二十歳の同人女子と十七歳の女装男子

クナリ

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 あんなちゃんの目がきらりと光った。

「ほほう、なかなか言うじゃん。そんなに気に入ってんだ、あの子のこと。高校生だったっけ?」
「うん。受け答えがしっかりしてるからたまに錯覚するけど、高二だって言ってた。……て、気に入ってるってなに?」

 私は半眼になる。

「まあまあ。今日って祝日だけど、あのお店やってんのかな?」
「アンドロアンサスのこと? うん、土日や祝日は午前中から開けてるみたい」

「あー、なんか喉乾いたなー。お茶飲みに行きたいなー」
「……ドリンクバーあるじゃない」

 今だって、私たちが頼んだランチメニューにはドリンクバーが含まれていて、私はウーロン茶、あんなちゃんはコーラを飲んでいる。

「いやーもうちょっとハイクラスなのが飲めるとこ。目の保養もできると、さらにいいなー」
「あんなちゃん、あそこのお店気に入ってるの?」

「わりかしね。でも一人で行くと、三織に悪いかなーって」
「私に? どうして?」

「抜け駆けされた、とか思わない?」
「思わないよそんなの」

 あんなちゃんは、テーブルに肘をついて身を乗り出してきた。そしてなぜか小声になる。

「ほんとに?」
「うん」

「実は、黙ってたけどさ。あたし、あれからあの店の常連になってて、何度も壮弥くんつけてもらってんだ」

 あ、そうなんだ、と言おうとした。
 でもなぜか声にならなかった。

「ほら、面白くないっしょ」
「そういうわけじゃ。ただ知らなくて、びっくりしただけ」

 これは本当だった。面白くないなんて、そんなんじゃない。

「それだけ? ほんとに?」
「……それは、羨ましいなとか、どんな話したのかなとか、気にはなるよ」

「嫉妬は?」
「しませんっ」

 それくらいでは。たぶん。

「あはは、ごめんごめん、嘘嘘。一人でなんて行ってないよ」
「そうなの?」

「でも、三織にはどんどん行ってほしいなーとは思ってる」
「な、なんで?」

「楽しそうだもん、あんた。壮弥くんのこと話してる時」

 そんなことは。
 ある。

「壮弥くん今日出勤?」

 うなずく。

「じゃ、今から行こうよ」
「い……行きましょうか」

 そうして、なんだかんだと、アンドロアンサスにきてしまった。
 ドアをくぐると、シンさんが出迎えてくれる。ざっくりと胸元が開いた赤いドレスは、上半身裸でいられるよりも、見ていてどきりとしてしまう。

「ようこそー、アンドロアンサスへ! またいらしてくださってありがとう! 今、バーカウンターしか空いていないんですが、よろしいですか?」

 はい、と言って案内してもらう。
 ほとんどのキャストさんが、お客さんについていた。
 祝日の昼過ぎってこんなに混むのかと思ったけど、シンさんいわく、こんなに混むのは珍しいらしい。

「今日天気悪いし、遠出するより、うちみたいに屋内で、長い時間いられるところがいいのかもですね。飲み物はなにになさいますか?」

 私のアールグレイとあんなちゃんのフルーツティを注文して、そうっと周りを見回した。

「ごめんなさいね、ツミさん。今、スイ、お客さんのお迎えに行ってるんです。しばらく私で我慢してください」

 いきなりシンさんにそう言われて、私の声は裏返った。

「えっ!? いえあの私、そんなつもりじゃ」

 ちらりと横目で見ると、あんなちゃんがにやけている。

「もう、あんなちゃん! シンさん、私全然不満とかじゃないですからね! でも、お迎えなんてすることあるんですね。ちょっと入ったところですもんね」
「うーん、そうなんですけどねー。今迎えに行ってる人は、常連さんなんです。で、スイを迎えにこさせるのが好きって人なの。まだ昼間だけど、また酔っぱらってるんじゃないかなー」

