愛を知る

天渡清華

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その2

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 ギタリストが帰り、作業に一段落着いたところで、福島は急きょ入れられたミーティングのためにスタジオのロビーに向かった。そこにはすでに、所属事務所の社長・柴田がソファに座って待っていて、コーヒーが二人分、テーブルに置かれている。
 柴田は黒いワンピースに黒いパンプスで、それがアズマを思わせた。なにを見ても、アズマを思い浮かべてしまう。
「ごめんなさいね、急に」
 五十代半ばだが、いつも身なりに気を遣い黒々と髪を染めているせいもあってか、とてもそうは思えない若々しい姿で、柴田が笑いかける。
 柴田の笑顔を見て、なんだか暗いな、と福島は感じた。社長自ら出てきたのもなにかありそうだ。
「アルバム、すごくいい感じにできてるみたいね」
「はい、もう最高に楽しいっス。好きにやらせてもらってありがたいです」
 ソファに座った福島は、ぺこりと頭を下げた。柴田はSNS経由でTAKU-KENを知り、大学の学園祭で歌う二人を観に来て、スカウトしてくれた恩人だ。
「それでね、早速なんだけどやっぱりアルバム発売記念ライブやらない?」
「いや、それはなしってことになってたじゃないスか」
 福島は即答した。もともとソロ活動は時期尚早だと思っていたし、CDさえ出せればそれで満足だった。
「単刀直入に言うけど、私は健介君にもっと前に出て欲しいのよ。欲を出して欲しい」
 どう答えていいものか迷い、福島は黙ってソファに深く身体を埋めた。
「才能の出し惜しみをしないで。私は今回のアルバムも、プロデュース能力があるなあって、感心してるのよ」
 目の前のコーヒーをブラックのまますすり、福島はなおも無言でいた。ここは柴田の思っていることをできる限り言わせよう。
「健介君はのんびりしてるふりして、拓君を立てようとしてるとこがあるでしょう」
 さすがに柴田は鋭い。「のんびりしてるふり」か。大きく息をついて、ロビーの片隅の観葉植物に目をやる。空調の風にわずかに揺れる、みずみずしい緑。
「あいつの方が声もきれいだし、しゃべりもうまいんで」
  柴田は足を組み、コーヒーを一口飲んだ。
「しゃべりについては確かにそうね。でも歌は、健介君あってこそのハーモニーだと思う」
 少し上目遣いに福島を見る、柴田の探るような瞳。腹の探りあいってヤツか、と福島はうっすらとした笑みを唇に乗せた。
「ライブやれば、健介君のすごさがもっと世間に広まると思うんだけど」
「買いかぶりすぎでしょ、社長」
 いなすように言うと、柴田の瞳が厳しくなった。
「やっぱりソロ活動は早すぎたのよ、もちろん私達もできる限り頑張るけど、せっかくここまでいい感じに来たのに台なしにするようなことになったら……」
 うつむいて早口に言う柴田に、福島は驚いた。深刻な顔を思わず見つめる。
「実は、拓君のツアーチケットが予想以上に売れてなくて。ファンクラブ先行もイマイチだったし。だから私は、ソロ活動やるにしろ、もっと控えめにして欲しかったのに」
 坂上がソロでやりたいと言うのに、一番反対していたのは柴田だった。福島も反対したが、どうせ聞かないと思ったから最初やんわり言っただけだ。社長から反対されても坂上はめげず、事務所からOKが出た後も、ライブをどうするか決めるまでにだいぶ時間がかかった。坂上さんがわがままで、というスタッフのぼやきも聞いている。そうやって我を通した結果、坂上のソロは大コケしそうな勢いだというのか。
「アルバムが出れば、チケットも動くんじゃないスか?」
 わざとさらりと、言ってみる。福島はアルバムの曲の仕上がりには手応えがあったし、ゲストメンバーからしてもおそらくは坂上のアルバムより売れると踏んでいる。柴田がどれほどの規模を想定しているのか知らないが、それなりにライブにも人は集まるだろう。
