この街で

天渡清華

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 歌は、好きだ。でもただそれだけで、まともに学校にも行けず、歌の勉強をしたわけでもない。男の股間に顔を埋める日々を重ねて、ここまで生きてきた。そんな自分がメジャーデビューだなんて、信じられない。
「予想外だったな、喜んで乗ってくるかと思ったのに」
 苦笑してコーヒーをすすりながらも、キヨヒトのまなざしはシュウに注がれている。シュウはタルトのかけらを口に運ばず、皿の上でもてあそんだ。
 あの店から飛び出すのは、怖い。確かにそうかも知れない。今は店に出ればちやほやされ、自分で客も選べるようになった。ケンの「恋人」だという特別感は、店だけではなくあの界隈に通用している。
 だが、それがずっと続くわけではない。日常は突然奪われる。家族を一度に亡くした、あの日のように。
「お前なら大丈夫だ、俺に任せろ」
 シュウが少し顔を上げると、キヨヒトは自信にあふれた力強い笑顔を見せた。
「俺を誰だと思ってるんだ? タダキヨヒトのプロデュースだとか言ってたいしたことなかった、なんて絶対に言わせない。お前はデビュー後に俺の手を離れても、ちゃんとやっていけるだろう。お前にはそれだけの力があるし、俺がそこまでに育てるからな」
 先々まで考えられている、そのことがなんとなく恐ろしい。ただかわいがられていると思いこんでいた。いや、思いこもうとしてきたから、余計だ。
「……あの、俺、曲なんか作れないですよ?」
「そんなのはどうにでもなる。大丈夫だ」
 きっぱりと言い、包みこむような笑顔を見せる。なんとか説得したいという、強い気持ちが伝わってくる。
 だが、これはどうだろう。もちろん、キヨヒトは分かっていて誘っているはずだが。
「あの店を経営してるのがどういうとこか、分かってますよね? しかも、俺は今のオーナーとは幼なじみですよ?」
 キヨヒトは今さらなにを、と言わんばかりの表情で軽くのけぞった。胸元のネックレスが大きく揺れる。
「お前は案外心配性だな。そんなのも、ちょっと厄介なだけでどうにでもなるよ」
 安心させようとする、包容力のある笑顔。ケンとの関係を「ちょっと厄介なだけ」と言うキヨヒトは、二十年以上のキャリアでなにを見てきたのだろう。
「あのな、シュウ」
 キヨヒトは左手を伸ばし、フォークを持ったままのシュウの右手をそっと包んだ。
「俺は訳あって、セックスできない。その代わり、お前と歌で絡みたい。歌でこんなに気持ちよくなれるんだって、みんなに見せびらかしたい」
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