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第21話 第六章 溺れる眼
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一坂も――……
かくんと私の下半身から力が抜けて、床に膝をついた。痛めた右膝に激痛が走ったけど、構っていられなかった。
一坂、格好つけて、何だったんだあれは。
ふざけるな。ふざけるな。
長くなる話はどうした。明日話すっていう約束をどうする。
苦しい。
一生出会いたくなかった苦痛が、一度に二つもやって来た。
悔しい。悲しい。
私より先にいなくなるなら、私になんて構うな。
「廊下は、蟲だらけだがよ……新九郎は見当たらねえ。職員室の中かもな」
職員室のドアは、閉じていた。その脇の壁には足元三十センチほどの高さに、擦りガラスの引き戸が付いている。
ガラスの向こうは、みっしりと埋め尽くされるように、緑の光がにじんでいた。
「そのドアを、開けねえでいいぞ。新九郎は……柚子生さんを置いて逃げる奴じゃねえだろ。蟲に捕まったのは……新九郎の方が先のはずだ。元々、柚子生さんより職員室の奥に入り込んでたわけだしな」
私は膝立ちのまま、ほとんど下半分が夜煌蟲に覆われたドアに、ずる、ずる、と近づいた。膝は、痛い。でも、止められない。
「やめろって言ってんだろ!」
斯波方先輩は私を羽交い絞めにして立ち上がらせ、後ろ向きに引きずってドアから離した。
「でも、一坂、中に……いるかもしれないんですよね」
「いるだろうよ。多分、いるさ。だから、……だから、駄目だ」
先輩は私を更にドアから遠ざけ、
「どの道、蟲だらけで近づけねえ。二階へ戻るぞ」
と低く言った。
「蟲がまだ、……柚子生先輩の体から離れ切っていません。まだ、かろうじて生きてるのかも……まだ、……」
「だとしても、……手遅れだ。柚子生さんに寄るな。行くぞ、時森!」
斯波方先輩に引きずられて、さっき通って来た角を、今度は逆に曲がる。
そのせいで視界から柚子生先輩と職員室が消える寸前、私は、
「柚子生先輩! 一坂ッ!」
と叫んだ。
もちろん、倒れた亡骸はぴくりともしなかったし、職員室も、足元の擦りガラスに不気味な光をたたえたまま、沈黙していた。
「いいか、時森。冷たいようだがな、新九郎も柚子生さんも、お前にとっては他人だ。たまたま部活が一緒だっただけで、友達でもなけりゃ家族でもない。うちの部は部としての連帯感もあんまりねえしな」
階段までたどり着く。先輩の腕をやんわりほどき、自分の足で階段を踏んだ。
段が、よく見えない。なぜだろう。また踏み外して膝をぶつけたら、目も当てられない。私は慎重に目を凝らした。けれど、――……
「その程度の知り合いは、世の中にごまんといる。人が死んだって言ったっていちいち誰でも彼でも全身全霊で悲しんでりゃあ、身がもたねえ。だから――」
見えない。やっぱり、階段がよく見えない。これでは危ない。いや、階段だけじゃなくて、周りの全てがにじみ、ぼやけ、形を失っている。
「だから、……そんなに泣くな」
眼球が溺れたようになって、何も見えない。
真っ暗で、寂しくて、どうしていいのか分からない。
見知らぬ町で、夜中に迷子になった子供のように。
これでは恐ろしくて、どこにも行けない。
かくんと私の下半身から力が抜けて、床に膝をついた。痛めた右膝に激痛が走ったけど、構っていられなかった。
一坂、格好つけて、何だったんだあれは。
ふざけるな。ふざけるな。
長くなる話はどうした。明日話すっていう約束をどうする。
苦しい。
一生出会いたくなかった苦痛が、一度に二つもやって来た。
悔しい。悲しい。
私より先にいなくなるなら、私になんて構うな。
「廊下は、蟲だらけだがよ……新九郎は見当たらねえ。職員室の中かもな」
職員室のドアは、閉じていた。その脇の壁には足元三十センチほどの高さに、擦りガラスの引き戸が付いている。
ガラスの向こうは、みっしりと埋め尽くされるように、緑の光がにじんでいた。
「そのドアを、開けねえでいいぞ。新九郎は……柚子生さんを置いて逃げる奴じゃねえだろ。蟲に捕まったのは……新九郎の方が先のはずだ。元々、柚子生さんより職員室の奥に入り込んでたわけだしな」
私は膝立ちのまま、ほとんど下半分が夜煌蟲に覆われたドアに、ずる、ずる、と近づいた。膝は、痛い。でも、止められない。
「やめろって言ってんだろ!」
斯波方先輩は私を羽交い絞めにして立ち上がらせ、後ろ向きに引きずってドアから離した。
「でも、一坂、中に……いるかもしれないんですよね」
「いるだろうよ。多分、いるさ。だから、……だから、駄目だ」
先輩は私を更にドアから遠ざけ、
「どの道、蟲だらけで近づけねえ。二階へ戻るぞ」
と低く言った。
「蟲がまだ、……柚子生先輩の体から離れ切っていません。まだ、かろうじて生きてるのかも……まだ、……」
「だとしても、……手遅れだ。柚子生さんに寄るな。行くぞ、時森!」
斯波方先輩に引きずられて、さっき通って来た角を、今度は逆に曲がる。
そのせいで視界から柚子生先輩と職員室が消える寸前、私は、
「柚子生先輩! 一坂ッ!」
と叫んだ。
もちろん、倒れた亡骸はぴくりともしなかったし、職員室も、足元の擦りガラスに不気味な光をたたえたまま、沈黙していた。
「いいか、時森。冷たいようだがな、新九郎も柚子生さんも、お前にとっては他人だ。たまたま部活が一緒だっただけで、友達でもなけりゃ家族でもない。うちの部は部としての連帯感もあんまりねえしな」
階段までたどり着く。先輩の腕をやんわりほどき、自分の足で階段を踏んだ。
段が、よく見えない。なぜだろう。また踏み外して膝をぶつけたら、目も当てられない。私は慎重に目を凝らした。けれど、――……
「その程度の知り合いは、世の中にごまんといる。人が死んだって言ったっていちいち誰でも彼でも全身全霊で悲しんでりゃあ、身がもたねえ。だから――」
見えない。やっぱり、階段がよく見えない。これでは危ない。いや、階段だけじゃなくて、周りの全てがにじみ、ぼやけ、形を失っている。
「だから、……そんなに泣くな」
眼球が溺れたようになって、何も見えない。
真っ暗で、寂しくて、どうしていいのか分からない。
見知らぬ町で、夜中に迷子になった子供のように。
これでは恐ろしくて、どこにも行けない。
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