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その2
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翌日、所属事務所のミーティングスペース。太陽の光が差しこむ明るい窓際で、坂上は椅子に座り、テーブルの上に広げられたチェックすべき原稿などを眺めていた。ガラス越しの日射しで、腫れぼったい目の下のクマが濃い、不健康な顔の凄みが強調される。
思い出したかのように缶コーヒーに手をつけ、ため息をつく。胃が痛い。
坂上はきのう、なんとか数時間でツアーのセットリストをだいたいは作ったが、その後は精根を使い果たしたかのようにまた抜け殻に戻ってしまった。アズマにあんなことを言われた後で、気持ちを一晩で立て直せるはずもなく、アズマの冷たい言葉に縛られてあまり寝られずに、ベッドで寝返りを繰り返すばかりの夜を過ごした。
「よう、ずいぶんお疲れだな。レコーディングはもう終わったんだろ?」
お茶のペットボトルを手にのっそりと現れた福島が、笑顔で坂上の肩をたたく。福島の後から来たスタッフが、隣のテーブルに抱えてきた紙類の束を置き、広げていく。福島もチェック作業らしい。
「……ああ。お前は元気そうだな」
福島の健康的な笑顔が差しこむ光のせいで余計にまばゆく、気にさわる。
「うん、レコーディングもめちゃくちゃ楽しかったしな。イチオシは、俺にとっての神ミュージシャン大集合! あれはギョーカイ人やマニアはたまらねえと思うぜ」
坂上は福島がうらやましくなった。福島は坂上のソロ活動中、じゃあどうせなら自分もなにかやってみるか、という感じだったから、気楽だ。ソロ活動は自ら言い出したことだから、うらやむのは筋違いなのだが。
「お前の方の出来はどうなんだよ? 久々にアズマさんと仕事して、どうだった?」
福島が坂上の向かいの椅子に座りながら言う。アズマの名前を出されて、坂上の眉がぴくりと上がった。
アズマのアレンジは自分向きにかなり計算されていて、歌いやすくしっくりしたのは確かだ。作品としてのクオリティも高い。だが音楽では寄り添ってくれても、プライベートでは自分との関係を断ち切ろうとしている。そうだ、自分は今まさに飽きられて捨てられようとしているんだ、早くなんとかしないと……。
「どうしたよ、すげえ顔して」
若干引いたのが分かる、福島の眉をひそめた表情。
「いや、別に」
よっぽど険しい表情をしたらしい自分の心をなだめるように顔をこすり、坂上は表情を緩めた。
「なあお前、最近アズマさんと会ったりしてんのか? 会ったなら、アズマさんなんか言ってなかった?」
アズマに自分を捨てさせようとしている誰かについて、わずかな手がかりでもいいから得たい。坂上はすがるように言った。
「なんかって、なんだよ? レコーディングのこととか?」
言われてはっとする。もしかするとあんな理由じゃなく、本当はレコーディングの時になにかアズマの気にさわることがあったのかも知れない。だがそれは、音楽的にもアズマに捨てられたということにならないか。
そう思いついてしまうと、坂上は目の前が暗くなった。もしそうだとしたら、致命的ではないか。
始めましょう、と背後からスタッフに言われ、坂上が答えなかったこともあって、そこで会話は終わった。福島は自分がチェックすべきものが広げられたテーブルの方に移る。
アルバムブックレットなどのデザインを楽しげにチェックする福島の背中を眺めながら、坂上もだるそうにインタビュー記事の原稿を手に取った。
アズマの顔が脳裏にちらつく。微笑みながら演奏する、見惚れるような美しい横顔。情事の最中、目を閉じて男を頬張る、みだらな表情。揺さぶられてあえぐ、恍惚とした顔。
だが、抱かれてもよくなくなっちゃったから、とアズマは言った。心をどす黒く塗りつぶし続ける、冷たい言葉。
福島の背中を、視線が突き刺さるほどに見つめる。アズマをスタジオで抱いた数日後に、ライブ会場で三人一緒になり、終演後福島はアズマと飲んだ。飲んだだけでは済まなかったのではないか。もともと、アズマは福島が天才だと言ってくれるせいか、それとも音楽の趣味が近いせいか、福島と仲がよかった。
いや、まさかもまさかだ。ありえない。ファンとの接し方などを見ている限り、福島は女好きだ。
こんなことをごちゃごちゃ考える自分をくだらないと一蹴する余裕も、もう坂上にはなかった。
「拓、お前ちゃんと仕事してる? 大丈夫かよ?」
突然声をかけられて、びくりとする。いつの間にか目の前に福島がいた。しゃがんでテーブルに太い両腕を置き、下から坂上の顔をのぞき込む。胸元で揺れるネックレスに、目を奪われる。
「あ……。いや、大丈夫」
「ちゃんと寝た方がいいぜ。これからアルバムのプロモにツアーのリハに本番に、って続くんだから」
福島の作業は終わったのか。隣のテーブルの上にはもうなにもない。いったいどれだけ時間が過ぎたのか。アズマに心を奪われすぎだ。坂上はため息をこらえ、椅子に座り直す。
福島はそんな坂上の顔をじっと見ていたが、少し首をかしげると立ち上がった。
「なあお前、アズマさんにしつこくすんのやめとけよ?」
「え……?」
なぜ、福島がそれを知っている?
