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第一部 血族
14瘴気の森②
しおりを挟む…どの方角に目を向けても、鬱蒼とした森が果てしなく続いている。
どこからか、不気味な魔鳥の鳴き声が聞こえてくるが姿は見えぬ。
時折、間近の植物から黄色い猛毒のガスが吹き出すのを避けつつ、慎重に歩を進める。
腐樹界の、毒の森の中である。
あたり一面に立ち込める不気味な気配を感じ取り、彼らの愛馬も先ほどから一向に進もうとしない。それを叱咤し、視界を阻む得体の知れぬ植物をなぎ払いながら、二人は道なき道をファルクの住む城館目指して進んでいた。
抜き身の神剣を手に、ナシェルはすでに不機嫌であった。
それというのも、ここ腐樹界では上空を覆う瘴気があまりに濃すぎるために、黒天馬が飛翔することができず、のろのろと地面の上を行くことになってしまったからだ。
ナシェルはやけくそに植物を切り裂いた。緑色の樹液が艶やかな黒髪を汚すにいたり、とうとうぶつぶつ不平を垂れ始める。
「領主に似て厄介な世界だ、来るんじゃなかった。剣がべとべとになったぞ。これ、取れるのか」
腐樹界はその名の通り、腐敗した樹海の広がる世界だ。この冥界の毒素の源にして、あらゆる毒薬の生産地。
そしてそれだけではなく、意思を持ち言語を解する花、獰猛な肉食植物、生き物の生気を糧とする植物まで、ありとあらゆる邪悪な植物の棲息地でもあった。
ここを治めているのは、ファルク・ヴァルトリス公爵。9名の冥界公爵のひとりである。毒や薬の知識は冥界一といわれ、毒の公爵と恐れられていた。
もっとも、ナシェルがその男について悪い印象を持っているのは、そんな理由からではないらしい。何か具体的に恨みがあるようだが、ナシェルが頑なに語ろうとしないためヴァニオンは彼らの間に何があったのか、詳しいことは知らないでいる。
今にも踵を返しそうなナシェルを宥めすかしながら先へ進むと、一風変わった花の咲く小径へ出た。
それは「花」……と呼ぶべきではないかもしれない。ナシェルたちの背丈ほどもある茎の上についているのは、「女の顔」であった。毒々しい赤色の髪が、貌の周りにユラユラと踊り、無数の細い繊毛のような花びらに見える。
人面花たちは、二人の青年を眼にするなり赤い舌をチロチロと出して、伸縮自在の茎を伸ばしてくる。
『なんと美味しそうな男の血の匂い。美しい旅の御方、妾たちに精気を吸わせておくれ』
『代わりに甘い夢を見させてあげようから』
ナシェルが通り過ぎるたび、甘く媚びた声で囁いてくる。
腕に絡みついてくる触手を、ナシェルは煩わしげに剣で斬り落とした。
『ああ、何処へ行くの、美しい殿方。妾たちが、可愛がってあげようというのに』
妖艶な花たちがその肢体をふるふると揺らすたび、黄色や桃色の花粉が辺り一面に充満した。青年たちは鼻と口を覆うが、少し吸い込んだのか頭がぼんやりしてくる。
「おい、気をつけろ。こいつらの花粉を吸うと痺れて動けなくなるぞ。麻痺させておいて、寄ってたかって骨までしゃぶり尽くすつもりらしい」
背後からヴァニオンが警告する。
ナシェルは媚びてくる妖花たちを見渡し、嘲笑した。
「下等な娼婦のごとき輩がこの私を誑かそうというのか、面白い」
甘い花蜜をねっとりと絡み付けてくる、妖艶な女の顔をしたそれを、ぐちゃりと握りつぶす。
『ギャアアアア!』
先ほどのなまめかしい声とは比べもつかぬ断末魔の絶叫を上げ、妖花が息絶えると、毒々しい瘴気が滲み出てナシェルの手を緑色に汚した。人面花たちは誘惑が効かぬと判ると、触手を離して蕾に戻ってしまった。
「チッ……雑魚どもめ。どうせ襲ってくるならもっと骨のある怪物はおらぬのか。冥界一の樹海といっても案外大したことはないな。虚仮脅しの類ばかりだ。くだらぬ」
この声が腐樹界の領主に届いたかどうかは定かではないが、更に奥へ分け入るにつれ、二人の貴公子をはばむ植物はだんだん手強くなっていった。斬っても斬っても増殖する蔦に行く手を遮られ、猛毒を発する木々に馬の足を取られるなどし、そのたびにナシェルは「もう帰る」などと駄々をこね…………、気がつけば帰り道も覚束なくなっていた。
