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第24話 第六章 死の釜
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「これを打開する方法があるとすれば、もう逃げようもねえわけだし、原因を絶つ方が有効じゃねえかと思う。時森、悪いが……もうひと頑張りして、上へ行くぞ」
「三階って、ことですか」
「いや、屋上だ」
「屋上? どうしてです?」
「仮説の、裏を取りに行くんだよ。屋上には貯水タンクがある。そいつを使って蟲を校内の水道に流した可能性が高いと、俺は見てる。犯人がそこにいるとは思わねえけど、他に手がかりもねえしな。お前だってまさか、水道局が元凶だとは思わねえだろ」
先輩が半眼で私を見ながら、そう言った。さっき、よっぽど疑わしげな顔をしていたのだろう。
「あ、あのええ……そうですよね、はい」
頬が熱くなり、つい顔をそむける。さっきの自分を、叩いてやりたかった。
「どうだ、行けそうか?」
私はうなずいて、立ち上がる。膝が、痛い。歩けはするけれど、また何かが起きたら、私は足手まといでしかない。でも、先輩をここに釘づけにさせるわけにもいかない。
先輩も立ち上がり、
「心配すんな。お前一人くらい、どうにでも守ってやるよ」
そう言いながら、私の足を心配そうに見つめた。
私は少し、素足の膝を見る先輩の視線が恥ずかしかった。もう冬なんだし、タイツくらいはくべきだった。それをごまかそうと、
「でも先輩、よくそんなの思いつきますね。貯水タンクのことなんて、私考えもしませんでした」
などと言ってみる。
すると先輩は頭をかきながら、
「あー、まあな……。あの屋上、最近はそうでもねえけど去年までは昼間は鍵がかかってないことが多くてな。一年の時、よく授業サボってたんだよ、あそこで。そん時、ああ貯水タンクがあるんだなって思ってたもんだからな」
なぜか胸を張ってそういう斯波方先輩に、私はつい笑ってしまった。先輩も苦笑している。
今夜は、人と、よく笑う。
そのことがこの上も無い皮肉に思えて、それをごまかすために、私はまた笑った。
三階へ上がっても、夜煌蟲の気配は無かった。廊下や教室の電気は消えているので、月明かりだけを頼りに、私達はそのまま屋上へ続く階段を上がった。
何の妨害も無いまま、私達は屋上への扉に着いた。鍵は、開いている。
「だよな。貯水タンクを使って悪さしたんなら、ことを終えた今となっては施錠する必要もねえからな」
「……最初の感染者の何人か、少なくとも一人は、先生だったんでしょうか。それなら不審がられずに職員室の中で行動して、最適のタイミングで蟲を振りまけますし、屋上の鍵だって自由にできます」
「多分な。あらかじめ貯水タンクに蟲を仕込まなきゃならんわけだから、教師を感染させておいて鍵を運ばせて、犯人――もう、決めつけてそう呼ぶぜ――は屋上をフリーパスにしてたかもな。蟲が感染者を死なせないままどれくらい潜伏できるのかは分からねえが、夜煌蟲は今までに俺達が思ってたよりも遥かに高い自由度で人間を操れるし、犯人はどうやらその蟲を通して感染者を操ってる。完全に蟲をコントロールできるのか、何らかの習性を利用してるのかは不明だけどな。なんにせよ教師一人でも感染させちまえば、屋上は出入りし放題、他人は締め出し放題だ」
私の腕に、さっと鳥肌が立った。
「あの、先輩。ここにちゃんと鍵がかかり出したのって、二年になってからって言ってましたよね。もしかして……」
先輩も、はっとした表情になる。
「……その頃から、今夜のことを計画してたってのか? 今、十一月だぜ……。そんなに長い間、教師が少なくとも一人、蟲を通して操られてるなんてことが……」
無い、とは言えない。私達はいかに夜煌蟲について無知であるか、今晩思い知らされている。
斯波方先輩が生唾を飲み込んで、ドアを開けた。
屋上の隅に、直方体の大きな貯水タンクが置かれている。先輩は周囲を警戒しながらそこへ近づき、タンクの周りを見て回った。
