泉界のアリア

佐宗

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第一部 血族

15毒の公爵①

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 部屋中に、とたんに薔薇の香水の芳香が漂い、ヴァニオンは息を止める。
 ファルク・ヴァルトリス公爵。毒の公爵。王家の主治医を自称している男だ。

 飾り気のない軽い旅装の二人に対し、彼の衣装は目を覆いたくなるほど絢爛豪華であった。
 襟幅が異常に広い、白い繻子のブラウス。袖は邪魔なほどふっくら広がり、紫の紐で袖口を縛っている。
 その襟元から覗く同じ白い生地のスカーフを、輝く赤い宝石のブローチで止めている。ブラウスの上は濃紫の胴着。下は黒いズボンに、皮の膝丈のブーツ。それらの衣装の上にさらに、膝までの長さの深緑の長衣を着込むという、嫌味なほどの華やかさ。

 不気味な衣装とは裏腹に、首から上、微笑を浮かべている顔は、さすが冥界貴族の一当主と呼ぶに相応しく貴公子然としている。丸眼鏡の下の、切れ長の暗紅色の瞳。そして魔族には珍しい銀灰色の髪。ヴァニオンとこころなしか顔立ちが似通っているのは、血縁関係によるものだ。複雑な家系図であるため、一応おおやけには従兄弟同士ということになっている。

 同世代のヴァニオンより一足先に父の跡を継いで公爵家の当主となったが、巷では先代の公爵を自慢の薬で毒殺したであるとか、いろいろな噂が絶えなかった。

「お久しぶりでございます、殿下、ご機嫌麗しいことと存じ上げます」
「麗しいはずないだろう。なんだこの辺の下手クソな馬鹿馬鹿しい絵は。許しも得ずにひとの顔を描くな!」
「おや、お気に召しませんでしたか? 貴方の美しいお姿を遠くから拝見するたび記憶に留め、書き溜めたものですよ……私の愛のはけ口として……」

 ファルクは壁に懸けられたナシェルの肖像画の一枚に近寄り、絵の中の王子にうっとりと唇を寄せる。
「やめろ!」
 ナシェルは全身の毛を逆立てて戦慄わなないた。絵とはいえ毎日口づけされているのかと思うと吐き気がする。

「ふふふ、そんなに目くじらを立てなくてもいいじゃありませんか、減るもんじゃあるまいし」
 ファルクは肩を竦め、そこで初めてヴァニオンに気付いたようである。
「おや、そこにいるのは誰かと思えば私の従弟のヴァニオン君じゃないか。久しぶりだね。今日は惚れ薬の処方でも頼みに来たのかな?」
「誰がだ」
 ヴァニオンの返答は冷ややかだ。彼もナシェルと同様、この奇妙な性癖の従兄が心底苦手だった。

 目を逸らして壁のほうを見ると、そちらにもファルクがいてヴァニオンをげんなりさせる。無論そちらは自画像だ。
 壁の絵の中でも、彼はきらびやかな装いで嫣然と微笑んでいた。

 こうした彼の自画像は、このアトリエだけで少なくとも十枚以上はある。館全体ではその数倍はあるに違いない。ファルクはつまるところ、鏡に映る自分の姿に陶酔するタイプの青年なのだ。……加えて毒薬の収集に、小児性愛と、数多くの理解されがたい趣味を持っており、親族内でも煙たがられるのは当然であった。

「殿下! そのように、部屋の隅にお立ちになられずとも……」
 ファルクは丸眼鏡を指で押し上げながら、そう云って今度は本物のナシェルのほうに近づいてくる。

 ヴァニオンは、ゆっくりとナシェルの方向に歩いて行くファルクのその目つきに、突如いいようのない危機感を覚えた。
 ファルクのどうしようもないさまざまな性癖を知っているが故に、そのねっとりした視線に晒されているナシェルが非常に無防備に思えてきたのだ。

 しかしヴァニオンが止める間もなく、ファルクはほとんど猫科の猛獣のような素早さでナシェルに接近した。窓辺に寄りかかり、視線を合わせずにことさら外へ向こうとする王子の前で、優雅な動作で腰を落とし片膝を絨毯につく。