先ほどから何回も同じところを巡っているような気がして、急に不安になってきたナシェルは先を行くヴァニオンに問いかけた。
「まさかとは思うがヴァニオン……念のために確認しておくが、お前、城への道を知らないというのではないだろうな?」
「あのな、知るわけねえだろ。ここへ来たのはガキの頃以来なんだから。覚えてねえよ」
ヴァニオンの返答に、ナシェルは唇の端を引き攣らせる。
「まさか「迷った」などと云うのではあるまいな?」
「……さっきからぐちぐちうるせえな。そういうときのためにお前、精霊飼ってんだろ」
「……貴様やはり迷っていたのか! なんという使えない奴!」
「うるせえ! ぶーぶー怒って闇雲に進んだのはそっちじゃねえか。いいから、さっさと精霊飛ばして現在位置確認しろよ」
「飛ばすのはいいが、戻ってくるとは限らないぞ」
言い争うのをやめ、ナシェルは気を取り直してありったけの死の精を宙に飛ばした。躾がなっていないので、何匹戻ってくるかわからない。
……しばらくすると運よく一匹が戻ってきて、領主の城は彼方の方角だと指すのを信じて、二人は再び馬を歩かせ始めた。
結局どのくらいの間、そうして樹海の中を彷徨ったのか。
やがて二人の行く手に見えてきたのは、木々の向こうに超然と聳える城館であった。
「やっと着いたか……」
二人の声が、安堵というよりいささかげんなりした様子なのも仕方のないことだろう。もうどれほどの間森の中にいたのか、考える気も起らない。
たちこめる深い瘴気の霧のせいで、城の全景は薄く霞んでいる。周囲を蝙蝠の群れが徘徊している様子などは二人の眼から見ても不気味というほかない。
うなじにかかる黒髪をしきりに掻きあげているナシェルに、ヴァニオンが何事かと問えば、
「嫌な予感がする。何かよからぬことの起こりそうな気配だ。首の後ろあたりがぞわぞわする」
と王子は眉根をよせる。よほどこの小世界の領主に会いたくないらしい。
「ここまで来て、今さら引き返すってのは無しだぜ」
「……そんなこと判っている! さっさと行くぞ!」
ナシェルはふくれっ面で云うが早いか、城に向かって幻嶺の腹を蹴った。敵地に乗り込みでもするかのようなその剣幕に、ヴァニオンは苦笑しつつあとに続く。
跳ね橋をわたる彼ら二騎の頭上では、吸血蝙蝠が来客を城主に告げるかのように、ギャアギャアと不気味な鳴声を張り上げていた。
◇◇◇
「……悪趣味にも程がある!」
ナシェルの怒りは頂点に達した。
城主ファルクのアトリエに、彼等は通されていた。
突然の来訪であるため待たされても文句は云えぬ。彼等は仕方なく城主のアトリエで、夥しい数のデッサンや絵画に囲まれて、公が現れるのを待っていた。
「で、ほとんどの絵が、なんでお前なのよ……?」
ヴァニオンはげんなりと、壁一面にかけられた数々の絵画を見渡す。
彼はナシェルを連れてきたのを早くも後悔していた。
飾られているものの中には静物画もあったが、ほとんどはファルク自身の自画像か、ナシェルの肖像画だったのだ。冥王のものもある。二者は同じ顔をしているので区別する箇所は僅かな表情の違いと、瞳の色だけだが。
「誰に許しを得てあやつ、このような真似を……!」
「え? お前、モデルになったことないのかよ」
「あるか!」
ナシェルは全身に鳥肌を立てている。描かせた覚えのない自分の肖像画に囲まれるという、身の毛もよだつ経験を今しているのだ。彼は肖像画類を避けるように窓辺に移動し、さむざむと己の身を抱いた。
ちょうどその時アトリエの扉が開いて、見知った人物が入室してくる。
「これはこれは、モデルが御自らお出まし下さるとは、光栄の極み……」
散々待たせた挙句にナシェルを寒からしめた張本人の、第一声はそれであった。
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