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第一部 血族
28翳りゆく灯②
しおりを挟むさて、冥王はその後、王女ルーシェに花畑をプレゼントするために周囲の度肝を抜く行動に出た。
暗黒界と冥府の間の地表近くに、大穴を開けて巨大な地下空間を創ってみせたのだ。
危うく暗黒界も吹き飛ばしてしまうところだったぞと、冥王は平然と宣った。
そんな荒技が使えるなら幻霧界との間の遅遅としたトンネル工事など無意味ではないかとナシェルは思ったが、奴隷共にも苦役を与えねばならぬため、これはこれで仕方がない。
規模は暗黒界などと比べると格段に小さいが、小世界が一つ誕生したわけで、臣下たちはみな目玉を飛び出させて驚き呆れた。
だがさすがの冥王もこれで神司を使い果たしたのか冥王宮の自室で寝込み、回復には数日を要した。
見舞いがてら、あの馬鹿でかい穴を一体どうするつもりだと聞きに行くと、冥王は頭痛がするとかで氷枕をかかえたまま、宣ったものである。
「あとはそなたが何とかしろ……。場所は提供してやったのだから文句はあるまい」
「そんな適当な! 花畑なんて見たこともないのにどう造れと? もとは天上界にいらしたのだから父上の方が知っているでしょう」
「嫌なことを思い出させるな……。それに余は細かい造形は苦手なのだ。王女がああしてくれこうしてくれと云うままに造ってやればよいであろ」
こうしたやりとりを経て、歯も生えぬ乳飲み子のために小世界『疑似天』が誕生したのである。
乳母のイリスに抱かれた状態で疑似天を訪れた小さき女神ルーシェルミアは、まだ何もない真っ暗な地下空間を、その愛らしい眼でぐるりと眺めまわした。
そしてあろうことか自分自身の力で気に入る状態に創り変え始めた。
地上界の太陽を模した光の塊からはじまり、あちらには草原、こちらには花園、それらを眺め下ろす丘、果ては花々の間を蜜を求めてとぶ蝶々たちまで、かつて三界を創った創世主もかくやというほどの造りこみようであった。
己が娘ながら末恐ろしい気持ちで、ナシェルは次々と出来てゆく楽園をただ唖然と眺めているしかなかった。
ルーシェは冥界生まれであり、花園どころか太陽をも眼にしたことはないはずだが、女神セファニアの記憶を脳裏に留めているのか、天上界によく似た虚構の楽園を見事に作り上げてみせたのだった。
足元に芽吹いた花々の蕾が一斉に開花すると、その花々からは花の精たちが誕生し女神に忠誠を誓った。二種類以上の精霊を従えるのは並みの神ではあり得ぬことだが、彼女にはその力があるようだった。
命の精たちが女神の意向を伝えてきた。
女神さまはここに小さなお城を建てて住みたいとおっしゃっているので、虚構でないちゃんとした城をここに建てろという主旨であった。
「城……だと!? 馬鹿を云え」
ナシェルが思わず大声を出すと、また例によって姫はおぎゃあおぎゃあと大泣きに泣いて自分の主張を決して曲げることはなかった。今やってみせたように自分では創れんのかと問えば、やはり衣食住はまがい物では駄目だというのが精霊の答えであった。
赤子にうるうるした瞳で見つめられ、ナシェルはとうとう根負けして背後に従えたアシュレイドに命じた。
「仕方あるまい……、ここに城を建てるぞ。費用はすべて父上のほうへ回せ、暗黒界の予算では賄いきれん」
「城、でありますか……」
言葉を発する前からこの有様では、一体この娘はどんな我儘娘に育つのか、想像だに恐ろしいと姫に関わる全ての人々が感じていた。
そうして、新たな小世界『疑似天』に王女のための城を創る準備が着々と進んでいたある日、ナシェルはひさびさに炎獄界を訪れた。
多忙のあまりその存在さえ頭の片隅に押しやっていたのだが、腰巾着……いや乳兄弟のヴァニオンが家人の体調不良を理由に近ごろ全く出仕しないのだ。
彼が囲っているサリエルとかいう天上界の者をナシェルは唐突に思い出し、黒天馬を駆り出したのだった。
近ごろよく血を吐くと、ヴァニオンは以前話していた。
今頃どうなっているのか。もしや……。
一、二度窓硝子越しに見かけただけで、その者と直接話したことはない。
だがセファニアを失った心の傷がまだ癒えきらぬ今、同じ病で新たな神の死を知らされることに、ナシェルは耐えられそうになかった。
―――行ってお前に何ができる。何もできはせぬ。
一方ではそう嗤う自分がいたが、しかし居てもたってもいられなかった。
幻嶺を叱咤し、宙を早駆ける。
漆黒のマントが風を孕み唸りを上げる。
死の精たちが遅れ始めたが、構いはしない。
遥か遠方に見える溶岩の赤い大河から、肌を焼くような熱風が時おり舞い上がってくる。
炎獄界の名の由来たる、怒れるその河からナシェルは眼を背け、親友を想う。
(ヴァニオン。お前と私は似た者同士だな。かつては進むべき方向に迷い、やがて道ならぬ恋を知り、そして掴みとれぬままひとつの愛を、今まさに失おうとしているのか……)
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