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第二部 虚構の楽園
36悔恨③※
しおりを挟む「……ん、ん……っ」
ナシェルが舌戯に酔いかけた一瞬の隙をつき、ヴァニオンは彼のローブの袷を掴んで緩め、胸をはだけた。
ナシェルは我に返る。
外気に晒したその肩を捕らえ、ヴァニオンはナシェルの胸に鋭い視線を這わせた。
「何だこれ……火傷か……?!」
彼は瞠目した。鳩尾、脇腹など上半身の数箇所に残る痕。
白い躯に花弁を散らしたようなそれに、そっと指で触れた。
「あ、ッ……」
途端、びりびりと火傷痕に痺れが奔る。思わず声が漏れてしまった。
ヴァニオンを押し返そうと胸を押したが、かえって強く抱きすくめられた。
「……ヴァニオン、嫌だ、離せ……!」
「そんな声出しといてよく云うぜ。ファルクにこんなこと許してるぐらいなら、俺にも少しぐらい味わわせてくれよ」
云うや否やヴァニオンは、ナシェルの体を引いて元のように洗面台に近づけさせ、腰をぐいと押し付けてきた。
冷たい石の洗面台と、ヴァニオンの逞しい体に挟まれる形となる。
ナシェルは息を呑んだ。
衣服越しでも、ヴァニオンのそれが昂ぶっているのがはっきりと分かる。
それでも自制心を振り絞ってみた。
「お前に、そんな権利はない。離れろ」
「権利? 陛下を挑発するためなら誰かれ構わず寝るんだろお前は! ファルクにこんなことさせておいて俺は駄目ってどういう理屈だよ」
「だって、お前には、サリエルがいるじゃないか」
「サリエルはもう抱けねえ」
ヴァニオンは苦しげに吐き捨てる。
「それは何だ、ヴァニオン……、嫉妬か? それともサリエルを抱けぬ代わりに私を……抱くことで、欲求を満たしたいということか?」
…答えの代わりに、息が詰まるほど抱き竦められた。身じろぎした拍子に湯上りガウンがますますはだけて、腰まで落ちた。
洗面台の角が、腰に当たって痛い。
訳が分からなかった。この男が本気で今でも自分をどうこうしようと思っているはずがない。
なぜならあれ以来……、つまりあの地上界への逃避行から連れ戻され、ヴァニオンが王からこの傷を賜って以来、すっぱりと二人は終わっていたのだし、サリエルを連れてきて以来ヴァニオンが、彼の愛を得るために必死になってきた事をナシェルは知っているからだ。
……ではこの腕の力強さは何だ。今さらなぜ?
もし私に未練があるなら、いつでも機会はあったはずなのに……。
理解しがたい相手の気魄に、息すら忘れてナシェルは茫然と身を任せる。
抗おうという気力よりも、目の前にいるこの男への憐憫のほうが僅かに勝っていた。
ヴァニオンは質問に答えないが、おそらく後者なのだろう。死病の淵にあったサリエルの体を気遣い、二人はここへ住むようになって以来一度も関係していないと聞く。ああ、ならばただ単に、溜まっているだけなのだろう。たまたま、そこに私が居ただけのことだ。
この男は愚かしくもファルクへの嫉妬を持ち出すことで、私を欲の処理に使う己を正当化しようとしているだけなのだ。
そう冷ややかに結論づけたナシェルの耳朶を、ヴァニオンは音を立てるようにして吸い、舐め上げる。
「……は、……っぁ」
吐息を漏らし相手に掴まりながら、ナシェルは己がどうすべきか、おぼろげに考えていた。
私は……? 私はどうする。抗うのか? それとも、このまま身を委ねるのか……。
もっと強く押し返そうと思えばできた。両手は空いていた。
…だがナシェルはそうしなかった。乳兄弟の匂いはかつてナシェルを包んでいたときのままであったし、彼は別れた後でさえ常にこう明言してくれていたのだ。
『ナシェル、本当に辛いときはいつでも俺を頼っていいんだよ。お前のこと全部分かってて、全部受け止められるのって、俺しか居ないんだからさ』
伸し掛かる男の体重を受けながら、ナシェルは背後の台に手をついた。ヴァニオンの指が火傷の痕をなぞりながら腰帯の辺りまで下がっていく。
