茶と菓子を愛する犬神と信州のあやかし軍師

クナリ

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裏界線と裏世界と切風3

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「す、すみません。でもあの人、次もまた私を狙ってくると思うんです。だから、選択肢は絞っていいかと」
「……なんでそう思うの。言っとくけど、その予想が外れておれが無防備状態でやられちゃったら、茉莉もすぐ食べられちゃうよ」

「なんででもです。私も断っておきますけど、守って欲しさに言ってるわけじゃないですから。……そこの、山次さん、でしたね!」

 茉莉は、切風の横に進み出ると、びしいと山次を指さした。

「茉莉!?」
「私と切風さん、どちらを狙っても自分が有利になる状況を作るとは、なかなかの知恵者ですね! さすがの切風さんも、どっちつかずでは不利は否めません! でも、切風さんが、私と自分のどちらを守るかあらかじめ決めておけば、二分の一の確率で、山次さんを返り討ちにできる可能性大なわけです!」

 山次はあっけにとられている。

「いや、なにやってんの、下がってなって!」と切風。だが茉莉はやめない。
「山次さん、あなたが、赤子の手をひねるも同然の私を狙うか、あくまで実力者らしく切風さんを狙うか、それは分かりません! でも私だって、仮に狙われたとしてもただではやられませんよ! さあ、いざ、かかってきなさい!」

 ぽかんと口を開けていた山次が、再び、醜い笑みを浮かべた。強者が弱者を、捕食者が餌を弄ぶ時の笑い方で。

「いい度胸だ、女。さて、どうしてくれようか。切風を打ち取って、その生意気な顔が恐怖にゆがむのを見てやるのも一興よな」
「あなたじゃ、切風さんにはかないません。だから私を狙うのは、理にかなっていますね!」

「調子に乗るなよ、女!」

 山次が飛んだ。
 またも右に体を振り、木立を蹴る。
 だが、すぐに二人を狙うのではなく、一度森の奥に姿を消した。
 そして再び跳躍の音が聞こえた時。
 山次の体が枝から枝を飛び、二人の真上に高速で踊りだした。
 その爪がどちらを狙うのか、この時点では、山次以外の誰にも分かることではなかったが。
 茉莉がかがんだ。切風はその真上に集中して、茉莉狙いの攻撃に備える。
 切風が上へ伸ばした手に吸い込まれるように、山次の爪が伸びてきた。
 完全に動きを読み切られたことに、山次が動揺する。
 その時には、山次の腕を絡めとった切風によって、大猩猩の巨体は強烈に地面に打ちつけられていた。
 すかさず、切風の足刀が、山次の首へ断頭台の刃のように叩き込まれる。

「ぐ……は、げっ……!」
「今だ、茉莉、逃げて!」

 山次の腕を、器用に自分の足に絡めて動きを封じてから、切風が叫んだ。

「は、はいっ! 切風さん、勝てそうですよね!?」
「さあね! なにしろ今の俺には、妖怪を殺せる決め手がないからね!」

「えっ! そんな、それじゃ……」
「いいから逃げろ!」

 だが、

「逃がすか!」

 山次が力任せに立ち上がった。
「この馬鹿力!」と舌打ちしながら技をほどいた切風が、その前に立ちはだかる。
 どうすればいいのか。茉莉は混乱していた
 逃げれば助かるかもしれない。しかしどうやら切風は窮地に陥りかけている。かといって茉莉が残ったところで、これ以上できることはありそうにない。
 できることがない。
 本当に?
 今ここで、打てる手は、本当にない?
 自問は、刃のように鋭く、茉莉の胸中で閃いて踊った。
 その刃で傷つけられたような痛みと熱が、急に、茉莉の体内に起こった。

「あ、熱っ? なに……?」

 熱は、腹の下から、胸へせり上がる。
 そして、明確な形を得て、茉莉の心臓の辺りから、外界へまろび出た。
 制服の布地を通り抜けて、黒い棒のようなものが、茉莉の体から生えている。

「わ、わあっ!? なんですかこれ!」

 目を丸くしているのは、茉莉以外の二人も同じだった。
 しかし、とりわけ切風が、いまにも叫び出しそうな、驚愕の表情を浮かべている。

「茉莉……それって……」

 黒い棒は円柱ではなく、平たく、薄い板状になっていた。直線ではなく、わずかに反っている。
生えるに任せたそれは、やがて一メートルと数十センチほどの長さに至ると、ぼとりと抜けて土の上に落ちた。
茉莉が慌てて拾い上げる。