 シンさんの言葉が終るか否かという時、ドアが開いた。
 壮弥くんだった。ダークブラウンのロングへアが揺れている。
 後ろに、派手なワンピース姿の、三十前後くらいの女の人が二人いる。どちらも、足元がふらふらだった。

「ほら、着きましたよ。ようこそ、アンドロアンサスへ……あっ?」

 壮弥くんと、目が合った。
 ぱっと笑顔になった壮弥くんは、一瞬こちらにこようとして、すぐに後ろの二人に目線を戻す。
 もう一度目が合ったので、両手のひらを上に向けて少し突き出し、「こちらに構わず、そちらをどうぞ」という合図をする。
 壮弥くんは小さく頭を下げた。
 シンさんが、飲み物を運んできてくれて、言う。

「ごめんなさいね、しばらくスイは離れられないかも」
「いえ、いいんです」

 鋭い目つきで壮弥くんたちを見ていたあんなちゃんが、私に耳打ちした。

「あのお客さん、キャストの指名料にかなりチップを入れてくれる人だと思うよ。金払いもいいんだろうし、お店としても、あんまり邪険にできないんでしょ」
「分からないじゃん、そんなの」

「だって最初に来た時、ほかのキャストくんが、そういう客がいるって言ってたもん。あの二人の態度から見て、まさにあいつらがそうね」

 ……いつの間に、そんなことまで聞き出していたんだろう。
 あんなちゃんがシンさんに向き直る。

「指名すれば、一応、スイくんてこっちにもきてくれるんですよね?」
「ええ、もちろん」

「よかったー。あたしたち、ちょっと今日はスイくんとぜひしたい話があるもんだから」

 そういうことで、指名などしつつ、私はあんなちゃんに小声で訊いた。

「なに、ぜひしたい話って?」
「そんなの決まってるでしょ」

「決まってないよ。なになに、なんの話する気?」
「あんたの健康で文化的な生活のことよ」

 分からない。
 そして、私の目は、ついつい壮弥くんに吸い寄せられてしまう。
 すると、二人の女性客の一人が、壮弥くんのスカートの中に手を入れているのが見えた。
 壮弥くんは笑っているけど、その手はしっかりお客さんの手を捕まえている。
 下にはショートパンツを穿いている。それは知っている。
 でも、女の人の手は、スカートにかなり深く入れられているようだった。今日の壮弥くんは白いロングスカートだったけど、女の人の腕は、たくし上げられた裾に二の腕までが入っている。
 ぱっと見には強引に迫られているように見えるけど、さすがに力では壮弥くんに分があるのか、お客さんの腕を痛めてしまわないように気遣いながら、ゆっくりとその手は引き抜かれていった。
 するとそれが面白くなかったのか、壮弥くんのスカートが、大きくがばっとめくられた。

「あっ!?」

 思わず声を出してしまう。
 壮弥くんは、一瞬太もものつけ根近くまでがあらわになったけど、ショートパンツまでは見えなかった。すぐに裾を直して、お客さんに笑顔で注意している。
 うう。
 な、なんだろう、この気持ちは。なんだかとてももやもやする。
 下になにか履いている状態で、お互いにそれを知っているキャストさんとお客さんの間とのことで、笑って済まされる程度のこと。
 私が目くじら立てるようなことじゃない。あれは、いわば、このお店の仕事のうちなのだろうから。
 でも。……でも。
 それからしばらくして、壮弥くんが、早歩きで私の左隣にきてくれた。あんなちゃんは私の右隣にいる。てっきり私とあんなちゃんの間に壮弥くんを座らせると思ったのだけど、違った。

「すみません、三織さん、あんなさん。お待たせしてしまって」

 相変わらず、近くにくると、いい香りがする。

「いーえ、全然。と三織が申しております」
「あんなちゃんっ」

 壮弥くんは、私たちのグラスの水滴を拭き取ってくれながら、

「三織さんは、お金使ってここにこなくても、呼んでくれればどこへでも行きますのに」
「いいんです、きたくてきてます。そんなに多額じゃないにしても、指名料のいくらかは壮弥くんに入るんでしょ?」

