85 / 262
第三部 天 獄
10羽搏き往くもの①
しおりを挟む
「お前ら……絶対にここを動くなよ」
横抱きに運んできたサリエルを洞窟内に下ろすと、ヴァニオンは暗がりの中、己の剣を抜き払う。心許なく差し込む陽光を受けて刃面が輝き、焦りを隠せぬ己の顔が鏡のように映り込んでいた。
(どうする、考えろ……。かなり状況は不利だ、おチビの姫さんと肋骨折れてるサリエルだけじゃ、この足場の悪い真っ暗な洞窟を疑似天まで今すぐ駆け降りろったって無理だ。ここで待機してもらうしかない……。
いや、優先順位なら第一に姫さんの安全だ。真っ先に俺が、姫さん負ぶって疑似天まで退却するのが一番正しい選択なのでは……? だがサリエルをこのまま置いてはいけねえ。ましてやナシェルがあいつらに万が一やられたら、全く退却の意味がない、この洞穴どころか疑似天まで侵入されちまうかもしれねえ)
やはり自分がここでナシェルと共に食い止めるしかない。
魔族である自分が、上位種族である神々などに太刀打ちできるとは到底思えないが。
ああそれよりも、やはり自分がナシェルに代わり殿を務めるべきだったのだ。
(優先順位……?! 命の重さに順位なんかつけたくねえけど、それ言うならどう考えたって王の世継ぎのナシェルが一番助かんなきゃいけないに決まってるじゃねえか! ナシェルが何と言おうが、あいつを突き飛ばしてでも俺が食い止めるべきだった!)
ヴァニオンの表情に浮かぶ焦慮を感じ取り、二人は蒼ざめる。
ナシェルの身を案じてか、ふらふらと洞窟の入り口に戻ろうとする王女の腕を、とっさに掴んで引き戻す。ぼろ雑巾のように汚れたサリエルの頬もいまは涙に濡れている。彼は譫言のように謝罪を繰り返しはじめた。
「ヴァニオン様……私のせいで、ごめんなさい、ごめんなさ……」
「そんな話は後だ。姫さん! 動くんじゃねえ! じっとしてろって!」
「でも、にいさまが! にいさまが」
「大丈夫だ! 俺がなんとかしてきてやるから!」
とはいえこの状況判断が正しいのかどうか、ヴァニオンに自信はない。地の利はなく、手負いのサリエルと小さな王女を先に逃がすこともできず。彼らを守りながらナシェルと自分の二人で神二名に応戦せざるを得ないこの状況…。
他になにか使える手はないか、と考えを巡らすヴァニオンは、ルゥの肩にとまる命の精に目を止めた。
「そうだ姫さん! 空にたくさん精霊集めてただろ。あれ使えないか!? あいつらを追い払うのに」
「ルゥわかんないよ! つかうって、どうやるの?」
やはりだめか、と息を詰めるヴァニオンにサリエルが苦しげな声をかける。
「ヴァニオン様…、精霊を大量に集めて意のままに使役できるようになるには、姫さまはまだ小さすぎるのです…」
「そうか、姫さん、無理なこと言って悪かった」
ヴァニオンは微笑し片手でルゥの金髪をぐしゃぐしゃと撫でた。
落ち着かせるようにサリエルの唇に自分のそれを重ねる。
「ごめんなサリエル。もっと安全な所まで連れてってやりたいけど俺はナシェルに忠誠を誓ってる。あいつを助けなきゃ」
サリエルは黙して肯き、王女を抱き寄せた。
「ここで隠れてろ。下から、必ず誰か迎えが来るはずだ」
再度云い残し、ヴァニオンは洞窟の外へ駆け出した。
(……俺たち全員、エベールの奴に弱いところをつかれてまんまと嵌められたってわけかよ……?)
サリエルは自分のせいだと泣いていたが、ことはそんなに単純ではない。
(あいつの本当の目的は、間違いない……、異母妹ルゥを、あわよくば異母兄をも、天上界の連中の前に晒すこと)
そして目的どおり、双方はすでに遭遇してしまっている。冥界生まれのあの二人の神を見て、彼らが興味を持たないはずがない。
王女は助けられたものの……。ナシェルに対して天の神々はどう反応するのか?
敵対する闇の勢力として斬り捨てようとするのか。
(そんなことは……絶対にさせねぇ!)
だが主君の姿を探して束の間泳いだ、その視線の先に映ったものは―。
「…ッ!!」
衝撃に、息が詰まった。
(遅かったか!!)
