ゲーム未登場の性格最悪な悪役令嬢に転生したら推しの妻だったので、人生の恩人である推しには離婚して私以外と結婚してもらいます!

クナリ

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 リルは、私の目の前三メートルくらいのところで、ひらりと馬から降りた。
 怪訝な顔をして首をかしげている。
 
「……どうした? おかしな顔をして」

 そう言いながら、彼は、地面に落ちていた細身の金属片を拾い上げた。
 ……ナイフかな、あれ。でもどうしてあんなところに落ちているんだろう。

 マティルダさんが深く腰を折る。

「ありがとうございます、リルべオラス様。素晴らしいナイフスローイングでございますね。ユーフィニア様、危ないところでございました」

 よくよく見ると、ナイフの先には、大きな蜂が貫かれていた。
 スズメバチに似ているけれど、体が赤と黒の縞々で、体も二回りほど大きい。あんなに凶悪そうな蜂は見たことがない。

「えっ、これさっきの蜂!? お、大きくない!? 怖っ……!」
 
 とはいえその驚きのおかげで、ナイフを手にした人物を見た時からめまいを起こしそうになっていた私は、かろうじて正気を取り戻した。
 リル・ヘルハウンズ。目の前のお城に住む、この国唯一の王子。
 公式が出していた、彼の数少ないプロフィールはとっくに暗記している。趣味は剣術で、国内では敵なしだけど、師匠には頭が上がらない。好きな食べ物は、王子同士の旅行で東洋へ出かけた時に口にした「ビワ」という果物。

 そして、嫌いなものは、……なれなれしい他人。
 わきまえないと。私はリルを知っているけど、リルにしてみれば、オリキャラかサブキャラらしい私とは、初対面なんだろうから。

 そのリルが、もう一度私に問いかけてきた。

「どうした、と訊いているのだがな」
 
「……どうも……しません」
 
「……君、泣いているのか?」
 
「泣いてません」
 
 嘘だった。
 つらかった時、枕元に置いたリルのアクリルスタンドを、小さく絞った部屋の明かりの中で見つめながら眠った。戦場に向かうその姿に、私も自分なりに頑張って生きようと勇気づけられた。
 そんなふうにいつも心の支えになってくれたリルのことをいちどきに思い出して、胸の中から思い出があふれそうだった。
 その代わりに、私の目から涙がこぼれていた。
 
「ユ、ユーフィニア様……?」
 
 マティルダさんがあたふたしている。
 とりあえず、この場を何とか収めないと。
 リルには会いたかった、会いたかったんだけど、突然すぎて、心の整理が追いつかない。
 
「失礼しました、……ひ、人違いでした。行きましょう、マティルダさん」
 
「いえユーフィニア様、それは無理があるかと」
 
「そうだ。今、思いっきりおれの名前を呼んだろうに」
 
 そうだった、気がする。しかも、リルって愛称で呼んだよね……。
 しまった。でももう、これで押し通すことしか頭になくなってしまった。
 
「ぐ、偶然です。そう、人違いですから。でも」
 
「ん? でも?」
 
 すぐ目の前にきたリルは、スマホの小さな画面の中とは比べ物にならない、圧倒的な存在感がある。
 堰を切ったように、私の口からは、とりとめもない言葉がまろび出てしまう。
 
「は、初めまして……私とあなたは初対面ですよね、でも私は、あなたがとても素晴らしい人だって知っていて、……いつか、直にお礼を言いたいと思って、……でも本当にかなうなんて、……ありがとうございます、私は、あなたほど素敵な人をほかに知りません……だから初対面とはいえ、お会いできてとても、嬉しいです……」
  
 なんだかもう、支離滅裂にもほどがある。
 おまけに途中からは、耐えられず、しゃくりあげてしまった。
 だって、あまりにも思いがけないことで、感情が全然追いつかない。
 
「お……おう? それは、どうも? しかし人違いとか初対面とか、さっきから君はなにを……」
 
 戸惑わせている。
 それはそうだ。

 彼と言葉を交わせただけで、私にとっては信じられないくらいの幸運だ。
 個人的に仲良くなろうなんてことは、望まない。
 せめて、嫌われることなく、ここから立ち去りたい。リルの嫌いな「なれなれしい他人」にだけはなりたくない。
 
「私は全然あなたに、そのつまり、なれなれしい態度なんて取ろうとしていませんので、これで失礼します。もう、また、お会いできるかどうかは、分かりません、でも、リ――あなたの幸せを、いつまでも、どこにいても祈り続けています。そ、それではこれでっ……」
 
「あ、ああ。別邸に帰るのか? あれ、その猫けがしてるなら、城で獣医に診てもらうか? ……まさか、今から君がそいつを、よりひどい目に遭わせようというんじゃあるまい?」

「ま、まさか!? そんなことするわけありませんっ! 私が、そんな人間に見えますかっ!?」
 
 リルが、困ったようにマティルダさんを見た。
 マティルダさんも、困惑したように私とリルを見比べている。
 
「ええ、先程、ユーフィニア様と獣医様のところへうかがうという話になったのですが」
 
「そうなのか。……今日、彼女はどうしたんだ? なにか悪いものでも食べたのか? なにか病気じゃないだろうな? どんなに寒い冬でも風邪を引かないのが自慢だったろうに」
 
 ……あれ?
 その口ぶり。もしかして、私のキャラ、リルと知り合いだったり……する?
 