「これ……刀……?」

 確かに、その黒い棒は、日本刀の形をしていた。ただつかつばがついておらず、なかごと呼ばれる束の芯がむき出しになっていて、握りづらい。

「牙……」

 ぼつりと切風がこぼした。

「えっ?」
「その剣は、おれの牙だ……四本のうちの一本、そしてただ一つの黒い牙……」

 束の間呆然としていた切風の双眸が、らんと光る。
 茉莉は息をのんだ。そこに込められていたのは、出会ってから初めて、茉莉に明確に向けられた感情――敵意だった。

「茉莉、お前、それを……どこで手に入れたんだ?」
「わ、分かりません!?」

「分からない? どう見てもお前の中に封じられてたよね、それ。しかも、よりによって黒い牙……それをお前が持ってるはずがない。おれの知らない人間が手に入れているというなら、それはつまり元の持ち主を、お前がどうにか――」

 ざん、と風切り音がした。
 茉莉のほうに向き直っていた切風の背後で、山次が跳躍していた。高く弧を描いて、茉莉を狙って。

「きゃ――」
「ちいっ! あの猿をたたむほうが先か!」

 切風が動いた。
 一瞬で茉莉に接し、その手から黒い刀を奪い取る。
 そして急降下してくる山次に向かって、構えをとった。

「せせこましいなあ、猿!」
「だ、黙れッ! それが本当にお前の牙なら――」

 ひゅっ、
 と鋭い音がして、続いて、どさりとなにか、ものが落ちた。
 茉莉には、切風の斬撃が見えなかった。ただ、地面に転がる、山次の腕を見て、なにが起きたのかを悟りはした。
 山次はすでに後へ飛びのいている。右腕がない。

「き、切っ……? 切風さんが、今切ったんですか……? あの腕!?」
「もちろん。で、猿。これがおれの牙なら、なんだって?」

 山次は、茉莉の目から見ても、さっきまでの威勢が嘘のように戦意を喪失していた。
 完全に腰が引け、歯までかちかちと鳴らしている。

「き……『牙の王』……」
「四分の一だけどね。ま、今なら見逃してやってもいいよ。おれたち、けがもしてないし。ただ、質問に答えろよな」

「な、なんだ」
「魏良のやつ、なに考えてんの? どうして人間を襲いだすことになんてなったんだろうね?」

 拍子抜けしたように、山次の肩から力が抜けた。

「……はん。そんなことも知らんのか。いいか、今この信州は、侵略を受ける危機にある」
「あ? 侵略?」

 切風が顎を突き出した。

「そうだ。お前が呆けておる間の十数年に、すでに甲州、飛騨、越後の妖怪たちは滅亡の際に追い込まれておるのよ。さすれば、次はこの信州だ」
「……西からの侵攻ってこと? 誰がそんな真似するんだよ? なんの得があって?」

「そんなことはわしらが聞きたいわ。とにかくわしら魏良とうは、妖狐の成家なるいえ殿と共に先陣を張ることに決めた。さしあたっての敵は、南方から攻め上がってくる『あかの王』だ。熊の変化らしいが、恐ろしく強いと聞く」
「ふーん。で、それに対抗するために、人間食べて力を高めようってんだ。迷惑な話。……ていうか、成家!? いややめたほうがいいだろ、絶対!」

「なぜだ。あの方は音に聞こえた軍師じゃろう! 長く年経た妖怪変化ということで、格も高いしな」
「いや、あの人は口がうまいだけで、戦の才能はからっきしだって! 今までにも成家と一緒に戦った妖怪たち結構いたけど、ほとんど負けてるよ!」

 ぶんぶんと、山次がかぶりを振った。

「ええい、やかましい! お前はわしらとはもはや群れの仲間ではないのだ! 勝手に、……好きに暮らすがいい」
「……そうだったな。そうさせてもらうよ。ほら」

 切風は、落ちていた山次の腕を拾い上げると、ひょいと投げて返した。
 左手でそれを受け取った山次は、くるりと背中を向ける。

「……切風」
「なんだよ」

「お前は、なんのかんの言うて、わしらと共にあると思っておったよ」
「……殺す気できておいて、よく言うじゃねえか」

 山次の姿が、闇に消えた。
 そして、それを皮切りに、いきなり周囲の木々が騒がしく鳴り始めた。

「なっ!? 今度はなんですか!?」
「山次がどっか行ったから、自分らこそがおれたちを食べようと思った小鬼どもが、これから山ほど襲いかかってくるんだなあ、これが」

 ぎろ、と切風が茉莉をにらむ。
 そういえばなにやら不穏な状態になっていた、と茉莉は思い出した。
 なにかの誤解が生じている。しかし、中身がさっぱり分からない。

「……いや、よく考えてみたら、茉莉がそんな大層なことできるわけがないような気がするな……。よし、とりあえず、今日は解散。その出口から出たところで、明日の夜八時にもっかい集合。それでどう? もし来なかったら、きつめのおしおきね。血がいっぱい出るやつ」