「月が明るくて助かるぜ。おい時森、やっぱりそうだ。このタンクは二層式になってる」
「二層、ですか?」
「タンクがただの箱じゃ、中を清掃する時に水が使えなくなっちまうだろ。だから二層に分けて、掃除する時なんかは片方だけを排水して中を洗うんだ。てことは一度片方の水を止めて、もう一方だけを延々使い続けるようにすれば、水を止めた方はただの水槽になる。そこに蟲を溜めて――下手すりゃもう半年以上前からかよ――、今日の日没を見計らって通水するタンクを切り替える。教師を抱き込んであるなら、清掃業者も何とかやり過ごせたろうからな」
そんな構造になっているとは、知らなかった。
「でも、どうやって蟲をそこに集めるんですか?」
先輩が、タンクの上に上がった。そして、苦い表情で低く呟く。
「そうだな、……ここまでに分かってる、一番楽で効率の良い方法を考えりゃ、よ……」
いきなり、今日の部室での話が頭の中に蘇った。
失踪――……行方不明――……この学校でも――……一年でだって――……三年はどう――……二年生も――……
「せんぱ――」
私が呼ぶ前に、斯波方先輩は貯水タンクの上部に付いた蓋を取り外した。
屋上に立っていた私の位置からは当然その中は見えなかったけど、タンクの口から放たれた光が、斯波方先輩の顔を下から緑色に照らした。
その表情が、激しく歪む。ガン、と激しく先輩が蓋を閉めた。
「いたよ。やっぱりだ、何人も。蟲を詰め込まれた状態で、ここまで誘導されて、そのまま、……入水で自殺してやがる。二人や三人じゃねえぞ。何人なのかも、こんなザマじゃ分かりゃしねえ……見るなよ、時森。光も遮断できるここに、蟲を溜め込んで……畜生!」
先輩は貯水タンクから下りると、今見たものを記憶から消そうとするように頭を振った。
「犯人の手かかりらしいもんはねえな。こっからはしらみ潰しだが……お前は、無理するな。安全な所にいろ」
私は、たっぷり十秒ほど、絶句した。
「……一人で、……隠れてろってことですか? 安全な所って、どこですか」
「お前、今日一日で色んな表情するようになったなあ。まあ、じっとしてりゃ大丈夫だろうなってとこだよ」
「三階って、ことですか」
「いや、屋上だ」
「屋上? どうしてです?」
「仮説の、裏を取りに行くんだよ。屋上には貯水タンクがある。そいつを使って蟲を校内の水道に流した可能性が高いと、俺は見てる。犯人がそこにいるとは思わねえけど、他に手がかりもねえしな。お前だってまさか、水道局が元凶だとは思わねえだろ」
先輩が半眼で私を見ながら、そう言った。さっき、よっぽど疑わしげな顔をしていたのだろう。
「あ、あのええ……そうですよね、はい」
頬が熱くなり、つい顔をそむける。さっきの自分を、叩いてやりたかった。
「どうだ、行けそうか?」
私はうなずいて、立ち上がる。膝が、痛い。歩けはするけれど、また何かが起きたら、私は足手まといでしかない。でも、先輩をここに釘づけにさせるわけにもいかない。
先輩も立ち上がり、
「心配すんな。お前一人くらい、どうにでも守ってやるよ」
そう言いながら、私の足を心配そうに見つめた。
私は少し、素足の膝を見る先輩の視線が恥ずかしかった。もう冬なんだし、タイツくらいはくべきだった。それをごまかそうと、
「でも先輩、よくそんなの思いつきますね。貯水タンクのことなんて、私考えもしませんでした」
などと言ってみる。
すると先輩は頭をかきながら、
「あー、まあな……。あの屋上、最近はそうでもねえけど去年までは昼間は鍵がかかってないことが多くてな。一年の時、よく授業サボってたんだよ、あそこで。そん時、ああ貯水タンクがあるんだなって思ってたもんだからな」
なぜか胸を張ってそういう斯波方先輩に、私はつい笑ってしまった。先輩も苦笑している。
今夜は、人と、よく笑う。
そのことがこの上も無い皮肉に思えて、それをごまかすために、私はまた笑った。
三階へ上がっても、夜煌蟲の気配は無かった。廊下や教室の電気は消えているので、月明かりだけを頼りに、私達はそのまま屋上へ続く階段を上がった。
