愛を知る

天渡清華

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その3

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 演奏中のアズマは、それが激しい曲であろうとテクニックがいる難しい曲であろうと、常にうっすら微笑んでいる。メロディを慈しむかのように弾く。鍵盤の上を自在に駆ける指の動きが美しくて、見とれてしまう。
 坂上はグランドピアノを弾くアズマを、レコーディングスタジオでガラス越しに見つめていた。アズマのレコーディングはこれで終わる。それが惜しい。
 冴えたルックスが、音楽をまとうことでさらにきらめきを増す。だが逆に、服を脱ぎ捨てた時のアズマもなまめかしくきらめき、目がくらむようだ。アズマの演奏中とはまるで違う表情を、今夜も見たい。
 曲が終わった。坂上やスタッフがなにか言う前に、さっさとヘッドホンを外してブースから戻ってくるアズマ。気のせいか、目の下のクマが濃くなったような気さえする疲れた表情。
「プレイバック、よろしく」
 微笑みを浮かべ、楽しげに弾いているように見えても、アズマは演奏中かなり集中しているようだ。重いため息をつき、どさりと壁際に置いてあるソファに座る。ごくごくとペットボトルのお茶を飲む。
 だがさっき録った演奏が流れ始めると、目つきが変わった。自分が紡いだ音を全身で聴き、チェックする横顔。雨の中でも毅然と顔を上げてたたずむ獣のようで、鋭く、魅惑的だ。さっきからじっと見られていることにも気づいていない。
 福島がアズマを天才だと言うのは、こういうアズマの態度がいかにも天才的に見えるのかも知れない。
「どうかな?」
 アズマは自分の演奏に合格点を与えたようだ。プレイバックが終わると表情をやわらげ、大きなミキシングコンソールの前に座っている坂上に声をかけてきた。
「うんいいね、お疲れさま」
 文句のつけようがなかったからそう言ったものの、坂上は内心意外だった。アズマ自身がアレンジし演奏もする曲で、一発OKを出すとは思わなかった。この前録った時には、何度かやり直したのに。
「キリもいいし、メシにしようか。アズマさんも食べていきなよ」
「いや、俺曲作らないといけないから」
 アズマは今すぐにでも帰ろうというのか、荷物を持って立ち上がる。
「とりあえずRECお疲れさんでした、ってことで食べてってもいいんじゃないの?」
 ディレクターも引き止めるが、アズマは申し訳なさそうに微笑んだ。
「締切近いんだ、悪いけど帰るよ」
 人前ではこういうやりとりをしながら、ひそかにLINEで連絡し、落ちあう。それが坂上とアズマのやり方だった。
 アズマが帰り、頼んだ出前を待つ間、坂上はアズマにLINEを送って誘った。返事はすぐに来た。
 さっき言ったとおり、無理
 にべもない。断られないと思っていた坂上は、スマートフォンを手に思わずソファでのけぞった。
「どうかしました?」
「いや、なんでもない」
 スタッフに苦笑で答え、坂上は返事を打ちこむ。
 じゃあ、いつならいい?
 当分は無理かな
 数分後に来たアズマの返事を、思わず凝視する。これまで、アズマを誘って断られたことはほとんどない。締切が近いとは言っていたが、しばらく会う時間も取れないほど忙しいなんて、そんなことは言っていなかった。
 いやこれまでに、アズマが仕事の予定やプライベートなことを自分から話したことがあったかと、自問する。訊かれれば答える、誘われれば抱かれる、だったろうに。
 アズマは自分から離れようとしているのではないか。疑念と不安が、胸の内でふつふつと沸き上がる。
 もっと突っこんで訊きたかったが、こらえた。これから歌入れなのに、これ以上心を乱されたら集中できなくなる。
 考えすぎかも知れないが、この前スタジオで抱いた後から態度が変わったようで、気になる。でもとりあえず歌入れが全部終わるまでは、アズマに連絡するのは控えよう。
 自分の方から一度ソロでやってみたいと切り出した以上、少しでもぬるい作品を作ったら福島に笑われてしまう。福島はファンから「ふくくま君」などと呼ばれてのんびりキャラということになっているが、実は観察眼が鋭く、細かいところにもよく気づく。キャラクター化された熊と本物がまるで違うように、油断できない男だ。
 スマートフォンをテーブルの上に置くと、坂上はソファの背もたれに後頭部を預け、目を閉じた。気持ちを切り替えるべく、目に焼きついたアズマのおもかげを頭から追い出そうとする。
 アーティストとしていい作品を作り、それが売れること。一人でそれがどれだけできるか。その挑戦の最中に、さすがに色恋沙汰にかまけてはいられない。
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