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第39話 第八章 羊の歌 4
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何度かの実験を経て、あたしは蟲の能力を応用して、ある程度感染者の行動をコントロールできるようになった。感染させた生徒の何人かを、少しずつ誘導して屋上の給水タンクに入水させた。やがてタンクは、夜煌蟲の培養槽と化して行った。
職員室に集まる教師全員を殺すのに充分な量の蟲がタンクに溜まった時には、高校三年生の秋を迎えていた。それまでのことは、あまりよく覚えていない。ただひとつの、不毛な復讐――厳密には、復讐ですらない――だけに突き動かされて、いつしかあたしは自我さえ薄れさせて行った。その頃にはあたしはただの、夜煌蟲の入れ物になり下がっていた。
決行の日が、近づいていた。
その日が来たら、蟲を潜伏させている感染者達は、帰るのが遅くなると家に連絡をさせてから、日暮れまで校舎に潜ませる。そしてまずは教頭に屋上の給水タンクを操作させ、夜煌蟲が溜まっている方の水を校内に流すよう切り替えさせる。教頭はそのまま、タンクに入水させる。
次に校内の感染者に潜伏させていた蟲で自殺衝動を発症させ、入水への渇望を起こさせて、各階の水道から水を大量に出させる。口と鼻を水につけて、タンクから放たれた蟲を体内にたっぷりと溜め込んでから、夜煌蟲の爆弾となった状態で、感染者全員を職員室へ向かわせる。そのくらいの操作はできる。
タンクの中で入水する人数を差し引いても、二十人以上の生徒を職員室へ送り込める見込みだった。これなら大人の教師達が相手でも不意を突けば、出入り口をふさいで、夜煌蟲を一気に吐き出させることで職員室内に蟲の洪水を起こせる。
水道の無い部室棟には、一人か二人感染者を送り込んで蟲を吐き出させて脅かせば、本校舎へ追い込むことは可能だと思う。いざとなれば、第四文芸部の部室にあたし自身がいて、適当なところで蟲をこっそり吐き出して、人に見つけさせてもいい。
部室棟には、ほとんど生徒しかいないはずだった。あたしにとっては、本来なら殺す必要は無い人達。でも夜煌蟲はもう、学校内の、塀と段差に囲まれて油断し切った苗床を見逃す気は無かった。他者殺害型の蟲が発症して、校内をうろつく殺人鬼と化す生徒もいるだろう。未感染者は蟲だけじゃなく、そうした連中にも襲われるかもしれない。
私達の邪魔にならなければ、それも構わない。蟲が校内で感染を拡大するのに、邪魔が入らないように感染者を使って職員室の電話線を切り、パソコンからのネットワークでも連絡を取れないように学校全体の電源を落としてやろう。
出入り口になる校門と裏門を感染者から吐き出させた夜煌蟲でふさぎ、塀に沿って続いている植え込みにも蟲を仕込んでおけば、学校は陸の孤島になる。携帯端末の電波も職員室からシャットアウトする。
上手くすれば校外の人間に悟られる前に、学校の敷地内を夜煌蟲で埋め尽くせる。用済みになった苗床の生徒達は、舌でも噛ませて次々に自殺させてしまえばいい。
ただ、一人だけ、逃がしてやりたい子がいた。
その子が第四文芸部に入部して来た時、その異質さが、一目で分かった。
ただ何となく、それなりの居場所を求めてやって来ただけの、やせっぽちの一年生。特別本が好きなわけじゃなく、仲間達と部活を満喫したいのでもない。自分にも他人にも、恐らくは実の家族にも何も期待していないような、温度の無い瞳。誰も頼まない、冷たい孤独の中を生きている存在。
一度、「いつも一人でいるの?」と訊いたことがある。
その子は怒るでもなく、自嘲するでもなく、ただ、「存在感が無さ過ぎて、いじめられもしないんですよ」と答えた。
それは多分、他人から見ればつまらない人生。人から顧みられない生命。でもこの子はきっと、誰も傷つけたりもしない。
あたしが自分で死なせた、あたしの子供。あの子がそのまま産まれていたら、きっとこの子のように育つのではないかという気がした。
幾多の夜煌蟲が体を出入りする度に、あたしの意識は段々とぼんやり薄れて行った。その中で、ただ、おぼろげに願い続けた。
この世に未練など無い。無関係の生徒が、どれだけ巻き添えになろうと構わない。今更その中でも誰かを助けたいなどと、そんな柄ではない。全く、筋も通らない。
でも、――……
あの、時森エリヤという少女には、生きて欲しい。あたしが望まれない子供にしてしまった、あの子の分まで。