 そんなお仕置に遭う可能性があるのなら、茉莉としては、できれば、すれ違いは今日のうちに解消しておきたかったのだが。
 頭上の枝という枝から、異形の影が降り注いできたのを見ると、とても無理だとさすがに悟った。

「で、ではそのようにっ! 明日絶対来ますね! 失礼しますっ!」

 ぺこりとお辞儀してから振り返り、全力で駆け出した。
 ちらと後ろを見てみると、山次よりは小柄な妖怪たちを、切風が凄まじい体さばきで、片っ端からなで斬りにしている。
 生き生きとしたその姿は、心底楽しそうに見えた。
 頼もしいのか、危ういのか。
 どう受け止めていいのか分からないまま、再び走り出す。
 ふと見上げると、大きなカラスが頭上を旋回していた。あれも妖怪だろうか。

 やがて周囲の木々が闇の中で輪郭を失い、足元もよく見えなくなっていった。
 それでもしゃにむに足を動かす。
 気がついた時には、静かな路地の一角に、茉莉はたどりついていた。
 適当な家々の明かり。適当に通り行く人々。怪異のかの字もない、平穏な夜の町の風景。
 長野県飯田市、駅の近くの林檎並木の裏路地。
 裏界線の片隅で、茉莉は、深く深く、安どのため息をついた。

「戻れた……」

 気持ちが落ち着いてくると、またさっきと同じように、腹の奥が熱を帯びて熱くなっている。
 なにが起きているのか。なにが始まろうとしているのか。分からないことが多すぎて、今は考えることも徒労に思える。
 夜には珍しく、カラスらしい大きな羽音が、どこかで響いていた。



 幼いころから、孤立しがちだった。
 かつてのクラスメイトたちでも、湖ノ音茉莉について、強い印象を持っている者は多くはない。
 人当たりが悪い少女だったわけではない。
 むしろよく人に気を遣うたちで、第一印象で嫌われたことはほとんどなかった。
 しかししばらく一緒に過ごすと、茉莉の口数の少なさや、容易に周りに気を許さない雰囲気が、徐々に人を遠ざけていく。
 教師にもなつかない彼女を、担任たちはよく「かわいげがない」と評した。

 子供同士の気安さで、一応、クラスに一人か二人は、茉莉と「友達」と呼べる人間はいた。学校行事や授業の中で、ペアにならなくてはならない場合には、同情したようにその子たちが茉莉に手を差し伸べてくれた。
 それでも彼女たちも、少しずつ茉莉から離れていく。

 ――茉莉ちゃんといると、変なことが起きる
 ――茉莉ちゃんはたまに、茉莉ちゃんにしか見えない変なものとお話してる

 そんな噂が繰り返し発生し、最初は聞き流していた周囲が、徐々に距離をとっていくのが常だった。

 その最低限ともいえる人間関係の中で、茉莉にも唯一、心おきなく互いに友人と呼び合える、心を許しあった相手がいた。
 同い年の少年だった彼の両親は茉莉の両親と仲が良く、聞けば祖父母の代からの知己だという。
 祖母の霊感については、茉莉は小さいころからよく知っていた。
少年の家は代々祓い師を担っていた。
 その辺りが両家の関係のもとになったようだが、茉莉も詳しくは知らない。
 少年は霊媒の才能を受け継いでおり、茉莉は、彼とだけは怪異の話ができた。

千哉せんやくん、私といるとお化けが寄って来る時があるけど、怖くない?」

 そう尋ねる茉莉に、

「祓い師の息子の僕が、そんなもの怖がるわけがないだろ。ていうか、ほんとにただ寄ってくるだけで、ほっとけば逃げてくじゃないか」

 と笑っていた。
 彼の存在が、幼少期の茉莉にとってどれだけ救いになったかは計り知れない。
 茉莉は両親も祖父母も大好きだったが、家族としか一定以上の関係性を作れないとすると、自分は人間としてなにかが大きく欠落しているのではないかと思えた。
 幼馴染の少年と打ち解けられたことは、茉莉の小さな、しかし確固たる自信を無意識に育てた。一がある限りゼロではない。そんな小さな矜持だったけれども。