 だからこそ、ダメなのだ。坂上がソロでやってみたいと言ったのは、二人のファンの割合に差が開いたのに焦ったからだ。自分の実力を試し、自信をつけたいからだ。坂上のチケットが売れていないならなおさら、自分はライブをやるべきではない。
「たぶん、動いても多少でしょうね」
 柴田の表情は暗く、厳しい。それはつまり、坂上のソロアルバムは期待できるほどの出来になっていないということなのか。坂上のレコーディングは、まだ終わってはいないはずだ。
「社長が俺にライブやれって言うのは、俺達の今後を考えてくれてのことスか? それとも、拓のツアーが赤字になるからとか?」
 ストレートに訊いてみると、柴田は組んでいた足を解いて姿勢を正した。
「もちろん前者よ。こっちも当然、赤字にはならないように組むから。と言っても、今のところかなり厳しいんだけど……」
 ボブにした髪をやたらと撫でるのが、猫の毛づくろいのようだと福島は思った。柴田には強さとかわいらしさが共存している。
「そういうことなら余計に、俺はライブできないっスよ」
「やっぱりダメ?」
 すがるように見る柴田に、きっぱり首を横に振る福島。
「拓のプライドがズタズタになりますよ」
 柴田も坂上の性格は分かっているはずだ。だから福島はそれだけを言った。
「そうでしょうね。健介君が二人のバランスに気を遣ってるのも分かってるつもり。それでも私は、健介君に前に出て欲しいと思ってる」
 あきらめたようにも見える、柴田の笑み。まさか柴田は、今回のことで坂上を見限ってしまったのか。さすがに胸がざわめくのを感じながら、福島は冷めたコーヒーをすすった。
「考えといて。レコーディング中にあんまり時間取っても悪いから、帰るわね」
 黙ってしまった福島に、柴田は立ち上がった。
「健介君さえうんって言ってくれれば、こっちはすぐ動けるようにしてるから」
「えっ、どういうことスか?」
 柴田を送ろうと立ち上がった福島は、目を丸くした。
「今回ゲストに来てくれた人のスケジュール、ある程度は仮押さえしてあるの」
 歩きながら言う柴田の後ろで、福島はあ然とした。柴田は周到だ。だが、そんなに強引にライブをやる必要があるのか。TAKU-KENの今後の活動も危うくしてしまうのではないか。
 スタジオの外に出ると、もうすっかり暗くなっていた。自動で駐車場の照明がつく中、柴田は車の鍵を取り出しながら歩く。柴田が立てる靴音をぼんやり聞きつつ、福島はすっかり秋めいてきた風を感じた。
「びっくりさせちゃった? だからって絶対ライブやってくれっていうわけじゃないから。納得の上で気持ちよくやって欲しいし。じゃ、引き続きレコーディング頑張って」
 車に乗りこんだ柴田は、少し申し訳なさそうに福島を見上げて言い、ドアを閉めた。車がバックして駐車場を出て、走り去っていく。福島はそれを、無言のまま見送った。
 なにがそんなに堪えたのか分からないが、福島はその場に押されるようにしゃがみこんだ。夜空を見上げ、大きくため息をつく。都心のビジネス街にあるレコーディングスタジオは、周りに建物が建てこんでいて、星のない切り取られた夜空が見えるだけだ。
 柴田はTAKU-KENがどうなってもいいと思っているのか。そう思うと怒りも感じる。おそらく柴田は、ソロ活動についてわがままを押し通した坂上に現実を分からせたいのだろう。だが、現実を見せられたところで、坂上がおとなしく言うことを聞くだろうか。その時はその時だと割り切っているのか。
 福島は苦笑しながら立ち上がった。柴田は少なくても自分の才能を買ってくれた上で言っているのに、それに怒りを感じるのか。色恋沙汰で自分達の活動にいつ終わりが来てもいいと思っている自分の方が、よっぽどたちが悪いだろうに。
 大きく伸びをして、踵を返す。アズマとのことだけでなく、別の方向からも事態が動き出してきた。一波乱起きるかも知れない。でもとにかく今は、目の前のやらなければいけないことをこなそう。
 気合いを入れ直して、福島はスタジオへと戻っていった。
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