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第三部 天 獄
7 対峙③
しおりを挟む剣神レストルは不愉快そうに顔を顰めた。洞窟を探りに行った弟神が、客を引き連れて岩場の陰から姿を現したのを見て。
「兄貴ィ、ごめーん、」
「ちっ……アドリス、この間抜けめ。気をつけろと云ったのに」
吐き捨てながらもレストルは、弟に剣をつきつけているナシェルから視線を外そうとはしない。黒を纏ったその美貌に、不吉なものを感じているのだ。
彼はナシェルの放つ凄艶な神気に眉をひそめ、身構える。
ナシェルもまた、王女を小抱きにした赤髪の男を睥睨した。岩場に潜んで窺っていたときから、その男には全く隙がなく、かなりの遣い手と思われた。
「殿下……!!」
蹲ったままのサリエルが驚愕を見せる。不甲斐なさと安堵の入り混じった複雑な表情をしていた。
ナシェルはレストルから視線を外さぬようにしながら、サリエルを落ち着かせようと声を投げる。
「サリエル……、そなたはエベールに嵌められたのだ」
「……!」
やはりそうだったのかとサリエルは瞠目する。
小汚い手に引っかかった点ではナシェルも同類なのだが、その説明は面倒なので今は省いた。
「殿下、申し訳ありません……私は……私は、もう、あの世界で生きてはいかれないと……」
「サリエル。ヴァニオンとの関係をぐずぐず思い悩んでいたところをエベールの奴につけ込まれたのだろうが、そなたが己の立場に疑問を持つ必要など端から全くなかったのだ。もっと、ヴァニオンを信じてやれ」
ナシェルは群青色の瞳を瞬時、サリエルに向けた。
……ヴァニオンは、そなたのものだ。いっときの過ちに身を委ねたこと、私はそなたに詫びねばなるまい。あれはヴァニオンが悪いのではない。悪いのは、素面だったにも関わらず勢いに押されて受け入れた私だ。
おかしな酒のせいなどにはできぬ、私は拒もうと思えばできたのだからな……。許してくれ、サリエル。
これだけは確かだ。ヴァニオンが愛しているのは、お前だけだ。お前と出会ってから今までずっと。……そして、これからもそうだ。
ナシェルの視界のなかでサリエルの表情が泣き出しそうに崩れる。ナシェルの眼差しの中に存在する謝罪や励ましの想いを、受け取ってくれたのか。
ナシェルは声に出して続ける。
「それに……、いまさらこんな低俗な連中のいる天上界に帰ったところで、もはやそなたにとって得るものもあるまい。冥界とて大した場所ではないが、そう捨てたものでもあるまいよ」
「殿下……」
サリエルの双眸にうるうると涙が溢れる。
「いちいち泣くな! 大丈夫だ、ちゃんと連れて帰ってやるから……」
しかしその言葉は逆効果だったようで、サリエルは謝罪を口にしながらとうとう泣き崩れた。
ナシェルはハァと溜息をつき、奪った剣を持ち直して再度人質のアドリスに突きつける。そしてレストルに向き直った。
「……さあ、そこの赤頭。姫を返してもらおうか」
「にいさま!」
小脇に抱えられたルゥが、可愛い尻をこちらに向けたままじたばたと暴れだす。汚れた白のドレスが、膝で蹴り上げられて揺れていた。
「『殿下』ときて、その上『兄さま』だって?アンタ……まさか……わぉ!!」
アドリスの両眼が見開かれる。レストルも同様のことを考えたらしく唇に笑みが浮かんだ。
「その顔……、そうか、どこかで見覚えがあると思ったら、レオン伯父に似ているのだ…。髪と目の色を変えれば、瓜二つじゃないか、アドリス?
……なるほど。そういう噂だけは聞いていたが、まさかこんな所で出くわすとはな……、冥界の、ご世継ってやつに!」
「御託はいい……。王女と、この間抜け面、交換だ」
「チッ!」
レストルが渋々、ルゥを地面に下ろす。ルゥがまろぶようにこちらへ走ってくるのを確認し、ナシェルも人質を突き飛ばして解放した。
「にいさま!!」
胸に駆け込んできた愛娘を、しゃがんで片腕で抱きとめる。
「ルゥ……」
誰にも渡しはしない。この子は、私のものだ。
しゃくりあげるルゥの頬に己のそれを摺り寄せた。小さな頬は涙で濡れ、暗い狭い洞窟を抱えられてきたのだろう、白のスリップドレスはほつれ、体のあちこちは土で汚れていた。
ほっとした瞬間、隙をついて眼前に急速に迫ってきた剣の一撃がある。ルゥを退がらせる隙もなく、彼女を抱いたまま借り物の剣でとっさに受け止めた。
ガチッ! という激しい衝撃音と振動に、腕の中の王女がびくっと竦む。
「このままお前らを逃がすと思うか?!」
剣を受け止められたレストルが上から叫ぶ。そうくるとは思っていた。だが。
(……こいつ、速い!)
「ルゥ、退がっていろ!」
薙ぎ払いながら、ルゥを背後に……サリエルの居る所まで退がらせた。
(かなり使える奴だとは一目見て思ったが、これは……まずいな、一対一が限度だ。とてもあいつらを庇いながらやりあう余裕はない、)
視界の端で、まだ動けずにいるサリエルに駆け寄る姫を確認する。
――そして、人質役であったアドリスが白天馬の場所まで戻るのを捉えた瞬間、ナシェルの呼吸は緊張に震えた。
(天馬……! あれで向かって来られて馬上に引き上げられたら何もかも終わりだ!)
「サリエル、立て! 洞窟まで走れ!!」
ナシェルは度重なるレストルの剣戟を受け止めながら、背後に向けて叫んだ。
同時にレストルが、鋭い突きを繰り出しながら弟神に声を投げる。
「アドリス! ガキを逃がすな!」
「分ーってるよ!」
馬上に身を躍らせたアドリスが、鞍に差してあった短槍を抜く所が眼に映る。
(まずい、)
無抵抗のサリエルとルゥにまで得物を向けるつもりか? どこまで腐った連中だ、だが二対一は私もさすがに無理だ……!
「何してる! 早く行け!」
「まって……にいさま、サリエルけがしてるの!」
ルゥが応じる。振り返れば、胸の辺りを押さえているサリエルは、どうやら鳩尾を蹴られたときに肋骨が折れていたらしい。
(動けない!? せめて洞窟内まで下がればこちら側の領域……、こいつらも追って来れまいに!)
ナシェルは咄嗟に大きく息を吸い、神司を込めて吐き出した。
吐息とともに闇の精たちが躍り出る。『界の裂け目』のあの風穴を登ってくるとき、洞窟内にいたのを配下に取り込んでおいたのだ。
闇の精たちは黒い霧となり、馬上のアドリスに挑み掛かっていく。精霊たちの背に向けて命じた。
(時間を稼げ)
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