「まあ、ある程度は。でも、そんな」
「いーのよ、そ……じゃない、スイくん。この子の推し活だと思って」

 推し活。確かにそうとも言えるかも。
 シンさんが、壮弥くんに「スイ、今日はなにかお話があるみたいだ。しっかりお聞きしてね」と言って、席を外してくれた。さっきの二人連れのところに向かっていく。
ちらりと見ると、二人とも三白眼で私たちのほうを見ていた。壮弥くんに、早く戻れと言いたいのだろう。それをシンさんがなだめに行くみたいだった。

「おれに話、ですか。なんでしょう?」

 私も内容を聞いていないので、あんなちゃんを見やる。

「それはね、ずばり。三織のストーカーのことよ」

 あ。
 気をつけようとは思っていたのだけど、ほとんど忘れていた。

「それは、おれも気になっていました」
「今は鳴りを潜めてるようだけど、いつ三織につきまとってくるか分からないよね」

 壮弥くんがうなずく。
 あんなちゃんの真意が分からなかった。それを壮弥くんに話して、どうしようっていうんだろう?

「そこで。あたしとしては、古典的ながら、手っ取り早く効果のある方法をとりたく存ずる」

「なにその語尾」という私の突っ込みはスルーされた。

「スイくん、三織の、嘘の彼氏になってあげてくれないかな」

 一拍。

「え。い。な。い?」

 あんなちゃん。
 いきなり。
なにを。
言い出すの。
の、頭文字だけが私の口からこぼれた。

「なるほど。おれという相手がいることを見せつけて、諦めさせるってことですね。でも、平気かな。『おれというものがありながら!』みたいに逆上して、三織さんが危険な目に遭ったりしませんか」
「だって、ほかに有効な手がないんだもん。放っておいてエスカレートしても、リスクは同等でしょ」

「んん。挑発的に、過度にいちゃついたりしなければ、危険度は下がるかな。いえ、そうでなくても過度のいちゃつきなんてしませんけどね。あれ、三織さん? どうしました?」

「な、……そ、ふ、は?」
「スイくん、『なんで、そんなに、普通に、話せるの?』 だって」とあんなちゃんが翻訳してくれた。

「なんで分かるのよう……。ていうかそんなの、私っていうより、壮弥くんが危ないんじゃないの? それに、う、嘘の彼氏ってなにするの?」
「おれは平気です、三織さんのために誰かがやるべきことなら、その誰かはおれでありたい。嘘の彼氏がやることですか? そうだなあ、それはやっぱり……」

 壮弥くんが、人差し指を立てた。
 あんなちゃんは、右手で頬杖を突く。
 そして、二人同時に、同じことを言った。

「デートでは?」



 翌日。
 というか、イベントの前日。
 私と壮弥くん(女装はしていない)は、JRの水道橋駅駅で降り、東京ドームシティに到着した。

「ああ、水道橋って上野の辺からなら中央線ですぐこられるのに、おれ降りたことなかったんですよね。東京ドーム、初めて見ました。……三織さん?」
「ここは、どこで、私は誰でしょう……」

「どうしたんですか?」
「イベント前日なんて……いつもなら、部屋にこもって、プライスカードを書いたり、お釣りの準備をしたり、その他もろもろ設営の支度に追われているのに……」