細い躯を貫通した槍先が、肩から前に突き出している。背後からの一突きを、避け損なったか。
それを受けたナシェルの、支えきれなくなった膝ががくり、と地面に落ちた。黒き長身に槍を生やしたまま。槍の柄は先ほどの栗毛の男に握られており、槍を通じて二つの影が繋がっているように見える……。その槍身に纏わり付いているのは、血濡れた漆黒の髪。
「よっしゃ、仕留めたぞ、兄貴ィ!」
栗毛の男アドリスが上機嫌に叫ぶ。
「お手柄だ、と云いたいところだが……今のはお前の手柄というより、上の連中がこいつの気を一瞬逸らせたからだろ」
レストルは虚空を振り仰ぎ、これ以上はないという頃合で現れた、天の部隊に合図を送っていた。
ナシェルの力を失った指から、剣の柄が落ちる様が、瞠目するヴァニオンの瞳に飛び込んでくる。
異種なれど同じ乳を飲んで育った己の兄弟。無二の友、かけがえのない主君、そして初めて愛した者……。高雅な相貌にそぐわぬ壮烈な剣捌き、魔獣との戦いにおいてはヴァニオンとて敵わぬほどの勇猛さを見せる、あの闇の嗣子が、一撃を受け頽れている。
目の前で。
二対一とは卑劣極まりない……! 非情な天の神々への憤りと同時に、やはり己がその役を果すべきだったという後悔で、脳が滾る。
目の前で主を傷つけられた憤怒は、炎獄界の灼熱の濁流の如くに瞬時に湧き立ち、ヴァニオンから一切の冷静を奪う。
ただ目前の敵への殺意のみが思考を支配した。
黒の貴公子は地を蹴った刹那、炎鬼と化した。
「畜生ォッ!」
炎獄界の業炎によって鍛えられ、闇神の息吹でその加護を受けたヴァニオンの剣が、風唸りを上げて神々の間に振り下ろされた。
馬上のアドリスが槍を手放し、身を翻して避ける。
「うおう、何かと思えば今度はさっきの魔族かよ!」
頭上の空には、朝日を浴びて集まりつつある目映い光彩……。
おのおの甲冑を纏い、白い天馬に跨った部隊、その数50騎ほどもあろうか。無音に羽ばたくよう躾られたか、音もなくその翼をはためかせ、白い羽根を場違いなほどふわふわと中空に舞わせている。
無論それらの皓然たる姿はヴァニオンにとて見えている。見えているが。
(なまっ白いクソ神どもめ、そのまま降りてきやがるなよ! 俺がこいつらをぶっ殺すまで!)
「ナシェル!!」
ガチッと地を食んだ剣を引き抜きながら、ヴァニオンは叫ぶ。
「そんな怪我ぐらいで、くたばるようなてめえじゃねえだろうが! 立て!」
圧倒的多数対2、……いや1?、もう逃げ切れぬかもしれぬという一抹の思いを振り払うように、ヴァニオンは剣を薙ぐ。
「魔族ごときが…我等の邪魔をするな!」
レストルが、せっかく仕留めた獲物を逃すものかよとばかりに、膝をつくナシェルの前に立ちふさがりヴァニオンの剣を弾いた。
横抱きに運んできたサリエルを洞窟内に下ろすと、ヴァニオンは暗がりの中、己の剣を抜き払う。心許なく差し込む陽光を受けて刃面が輝き、焦りを隠せぬ己の顔が鏡のように映り込んでいた。
(どうする、考えろ……。かなり状況は不利だ、おチビの姫さんと肋骨折れてるサリエルだけじゃ、この足場の悪い真っ暗な洞窟を疑似天まで今すぐ駆け降りろったって無理だ。ここで待機してもらうしかない……。
いや、優先順位なら第一に姫さんの安全だ。真っ先に俺が、姫さん負ぶって疑似天まで退却するのが一番正しい選択なのでは……? だがサリエルをこのまま置いてはいけねえ。ましてやナシェルがあいつらに万が一やられたら、全く退却の意味がない、この洞穴どころか疑似天まで侵入されちまうかもしれねえ)
やはり自分がここでナシェルと共に食い止めるしかない。
魔族である自分が、上位種族である神々などに太刀打ちできるとは到底思えないが。
ああそれよりも、やはり自分がナシェルに代わり殿を務めるべきだったのだ。
(優先順位……?! 命の重さに順位なんかつけたくねえけど、それ言うならどう考えたって王の世継ぎのナシェルが一番助かんなきゃいけないに決まってるじゃねえか! ナシェルが何と言おうが、あいつを突き飛ばしてでも俺が食い止めるべきだった!)