何の妨害も無いまま、私達は屋上への扉に着いた。鍵は、開いている。
「だよな。貯水タンクを使って悪さしたんなら、ことを終えた今となっては施錠する必要もねえからな」
「……最初の感染者の何人か、少なくとも一人は、先生だったんでしょうか。それなら不審がられずに職員室の中で行動して、最適のタイミングで蟲を振りまけますし、屋上の鍵だって自由にできます」
「多分な。あらかじめ貯水タンクに蟲を仕込まなきゃならんわけだから、教師を感染させておいて鍵を運ばせて、犯人――もう、決めつけてそう呼ぶぜ――は屋上をフリーパスにしてたかもな。蟲が感染者を死なせないままどれくらい潜伏できるのかは分からねえが、夜煌蟲は今までに俺達が思ってたよりも遥かに高い自由度で人間を操れるし、犯人はどうやらその蟲を通して感染者を操ってる。完全に蟲をコントロールできるのか、何らかの習性を利用してるのかは不明だけどな。なんにせよ教師一人でも感染させちまえば、屋上は出入りし放題、他人は締め出し放題だ」
私の腕に、さっと鳥肌が立った。
「あの、先輩。ここにちゃんと鍵がかかり出したのって、二年になってからって言ってましたよね。もしかして……」
先輩も、はっとした表情になる。
「……その頃から、今夜のことを計画してたってのか? 今、十一月だぜ……。そんなに長い間、教師が少なくとも一人、蟲を通して操られてるなんてことが……」
無い、とは言えない。私達はいかに夜煌蟲について無知であるか、今晩思い知らされている。
斯波方先輩が生唾を飲み込んで、ドアを開けた。
屋上の隅に、直方体の大きな貯水タンクが置かれている。先輩は周囲を警戒しながらそこへ近づき、タンクの周りを見て回った。
「月が明るくて助かるぜ。おい時森、やっぱりそうだ。このタンクは二層式になってる」
「二層、ですか?」
「タンクがただの箱じゃ、中を清掃する時に水が使えなくなっちまうだろ。だから二層に分けて、掃除する時なんかは片方だけを排水して中を洗うんだ。てことは一度片方の水を止めて、もう一方だけを延々使い続けるようにすれば、水を止めた方はただの水槽になる。そこに蟲を溜めて――下手すりゃもう半年以上前からかよ――、今日の日没を見計らって通水するタンクを切り替える。教師を抱き込んであるなら、清掃業者も何とかやり過ごせたろうからな」
そんな構造になっているとは、知らなかった。
「でも、どうやって蟲をそこに集めるんですか?」
先輩が、タンクの上に上がった。そして、苦い表情で低く呟く。
「そうだな、……ここまでに分かってる、一番楽で効率の良い方法を考えりゃ、よ……」
いきなり、今日の部室での話が頭の中に蘇った。
失踪――……行方不明――……この学校でも――……一年でだって――……三年はどう――……二年生も――……
「せんぱ――」
私が呼ぶ前に、斯波方先輩は貯水タンクの上部に付いた蓋を取り外した。
屋上に立っていた私の位置からは当然その中は見えなかったけど、タンクの口から放たれた光が、斯波方先輩の顔を下から緑色に照らした。
その表情が、激しく歪む。ガン、と激しく先輩が蓋を閉めた。
「いたよ。やっぱりだ、何人も。蟲を詰め込まれた状態で、ここまで誘導されて、そのまま、……入水で自殺してやがる。二人や三人じゃねえぞ。何人なのかも、こんなザマじゃ分かりゃしねえ……見るなよ、時森。光も遮断できるここに、蟲を溜め込んで……畜生!」
先輩は貯水タンクから下りると、今見たものを記憶から消そうとするように頭を振った。
「犯人の手かかりらしいもんはねえな。こっからはしらみ潰しだが……お前は、無理するな。安全な所にいろ」
私は、たっぷり十秒ほど、絶句した。
「……一人で、……隠れてろってことですか? 安全な所って、どこですか」
「お前、今日一日で色んな表情するようになったなあ。まあ、じっとしてりゃ大丈夫だろうなってとこだよ」
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