 男の子と、デート――嘘とはいえ――なんて。
 壮弥くんが、はっとした表情になった。

「もしかして、出かけている場合じゃなかったりしますか?」
「いえ、そのあたりのことは全て、昨夜特急で終わらせてしまったので大丈夫です……」

「……凄いですね」
「壮弥くんこそ、お店休んで大丈夫なんですか?」

「このゴールデンウイークは、ほかの日はほとんどシフト入れてて、今日だけもともと休みだったんです。予定が合って、よかった」

 壮弥くんは、風の抜けのよさそうな黒のトップスに白いシャツ、黒の細身のパンツのモノトーン仕様だった。全体的に軽さを感じるデザインのせいか、白と黒の配色でも春っぽい。ベルトの青色が明るくて、なおさら軽やかだった。
 私は、遊園地用の格好ということで、動きやすいようにガウチョパンツにしている。あんなちゃんからは「足出せ」と言われたけれど、「なんで!?」とかたくなに抵抗した。肌の出る服は、ちょっと避けたい。

「あの、壮弥くん」
「はい」

「デ……デートって、なにをすればいいんですか?」
「それは、やりたいことをやればいいんです。今日は遊園地なので、乗りたいものに乗って、飲みたいものを飲んで、食べたいものを食べましょう。三織さんは、デートでしてみたいこと、ほかにありますか?」

「私、デートというものに、……あんまり、いい思い出がなくて。だから、どうしていいか分からないんです」

 言ってから、しまったと思った。こんな言い方では、壮弥くんにまた気を遣わせてしまう。
 やっぱり、壮弥くんの目が、優しい思いやりを含んだものになった。

「あの、壮弥くん、今のは」
「では、そうですね……やはり、出し惜しみなしでいくのが一番いいかな。あれ行きましょう」

 そして壮弥くんは、アトラクションの中でもひときわ目立つ、ジェットコースターを指さした。



「どうでしょう、三織さん」
「ま……満喫、しました……」

 ジェットコースター自体、小さいころに乗って以来だった。それを皮切りに、横も下も籠状になって透けている箱に乗って上昇するアトラクションや、想像以上にしっかり作りこまれたお化け屋敷、暗闇の中を前後に走るコースターなど、混んでいるなりに人気のアトラクションを回ることができて、かなりこの施設の魅力を味わえたと思う。

「あまり遅くなってはいけないですよね。最後に、あれに乗りませんか?」

 壮弥くんが指し示したのは、観覧車だった。巨大な輪の真ん中がぽっかりと空いていて、なんと最初のジェットコースターはその輪の真ん中を通過したりもした。

「あ、いいですね。観覧車好きです」

 やっぱりこれも混んでいたけれど、なんとか乗ることができた。
 普段はビルを見上げるばかりの東京の街を、どんどん見下ろせる高さに上がっていく。

「壮弥くん、私、ちゃんとデートできたでしょうか」
「おれは最高に楽しかったので、三織さんが楽しんでいただけていれば、成功かなと思います」

 そうですか……とつぶやいて、視線を外に逸らす。

「壮弥くん。実は、こんな私ですが、一瞬、高校の時にいっときだけ、交際した相手がいまして」

 はい、と壮弥くんがうなずく。
 驚いたり、怪訝そうにもせずに。

「その時、あんまり、いい思い出を残せなかったんです。デート……もしたんですけど、お互いに、楽しいものでもなくて。たぶん、お互い、そんなに好きじゃなかったんだと思います。でも、それでも交際はできるし、つき合い出してから本当に好きになることだって、もしかしたら、できた」

 はい。

「交際が始まったのは、なんとなくでした。でも、終わったのは、原因がはっきりしてるんです。私が、オタクだから」
「三織さん、それは」

「いえ、そうなんです。自分が好きなものの話だけ、したい話をしたいだけ、一方的に相手にぶつけてました。それで、もっと絆が深まると信じて。もっと気遣えたはずなのに。普通なら、高校生なら。男子に慣れていれば。一度は、好きだって言ってくれた人なのに、私は、大切にできなかった。それで振られました」

 観覧車はどんどん上がっていく。
 もうすぐ一番高い場所に着く。
 でも、私の視界は、急速にぼやけていった。
 自分が、趣味の合う人と趣味の話をする以外では、他人と信頼関係を築く能力に欠けている人間なんじゃないかと、思い知らされざるを得なかったあの時。
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