耳の中を弄る熱い舌。ときおり歯を立てて耳朶を噛まれる。
ヴァニオンは肌に指を滑らせ、耳への口づけを続けながら囁く。
「相変わらず弱いんだな、ここ」
「あぁ……ッ……あ……」
ヴァニオンは背後の台に置かれた櫛や瓶などの小物を乱雑に手で押しのけ、場所を作るとナシェルをそこへ座らせた。
石造りの台と背後の鏡は、尻と背中にひんやりと冷たい。
口づけの合間にナシェルは辛うじて忠告しておいた。
「知らないぞ……ヴァニオン。酔ってのこととはいえ……こんなこと……。きっと正気に戻ったら、後悔……」
「俺は酔ってない」
ヴァニオンは切り捨てるように云い、座ったナシェルの両膝を開かせて己の躯をねじ込むように密着させ、首筋に唇を落とした。
酔ってない?そんなはずがないだろう……。正気とは思えないのに……。
だがそれも束の間のこと。滑り降りた唇に、胸の火傷の痕をじゅっと音を立てて吸い上げられた。
「あぁあっ!」
弱った皮膚を引き裂かれるような痛みと、それを上回る甘い快感。
苦悶と愉悦の境目に揺れるナシェルの表情を上目で確認しながら、ヴァニオンは更に傷痕への口づけを続ける。
痛みに昂ぶるナシェルの性質を判っているのだ。
舌の腹を使って鳩尾の痕を丹念に舐め上げ、痕の上にさらに唇の跡を残そうとばかりに強く何度も吸う。
「ああ、う……うぁ……はッ……あ」
ナシェルは堪えきれずヴァニオンの頭を抱え込み茶黒の髪を無心に掴んだ。
お前をずっとあのまま愛していればよかった……。そうしていれば、全てはもっと単純だったはずだ。
だが、すでに父の檻に囚われていた私には、お前の曇りない愛情は眩しすぎたのだ。
私には、お前の想いを受ける資格などないと思った。
ナシェルは己を狂わせる口づけのひとつひとつに、ヴァニオンとの間にかつて確かに存在した情を思い出す。
「あッあ……ん……ぅ……!」
彼の愛を打ち捨てたのは己のほうだという自覚は、確かにある。
ならばどうして……何故私は、これほどまでに酔いしれている?
過去につれなく捨てた後ろめたさから、こいつの欲の処理に付き合ってやるだけのことなのに……?
未練を残しているのは私のほうだったのか?
いや違う。私はただ単に感じているだけだ。この口づけがあまりに胸苦しく心に痞えるものだから。
ヴァニオン、ただ処理するだけならば何故これほどに私を極みに導き、翻弄させようとする?
ただ肉の疼くままに私を凌辱し、欲望を吐き出せばよいだけのことだろう。
その想いがたとえ今はサリエルに向けられたものだとしても、別に何のことはない。
それは私自身が選んだ結果なのだから。
――背中に廻されていた手が滑り降りてきて、ナシェルの両膝を立ち開かせた。
すでに下肢の間に存在を主張している弩形を、至近で観察するようなヴァニオンの視線を感じる。
ナシェルは羞恥に身悶え膝を閉じかけたが、膝を肘で押しのけられ、さらに広く開脚させられた。
ヴァニオンの指が、欲情に勃ちあがったそれに絡み付いてくる。
「あ……あ!」
「綺麗だ、ナシェル……」
彫像のように美しい曲線を描いて首を擡げ、先端から甘蜜を滴らせているそれを、ヴァニオンは掌中で揉み拉きながら囁く。
「あぁん……っ……ヴァニオ……ン、ヴァニオン……」
冷たい鏡に、伸び上がるように背中を押し付けて喘いだ。まだ濡れた髪先から水滴がぽたぽたと垂れて、もはや衣服の体をなさぬローブと台の上を濡らしていく。体はしかし冷えきるどころか、快感に炙られて激しく火照っていた。
「先にいかせてやるよ。どうして欲しい?」
「……口で……して、」
「……こう?」
ヴァニオンは長身を屈めるようにしてナシェルの濡れそぼった弓形を扱き、舐め上げ、そして口に含んだ。
「ああッ……うぁ……ぁあ!」
ナシェルは引き攣ったような声を上げて体をよじる。途方もない快感の波が下半身を麻痺させ、痙攣させた。
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