夜煌蟲伝染圧

クナリ

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第51話 エピローグ

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 テレビのニュースでは、ステルスいじめをやっていたいじめっ子達の体に、夜煌蟲が潜伏していた事例が全国で相次いでいると、今日も騒いでいる。
 ひとつひとつは私達の事件と比べれば大したことはないという態度で報道されるのも、あまり愉快ではなかった。当の本人達にしてみれば、充分重大な問題のはずだからだ。
 やたらと寒かった冬も終わりに近付き、私達を取り囲んだ大騒動は、それなりに落ち着いて来ていた。
 テレビカメラもマイクも山ほど向けられたけど、まともに話そうとしない私にはマスコミも旨味をいまいち感じなかったのか、いきおい一坂ばかりが報道関係者の餌食になった。
 静かな朝の、私の部屋。
 自分では分からないけど、恐らく独特の臭気がある――と思われる布団を出て、私は登校の支度を始めた。
 今でも、怖い夢を見る。忘れられない光景が何度も目の前で繰り返されて、涙としわで顔をくしゃくしゃにしながら跳ね起きる夜が、時折やって来る。
 それでも、悪夢の頻度は、段々と減って来ていた。どんな記憶も、やがては薄れて行く。それを寂しく感じている自分も、確かにいた。
 古く汚い団地の、古く汚い私の部屋の窓を開ける。
 春も近いというのに、この街は相変わらず、色合いに乏しい。
 青い制服を着る。着ても脱いでも、私は私。 
 母親とは、事件の後でも、親子関係に劇的な変化は起きなかった。
 ただ、正月明け、一度ポストに、知らない名前の人から手紙が着いた。
 差出人は、外国人の男性のようだった。母親の新しい男かと思ったけど、母はその手紙に書かれた名前を見るなり、私の方へ封も開けずに投げてよこした。
 「見たけりゃ見な」
 その言い方で、私はその男の人が私の何なのか、何となく分かった。私は中身など見ずに封筒を四つに折ると、セロファンテープでぐるぐる巻いて、ゴミ箱に捨てた。
 母親が、目をぱちくりとした。それから、初めて、二人で大笑いした。
 そしてほんの少しだけ、私は自分の進路について母親に相談した。
  母親は時折、「蟲にやられんように、せいぜい早く帰んな」などとのたまうようになった。
  前言撤回。それは、私達にとって非常に劇的な変化だった。

 事件の前にカラスの死体があった歩道は、とっくにきれいにされ、もう血の染みひとつ無い。
 学校へ向かう途中に、少なくとも今のところは、あれ以来生き物の亡骸を見ることはなかった。
 あの日見たカラスを、埋めてやれば良かった。
 何の意味も無くても、そうすれば良かった。
 そう思うのは、私が優しくなれたからなのか。
 夜煌蟲は今も、事件の前と何ひとつ変わることなく、日が暮れると現れる。
 許せない、と思う。悔しくてたまらないのは、あの夜から何ヶ月経っても変わらない。
 けれど、……少し大きめの蟲の塊など見ると、たまに、彼らをこの手で握り締めて、もういない人達の記憶に出会いたくなることもある。
 そうして、私もこの世から消えてしまっても構わない、と思いもする。
 そんな私は、それでも今はまだ、ここにいる。
 私がこの世界からいなくなるのは、だから、もうちょっと後でもいい。何ヶ月後でも、何年後でも、何十年後でもいい。
 あのカラスのいた道端で、一度止めた足をまた動かし、私は灰色の歩道を歩き出す。
 すっかり腫れも引き、痛みの消えた膝は、少し寂しい。
 鼻の奥の痛みをごまかすように、私は学校への道を急ぐ。
 風が渡る。
 道に、陽が差す。
 ひとつ先の角まで迎えに来てくれていた一坂が、私に手を振った。先週ようやくセンドウヒワコさんだとかの居場所が分かったらしく、奴の表情は腹が立つほど明るい。
「一坂の表情が腹が立つほど明るいから、つまり何か腹立つ」
 独り言のつもりだったのに聞こえたらしく、一坂ががくりとこけた。
「どういう性格だよ。文法も変だし。ところでさ、エリヤ、今度の日曜日空いてる?」 
「どうだったかな」
「いや、暇だよね。確実に。間違いなく」
「何か更に腹立つ」
 一坂が、大きく目を見開いた
「よ、……予定があるの!?」
「予定、……は、」
 十秒。二十秒。向かい合ってお互いに足を止めたまま、沈黙する。それから私は、やむなく口を開いた。
「ない」
「だよね」
 こんにゃろう足を蹴っ飛ばしてやろうかと思った時には、
「あいて!」
 蹴っ飛ばしていた。
「ひどいなあ。出来たら、ちょっと付き合って欲しいんだよ。こないだ言ってたろ、助けたい人がいるんだ」
「センドウさんって子?」
「そう。詳しくはまだ聞いてないんだけど、引っ越してからも色々あったみたいで。やっぱり女子だし、僕だけでしてあげられることって、限界があると思うんだ。ね、エリヤもほら、……その、……女子じゃない」
 言い方に引っかかるものはあったけれど、渋々うなずく。
「私が行っても良いの?」
「うちの学校で起きた事件の時に僕を助けてくれた人がいるって言ったら、ぜひ会いたいってさ」
「……言うほど助けたっけ」
 一坂は、こくりとうなずいた。
「まあ、出来ることはやる。そういうのが大事だってことは、何となく分かった気がする――……気がする、だけだけど。でも多分、良いことなんだと思うから」
 一坂が柔らかく微笑んで、私を見た。
 ふんと鼻を鳴らして私は歩き出し、一坂も続く。
 その先に伸びる、灰色の道。
 相変わらず、色の無い街。
 それでも空は、私の目にもようやく、眩しいくらいに青かった。
 さあ行こうと、私を――……
 私を、呼ぶ声が聞こえる。
 懐かしく、愛おしい、いくつかの声で。

 終
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