泉界のアリア

佐宗

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第一部 血族

17毒の公爵③

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「ですが今のはせいぜい1分ぐらいでしょう、短すぎますよ、殿下。全身舐めさせてくれたら薬1本分、…私に抱かれて最後までさせてくれたら薬1ダースとか、どうです」

 殴りかかろうと公爵の胸ぐらを掴んだところで、まあまあと宥められた。

「冗談ですよ、冗談。じゃあ、こうしましょう。殿下には、次に私の描く絵のモデルになって頂きます。これなら妥当な線ではありませんか?」
「……モデルだと? 云っておくが私は絶対に脱がぬぞ。それに金輪際、私に指一本たりと触れることも許さぬ」
「では、その代わり絵のポーズはこちらからリクエストさせていただきますよ。…どうです?」
「……まあ、脱がないなら、別にそれでいい」
 体を舐め回されるよりは幾らかましだ。

「では、これで交渉成立というわけです。楽しみだなあ、ふふふ」
 ファルクは顎に手を当てて宙を見上げた。
「薬は、いつ頃できる?」
「そうですねえ。原料集めなど、色々と準備が必要なので、しばらく時間がかかりそうです。お急ぎの薬なのですか?」
「出来る限り急いで作れ。そして無論、他言は無用だ」
「完成しましたらエレボス城までお届けにあがりましょうか?」
「いや、貴様に暗黒界をうろうろされては困るからこちらで取りに来ることにする。受け取り役はヴァニオンが適任だろう」
「駄目ですよ。殿下が直接取りにいらしてください。そのような重要な品物は、ご依頼主に直接手渡しでなければ。毒の森には近道をご用意いたしますから」
「………仕方あるまい」

 こうして交渉は成立した。ナシェルが、視界から消えうせるように命ずると、貴方との間にまた秘密が増えましたね……と不気味な笑みを残し、毒の公爵はアトリエを後にした。ナシェルは緊張から解き放たれて嘆息した。




 ひとしきり外でヴァニオンが従兄ファルクに向かって何か喚いている声が聞こえてきたかと思うと、
「ナシェル!」
 親友はアトリエに転がり込んできた。
 彼は王子に駆け寄るなりその躯を隅々まで検分する目つきで見た。
「大丈夫だったか?」
「……ヴァニオン、か」

 ヴァニオンは、どこか惚けたようなナシェルの反応に訝しげに眼を眇める。
 ナシェルは乱れた胸元を無意識に掻き合わせて、視線を逸らした。
「………………おい、何された」
「別に、何もない」
「嘘吐け! じゃあなんでそんなに胸元が空いてんだよ!」
「……………」
 王子は頬を紅潮させ、視線を逸らしたままぼそりと、舐められた、とだけ答えた。

「は!? 舐め……、舐め……ど、どこをッ」
「上半身だけだ。心配するな」

 ヴァニオンは一瞬安堵の表情を浮かべたがすぐ我に返り、
「あ、あ、あの糞野郎……ッ」
 吠えるように叫んで、出ていったばかりのファルクを追おうとする。ナシェルはその腕を掴んで引き留めた。
「もう良い、済んだことだ……! それよりも、早くこのような所からは立ち去りたい、帰ろう」
「しかし」

 ナシェルはそれ以上の反論を許さず、ヴァニオンに先んじて戸口に向かった。
 後ろからぎりぎりと歯噛みの音を漏らしながらヴァニオンが従う。

「あの変態野郎!今度会ったら叩きのめす。……おい、ナシェル。ところでけっきょく薬の対価に何を要求されたんだよ?」
「それは、云えぬ」
「まさか、自分の体とかそういう類じゃねえだろうな? 幾らなんでもお前、それだけは絶対ダメだからな!」

 かなりいい線を突かれていると思いつつ、ナシェルは否定した。

「……んな訳あるか。あの男に体を売るぐらいなら、もう最初から小細工など弄さずに、セファニアの腹の子のこと、父上に洗いざらいぶちまける」

 そうすることは、もはや父に対する宣戦布告に近い。そしてそれは破滅と同義であった。それをしようと何度も思い立ったが、その都度思いとどまった。父に対する様々な感情がそれを許さなかった。どれほど憎くとも、根柢にある情ゆえにどうしても宣戦布告できないから、こうしてこんな馬鹿げた取引をする羽目になってしまったのだ。

  背後でヴァニオンが、ここへ来たのは失敗だった云々とぶつぶつ云っている。
 しかし、他に有効そうな手立てが浮かばなかったのだから仕方がないだろう。


 ナシェルは服の上から、そっと胸を押さえた。与えられた屈辱の感触が、官能的な唇の感触と共に未だこびりついて離れぬ。

 図らずもファルクの腕の中で、まるで冥王にそうされている時のように甘い声を上げてしまった自分が、腹立たしい。 
 そう、ファルクに狼藉を許しているとき、ナシェルの脳裏に浮かんでいたのは確かに冥王の相貌であった。
 病床の継母に付き添う父王とは、しばらく顔を合わせていない。だからなのだろうか?

(馬鹿馬鹿しい。あの腕を恋しがっているというのか? この私が?)
 認めたくなく、その考えを頭から追い払おうと首を振った。ヴァニオンが、心配げに何事かと問うてくる。
 何でもない、と答えながら、ナシェルは明らかな結論に打ちのめされていた。

 父王の、優しげで残忍な微笑が脳裏に浮かぶたび、躯じゅうに心地よいまでの痺れが奔るのは事実。
 その腕に抱かれたいなど、思いもよらぬことだと自分自身決めつけていたが、どうやらこの体のほうはそうではなく。

(……違う。私は、神司ちからを欲しているだけだ。それは神として当然の欲望、だ)
 疼き上がる情慾に身を焦がし、頭ではそれを打ち消そうと努める。

 どんよりと澱んだ腐樹界の空が、城の窓から見えている。ナシェルは足を止めて廊下から外を眺め、我ながら狂っているとしか思えぬ感情に茫然としながら、暫く立ちつくしていた。

 蝙蝠が、そんな魔城の上空を旋回している。


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