愛を知る

天渡清華

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その2

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 目の前で書き換えられたコードは、同じメロディを劇的にあざやかに彩った。そんな数日前のことをぼんやり思い出しながら、坂上は二階の関係者席から開演前でざわつくアリーナ席を見下ろしていた。長年活躍しているバンドのツアー最終公演が、これから始まる。
 坂上達には、一万人弱は入るこんな大きなライブ会場をいっぱいにできる動員力はまだない。坂上もソロアルバムを出したら全国の主要都市を回るツアーをやる予定だが、会場は二千人程度が入るホールで、ユニットでやっている時の半分以下の規模だ。それでも、チケットはまだ全然売れていない。
 ソロ活動をやりたいと言った時、事務所の社長・柴田を始め、多くのスタッフがまだ早いと反対だった。相棒の福島もだ。それでもなんとか事務所を説得してOKが出たが、ライブは東京と大阪だけにしてくれと言われた。納得できず、話しあいを重ねて今の規模で話がついた今、もう少しスタッフの言うことを聞いておけばよかった、という後悔が心の隅でわだかまっているのを、坂上は無視しきれずにいる。
 初のソロ活動にも、ファンはシビアだった。TAKU-KENの魅力は、坂上の高く繊細な声と福島の低めで太い声が絶妙に絡みあうハーモニーだと、世間では言われている。当然ファンの多くもそこに魅力を感じているから、一人になってしまえば興味はないのだと気づかされた。ビジネスとして見ているスタッフ達は、その辺りをしっかり見ていたようだ。
 それに、ルックスがいかにも優しげで安心感のある福島のファンの方が多い。それは分かってはいたが、こうしてチケットのセールスなどの数字で現実を突きつけられると、なかなか堪える。
 いつかは一人でも、このぐらいの会場を満員にできるようになりたい。坂上は改めて、野望を手のうちに握りしめた。
「よう、隣いいか?」
 突然の聞き慣れた声。さっぱりとした短髪、シンプルなTシャツとハーフパンツ姿の福島が、人なつっこい笑顔で立っている。その後ろには今日も黒ずくめのアズマ。
「おう、久し振り」
 福島はゆったりした動作で坂上の右隣に座った。がっしりした体格で背も百八十センチ近くある福島は、やせている坂上やアズマに挟まれて余計に大きく見える。
「ちょうど受付でアズマさんと一緒になったんだ」
 福島と会うのは一ヶ月ぶりぐらいだ。坂上のソロをやりたいという願いにつきあわされることになった福島は、自分はなにをしようかとしばらく悩んでいたが、複数のゲストを呼んでコラボレーションしたアルバムを作ることになっていた。
「アズマさん、アレンジ上がったの?」
 坂上は、福島を挟んで右隣に座ったアズマの方に身を乗り出すようにして訊いた。
「当たり前だろ、アズマさんならそんなん秒だろ」
 代わりに答えて胸を張る福島に、アズマが静かに笑う。
「秒はさすがに無理だけど、一応上がったから明日よろしく」
 明日はアズマのピアノ録りもある。同時に上がってきたアレンジをチェックして、より詰めていく。作業がスムーズに行けば、明日はアズマをホテルに誘おうか。坂上はそんな考えにわずかに唇に笑みを乗せた。
「お前の方の進捗はどうなんだよ?」
 坂上が言うと、福島はよく訊いてくれたと言わんばかりに途端にまぶしいほどの笑顔になった。
「いや、いろんな人と打ちあわせて詰めていくのは大変だけど最高に楽しいわ。ミニアルバムにしたのを後悔したよ」
 素直に感情を出す福島を、坂上はうらやましくも疎ましくも思う。いかにも人のよさそうな笑顔と、がっしりした体格でのんびりしているのが熊を思わせると、福島はいつの間にかファンから「ふくくま君」と呼ばれて親しまれている。
 線の細い、優等生タイプと言われる自分と、おおらかそうな福島の組みあわせは、見た目にも性格的にもバランスがいいとは思う。だがデビューして四年目、思っていた以上に二人のファンの割合に差が出てきて、それを事あるごとに見せつけられるのが、どうにも気にさわる。
 しかも、世間に知られている曲、ライブでの人気曲は福島の作曲が多い。作詞の才能は自分の方が上だと坂上は思っているが、詞よりもいいメロディを作ることの方が大事だ。坂上はソロ活動で自分の才能を確かめ、世間に見せつけたいと思っている。
「さすが、余裕か」
 つぶやきながら、スタジオでアズマを抱くなんてことをした自分の方がよっぽど余裕だな、と坂上はおかしくなった。アズマにこんなことしてていいの、と言われるのは当然だ。
「なにがさすがだよ、ホントは俺はソロなんてまだ早いって思ってたのにさ」
 坂上は、隣の二人の会話には入らず穏やかに客席を見ているアズマに目をやる。なにを考えているのか、その横顔は笑みを含んで美しい。霧に包まれた湖のようでも、砂漠の中のオアシスのようでもある。
 アズマは自分達の関係をどう考えているのか、よく分からない。俺なんか抱いて拓のためになるの、と言いながらもあんな所で抱いても拒まないのは、まんざらでもないからだろう。それとも、ただ求められるから抱かせているだけで、飽きるまではセフレとしてつきあってやろうというつもりか。
 アズマは日常の人間関係も、誰ともドライな関係のままいたいようでもあるが、はっきりさせたい。
「拓、お前話聞いてる?」
 福島が少し不審そうな顔で坂上を見る。
「あ、ああ、ごめん」
 アズマと自分の関係を知らない福島を挟んで送られる視線に、アズマも気づいているはずだ。坂上は多少の優越感に浸りながら、申し訳なさそうな顔をして見せた。
「そういやお前、この後どうすんだ? レコーディングに戻るのか?」
「そうだな、今日のノルマはこなさないと」
 肩をすくめながら、坂上は言った。
「なんだ、残念だな。この後俺達、一緒に飲みに行こうと思って」
 会場に流れていたBGMがフェイドアウトする。歓声と拍手。客席の照明がゆっくりと落ちていく。
「そっか、また次の機会に」
 バンドメンバーが出てきた。逆光で浮かび上がるシルエットが、それぞれの定位置につく。次第にステージ全体が明るくなっていく。会場内の興奮が高まり、観客がバラバラと立ち上がる。まあ、そのぐらいならいいだろう。そんな、恋人気取りの優越感が浮かぶ坂上の表情が、暗がりで隠される。
 演奏が始まった。隣の福島が片頬に浮かべた歪んだ笑みに、ステージに目を奪われた坂上は気づけなかった。
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