 冥界公爵の身分にある彼が拝跪するのは、冥王と、この王子に対してのみである。
 膝を折るなり、ファルクはナシェルの象牙色をした手をぐいと掴み、素早い動作で唇を押しあてた。

 それまで氷の彫像のように態度を崩さなかったナシェルが、この時ばかりはぎょっとしたように身を竦ませた。

 慌ててもぎ離そうとしても、すでに遅い。ファルクは握った手を離そうという気はないらしく、恭しく立ちあがってナシェルの間近に鼻先を近づけた。

「相変わらずこの世のものとも思えぬ美しさで在られますな……この肌理きめの細かななめらかな白肌……」
 自分の二つの掌のなかにナシェルの手を挟んだまま、吐息のかかるすれすれまで身を寄せる。
 そして王子の体臭を嗅ぐような変態的な息遣いをした。

「てめえ!」

 どすの効いた声で叫んだのは無論ナシェルではなくヴァニオンである。つかつかと歩み寄るなり両者の間に割って入って、掴まれていたナシェルの手をべりっと引きはがした。

 肩を怒らせ、ナシェルを庇うヴァニオンに、ファルクは含みのある微苦笑を浮かべてみせる。

「一体何ですかな、そんなに怒って。私はただ臣下の礼をとっただけ。君のほうこそ騎士ナイト気取りも大概にしたほうがいいんじゃありませんか? そんな風に殿下に近づく者を片端から追い散らしていると、また周りに誤解されますよ……殿下との関係を……おっと、これは失言でしたかねえ?」
「………………」
 ヴァニオンは喉元まで出かかった暴言をかろうじて呑み込む。ここで爆発してはならない。今日ここを訪れたのは、ファルクに聞いてもらわねばならない頼み事があるからなのだ。

 ヴァニオンはひとつ深呼吸して自分を諌め、精一杯下手したてに出る。
「……そんなことはどうでもいい。ファルク、今日はお前に頼みたい事があって来たんだ。その……、とある薬の処方を頼みにな」

 そう切り出しながら、ヴァニオンは背後のナシェルを振り返る。ナシェルは苦虫を噛み潰したような顔で、ファルクに口づけされた手の甲を緋天鵝絨びろうどのカーテンにしきりに擦りつけていた。

「ほう……薬をね。何の薬を御所望なんです? 惚れ薬でも毒薬でも、何でも希望通りにいたしますよ、ただし、相応の対価を払えばね。従兄弟どの」
「いや、薬を頼みたいのは俺じゃない。ナシェルの方だ」
「なんと、殿下が? わたくしを頼りにして下さるとは、光栄の極み。して、殿下、どのような薬を?」

 話を振られ、ナシェルは仕方なく口を開く。
「瞳の色を変える薬を探しているのだ。青い瞳を、みどりに変えるような薬が望ましいのだが」
「瞳のお色を、ですか」
 ファルクは興味深そうに、深紅色の瞳を細めた。ヴァニオンを押しのけナシェルに再び近づいて、幽玄な美貌を覗きこむ。
「貴方様の、その美しい蒼色の瞳を、いかように変えよと仰せられますか。あまりに勿体ないこと。陛下もきっとお怒りになるでしょう」
「いや、私が変えるわけではない。その、少し事情があってな」
「ほう……?」

 ヴァニオンが横合いから、それ以上何も訊くなという視線をファルクに送る。ファルクも、王子との逢瀬を邪魔する従兄弟を、疎ましげに睨み据えた。ナシェルの頭上で、二人の間にはバチバチと火花が散る。

「調合できるか? 公爵」
「……判りました。やってみましょう。他ならぬ殿下の頼みとあらば、お断りするはずがございませぬ。ただし条件がございます。まず、お人払いを」
「人払いだと! てめえ阿呆か?」
 ヴァニオンは青筋を立てた。王子とファルクを二人きりになど出来るわけがない。
 ナシェルも不快感を露わにする。

「それは認めぬ。今すぐ条件とやらを云え」
「殿下……、いいんですか? ヴァニオン君にばらしますよ。あのときわたくしが処方した薬のこと……」
「分かった。ヴァニオン、そなた暫し席をはずせ」
「は!? 何云ってんの!?」
 ヴァニオンはぽかんと、突然前言を撤回した主君を見る。処方した薬って何のことだ?