 その少年は、小学校を終える前に引っ越してしまい、共に過ごした千葉県にはもういない。
 別れ際に、彼は言った。

「今度また会った時は、僕の力で茉莉を怪異から守れるようになってる。それまで、少しだけお別れだ」

 茉莉は、嬉しくなかった。
 そんな力なんてなくてもいいから、ただ一緒に過ごして欲しかった。
 後になってから、あれは自分の初恋だったのだろうかと茉莉は考えたことがある。しかし、どうも違った。
 恋というよりも、もっと原始的で穏やかな感情。なんと呼んでいいのかも分からない。

「茉莉、クラスで友達が上手く作れないのは君だけじゃない。僕もそうだ。茉莉だけが僕のそばにいてくれた。そのことは、今は離れても絶対に忘れないよ」

 彼の髪は、代々そうらしいのだが、生まれつき銀色だった。
 あまりに目立つので黒く染めるかどうか悩んだらしいが、結局そのままにした。
 別れの日、彼の背中の上でその銀色が遠ざかっていった光景を茉莉は覚えている。
 その時、大人たちの口から、こぼれた言葉を幼い耳が拾った。

 信州が狙われている――



 茉莉が裏世界に入った翌日、夜の八時前。

「じゃ、ちょっと行ってきます」

 そう言った茉莉に対し、

「ええ、本当に今から出かけるのかい?」

 不満そうに言ってきたのは、父親の東司とうじだった。今年で五十八歳になり、髪に白いものがだいぶ混じっている。
 そこに、

「まあ近所ならいいけど、今日は制服は脱いでいきなさいよ」

 と母親のかおるの声が続く。こちらは、染めてもいないというのに見事に黒く長い髪を、至極適当にまとめている。

「はーい」と答えた茉莉は、今日はダークオレンジのワンピース姿だった。下には脛までの長さの白いレギンスパンツを合わせている。
 この辺りは夜は結構暗いが車が多いので、見えやすいよう明るめの服がいいかもしれないと思って選んだ。

 長野県飯田市。長野でも南方に位置する町である。お盆をこれから迎えようという八月の上旬は、かなり気温が高くなるが、夜になるとだいぶ過ごしやすい。
 この寒暖差の様子は、千葉県北西部の流山市から越してきたばかりの茉莉には、なかなか興味深いものがあった。今から、冬はどうなるのか、楽しみになる。
 飯田駅からは中央通りと呼ばれる道がなだらかに下り坂になっており、近隣には飲食店が多い。慣れたらあちこち回ってみよう、とひそかに茉莉は面白そうな店のリストを頭の中に作り上げつつあった。
 茉莉が高校一年生にしてこの夏休みの間に引っ越してきたのは、両親の強い要望によるものだった。せっかく受かった高校から、一学期過ごしたところですぐに転校というのになんとも思わなかったわけではなかったが、行ったことのない町に住むというのは面白そうだとも思った。
 近年、相次いで他界した父方の祖父母が、一時期を過ごした土地が飯田だったというのも大きかった。茉莉は、祖父母によくなついていたし、祖父母もなにくれと茉莉の面倒を見てくれた。思い返せば、少し過剰ではないかと思えるくらいに。
 なにより、茉莉が、子供のころから友達というものをほとんど持ったことがないのも引っ越しを後押しした。中学に上がってからも、同級生などと少し仲良くなっても、本人かその親から、それとなく疎遠になりましょうと告げられる。
 そのため、生まれ育った土地から離れることに、抵抗らしい抵抗がなかったのだった。むしろ、茉莉の霊感については学校の外でも有名になりかけていたため、人間関係を一度清算して、別の土地で暮らしだすほうがなにかと気楽だと思った。

「たくさん友達がいれば、もう少し転校は嫌がったのかなあ……。こう、行くのやめなよーとか、引き止められちゃったりして」

 そう言いながら、がらがらと引き戸を開ける。
 両親には、三十分ほどで戻ると言ってあった。
 切風と再会できたとして、あまり話し込めそうにはないが、現役高校生には大した理由のない夜の外出でまとまった時間を作るのは難しいので、仕方がない。

 と思ったのだが。

「や」

 玄関先に、昨日と同じ真っ黒い和服姿で、黒髪黒目の男は立っていた。

「き、切風さん!?」
「行こ」

 そう言ってさっさと歩き出す。

「どこへですか? というか、どうしてうちが分かったんですか?」
「ん」

 切風が頭上を指した。
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