 涙の筋がいくつも引かれているだろう顔を上げて、私もリルとマティルダさんをそろそろと見比べた。

「マティルダさん、さっきも言いかけたんですけど……私が何者なのか、詳しく教えてもらえませんか?」
 
「……ユーフィニア様、まあ、あなた様が本当に記憶喪失になられた可能性が幾万分の一かはございますので、人並みの良心の幾千分の一ほどをわたくしも発揮しまして、お伝えいたします」
 
「……は、はい?」
 
 マティルダさんがこほんと咳払いして、言った。
 
「あなた様はユーフィニア・ヘルハウンズ様。お歳は二十三歳、ご実家はグリフォーン公国であらせられます。幼少のみぎりからの幼友達であった、そこにおわしますリルベオラス・ヘルハウンズ様と先ごろご結婚あそばされ、このヘルハウンズ城に嫁いで来られました」
 
「……いい……なず……? けっこ、……けっこん? とつ……?」
 
 気がつけば、私は顔だけを前に突き出した、おかしな格好で、マティルダさんの言葉に聞き入っていた。
 
「つまり、あなたはリルベオラス様の奥様であらせられます」
 
「おく……? リルの……!?」
 
 ぎぎぎぎ……と、壊れかけのおもちゃのようなぎこちなさで、私はリルのほうを向いた。
 
「記憶喪失? またそんなことをやっているのか?」
 
 あ、凄い、ゲームと同じ口調で、同じようにしゃべってる。凄い、凄いなあ。
 ……じゃなくて。
 
「奥様、ということは……私が、リルの、妻……?」
 
「リルなんて呼び方、ずいぶん小さいころ以来だな、ユフィ」
 
 ゆふぃ?
 ユーフィニア・ヘルハウンズ?

 知らない。
 し、知らないよそんなの。
 グリフォーンっていう国は、確か小国連合の中にあった気はするけど、シナリオにはほとんど出て来ない。
 リルに幼友達? というか、結婚?
 そんな情報、公式のどこからも出たことがないはず。
 
「あ、……あの」
 
「ん?」
 
「アリスは……アリスは、どこかにいますか……?」
 
 自分の持っている知識と、今いるこの世界の情報を少しでもすり合わせようとする私に、リルが首をかしげた。
 
「アリス? 誰だそれは?」
 
 アリスがいない。ということは、今のこれは、メインシナリオとは別の世界線か、ゲーム開始前の話?
 そうだ。ここが「どこ」なのかは少しずつ分かってきた。なら同じくらい大事なのは、今が「いつ」なのかということ。
 
「マティルダさんっ! 今、何年何月何日っ!?」
 
「今日ですか? クラウン暦九百九十八年、十月六日ですが」
 
 やっぱり。
 大国からの避難民であるアリスが小国連合に来て、ゲームスタートするのが、九百九十九年の一月一日。
 ハイグラの暦は、週とか月とか曜日とか、そのあたりは日本とほとんど同じなので、今は、アリス来訪の約二ヶ月前なんだ。
 
「なんだか、よく分からんが。とりあえずその猫連れて城に入れよ。どうせ夕方には、別邸に帰るんだろう?」
 
 嘆息しながらそう言うリルに、今度は私が首をかしげた。
 
「別邸? リルと結婚してるのに、お城の外に住んでるの、私?」
 
 マティルダさんが目を見開く。
 
「ユーフィニア様……よもや、本当に記憶喪失なのですか? 先週の結婚式を挙げる前から、許嫁となっていたあなた様はこの国で暮らすことになりましたが。お城は圧迫感があって息苦しいからと、街はずれに別邸を建ててそこで過ごされていたではありませんか」
 
「い、息苦しいからって、わざわざ? ですか?」
 
 それと、結婚式って先週だったんだ。
 思いっきり新婚さんだ……。
 
「わざわざですとも。しかも、夫とはいえ挙式の前に夜をともにする気にはなれないからと、リルべオラス様には指一本御身に触れさせないでおきながら、以前から別邸では夜を徹して、グリフォーンからお友達を招き入れては連日飲めや歌えの大騒ぎ。その中には殿方もおられましたね。そしてそれは、先週のお式の後、つい昨日までも続けておられて」
 
 じろ、とマティルダさんが私をにらむ。
 
「と、殿方!? 男の人!? 結婚式の後まで!? い、いや前でもだめでしょう!? 私、最低じゃないですか!?」
 
 どういう人なの、ユーフィニアって!?
 私、リルの顔見られないよ!
 
「よくぞご自分でそうおっしゃってくださいました。もちろん、そこではふしだらなことはまったくしていないと、うかがってはおります。楽しくお酒を飲んでいただけだと。ですが、そういう問題では」
 
 私はぶんぶんとかぶりを振った。
 見慣れないシルバーブロンドの髪が、目の前で左右に揺れるのが見える。
 そんなの王子様の結婚相手として、かなりまずいんじゃないの!?
 
「ないないない、ないですよ! 『私』は、もう絶対にそんなことはしません!」
 
「ふふっ……ははは!」
 
 唐突な笑い声は、リルのものだった。
 
「なんだユフィ、まるで人が違ったみたいじゃないか。今夜は約束通り、おれが別邸に行くからな。なんだかんだで、本当に、今日まで待たせて悪かったが」
 
「あ、はい? ……お待ち、してます?」
 
 約束? ……ってなんだろう。今訊いたほうがいいんだろうか。
 すると、私の顔色を見たマティルダさんが、リルに言った。
 
「リルベオラス様、例の契約について、一応この場で確認しておいたほうがよいかと。どうも今日のユーフィニア様は、様子が変です」
 
「ああ、確かにな。……ユフィ、おれと君が結婚した時に交わした約束のことだ。婚姻の儀式やら手続きやらで一週間かかってしまったが、今夜、初めての共寝ともねをしに行く。ようやく、いわゆる初夜・・っていうわけだな」
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