夜煌蟲に紛れて行く意識を、あたしはいつまで保っていられるだろう。
できることなら、あたしがあたしでなくなる最後の瞬間まで、この願いを抱いていたい。
職員室に集まる教師全員を殺すのに充分な量の蟲がタンクに溜まった時には、高校三年生の秋を迎えていた。それまでのことは、あまりよく覚えていない。ただひとつの、不毛な復讐――厳密には、復讐ですらない――だけに突き動かされて、いつしかあたしは自我さえ薄れさせて行った。その頃にはあたしはただの、夜煌蟲の入れ物になり下がっていた。
決行の日が、近づいていた。
その日が来たら、蟲を潜伏させている感染者達は、帰るのが遅くなると家に連絡をさせてから、日暮れまで校舎に潜ませる。そしてまずは教頭に屋上の給水タンクを操作させ、夜煌蟲が溜まっている方の水を校内に流すよう切り替えさせる。教頭はそのまま、タンクに入水させる。
次に校内の感染者に潜伏させていた蟲で自殺衝動を発症させ、入水への渇望を起こさせて、各階の水道から水を大量に出させる。口と鼻を水につけて、タンクから放たれた蟲を体内にたっぷりと溜め込んでから、夜煌蟲の爆弾となった状態で、感染者全員を職員室へ向かわせる。そのくらいの操作はできる。
タンクの中で入水する人数を差し引いても、二十人以上の生徒を職員室へ送り込める見込みだった。これなら大人の教師達が相手でも不意を突けば、出入り口をふさいで、夜煌蟲を一気に吐き出させることで職員室内に蟲の洪水を起こせる。
水道の無い部室棟には、一人か二人感染者を送り込んで蟲を吐き出させて脅かせば、本校舎へ追い込むことは可能だと思う。いざとなれば、第四文芸部の部室にあたし自身がいて、適当なところで蟲をこっそり吐き出して、人に見つけさせてもいい。
部室棟には、ほとんど生徒しかいないはずだった。あたしにとっては、本来なら殺す必要は無い人達。でも夜煌蟲はもう、学校内の、塀と段差に囲まれて油断し切った苗床を見逃す気は無かった。他者殺害型の蟲が発症して、校内をうろつく殺人鬼と化す生徒もいるだろう。未感染者は蟲だけじゃなく、そうした連中にも襲われるかもしれない。
私達の邪魔にならなければ、それも構わない。蟲が校内で感染を拡大するのに、邪魔が入らないように感染者を使って職員室の電話線を切り、パソコンからのネットワークでも連絡を取れないように学校全体の電源を落としてやろう。
出入り口になる校門と裏門を感染者から吐き出させた夜煌蟲でふさぎ、塀に沿って続いている植え込みにも蟲を仕込んでおけば、学校は陸の孤島になる。携帯端末の電波も職員室からシャットアウトする。
上手くすれば校外の人間に悟られる前に、学校の敷地内を夜煌蟲で埋め尽くせる。用済みになった苗床の生徒達は、舌でも噛ませて次々に自殺させてしまえばいい。
ただ、一人だけ、逃がしてやりたい子がいた。
その子が第四文芸部に入部して来た時、その異質さが、一目で分かった。
ただ何となく、それなりの居場所を求めてやって来ただけの、やせっぽちの一年生。特別本が好きなわけじゃなく、仲間達と部活を満喫したいのでもない。自分にも他人にも、恐らくは実の家族にも何も期待していないような、温度の無い瞳。誰も頼まない、冷たい孤独の中を生きている存在。
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その子は怒るでもなく、自嘲するでもなく、ただ、「存在感が無さ過ぎて、いじめられもしないんですよ」と答えた。
それは多分、他人から見ればつまらない人生。人から顧みられない生命。でもこの子はきっと、誰も傷つけたりもしない。
あたしが自分で死なせた、あたしの子供。あの子がそのまま産まれていたら、きっとこの子のように育つのではないかという気がした。
幾多の夜煌蟲が体を出入りする度に、あたしの意識は段々とぼんやり薄れて行った。その中で、ただ、おぼろげに願い続けた。
この世に未練など無い。無関係の生徒が、どれだけ巻き添えになろうと構わない。今更その中でも誰かを助けたいなどと、そんな柄ではない。全く、筋も通らない。
でも、――……
あの、時森エリヤという少女には、生きて欲しい。あたしが望まれない子供にしてしまった、あの子の分まで。
夜煌蟲に紛れて行く意識を、あたしはいつまで保っていられるだろう。
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