわった体に釘付けになった目を何とか動かして、斯波方先輩の端末の画面の文字をなぞる。柚子生先輩の、遺言を。
『しんくろうくんしんだ』
『にげて』
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