ヴァニオンの表情に浮かぶ焦慮を感じ取り、二人は蒼ざめる。
ナシェルの身を案じてか、ふらふらと洞窟の入り口に戻ろうとする王女の腕を、とっさに掴んで引き戻す。ぼろ雑巾のように汚れたサリエルの頬もいまは涙に濡れている。彼は譫言のように謝罪を繰り返しはじめた。
「ヴァニオン様……私のせいで、ごめんなさい、ごめんなさ……」
「そんな話は後だ。姫さん! 動くんじゃねえ! じっとしてろって!」
「でも、にいさまが! にいさまが」
「大丈夫だ! 俺がなんとかしてきてやるから!」
とはいえこの状況判断が正しいのかどうか、ヴァニオンに自信はない。地の利はなく、手負いのサリエルと小さな王女を先に逃がすこともできず。彼らを守りながらナシェルと自分の二人で神二名に応戦せざるを得ないこの状況…。
他になにか使える手はないか、と考えを巡らすヴァニオンは、ルゥの肩にとまる命の精に目を止めた。
「そうだ姫さん! 空にたくさん精霊集めてただろ。あれ使えないか!? あいつらを追い払うのに」
「ルゥわかんないよ! つかうって、どうやるの?」
やはりだめか、と息を詰めるヴァニオンにサリエルが苦しげな声をかける。
「ヴァニオン様…、精霊を大量に集めて意のままに使役できるようになるには、姫さまはまだ小さすぎるのです…」
「そうか、姫さん、無理なこと言って悪かった」
ヴァニオンは微笑し片手でルゥの金髪をぐしゃぐしゃと撫でた。
落ち着かせるようにサリエルの唇に自分のそれを重ねる。
「ごめんなサリエル。もっと安全な所まで連れてってやりたいけど俺はナシェルに忠誠を誓ってる。あいつを助けなきゃ」
サリエルは黙して肯き、王女を抱き寄せた。
「ここで隠れてろ。下から、必ず誰か迎えが来るはずだ」
再度云い残し、ヴァニオンは洞窟の外へ駆け出した。
(……俺たち全員、エベールの奴に弱いところをつかれてまんまと嵌められたってわけかよ……?)
サリエルは自分のせいだと泣いていたが、ことはそんなに単純ではない。
(あいつの本当の目的は、間違いない……、異母妹ルゥを、あわよくば異母兄をも、天上界の連中の前に晒すこと)
そして目的どおり、双方はすでに遭遇してしまっている。冥界生まれのあの二人の神を見て、彼らが興味を持たないはずがない。
王女は助けられたものの……。ナシェルに対して天の神々はどう反応するのか?
敵対する闇の勢力として斬り捨てようとするのか。
(そんなことは……絶対にさせねぇ!)
だが主君の姿を探して束の間泳いだ、その視線の先に映ったものは―。
「…ッ!!」
衝撃に、息が詰まった。
(遅かったか!!)
細い躯を貫通した槍先が、肩から前に突き出している。背後からの一突きを、避け損なったか。
それを受けたナシェルの、支えきれなくなった膝ががくり、と地面に落ちた。黒き長身に槍を生やしたまま。槍の柄は先ほどの栗毛の男に握られており、槍を通じて二つの影が繋がっているように見える……。その槍身に纏わり付いているのは、血濡れた漆黒の髪。
「よっしゃ、仕留めたぞ、兄貴ィ!」
栗毛の男アドリスが上機嫌に叫ぶ。
「お手柄だ、と云いたいところだが……今のはお前の手柄というより、上の連中がこいつの気を一瞬逸らせたからだろ」
レストルは虚空を振り仰ぎ、これ以上はないという頃合で現れた、天の部隊に合図を送っていた。
ナシェルの力を失った指から、剣の柄が落ちる様が、瞠目するヴァニオンの瞳に飛び込んでくる。
異種なれど同じ乳を飲んで育った己の兄弟。無二の友、かけがえのない主君、そして初めて愛した者……。高雅な相貌にそぐわぬ壮烈な剣捌き、魔獣との戦いにおいてはヴァニオンとて敵わぬほどの勇猛さを見せる、あの闇の嗣子が、一撃を受け頽れている。
目の前で。
二対一とは卑劣極まりない……! 非情な天の神々への憤りと同時に、やはり己がその役を果すべきだったという後悔で、脳が滾る。
目の前で主を傷つけられた憤怒は、炎獄界の灼熱の濁流の如くに瞬時に湧き立ち、ヴァニオンから一切の冷静を奪う。
ただ目前の敵への殺意のみが思考を支配した。
黒の貴公子は地を蹴った刹那、炎鬼と化した。
「畜生ォッ!」
炎獄界の業炎によって鍛えられ、闇神の息吹でその加護を受けたヴァニオンの剣が、風唸りを上げて神々の間に振り下ろされた。
馬上のアドリスが槍を手放し、身を翻して避ける。
「うおう、何かと思えば今度はさっきの魔族かよ!」
頭上の空には、朝日を浴びて集まりつつある目映い光彩……。
おのおの甲冑を纏い、白い天馬に跨った部隊、その数50騎ほどもあろうか。無音に羽ばたくよう躾られたか、音もなくその翼をはためかせ、白い羽根を場違いなほどふわふわと中空に舞わせている。
無論それらの皓然たる姿はヴァニオンにとて見えている。見えているが。
(なまっ白いクソ神どもめ、そのまま降りてきやがるなよ! 俺がこいつらをぶっ殺すまで!)
「ナシェル!!」
ガチッと地を食んだ剣を引き抜きながら、ヴァニオンは叫ぶ。
「そんな怪我ぐらいで、くたばるようなてめえじゃねえだろうが! 立て!」
圧倒的多数対2、……いや1?、もう逃げ切れぬかもしれぬという一抹の思いを振り払うように、ヴァニオンは剣を薙ぐ。
「魔族ごときが…我等の邪魔をするな!」
レストルが、せっかく仕留めた獲物を逃すものかよとばかりに、膝をつくナシェルの前に立ちふさがりヴァニオンの剣を弾いた。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
602
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる