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その2
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「俺のアルバム、そんなにダメかよ!」
事務所に入るなり、坂上が怒鳴っている声が遠く聞こえた。おそらくミーティングスペースにいるのだろう。
「どうしたの?」
近くにいたスタッフに聞くと、デスクから資料を取ってきて、これですと差し出された。坂上のソロアルバム「ONE」と福島のソロミニアルバム「WITH」の売り上げ表だ。立ったまま目を通す。
「ONE」と「WITH」は、CDの初回出荷枚数からして大きな開きがあった。グラフ化された売り上げを見ると、差は一目瞭然だ。「WITH」はゲストボーカリスト目当てで曲単位で買うユーザーも多いためか、配信の売り上げも多いが、それに比べると「ONE」の配信の売り上げグラフはまるでさざ波のようだ。
まずいなと思った。自分のミニアルバムが思った以上に売れていることを全然喜べない。「ONE」の売り上げの少なさは予想以上で、坂上は自分の首を絞めるだけ絞めてしまったようだ。
「なんなんだよ! なんで売れねえんだよ!」
相当興奮しているらしい、甲高い叫び。
「福島さん、相手してるヤツがかわいそうなんで止めて下さいよ」
スタッフが身をすくめるように言うのに、福島は首を横に振った。
「いや、俺が行ったら火に油注いじまうからダメだ。社長はもう来てる?」
福島の言葉が聞こえていたかのように、オフィスの奥の社長室のドアが開き、柴田が出てきた。今日はジャケットにジーンズというラフな格好で、すぐに福島に気づき、手招きする。
「健介君は社長室にいて」
柴田はさすがに、福島が行かない方がいいことは分かっていた。固い表情で自らミーティングスペースに向かう。福島は入れ違いに社長室に入り、ドアを閉めた。もともと小さな事務所だから、ドアを閉めてもなにやら怒鳴っている声が聞こえてくる。
壁にTAKU-KENなどの所属アーティストのポスターが何枚か貼ってある他には、ほとんど飾りらしきものがない部屋。きっちり片づいた柴田のデスクと、ガラスのローテーブルを黒革のソファが囲む応接セットがあるだけだ。
福島は二人がけのソファに座り、目の前のポスターを見つめた。TAKU-KENデビューシングルのポスターの中の自分達が、妙に幼く見える。慣れない撮影へのとまどいや緊張、高揚感を思い出す。
坂上のぎこちない作り笑顔が、なぜだか胸を締めつける。それは終わりゆく自分達の関係への感傷か。
福島は今日、ミニアルバム発売記念ライブについて柴田と話すために来た。まだその後坂上とは話していないが、ユニットとしての活動に見切りをつけようと腹を決め、解散の件も相談するつもりだ。
突然の悲鳴と大きな物音に、福島はびくりとして耳を澄ませた。
「なにするんですか! 社長、大丈夫ですか!」
男性スタッフの大声。福島は社長室を飛び出し、ミーティングスペースへと急ぐ。他にも社内にいたスタッフ達が前後してばたばたと移動する。
目に入ってきたのは、椅子は倒れテーブルも定位置からずれ、書類が床に散乱している光景。
「健介! 来やがったか!」
男性スタッフに後ろから羽交い締めにされた坂上が、血走った目であざ笑うような甲高い声を上げる。そのそばには、床に横座りになり女性スタッフに支えられている柴田。口の端から血が垂れている。
「お前まさか、社長を……?」
さすがに顔がこわばった。駆けつけた男性スタッフが三人で坂上を取り囲む。福島は柴田達の前にかばうように立った。
「だってこいつが悪いんだ、ことごとく俺の邪魔しやがって。俺のアルバムが売れてないのも、お前をひいきしてプロモサボってんだろ!」
明らかに目つきがおかしい。わめく声に、本能的な恐怖を感じる。アズマが生きている人間の声とは思えなかった、と言っていたのはこういうことか。その上いつも身なりはきっちりしていたのに、髪にはフケが浮き、よれよれのスエットに季節外れのサンダル履きだ。
坂上はおかしくなってしまったのだろうか。福島は唇を噛みしめ、一歩前に出た。
「なんだ、その言い草」
湧き上がる怒り。坂上は前から人のせいにしがちではあったが、デビューさせてくれてここまでにしてくれた恩人を殴るとは許せない。
「お前はいいよな、ファンは多いしアルバムも俺の何倍も売れて社長にもひいきされてアズマともよろしくやってよ」
ねっとりした妬みの言葉で、坂上が傷つけているのは自分自身だ。福島は拳に覚悟を握りしめた。坂上を囲んでいるスタッフ達に、離れるようにゼスチャーする。
「お、なんだやんのか? 代わりに仕返しってか?」
へらへら笑いながら言う坂上。酔っているかのように足元がふらついている。
「みんな聞けよ、こいつはアズマとデキててしょっ……」
「目を覚ませよ!」
次の瞬間、殴られた坂上の身体は激しい音を立てて床にたたきつけられた。倒れた坂上をにらみつける福島の瞳から、涙が一筋流れ落ちる。
「お前がやりたいって言ったソロだろうが! なにやってんだよ、ちゃんと音楽やれよ! 人のせいにするな、そんなんでツアー回れんのかよ!」
「うるせえ! もう音楽なんてできるかよ! クズが! お前のせいだ!」
子供が駄々をこねるように、床に転がったまま大声でわめく。泣く。ちくしょう! と繰り返しながら、両手の拳を何度も何度も床にたたきつける。
もう音楽なんてできるかよ、という言葉が、ずしりと福島の心にのしかかった。
やはり、TAKU-KENはもう終わりか。
だがもう、福島の瞳から涙は出なかった。暴れ続ける坂上が哀れで、いつまでもこんな姿をスタッフ達に見せるわけにはいかないと思い、坂上を抑えこもうと動く。途端に夢から覚めたように、男性スタッフ達が坂上に群がり、数人がかりで坂上の動きを止めさせる。
「お前なんかと組むんじゃなかった!」
そう叫んだ坂上の顔は涙と唾液にまみれ、床を思いきりたたき続けた両手からは血がにじんでいた。
「……病院に連れて行きましょう」
立ち上がって坂上を見ていた柴田が低く、しかしはっきりとつぶやく。坂上を抑えていたスタッフ達が緊迫した表情で無言のままうなずき、がっしり坂上の動きを封じたまま立たせる。
福島はただ黙って坂上を見ていたが、一瞬深くうつむいて唇を噛みしめると、天を仰いだ。
「お前なんかと組むんじゃなかった!」
叫ぶ声が、遠ざかっていく。そこから否定されてしまうのは、さすがにつらい。
連れて行かれる坂上を、福島は見ることができなかった。坂上を殴った右手は、このまま永遠に痛み続けるのではないかと思うほど、じんじんと痛んでいる。
事務所に入るなり、坂上が怒鳴っている声が遠く聞こえた。おそらくミーティングスペースにいるのだろう。
「どうしたの?」
近くにいたスタッフに聞くと、デスクから資料を取ってきて、これですと差し出された。坂上のソロアルバム「ONE」と福島のソロミニアルバム「WITH」の売り上げ表だ。立ったまま目を通す。
「ONE」と「WITH」は、CDの初回出荷枚数からして大きな開きがあった。グラフ化された売り上げを見ると、差は一目瞭然だ。「WITH」はゲストボーカリスト目当てで曲単位で買うユーザーも多いためか、配信の売り上げも多いが、それに比べると「ONE」の配信の売り上げグラフはまるでさざ波のようだ。
まずいなと思った。自分のミニアルバムが思った以上に売れていることを全然喜べない。「ONE」の売り上げの少なさは予想以上で、坂上は自分の首を絞めるだけ絞めてしまったようだ。
「なんなんだよ! なんで売れねえんだよ!」
相当興奮しているらしい、甲高い叫び。
「福島さん、相手してるヤツがかわいそうなんで止めて下さいよ」
スタッフが身をすくめるように言うのに、福島は首を横に振った。
「いや、俺が行ったら火に油注いじまうからダメだ。社長はもう来てる?」
福島の言葉が聞こえていたかのように、オフィスの奥の社長室のドアが開き、柴田が出てきた。今日はジャケットにジーンズというラフな格好で、すぐに福島に気づき、手招きする。
「健介君は社長室にいて」
柴田はさすがに、福島が行かない方がいいことは分かっていた。固い表情で自らミーティングスペースに向かう。福島は入れ違いに社長室に入り、ドアを閉めた。もともと小さな事務所だから、ドアを閉めてもなにやら怒鳴っている声が聞こえてくる。
壁にTAKU-KENなどの所属アーティストのポスターが何枚か貼ってある他には、ほとんど飾りらしきものがない部屋。きっちり片づいた柴田のデスクと、ガラスのローテーブルを黒革のソファが囲む応接セットがあるだけだ。
福島は二人がけのソファに座り、目の前のポスターを見つめた。TAKU-KENデビューシングルのポスターの中の自分達が、妙に幼く見える。慣れない撮影へのとまどいや緊張、高揚感を思い出す。
坂上のぎこちない作り笑顔が、なぜだか胸を締めつける。それは終わりゆく自分達の関係への感傷か。
福島は今日、ミニアルバム発売記念ライブについて柴田と話すために来た。まだその後坂上とは話していないが、ユニットとしての活動に見切りをつけようと腹を決め、解散の件も相談するつもりだ。
突然の悲鳴と大きな物音に、福島はびくりとして耳を澄ませた。
「なにするんですか! 社長、大丈夫ですか!」
男性スタッフの大声。福島は社長室を飛び出し、ミーティングスペースへと急ぐ。他にも社内にいたスタッフ達が前後してばたばたと移動する。
目に入ってきたのは、椅子は倒れテーブルも定位置からずれ、書類が床に散乱している光景。
「健介! 来やがったか!」
男性スタッフに後ろから羽交い締めにされた坂上が、血走った目であざ笑うような甲高い声を上げる。そのそばには、床に横座りになり女性スタッフに支えられている柴田。口の端から血が垂れている。
「お前まさか、社長を……?」
さすがに顔がこわばった。駆けつけた男性スタッフが三人で坂上を取り囲む。福島は柴田達の前にかばうように立った。
「だってこいつが悪いんだ、ことごとく俺の邪魔しやがって。俺のアルバムが売れてないのも、お前をひいきしてプロモサボってんだろ!」
明らかに目つきがおかしい。わめく声に、本能的な恐怖を感じる。アズマが生きている人間の声とは思えなかった、と言っていたのはこういうことか。その上いつも身なりはきっちりしていたのに、髪にはフケが浮き、よれよれのスエットに季節外れのサンダル履きだ。
坂上はおかしくなってしまったのだろうか。福島は唇を噛みしめ、一歩前に出た。
「なんだ、その言い草」
湧き上がる怒り。坂上は前から人のせいにしがちではあったが、デビューさせてくれてここまでにしてくれた恩人を殴るとは許せない。
「お前はいいよな、ファンは多いしアルバムも俺の何倍も売れて社長にもひいきされてアズマともよろしくやってよ」
ねっとりした妬みの言葉で、坂上が傷つけているのは自分自身だ。福島は拳に覚悟を握りしめた。坂上を囲んでいるスタッフ達に、離れるようにゼスチャーする。
「お、なんだやんのか? 代わりに仕返しってか?」
へらへら笑いながら言う坂上。酔っているかのように足元がふらついている。
「みんな聞けよ、こいつはアズマとデキててしょっ……」
「目を覚ませよ!」
次の瞬間、殴られた坂上の身体は激しい音を立てて床にたたきつけられた。倒れた坂上をにらみつける福島の瞳から、涙が一筋流れ落ちる。
「お前がやりたいって言ったソロだろうが! なにやってんだよ、ちゃんと音楽やれよ! 人のせいにするな、そんなんでツアー回れんのかよ!」
「うるせえ! もう音楽なんてできるかよ! クズが! お前のせいだ!」
子供が駄々をこねるように、床に転がったまま大声でわめく。泣く。ちくしょう! と繰り返しながら、両手の拳を何度も何度も床にたたきつける。
もう音楽なんてできるかよ、という言葉が、ずしりと福島の心にのしかかった。
やはり、TAKU-KENはもう終わりか。
だがもう、福島の瞳から涙は出なかった。暴れ続ける坂上が哀れで、いつまでもこんな姿をスタッフ達に見せるわけにはいかないと思い、坂上を抑えこもうと動く。途端に夢から覚めたように、男性スタッフ達が坂上に群がり、数人がかりで坂上の動きを止めさせる。
「お前なんかと組むんじゃなかった!」
そう叫んだ坂上の顔は涙と唾液にまみれ、床を思いきりたたき続けた両手からは血がにじんでいた。
「……病院に連れて行きましょう」
立ち上がって坂上を見ていた柴田が低く、しかしはっきりとつぶやく。坂上を抑えていたスタッフ達が緊迫した表情で無言のままうなずき、がっしり坂上の動きを封じたまま立たせる。
福島はただ黙って坂上を見ていたが、一瞬深くうつむいて唇を噛みしめると、天を仰いだ。
「お前なんかと組むんじゃなかった!」
叫ぶ声が、遠ざかっていく。そこから否定されてしまうのは、さすがにつらい。
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