坂上が顔を上げた時には、もう福島の背中は曲がり角の向こうに消えようとしていた。
「健介お前、ちょっと待てよ!」
坂上はあわてて、椅子を倒す勢いで立ち上がり福島の後を追った。
思い出したかのように缶コーヒーに手をつけ、ため息をつく。胃が痛い。
坂上はきのう、なんとか数時間でツアーのセットリストをだいたいは作ったが、その後は精根を使い果たしたかのようにまた抜け殻に戻ってしまった。アズマにあんなことを言われた後で、気持ちを一晩で立て直せるはずもなく、アズマの冷たい言葉に縛られてあまり寝られずに、ベッドで寝返りを繰り返すばかりの夜を過ごした。
「よう、ずいぶんお疲れだな。レコーディングはもう終わったんだろ?」
お茶のペットボトルを手にのっそりと現れた福島が、笑顔で坂上の肩をたたく。福島の後から来たスタッフが、隣のテーブルに抱えてきた紙類の束を置き、広げていく。福島もチェック作業らしい。
「……ああ。お前は元気そうだな」
福島の健康的な笑顔が差しこむ光のせいで余計にまばゆく、気にさわる。
「うん、レコーディングもめちゃくちゃ楽しかったしな。イチオシは、俺にとっての神ミュージシャン大集合! あれはギョーカイ人やマニアはたまらねえと思うぜ」
坂上は福島がうらやましくなった。福島は坂上のソロ活動中、じゃあどうせなら自分もなにかやってみるか、という感じだったから、気楽だ。ソロ活動は自ら言い出したことだから、うらやむのは筋違いなのだが。
「お前の方の出来はどうなんだよ? 久々にアズマさんと仕事して、どうだった?」
福島が坂上の向かいの椅子に座りながら言う。アズマの名前を出されて、坂上の眉がぴくりと上がった。
アズマのアレンジは自分向きにかなり計算されていて、歌いやすくしっくりしたのは確かだ。作品としてのクオリティも高い。だが音楽では寄り添ってくれても、プライベートでは自分との関係を断ち切ろうとしている。そうだ、自分は今まさに飽きられて捨てられようとしているんだ、早くなんとかしないと……。
「どうしたよ、すげえ顔して」
若干引いたのが分かる、福島の眉をひそめた表情。
「いや、別に」
よっぽど険しい表情をしたらしい自分の心をなだめるように顔をこすり、坂上は表情を緩めた。
「なあお前、最近アズマさんと会ったりしてんのか? 会ったなら、アズマさんなんか言ってなかった?」
アズマに自分を捨てさせようとしている誰かについて、わずかな手がかりでもいいから得たい。坂上はすがるように言った。
「なんかって、なんだよ? レコーディングのこととか?」
言われてはっとする。もしかするとあんな理由じゃなく、本当はレコーディングの時になにかアズマの気にさわることがあったのかも知れない。だがそれは、音楽的にもアズマに捨てられたということにならないか。
そう思いついてしまうと、坂上は目の前が暗くなった。もしそうだとしたら、致命的ではないか。
始めましょう、と背後からスタッフに言われ、坂上が答えなかったこともあって、そこで会話は終わった。福島は自分がチェックすべきものが広げられたテーブルの方に移る。
アルバムブックレットなどのデザインを楽しげにチェックする福島の背中を眺めながら、坂上もだるそうにインタビュー記事の原稿を手に取った。
アズマの顔が脳裏にちらつく。微笑みながら演奏する、見惚れるような美しい横顔。情事の最中、目を閉じて男を頬張る、みだらな表情。揺さぶられてあえぐ、恍惚とした顔。
だが、抱かれてもよくなくなっちゃったから、とアズマは言った。心をどす黒く塗りつぶし続ける、冷たい言葉。
福島の背中を、視線が突き刺さるほどに見つめる。アズマをスタジオで抱いた数日後に、ライブ会場で三人一緒になり、終演後福島はアズマと飲んだ。飲んだだけでは済まなかったのではないか。もともと、アズマは福島が天才だと言ってくれるせいか、それとも音楽の趣味が近いせいか、福島と仲がよかった。
いや、まさかもまさかだ。ありえない。ファンとの接し方などを見ている限り、福島は女好きだ。
こんなことをごちゃごちゃ考える自分をくだらないと一蹴する余裕も、もう坂上にはなかった。
「拓、お前ちゃんと仕事してる? 大丈夫かよ?」
突然声をかけられて、びくりとする。いつの間にか目の前に福島がいた。しゃがんでテーブルに太い両腕を置き、下から坂上の顔をのぞき込む。胸元で揺れるネックレスに、目を奪われる。
「あ……。いや、大丈夫」
「ちゃんと寝た方がいいぜ。これからアルバムのプロモにツアーのリハに本番に、って続くんだから」
福島の作業は終わったのか。隣のテーブルの上にはもうなにもない。いったいどれだけ時間が過ぎたのか。アズマに心を奪われすぎだ。坂上はため息をこらえ、椅子に座り直す。
福島はそんな坂上の顔をじっと見ていたが、少し首をかしげると立ち上がった。
「なあお前、アズマさんにしつこくすんのやめとけよ?」
「え……?」
なぜ、福島がそれを知っている?
坂上が顔を上げた時には、もう福島の背中は曲がり角の向こうに消えようとしていた。
「健介お前、ちょっと待てよ!」
坂上はあわてて、椅子を倒す勢いで立ち上がり福島の後を追った。
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