「大丈夫、心配するな。自分の身は自分で守る」
 ナシェルは囁き、ヴァニオンを扉のほうへ追いやった。
「え、ちょっと。だけどアレと二人きりは危険すぎるだろ……」
「ヴァニオン君。何も殿下をとって喰おうってわけじゃないんですから。ほんの一時で済みます」
 穏やかな口調とは裏腹に、ファルクの視線はヴァニオンに対する優越感で溢れていた。

 よく分からないまま追い出されるヴァニオンは荒々しく緋色のマントを翻してファルクを睨みつけ、おかしなことをしたら殺す云々と指を突き付けて喚いていたが、やがて分厚い扉の向こうに押し出されて消えた。




「……さあ、邪魔者は消えましたな!」
 ファルクは扉の向こうへ聞こえるようにわざと大声で云い、両手を打ち合わせた。
 賢しげな丸眼鏡の奥で暗紅色の瞳が、狙いを定めた肉食獣のそれに変わる。
 ナシェルはじりじりと扉にはりつき、退路を確認しつつ身構えた。

「……そなたの条件とやらをさっさと云え」
「そんなに急かさずとも良いでしょう。せっかく久しぶりにお会いするんだ、世間話でもしようではありませんか」
「貴様とするような世間話などない。私は忙しいんだ」
「つれない方だ。わたくしが貴方様につねづね寄せている想いを、ご存じないはずはないのに」
「……それ以上近づくな」
 ナシェルは声を殺して命じた。辛うじて、残り五歩というところでファルクの足が止まる。熱を含んだ視線でナシェルを舐めるように見ながら、ファルクは苦笑する。

「殿下がお悪いのですよ。そのような美しい御姿をしていながら、想いを寄せるなと酷な事を仰せになる。……まことに罪な方だ、貴方は……」
 ファルクは、命令を無視してゆっくりと間を詰めてくる。ナシェルが美貌にめいっぱいの険を差して自分を睨んでいることなど構いもせぬ様子だ。
「殿下……分かっておられないようですね。それが人にものを頼む態度ですか? 瞳の色を変える薬など、何に利用するか知らないが、どうせお父上には内緒にしろとか仰るのでしょう?」
「…………」

 至近まで近づかれ、思わず顔を背ければ、ファルクの白い手がしなやかに伸びてきてナシェルの顎に触れた。
「触るなと、云っ……」
 顎の線をなぞる冷たい指先が、恨めしい。背けた耳元に、苦笑を含んだファルクの声が吹きかかる。
「よろしいのですよ。声を上げられても。そうすればあの、血の気の多い乳兄弟どのが飛び込んでくるだけです。そのかわり、先ほどのご依頼はお引き受けできなくなりますが……」

 熱を帯びた視線が王子を捉えるのと同時に、その手はしなやかに伸びて王子のほっそりした腰に廻される。
 指の感触を感じて振りほどこうとした時には既に遅く、強く引き寄せられて一瞬ののちにはファルクの腕の中に囚われていた。
「さあ、それでもあの男をお呼びになりますか?」
 脅迫とともに耳朶を襲うのは、甘やかな口づけ。
「卑怯、者、」
 強張らせた体が、耳を噛まれただけで力を失いそうになる。
 ファルクの舌が、わざと淫らな音を立てながら耳の中に侵入してきた。

「っぁ、」
 押し返そうとファルクの胸にあてた手は、思惑に反して力が入らず震え、突き放すどころか躯を支えるためにはそれに縋るしかなく。
 怒りと羞恥で頬を染めながらも、くずおれそうなナシェルが自分の胸元に頼ってくるのを確かめて、ファルクは微笑む。耳の孔に差し入れた舌を抜いて、最後にねっとりと耳垂を舐め上げた。

「なぜ、わたくしを避けておいでなのです? あの薬のことをまだ、根に持っておられるのですか。あの薬の件は、ほんのお遊びでしたのに。お父上も、そう仰せだったでしょう?」


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